episode23
翌朝。
いつもよりほんの少しだけ早く教室に着いた梨々香は、自分の席に座るなりぼんやりと窓の外を眺めていた。
11月の風は涼しくて陽射しはまぶしい。
けれど、昨夜の出来事を思い出す度顔が火照ってたまらない。
(……私、蘭と……)
思い出してしまった。
月明かりの下、ふたりだけの屋上。
チャイムの音と共に交わした――キス。
(あれは夢じゃない……よね?)
だけど、朝の光の中では、あの時間が幻だったようにも思えてしまう。
目を閉じればすぐに思い出せるのに、目を開けば、どこか現実味を失っていく。
「おはよう、梨々香」
――その声に、梨々香はびくっと肩を震わせた。
「ら、蘭……っ」
ぎこちなく振り返ると、そこにはいつも通りの――けれどどこか少しだけ、柔らかい微笑みを浮かべた蘭が立っていた。
「……昨日は、その……ありがとう。楽しかった」
「う、うん……私も……」
目が合わない。
顔を見たら、きっと昨日のことが全部こぼれてしまいそうで。
「……あのね、梨々香」
「な、なに?」
「梨々香がなかったことにしたいなら何もなかったように過ごしてもいいけど…私は忘れてないから」
梨々香の鼓動が跳ねる。
「忘れたくないって、思ってる。昨日のことも、あなたの言葉も……キスも」
小さな声だったけれど、ちゃんと届いた。
梨々香は恥ずかしさに俯きながらも、そっと蘭の制服の裾を指先で掴んだ。
「……じゃあ、私も。忘れたくない」
ようやく向けられたその笑顔に、蘭も小さく微笑む。
その瞬間チャイムが鳴って教室がざわつき始めた。
慌ててふたりは距離を取り何食わぬ顔で席に戻る。
でも、たまに目が合えば、お互いに笑ってしまう。
机越しに交わす視線は、どこか秘密を分け合う恋人のようだった。
そんな甘くて、少し気まずい空気のまま、ふたりの新しい一日が静かに始まった。
昼休み、テニス部の部室裏。
春の名残がほんのりと香る、初夏の風が木々を揺らしていた。
「……ふふ」
木陰から校庭を見つめていた麗は、思わず小さく微笑んだ。
そこには、並んで笑い合う梨々香と蘭の姿。
ふたりだけが通じ合っているような視線。
けれどそれはもう、友情の域を確実に超え始めていて――
「バレバレだよ、もう。あのふたり」
そう口にした自分の声に、どこか胸がきゅっと痛んだ。
麗はゆっくりと自分の胸に手をあてる。
(……気づいてた。最初から)
梨々香の優しさに、笑顔に、真っ直ぐで不器用な努力に、いつからか惹かれていた。
けれど、それが「友達として」なのか、「それ以上」なのか――
ずっと言葉にすることを避けてきた。
でも今、ようやくわかった。
(……好きだったんだ。わたし、梨々香のこと)
風が頬を撫でる。
すこし寂しいけれど、それでも心は晴れていた。
「いいよね、蘭。少しくらい」
ひとりごとのように呟いてから、麗はもう一度ふたりを見やる。
その視線には、やわらかく、優しい光が宿っていた。
(わたしは、応援する。……ふたりを)
ふいに、梨々香がこちらに気づいて手を振ってくる。
それに応えるように、麗も笑顔で手を振り返した。
――こうして、少女たちはそれぞれの「想い」と向き合いながら、一歩ずつ進んでいく。
そして、星羅学園高等部一年――
恋と葛藤と優しさが交差した一年が、静かに幕を下ろした。




