episode22
「一条先輩と織谷先輩が踊るんだって!」
誰かの声があがると、まるで魔法のように周囲がざわついた。
シンデレラと王子様――あのふたりがまた踊る。
その噂はあっという間に広がり、校庭にいた生徒たちがふたりのもとへ集まり始めた。
「……すごい人だね」
「うん、ちょっと困ったかも」
蘭が梨々香の手を引こうとしたそのときだった。
「こっち、こっち!」
人混みの向こうから、麗がウインクしながら手招きする。
そのまま二人は急いで校舎を抜け、階段をのぼり、そして――
ガチャリ、と重たい扉が開かれた。
屋上には誰の姿もなかった。
夜風がすうっと吹き抜け、遠くで校庭の音楽がかすかに鳴っている。
「ふたりきり、だね」
蘭が微笑む。
「麗のおかげ……」
そう呟いた梨々香は、ふわりとドレスの裾を持ち上げて一歩進んだ。
「一緒に踊ってくれませんか?綺麗なお嬢さん」
蘭がシンデレラの時のセリフをいいながら芝居がかったようにそっと手を差し出す。
「はい、喜んで」
梨々香はそれを両手で包みこむように握った。
静かな夜。星がまたたく空の下。
遠くから聞こえるワルツのリズムに合わせて、ふたりのステップが屋上に描かれていく。
言葉はいらなかった。
見つめ合えば、それだけで十分だった。
「……蘭」
「なに?」
「……なんでもない」
梨々香は今、この瞬間を、胸に深く刻んだ。
蘭の指先は確かに自分の手を導き、蘭の瞳は自分だけを映していた。
ほんの短い魔法のような時間。
二人だけの屋上の舞踏会だった。
屋上に響くのは風の音と、遠く微かに聞こえる音楽だけ。
蘭の手のひらに導かれながら梨々香は小さく微笑んだ。
「やっぱり蘭は、王子様みたいだね」
「あなたがシンデレラだったからそう見えるだけでしょう?」
二人だけの言葉が、夜空に溶けていく。
そしてまた、静かにステップを踏む。蘭の動きは迷いなくけれどどこまでも柔らかくて――その度に、梨々香の胸は苦しくなる。
そんな時。
校舎からチャイムの音がかすかに鳴り響いた。
ふたりの舞踏会を終わらせようとする音。
「……まだ、この時間終わりたくない」
梨々香のか細い声が夜に溶けた。
その横顔が月に照らされて蘭は息を呑んだ。
白く儚く、美しい――触れたら壊れてしまいそうなほどに。
「じゃあ、もう少しだけ」
蘭が囁いて、もう一度ふたりは踊り出す。
風がふたりのスカートを揺らし、夜の中に小さな渦を描いた。
「私、あの舞台の時……本当はすごく嫉妬してた」
「……うん、気づいてたかも」
「そっか。……やっぱり、蘭は全部見てたんだね」
「あなたのことはずっと見てたから」
言葉のひとつひとつが心の奥に触れて、梨々香は目を伏せる。
「ねえ、蘭……私、ね」
チャイムが、ふたりの間に割って入るように鳴り響いた。
その音にかき消されるように梨々香は思い切って言葉を紡ぐ。
「私、蘭のことが好き――女の子とか関係なく、好きなの」
蘭の瞳がわずかに揺れる。
けれど次の瞬間、その手がそっと梨々香の頬に触れた。
「……私もあなたのことが好きよ」
それは舞台の演技でも、誰かに見せる微笑でもない。
一条蘭が、ただ梨々香のためだけに向けた、確かな想い。
チャイムが静かに鳴り終わるとき――
ふたりはそっと唇を重ねた。
それは優しく、静かで、でも確かに“本物”のキスだった。
まるで、夜空に浮かぶ月だけが二人の秘密を知っているかのようにそっと見守っていた。




