episode20
秋空に雲ひとつない、運動会日和。
応援の声と笛の音が飛び交い、星羅学園のグラウンドは熱気に包まれていた。
梨々香はこれまでの競技を完璧にこなしてきた。玉入れも綱引きも、障害物競走も。
(今度こそ、親に認められたい)
そんな一心で、ずっとがんばってきた。
そして、いよいよ最終種目のクラス対抗リレー。
クラス全員の想いを背負った勝負。
一人ひとりが次の人へ、バトンをつなぐ。
第1走者、麗がスタートダッシュを決める。颯爽と風を切って走り抜け、見事に1位で第2走者へ。
ところが――
第2走者がカーブで足を取られ、激しく転倒した。
「……っ!」
見守るクラスメイトが声をのむ。
その間に、他のクラスが一気に追い抜いていく。
最下位。
バトンが手渡されたときには、すでに大きく離されていた。
それでも、誰ひとりあきらめなかった。
次々にバトンがつながれ、梨々香の手に届いたのは第4走者として。
(負けたくない――)
バトンが渡されると同時に梨々香は飛び出した。
風を切る音しか聞こえない。
呼吸が浅くなる。足が悲鳴を上げる。
でも――止まらなかった。
1人、2人、3人……次々に抜いていく。
最下位から、3位。2位――
そして、最後の直線。もう、1位の背中は目前。
だが、ほんの一歩だけ届かなかった。
2位でバトンを渡すとき、梨々香は悔しそうに唇を噛む。
蘭がその表情に気づきそっとつぶやいた。
「任せて、梨々香」
風のように、蘭が走り出す。
滑らかで無駄のないフォーム、地面を蹴るたびに加速する脚。
クールな蘭の目がまっすぐに前だけを見据えていた。
会場の応援も次第に熱を帯びていく。
最後のカーブ、直線。
一気に差を詰め、蘭は――ゴールテープを1位で駆け抜けた。
「……っ! 蘭っ!」
感情が溢れ出した梨々香は、まっすぐに蘭へ駆け寄った。
そして――迷いも、理性もなにもかも投げ出して蘭の胸に飛び込む。
蘭は驚いたように一瞬固まったあと優しく梨々香の背中に手を回した。
「よく頑張ったね」
その一言に、梨々香の胸はじんと熱くなった。
――でも、今の想いを伝えるわけにはいかない。
自分の鼓動が蘭に伝わっていないことだけを祈りながら、梨々香はそのまま蘭の胸元で目を閉じた。
閉会式が終わり、クラスの輪から少し離れた日陰で梨々香は冷たいタオルで首筋をぬぐっていた。
息は少し荒いけれど、表情はどこか達成感に満ちている。
そこへ、母親がやってきた。
「……よく頑張ってたわ、梨々香」
梨々香は驚いた顔で母を見上げた。
穏やかな声――怒鳴られたり、責められたりしていない。
「……うん!」
思わず笑顔になる。
ようやく、ほんの少しでも認めてもらえた気がして、胸がじんと熱くなった。
けれど、その次の一言が、すぐに梨々香の笑顔を曇らせる。
「でもね、それが当たり前なのよ。あなたは人の何倍も努力しないと、すぐに周りに置いていかれるの」
母の目は厳しかった。
梨々香は唇をかすかに震わせ、視線を落とした。
「……分かりました」
その声は、さっきの笑顔とは打って変わって小さく、遠かった。
すると――
「梨々香!」
息を切らして走ってきたのは蘭だった。
スニーカーの音を止め、真っ直ぐ梨々香の隣に立つと蘭は母親に向かって少し強い口調で言った。
「梨々香は、ずっと頑張ってきました。運動会のためだけじゃなくて、日々の練習も、努力も、我慢も……私、知ってます」
蘭の言葉に、梨々香の肩が小さく震えた。
母親はその姿をしばらく無言で見つめていたがやがて少しだけ目元を緩めた。
「……いい友達ね、梨々香」
それだけ言うと、背を向けて静かに立ち去っていった。
残された梨々香はしばらくその背中を見つめる。
「……蘭、ありがとう」
「私は……ただ、あなたが頑張ってたこと知ってるから」
蘭はいつもと変わらない落ち着いた声でそう言った。
梨々香は蘭の横顔を見つめながら、胸の奥にあった涙をこらえる。
――この気持ちが、どうか蘭に伝わりませんように。
だけど、手のひらに残るぬくもりはもう嘘をつけないほど強かった。




