episode13
文化祭前日 ―― 講堂、最終リハーサル
舞台の幕がゆっくりと上がりライトが二人を照らす。
シンデレラ役の梨々香と、王子様役の蘭。
舞踏会のシーン、そして最後の“愛のダンス”へ。
蘭の動きは、今までで最も柔らかくしなやかだった。
軽やかに回るステップ、床を滑るような足取り、そして──
誰かのために心から踊る表情。
梨々香は息を呑んだ。
まるで自分だけを見つめて踊ってくれているような錯覚に、胸が熱くなる。
ラストシーン。継母の呪いで眠りにつくシンデレラに王子様が口づけをする。
「……さあ、最後の通しいくよ! キスシーンもフリでいいから!」
脚本係の声に、蘭が梨々香の前でそっとしゃがみ込む。
目を閉じた梨々香の顔の上に蘭の影がふわりと覆いかぶさる。
──こんなに近くで見るの初めてかも。
蘭の睫毛の長さ、澄んだ瞳、ほんのりと赤い唇。
(……綺麗)
唇が触れる寸前、蘭はふっと動きを止めた。
キスのフリだけどその距離はあまりに近く──梨々香は思わず、心臓が跳ねるのを感じた。
──どくん。
舞台の上、梨々香の頬が赤く染まりそれを知ってか知らずか蘭は無表情で立ち上がった。
「よし、オッケーです! 明日が本番、がんばってねー!」
拍手が起こり、舞台裏に戻る生徒たち。
でも梨々香は、まだその場に立ち尽くしていた。
(……なんで、こんなにドキドキしてるんだろう)
「あの……織谷さん」
後ろからかけられた声に、梨々香は少し肩を跳ねさせた。
振り返ると、いつものように冷静な表情の蘭が立っていた。
「ソロのところ、もう少し練習したい。つきあってもらえる?」
「っ……う、うん……!」
いつものはずなのに、今夜はどうしても目が合わせられない。
蘭のまっすぐな瞳を見るたびに、あのキスシーンがよみがえる。
(わ、私、なに考えてるの……!)
胸の奥で、静かにくすぶるような気持ちが確かに灯りはじめていた。
リハーサル中 ―― 舞台の上、蘭視点
(……本当にこれが、最後のリハーサル)
いつもより少し重たく感じる空気の中、蘭は音楽に身を預けるようにステップを踏む。
梨々香と踊るダンス。
その体温が、動きが、まるで音楽と一体になるように感じられた。
(今日の織谷さん……いつもより綺麗だった)
視線を合わせるたびに、どこか遠慮がちに逸らす瞳。
いつもは自然に微笑んでくれるのに、今日はなぜか妙に恥ずかしそうで──
それが、蘭の中に妙なざわめきを残していた。
そして、クライマックス。
シンデレラにかけられた呪いを解く、たった一度の口づけ。
「キスシーンも、通してやってねー!」
脚本係の軽い声に、蘭はうなずいて梨々香のそばにひざをついた。
目を閉じている梨々香の顔を見下ろす。
こんなにも近くで見るのは、初めてだ。
(……なんで、こんなにまつ毛、長いんだ)
呼吸が触れ合う距離。
触れたら壊れてしまいそうな、細くて儚い輪郭。
(キス、したらどうなるんだろう)
ふとよぎった思い。
役のふりをしたまま、本当にキスしてしまいたい──
(……違う)
蘭はわずかに息をのんだ。
これは演技、練習、そう自分に言い聞かせて、ギリギリの距離で止まる。
キスのフリ。
ほんのわずかな空間を残して、蘭はその場から立ち上がった。
拍手が聞こえる。
舞台裏に戻る仲間たちの声。
だけど、蘭の心にはまださっきの距離と梨々香の吐息の温もりが残っていた。
(……私、なにを考えていたの?)
鼓動が、踊るときよりも速い。
リハーサル後 ―― 廊下、蘭視点
練習が終わっても、どうしても気持ちが落ち着かなかった。
でも、もう少し梨々香といたくて声をかけた。
「……王子様のソロ、もう少し練習したい。付き合ってもらえる?」
梨々香は一瞬驚いた顔をしたあと、少し赤くなってうなずいた。
(あの顔……やっぱり、意識してくれたのかな)
でも、これは役。練習。
そう自分に言い聞かせてもさっきの本当にキスしてしまいそうだった自分の感情がどこかで渦を巻いていた。
この気持ちの名前にまだ蘭は言葉を与えられずにいた。




