来てくれた尾崎凌駕
※とあるミステリーの真相について触れています。未読の方は先に進まないでください。
来てくれた尾崎凌駕
果たして尾崎凌駕はやってきてくれた。
「ふうむ、あなたが佐藤稔の主治医」尾崎凌駕は無表情のままそう尋ねる。
無言で頷き、彼に腰を下ろすように勧める。
「言っておきますが、私は人の顔がわからない。なので次会った時に無視するかもしれませんが、その点はご容赦ください」
それはわかっています、とだけ告げ、尾崎凌駕の話をただ黙って聞くことにする。しかし――
「第二病棟の闇については何も話せませんよ。逆にあなたはどう考えているのか? それが聞きたいですね。私はただそれに相槌を打ちます。肯定か、否定か、あるいはそのどちらでもないか、そういう相槌です」
折角やってきてくれた尾崎凌駕だが、積極的に話してはくれないらしい。仕方なく、こちらで訊いていくことにする。
まず……
佐藤稔というのはある種のコードネームみたいなもんですよね?
「ノーコメント」
他にも鈴木何某、高橋何某、田中何某、つまりよくある名前を病院――いや第二病棟で付けた身元不明患者……
「あるいは、身元不明患者に仕立て上げられた患者ではない誰か?」
すると、彼は本当にここの職員だった? SE――システム・エンジニアだった彼が無理やり――
「ノーコメント」
ふうむ、教えてはくれないのですね? 実際に第二病棟では地下送りが行われているのですか? そしてBMI実験が……
「ノーコメント」
私は質問を諦め、黙ってしまう。
「逆に訊きますが、あなたはどう思っているのです?」
尾崎凌駕に促され、私は思っていることをしゃべってしまう。
まず……
第二病棟からここ第三病棟に送られてきた彼――一応、佐藤稔という名前だとカルテにありますが、その彼――エレベーターでB2ボタンを探している彼が本当に執筆しているのかどうか? 第二病棟にいたという本当の執筆者とは私はリモートでしかやり取りしたことがない。だから……
「執筆していた作者は既に人間ではないかもしれない?」
ええ。彼はただ……
ほら、小説投稿サイトは「小説家になろう」だけではないでしょう? そちらでもほぼ同じ連載が続いている。彼――あのエレベーターの彼はただ、そのもう一つの小説投稿サイトの原稿をコピペしているだけかもしれないじゃないですか!
「ノーコメント、というか、それはどうでもいいんじゃないですか? 誰が書いたか、それはどうでもいいのでは?」
うーん……
まあ、そうですが……
とにかく、書かれている事件は本当にあった事件なのか?
「精神を病んだ患者がただ妄想を書き連ねた、と?」
ええ。ただ……
「ただ?」
あの事件は実際にあったと聞いています。二十数年前といえば、私はまだ子供でしたが。
「実際にあったかどうか? それもどっちでもよいのでは? 書かれているのが、仮に精神を病んだ患者の妄想だとしても、一応ミステリーとして読めなくはない。読者の挑戦状まで進んでいますが、一読者としてあなたはここで何を語るのです?」
いや、敢えて挑戦には乗りません。
密室にも叙述トリックにも左程の興味はない。
ただ……
いや、尾崎諒馬=鹿野信吾は犯行の際、何を考えていたのだろうか? と……
尾崎諒馬=鹿野信吾は姉良美とかつて男女の関係にあったが最後拒絶され、階段から突き落として殺してしまった、と。しかし、それを心から悔いているような感じがしない。
彼の本当の想いは良美ちゃんの方にあったのではないか?
最初「彼女」と書かれていた近藤社長の婚約者が、階段での「いちりとせ」のあと、ようやく「良美」と明かされるのは少し興味深い。
どこかでそう書いた記憶があるんですが、つまりは「彼女」。
女性の三人称代名詞としての「彼女」ではなくて、恋人としての「彼女」――そういう意味ではないのか?
僕が良美ちゃんを殺してしまった……
私は良美ちゃんを助けられなかった……
私が良美ちゃんを殺してしまった……
何度も繰り返されるこのフレーズですよ。
離れのベッドのバケツの中にあったのも姉良美ではなく良美ちゃんの生首だったんですよね?
良美ちゃんを殺したのは近藤社長ですよね?
「旧姓祐天寺良美を殺したのは夫の勝男ですね」
母屋の二階で勝男が牛刀を振りかざして……
尾崎諒馬=鹿野信吾はそれを一旦は止めたけれどもついその手を緩めてしまった。
それを以て、自分が殺してしまったようなものだと……
「ふうむ、そうでしょうか?」
うーん、良美ちゃんを助けられなかった、自分が殺してしまったという嘆きよりも、重要なのはやはりとてつもない恨みでしょうかね? 良美ちゃんを殺した勝男に対する……
何しろ、尾崎諒馬=鹿野信吾は勝男の首を直接――つまり生きたまま斬首し、更に心臓を抉るという惨い――
「ふうむ、つまりは祝福された死……。そうなんでしょうか?」
違うのですか?
尾崎凌駕は笑ったまま何も答えない。
彼は黙ってとある書物を差し出した。
そして捲ってあるページを指し示す。
世界の悪意のすべてを一身に引き受けたような、そんな探偵小説を書くんだ
そうあった。
中井英夫の言葉だった。
顔を上げると尾崎凌駕は消えていた。
* * *
生きたままの斬首は……
苦痛は最小限であるとされているのかもしれない。
誰が書いているのかわからないが……
小説投稿サイトのパスワードは変えたはずだが……
事件の真相はやがて語られる……
そうであってほしい……




