神と探偵の対話
※とあるミステリーの真相について触れています。未読の方は先に進まないでください。
神と探偵の対話
「はて? BMI実験は行われなかった?」神が訊く。
「そのようですね」探偵が笑った。
「すべてのAIはLLM?」
「テキストを学習してテキストでやりとりするAIであって、決して脳髄そのものを学習するなんてことはしてはいないようですね」
「学習するのはテキスト情報だけ? 入出力もテキストだけ?」
「仮に音声を学習し、音声で入出力する場合も、一旦、音声はテキストに変換されるわけですから、やはりすべてはLLMですね」
「画像や映像は?」
「LLM単体では無理ですね」
「今、回想をしている鹿野信吾、つまり尾崎諒馬はAI? つまりLLM?」
「違うでしょう? 彼は生きていた……。そういうことです」
「自殺はしてない?」
「そうなりますね。今、自殺しようとしているのかもしれませんが……」
「ふーむ。しかし、探偵は介錯はしない、と」
「三島由紀夫は嫌いでしてね」探偵は笑った。
「すると……」
「何でしょう?」
「あのミステリーに、漢字の間違いを指摘する乱入者、とかいう章があったでしょう?」
「ああ、確かに……」
「あれはAI? つまりLLM?」
「いや、ああ、この小説の表紙に『針金の蝶々』が小さく載っているでしょう? 右上に小さく……、そう書いてあるでしょう? LLM単体は画像は直接理解できない」
「すると?」
「自作自演」
「なるほど」
「大丈夫ですか?」探偵が笑う。「神ともあろうものが、その程度の読解力で……」
「神といっても……、単にあの事件で神の視点を持っていたというだけで……」
「絶対的に正しい、つまり真実を見ている視点?」
「そうです」
「別荘母屋二階で、良美ちゃんは浴衣からネグリジェに着替え、更にもう一度浴衣に着替えた? バタバタといそがしいですね?」探偵が訊く。
「はて、そうでしたっけ? バタバタと着替えたのは勝男では?」
「いや、あれ? そうかな?」
「私は神の視点を持っていましたが、二階は直接見てはいない」
「カメラの映像は見た?」
「ええ、リアルタイムではなく、事件後コピーをざっとですが……」
「ディープ・フェイクは有り得ない?」
「勿論、事件後二日後くらいですので」
「なるほど。では映像ではなく、直接見たのは……」
「離れの玄関前ですね」神が頷く。
「離れにウエディングドレス姿で飛び込んたブリキの花嫁は間違いなく勝男だったと」
「そうです。直接この眼で見ました」
「そして、殺し屋首猛夫に、離れのドアを少しだけ開けて中を覗け、と指示を受けて中を覗いた、と」
「ええ、中で勝男が脱いだウエディングドレスを床に広げていた」
「生首らしきものは? 誰の生首でしたか? 良美か? 良美ちゃんか?」
「半透明のポリ袋に入っていたので誰なのかは、ちょっと……」
「神らしくない発言ですね」探偵が笑う。
「良美ちゃんでないのは確かです」神も笑って返す。
「すると、良美? 勝男の姉の――つまり、旧姓尾崎良美?」
「さあ? しかし……」
「良美ちゃんでないのは確か?」
「ええ」神は笑った。
「要は生首の入ったポリ袋は微妙に半透明だった、と」
探偵のこの問いに神は苦笑いを浮かべて何も答えなかった。
「まあ、明確に言えるのは」探偵が笑った。「離れは密室だった、と」
「そうですね。私がドアを開こうとした時、確かにドアチェーンが……」
「磁石ではない?」
「違いますね。結構力は込めました」
「しかし、次に二人のミステリー作家がドアをちょっとだけ開けて覗いた時には、床のウエディングドレスの上に――」
「社長の生首が載っていた」
「しかし、基礎は浅かった」
「そうですね。生首は本物でしょう」
しばらく沈黙する二人。
「話を戻しますが……」探偵が切り出す。「二階の良美ちゃんの着替え――いや、勝男かな? とにかく最後、尾崎諒馬=鹿野信吾は着替えを手伝っている、浴衣からウェディングドレスに」
「そうですね」
「すると、下着姿も見たのでしょう? それで勝男と良美ちゃんを見間違えるでしょうか?」
「勝男と良美ちゃんの区別は難しいんじゃないでしょうか?」
「下着姿でも?」
「ええ」
「しかし、あなたが離れを覗いた時、勝男はウエディングドレスを脱いで下着姿だったんでしょう? 確か、ドレスを広げているのは下着一枚の男性。ショーツらしきものを履いているが股間の感じで間違いなく男――、そういう記述が……」
「あれは首猛夫の独白パートでしたよね。実際、それを書いたのは首猛夫に成り代わったSEの佐藤さんで……」
「ああ、そうか! でも実際に覗いたのは神である、黒川さん、あなた。で、どうだったんですか?」
「どう、と言われても、顔ですぐ勝男だとわかりましたしね」
「嫌らしい言い方ですが、股間は?」
「勝男は手術しておらず、男性器も付いていますが、ホルモン治療はかなり進んでいたはずですからね。パッと見、下着の上からだとわからないですね」
「ああ、そうか!」探偵が何かわかったという顔をした。
「何です?」
「チョーカー、若しくはチョーカーのようなもの、ですよ! 勝男は喉仏を気にしたのかも!」
「そうかもしれませんね。ただ、ホルモン治療で喉仏もほとんど女性と同じように小さくなっていたはずです」
「なるほど! いや、しかし、本人は気にしていた」
「ああ、そうですね。それでチョーカーを」神が頷いた。
「いや、男がチョーカー、というのは変なのでチョーカーのようなもの、と言って最初誤魔化したのでは? わざわざ首に日焼け痕の細工をして、結局最後、お揃いです、とか言ってチョーカーを――。喉仏は実際はホルモン治療で小さくなっていたけど、本人は気にしていた」探偵は独り言ちた。
神は否定も肯定もしない。
対話が途絶えたので、探偵はポケットから新聞記事のコピーを取り出した。尾崎諒馬のインタビュー記事のコピーだ。
「私は失顔症なので、ダメですが……。その写真の顔を二十年老けさせれば……」探偵がポツリと言う。
「SEの佐藤さん、ですね」
「やはり、そうですよね」
「BMI実験は行われなかった」神もポツリと言った。
「尾崎諒馬はこうして新聞記事になっているから実在のミステリー作家ですが、坂東善はどうなんでしょう?」
「さあ?」
「二人は高校の同窓生で、同姓同名――名前は佐藤稔」
尾崎凌駕はポケットから紙きれを取り出した。
戸籍謄本(全部事項証明)
本籍地:xx県xx市xxx x丁目x番x号
筆頭者:佐藤 稔
戸籍編成日:200X年1月xx日
氏名 生年月日 続柄 婚姻日 備考
佐藤 稔 19xx年9月11日 本人 200X年1月xx日 尾崎良美と婚姻
尾崎 良美 19xx年6月7日 妻 200X年1月xx日 姓を「佐藤」に変更
200X年5月xx日死亡
証明事項:上記の内容が法務局の記録と相違ないことを証明します。
発行日:200X年6月xx日
発行役所:xx県xx市役所 戸籍課
署名・公印:
xxxx市長 印
戸籍謄本だった。
「尾崎良美と結婚した佐藤稔は確かに存在している。しかしその彼が本当に『完全な密室』なる中編ミステリーを書いたか? はわかりませんね」神が呟いた。
「坂東善なるミステリー作家が現実にいたか? それは藪の中かもしれませんね」探偵もそう呟いた。
それでしばらく沈黙が続く。
「とにかく」探偵が呟く。「良美ちゃんと勝男は区別が難しかった?」
神は否定も肯定もしない。
「区別が難しいのは、事件当日の尾崎諒馬=鹿野信吾にとってだけ? 神の視点を持つ黒川さん、あなたにとっては?」
「私が勝男の顔を見間違うはずはありません」神である黒川はきっぱりと言い切った。
「やはり区別は簡単? 月明かりだとしても?」
「事件当日の尾崎諒馬=鹿野信吾がどうだったか? はわかりませんが、勝男とその妻、旧姓祐天寺良美の顔は区別ができますよ。二人は身体つきは似ていましたが、顔は明確に違います。月明かりの下でも見間違うことはありません。ブリキの花嫁は間違いなく勝男でした」
「しつこいようですが」探偵が食い下がる。「いや、もう一つの区別……、半透明のポリ袋に入った生首は、どっちの?」
「さあ、それはハッキリとは……」
「ポリ袋が微妙な半透明?」
「そうですね」神が笑う。
「先刻、良美ちゃんでないのは確か、そう答えませんでしたっけ?」探偵が食い下がる。
「それは、尾崎諒馬=鹿野信吾が次以降の章に書くんじゃないですか? 真相として……」
「神は彼は何と書くと思うのです? 生首は……、バケツの中の生首は誰だったのか?」
「良美ちゃんではないのは確か、その言葉は撤回しませんが」神は少し考えて「彼、尾崎諒馬=鹿野信吾はこう書くかもしれません。『離れのベッドに横たわるそいつのバケツを外した時、中に現れたのは、良美ちゃんの……』そう書くかもしれません」
「やはり、良美ではなく良美ちゃん?」
「ええ、いや彼がそう書くだろうということです」
「神としては、良美ちゃんではないのは確か?」
「ええ」神は笑った。
「なるほど」探偵も笑った。




