聖女の公務
Side 神託者
「はうあッ! 降りたッ、降りたぞッ、んほっ!」
王……サイラス・フォン・ライツハルトが、開けたドアをそっと閉じた。見ちゃいけないものが視界に映っていたからだ。
「…………」
もう一回開けてみる。
「んほぉあっ! キタキタキタっ! 神の言葉だぞいッ!!」
部屋の中央で、老婆が身をクネクネと踊らせながらオホ声をあげていた。ひょっとしなくても事案案件である。
サイラスはもう一度静かにドアを閉めようとしたタイミングで、老婆の言っていた『神の言葉』に反応して慌てて扉を開けた。
「──っ! 神託が降りたのか!!」
「おお、サイラス、丁度良いところに来たぞい。先程神より言葉を授かった……まさか聖女の存在以外に神託が降りる日が来ようとは」
王はゴクリと唾を飲む。
──職業【神託者】。
神から言葉を託され、それを伝える者である。
しかし神から言葉を授かることは滅多に無く、【神託者】を授与されたのに関わらず、一度も神託が降されることなく生を終える者も多い。
だが、この老婆はすでに一度、神託を発していた。
それは【聖女】の名前、所在位置、年齢である。
職業が授与される15歳より前にその身に何かが起こるのは神としても不都合なのだろう。
【神託者】は多くの【神託者】からランダムで数名、必ず【聖女】の情報を授かる。
それを基に国は"保護"という名目の半拉致を敢行する。勿論、最初は家族に説明の上許可をもらうのだが、王命=絶対である。
拒否をすれば王国の精鋭部隊が無理やり【聖女】を奪いに来る。それを良しとしない者も多いが、国のため、民のためならば多少の犠牲を厭わない方が国家として長続きするのだ。
そして今代の【聖女】は──母親が受け渡しを拒否し、半拉致を敢行した犠牲者である。
従わなければ母親が危険な目に遭う。人質だ。
現在は【聖女】が従順であるため問題は発生していない──が……。
王……サイラスはかなり前から【聖女】の処遇には異議を唱え続けてきた。人質を取ることの方が非効率であり、それで【聖女】が機能しないことが問題である、と。
だが職業信仰、聖女信仰を取り扱う一大組織《神職教会》によって反対された。
王であろうと教会の多数意見を打ち破ることは不可能である。
──時は戻り、サイラスは老婆に神託の内容を問いかける。
「それで、どうだったのだ、神託は」
「うむ…………」
【暗闇に閉ざされた心、光は思わぬ場所からもたらされるであろう。鍵は聖騎士。満ちる欲望と交差する真実。闇も、光も、どちらに転ぶかは鍵の挿し方によって変わるだろう】
「との言葉だぞい」
「それは……あの子が救われるということかのう。……【聖騎士】。やはり重要な役職のようじゃ」
「これ以上は分からんが……うーむ、どうも気の所為だろうが神の声が少々楽しげだったというか……」
サイラスはその言葉に首を傾げる。
(ふぅむ? 神託は聞いた話によると、事務的で必要なことのみを簡潔に伝える、とあるはずじゃが)
老婆の気の所為だろう、と思考を打ち切る。
サイラスは今一度神託の内容を反芻し、顎に手を当てつつ言った。
「できるだけ【聖騎士】の願いを叶えた方が良さそうじゃのう。まあ、スキルと人柄を見た限り、どうも無欲のようであったが」
☆☆☆
聖女様の護衛を務めてから一週間が経った。
変わらず部屋で護衛という名のお喋り(一方通行)をする日々であり、今のところは平穏そのものである。
俺のムスコを見て気絶した失礼なヤツも、去勢のキョの文字まで出かかっては口を噤むという謎ムーブをカマしてるし。
「昨日のレベル上げで結構強くなった自信もある。……うーん、でも未だに師匠に勝てるビジョンが湧かないんだが……師匠ってもしかして結構すごい人なんか……?」
昨日、先週と変わらずメイの付き添いのもとレベル上げを行ったのだが、帰りに軽い模擬戦をしたのだ。
結果は……まあ俺の負けではあったものの、前のように惨敗することなく、そこそこ良い勝負をすることができたと思う。
紛れもない俺の成長であり、一週間の努力の軌跡であるのだが……それでも師匠に勝てるビジョンが湧かない。
何と言うか……一見枯れ木のような老人でひ弱に見えるんだけど、剣を構えた瞬間──まるで殺気一つで世界を変えるように張り詰めた空気が満ちる。
本当の実力を見たことがないから、村の人々はホラ吹きジジイだと断じていた。
俺もまあ半信半疑ではあったが、確実に強くなっていったのは確かだから気にしてなかったけども。
「……村に帰れたら師匠に直接聞いてみよっと」
帰れるかどうかは知らんがな!!
最悪このまま一生帰省できず仕事しろ、と言われる可能性も全然ある。
やれやれとため息を吐きながらパンツを穿く。
あ、すみません。全裸で真面目なこと考えてました。スースーした方が頭の通りが良さそうというかね。
ふざけたことを考えていると、コンコンと扉が音を奏でた。
ノックしたっつーことはリースではないな。
こんな朝早くから一体誰だと思いながら扉を開けると、そこには完全武装をしたメイが立っていた。
ふぁっ!? ついに殺られる!?
「今日の段取りを確認するために参りました」
「え、段取り? 何のこと?」
全然違った。なんか仕事の話っぽいわ。
なんも聞いとらんけど。
「……リースから聞いていないのですか?」
「最近アイツに避けられてるから会ってすらいないな」
「……後でお仕置きしておきます。──部屋の中に、入っても?」
「ど、どうぞどうぞ。汚い上にきったねぇパンツが鎮座してるけども……」
「パンツ……? きゃっ」
──きゃっ? 俺は一瞬自分の耳を疑った。
あの、メイが? 冷静沈着で何事にも動じないメイがきゃっ? たかが穢らわしいパンチー1枚を視認しただけで?
……可愛いじゃ〜ん!!!
そんな声出せるなら早く言えよ!! 心の準備ができてねぇーんだよ、いきなりで!!
「……ん?」
……アレ。待てよ?
何で俺はあの「きゃっ」を羞恥によるものだと断定した? 勝手に固定観念で決めつけた?
全然……というか「うわ、ナニコレきもっ」って感情の後に発生した「きゃっ」の可能性の方が高いのでは??
つまり?
折角稼いだ好感度が?
パァッ。
「きゃぁぁぁぁっ!!! 変態っ!」
「私のセリフでは……?」
俺は急いでメイを部屋の外に追い出し扉を締め、神速の移動でパンツや脱ぎ散らかした寝間着などを片付け──再び扉を開けた。
そこには兜を外し、スンッとした表情で佇むメイがいた。
「ごめん。なんか色々と混乱してた」
「なんか、私もすみません」
お互いに落ち着いたということで、改めて部屋に入れる。その瞬間、メイが一瞬赤面したように見えたが、確実に俺が都合の良いように生み出した妄想に違いないので見て見ぬ振りをした。
「それで、今日の段取りっていうのは?」
「はい──今日は聖女様の公務があります。まだ【聖騎士】については事情があり秘匿していますので、騎士として会場周辺の警備を担当していただきます。私とリースは近くに控えますので、必然的にアルス様は一人になってしまいますが……」
なるほどな……。
【聖女】の公務には幾つかある。
【聖女】が安泰であることを示す"顔見せ"。
重症者……または病人を治療する"治療行脚"。
職業神に感謝の祈りを捧げる"神儀"。
この三つが【聖女】の公務であり、主に月に一度開催される。周期的にそろそろかな、とは思ったがまさか当日に言われるとは思わなかったわ。
リースのやつ……。
「了解。とにかく怪しいやつと聖女様を狙うやつがいないか警備するってことだろ? 俺の匙加減で色々ヤっちゃって良いわけ?」
「警備の裁量はお任せいたします。捕縛するも……殺人も……許可されておりますが……できればアルス様には殺人をいたしてほしくありません」
メイが暗い顔で俯く。
……正直少し驚いた。メイはどちらかというと脳筋寄りではあるし、コストがかかるし万が一のある捕縛よりは殺人を優先すると思っていた。
何と言って良いのか悩んでいると、俺を真っ直ぐに見るメイが言う。
「【聖騎士】としての憧れ……人を護ると言った貴方に人を傷つけてほしくないのです。勿論、無理にとは言いませんが……」
……そうか。
多分記憶にない俺が言ったんだろうけど……なかなか良いこと言うじゃねぇか。
好き好んで誰かを傷つける趣味はないし、今の俺の仕事は聖女様の護衛騎士。
捕縛上等じゃねーか。
「分かったよ。元々する気もねーけど、絶対に殺人を手段に入れない。俺とメイの、約束だな」
「……っ、はい!」
拳でグータッチ。
茶目っ気に笑うと、張り詰めた空気が霧散し、メイもふんわりと笑みを浮かべた。
鼻の下ですか? 伸び切ってるに決まってるじゃないですか。