弟に悩まされる兄の話
トールは今日も頭を抱えた。
自分の弟のせいで。
トールはアーレスティ王国建国当時からの忠臣として名高いバレット伯爵家の長男である。彼はバレット伯爵家の名声を汚さないようにすることが自分の役割だと思っていた。
そんな彼にとって弟のロックのことは悩みの種であった。
ロックはトールと二つ違いの弟である。トールが両親の内面の良いところのほとんどを得たとすれば、ロックは両親の外面の良いところのほとんどを得たと言えるのだった。
ロックは美男子として社交界では有名なのだ。多くの令嬢たちをその美貌で惑わしていた。
そう惑わしていた。
ロックは自分の美貌を活かし、多くの令嬢と関係を持った。思わせぶりな態度をしながらロックの美貌に惹かれた令嬢たちで、遊んでいた。
その事実に気づいた両親はかなりショックを受けて、すぐさまロックに行動を改めるように言ったが、ロックはどこ吹く風だった。
ロックを勘当したくない、更生させたいと願った両親は最終的にトールにロックのことを丸投げした。曰く兄弟のほうがうまくいくだろう、と思い。
トールはそんな両親に内心呆れながらもロックの行動を改めるべく様々なことを行った。ほとんど無意味であったが。
そして、今日もロックについて、ロックにつけている自分の部下から報告が来ていた。
『ロック様は最近レーベル侯爵家のアリステア嬢に迫っているようです。詳細と真偽は現在確認中です』
頭を抱えた。
レーベル侯爵家のアリステア嬢は現王太子の婚約者である。
そんな人物と関係でも持っていれば、、、
トールはすぐさま恐ろしい考えを捨てようとする。
だが、その考えは消え失せない。
自分が当主になる前にバレット伯爵家はなくなるかもしれない。そう思うだけだった。
トールは部下からの詳細な報告を待つことなく、ロックに会うことにした。
ロックのことでもう耐えられないと思ってしまったからだ。
待っているだけでは自分の胃がどうにかなりそうだし、頭痛もひどい。もう楽になりたいと思いながらの行動だった。
意気消沈したのが外からわかるほどのトールを見たロックはさすがに驚いた。いつも飄々とした態度であるのに、見たこともない兄の様子にロックは少し焦った様子だった。
「兄上、どうしたのです?」
ロックの開口一番の心配の声にお前のせいだ、と内心言ってしまうが、それは口には出さず、トールはいきなり本題に入る。
「レーベル侯爵家のアリステア嬢に今度は手を出そうとしているのか?」
言い方が悪いとトールは思うが、言い方を取り繕う余裕もなかった。
「なんです?」
ロックはトールの言い方に少し動揺しながら返す。
「お前がアリステア嬢に迫っているという情報が入った。ほんとか?」
ロックは固まる。トールはああ本当だったのか、終わりかと思い天を見上げる。
「そんなわけないでしょうが、ははは」
ロックはぶっと吹き出した後、笑いながらそう言った。トールがポカーンとしていると。
「さすがに誰に手を出しちゃいけないかぐらい心得てます。まあアリステア嬢の取り巻きの子と仲を深めてますけどね」
トールが前半の言葉で安心するが、後半のことで即座に安心が吹き飛ぶ。
「十分問題だ。ロック、お前はバレット伯爵家の一員なんだぞ、その自覚を」
もう何度目かわからない言葉をトールは言うが、ロックからはいつも通りの言葉が返ってくる。
「兄上、今回は本気ですよ。彼女は、ユリアは僕の運命の人です」
ロックはどこか遠い目をしながら言うが、トールはすぐさま返す。
「何度目だそれは、お前の運命の人は何人いるんだ?!何人?!」
「兄上、運命とは変わるものです」
ロックはかっこつけたように言う。無駄な色気を振り乱しながら。
「もういい加減にしろー。お前のせいで俺がどれだけ困っていると思ってる」
トールはつい言いたくなかったことを言ってしまう。ロックはそれを聞いても、どこ吹く風といった様子だった。
「ああもういい、お前のことはもうどうでもいい。二度と俺を兄と呼ぶなよ」
トールはそう言い放つと、ロックの前を去る。後ろから動揺したようなロックの声が聞こえてくるが無視してトールは家へと戻った。
家へと戻り落ち着いたトールは自分の言ったことを後悔していた。
つい激情に任せて、言ってはいけないことを言ってしまった、と。
だが同時に、あれくらいもう言ってもいいだろうという自分もいた。
自分の相反する気持ちに押しつぶされそうになっていると、ロックが来たことが伝えられる。
会うつもりはないとその日は帰す。
そして、一週間ほぼ毎日ロックはトールに会おうとした。トールは会わないと何度も決めた。どうせ今後のことで困っただけだろう。しばらくして、どこぞの令嬢のところにでもいくだろうと思っていたが。
そんな様子は見られなかった。
ついに反省したかと思いながら1ヶ月後会うことにした。
トールの目の前にはかなり意気消沈した様子のロックが現れた。
「何の用だ?」と少し厳しい声で言う。
「兄、いやトール様。そのどうか許してください」
「何をだ?」
「そのトール様を兄と呼ばせてください。家族の一人として」
トールはすっかり意気消沈した様子のロックに心が揺らされるが断固とした態度を見せる。
「貴様のような奴はバレット伯爵家の恥だ。そんなやつを家族だと思いたくない」
若干声が震えてしまうが言い切った。
「俺は今後改めます。自分を。だからお願いします」
揺らぐ自分を抑える。
「口だけなら何とでもいえる。それに自分が金に困るからそう言っているだけだろう」
「それは違う」
ロックは大声を上げる。
「俺は、家族のみんなを愛してる。だから、家族でいたいんだ」
ロックの言い方と表情は本気であった。本心からの言葉のように見えた。
「家族にあれだけ迷惑をかけて、か」
ロックは辛そうな表情をする。そして、ポツリという。
「寂しかったんだ」
ロックは続ける。
「みんな兄さんのことばっかりで、俺のことは見てくれない。どんだけ頑張っても俺はもしもの時の兄さんの代わりのようにしか見られない。だけど」
ロックの顔は辛そうなままであった。
「俺が悪いことをするとみんな俺に注目してくれる。俺自身に、兄さんのかわりじゃない、俺という個人に。だから」
トールはロックの告白を聞いて、ため息をつく。
「子どもだな、ロック」
ロックは「兄さんにはわからないよ」と反論する。トールはもう一度ため息をつく。
「わからないよ、お前の気持ちなんて。だけどな自分の気持ちはわかる。俺はお前を自分の代わりだと思ったこともないよ」
トールはだが、と言うとロックに頭をさげる。
「お前のことをちゃんと見れていなかったのは事実だ。すまない」
ロックは驚く。そして、すぐに「頭を上げてくれ、兄さん」と焦った様子を見せる。
「バレット伯爵家の次期当主としてお前を見ていた。だが俺はバレット伯爵家の次期当主である前に、お前の兄だった。それを忘れていたんだ、本当にすまない」
トールの謝罪を聞いて、ロックは「俺のほうこそごめんなさい。子どものようなわがままで兄さんを、みんなを振り回してごめんなさい」と頭を下げた。
しばらくして、二人は顔をあげる。そして互いに笑い合う。二人とも久々に互いの本当の笑顔を見た気がした。
「ロック、父上の母上にもしっかり謝れよ」
「わかってる」
トールは「ひとりで大丈夫か?」と子ども扱いするように言う。ロックは「大丈夫だよ」と少しすねたように言う。
「ロック、お前に今後は色々と手伝いをしてほしい」
「俺にできることならなんでもするよ」
ロックの気持ちいい返事を聞いて、トールは「じゃあ頼むぞ」と言って、そのあとはくだらない雑談をし始める。
だが、話の途中で、和気あいあいとした雰囲気は消え去る。ロックの発言のせいで。
「そうだ。兄さん、ユリアとのことは応援してくれるよね」
「は?」
「ユリアはとてもいい子でね、僕の運命の人は兄さんも気に入ると思うよ」
トールは大きく、とても大きなため息をつくと。
使用人を呼ぶ。ロックは疑問符を浮かべる中、トールは言い放つ。
「ロックを帰らせろ」
「えっなんで?!」
使用人はトールの指示に従い、驚いているロックを引きずって部屋から出そうとする。
「兄さん、待って、なんで、こんなことに」
「それがわかるまでは会わんからな、ロック」
トールはにっこりと笑う。ロックはなんでーと叫びながら引きずられていった。
ロックが去った後、トールはぼそりと言う。
「全く今後も頭を抱えることになりそうだ、ロックのことで」
だが言ったことに反して、その顔は嬉しそうであった・・・