第5話 雑貨店とジュース
リミエンの大通りから少し外れた場所に最近オープンしたある店が最近話題になっている。
黒い猫の形の看板で、目には光る鉱石が埋め込んであり少しだけお洒落感を演出。
最近は来てくれるお客様の目を楽しませる為か、店の前に植木を置くようになったそうだ。
恐らく来年あたりには紫色の果実が実を結ぶことだろう。目ではなくクチを楽しませる、の間違いか。
看板に書かれている文字は『エメルダ美容サービス店』、その下に『エリス雑貨店』と並んでいる。
ドアを開ければチリンチリンと小気味良いドアベルの音が響いて来客を知らせる。
そう広くない店内は最近になって改装されたのか、カウンターと小さな作業テーブルと商品を飾る棚のどれもが新しい。
そしてその辺にある店に比べると随分華やかな印象を受けるのは、明るい色の内装の影響だろうか。
棚もたくさんの商品を並べるのでなく、拘りの一品を厳選しました!と言う感じで商品数がかなり少ない。
客の心を癒す為か、店内には仄かに花の香りが漂っている。
豪華ではなく貧乏臭くもなく。
『女性が寛ぐ為の空間を用意しました』と説明されれば、そうなのか、と頷くだろう。
作業テーブルの上に手を伸ばしているのは、ここの店主のエメルダと初来店の近所に住むご婦人である。
エメルダがご婦人の手を取り、パチン、パチンと丁寧に伸びた爪を新商品のクリッパー式爪切りで摘み、粗さの異なるヤスリを使って形を整える。
それから少しだけ縦に入ったスジを削り、透明なマニキュアのようなジェルを塗ってスジのない綺麗な爪に変身させる。ジェルの色は薄いピンク色で手先を艶やかに彩るのだ。
施術の終わった両手を顔の前に翳したご婦人が、あまりの変わりように目を大きくして驚く。
爪切りを買えば銀貨八枚、爪を切って磨いで貰うだけなら一回銀貨一枚。
ネイルジェルの施術は一回銀貨四枚と庶民に取ってはお高いのだが、一度試せば病みつきになること間違いなし。
さすがに付け爪やネイルアートを教える程、シアスタはまだクレスト化していない。
脚の爪も同様にサービスメニューとして掲げているが、こちらは庶民の懐事情を考えるとそうオーダーの入るものではない。
だが意中の男性が居る女性が稀に頼むことがあるらしい。
こんなサービスが出来るようになったのも、新型洗浄剤が手に入るようになったからである。
正式販売はまだであるが、エメルダは製法を熟知しているのだから自作するのは造作もない。
料理は苦手だが洗浄剤作りは得意と家族には豪語するが、他の者にはそんなことを喋る馬鹿ではない。
爪切りはクレストが書いた図面を鍛冶師が作り、ジェルはファブーロ服飾店と言う貴族区画にある店主の好意で紹介された工房との共同開発(試験販売中)の品だ。
貴族家の女性や貴族家に仕えるメイドは手のお手入れに余念がない。顔は化粧で誤魔化せても、手はそうは行かない。
必然的にハンドクリームやマニキュアなどが開発されていく中、流行り廃りや諸般の事情で売れ残るものが出てくる。
貴族の間ではブームの過ぎたその商品を扱っていた工房を、マダムファブーロがエメルダに紹介したことによって格安のネイルジェルが誕生したのだ。
爪の手入れには転生者であるシアスタのアドバイスが活かされており、販売用の爪切りには深爪の禁止を謳った注意書きを付けてある。
一方のエリス雑貨店だが、クレストが考えたように鋳物の型を作ったり、人形焼きの型を作ったりで、一般客相手の商品の製作は減っている。
それでもご近所さんに頼まれた、ちょっとした小物などを作る町の便利屋さん的な位置付けを目指して奮闘しているところだ。
またガバルドシオン雑貨店に舞い込む特注品の依頼の外注先として活躍することもある。
作る物が無くなれば、気分転換と称して木刀…生みの親のクレストはホクドウと呼ぶ…を作るのがマイブームの十七歳に対し、心配の目を向ける母親のエメルダである。
その木刀だが、鉄芯入りで表面を少し柔らかい素材で作った亜種が衛兵隊から発注されている。
剣と同じような感覚で使用でき、剣より人体に与える被害は少なく済み、且つ対象を制圧するに十分な攻撃能力を持つと評価されたからだ。
剣で攻撃すると、どうしても叩き切ることになるので対象者の腕を切断するような重傷を負わすことが多いが、木刀なら骨折で済ませられる。
切断してしまうと治癒魔法では治療出来ないが、骨折ならギリギリ治療が可能なのだ。
何故雑貨店でそのような物を…と経緯を知らぬ者は揃って首を傾げるが、当の本人はいつも答えをはぐらかす。
ガバルドシオン雑貨店はエリスの父親のバルドー、友人の鍛冶師のガバス、バルドーの親戚に当たるシオンの三人の名前をもじった店名である。
キッチン用品、生活雑貨や玩具を扱う新しい商店で、家事を便利にしたいと願う人の駆け込み寺のような存在として認知されつつある。
バルドーとガバスがピーラーや玩具のブロックを作り、シオンがカードホルダーを作ったことから注目を浴び始め、ブロックとチェスのコマを組み合わせた玩具が国王陛下への献上品として取り上げられたことで三つの工房が合併した形で生まれた店である。
登記上はリミエンの不動産王でエロ魔王のスイナロ爺さんがオーナーとなっているが、実際はクレストがオーナーである。
この店では武器は扱わないことになっていて、鍛冶師のガバスは月に三日の休暇に家で武器を作るのを趣味としている。
ファンタジー世界の鍛冶師なら剣や金属鎧を作るのが当たり前。
『趣味は何?』と聞かれて『武器作り方じゃ!』と素で答えると、日本なら危険人物扱いされて当局のマークは確定であるが、ここは異世界だから問題無い。
ガバスが作っている武器は、木刀の元の姿である刀だ。
緩く湾曲した刃は包丁と同じく切ることに特化した形状である。
だが包丁をそのまま大きくしても、武器には成り得ない。圧倒的に強度が足りていないのだ。
そこでガバスは薄い刃物でも頑丈でソードとも打ち合えるような武器を作りたいと思うようになったのだ。
強く丈夫な武器を作るには叩いて鍛える、これは鍛冶師なら常識である。
電子顕微鏡のないこの世界では、何故鍛造すると強度が上がるのかは知る術は無いが、経験と転生者達がもたらした知識によってその事は知られている。
休日なのに休みもしないでガンガンガンガンと一日中鋼を鍛える、完全なワーカーホリックのガバスである。
その日の勤めが終わって戻ってきた弟子が呆れながらもガバスを手伝うのは、師匠と似た者同士と言うことか。
試行錯誤が楽しいのか、それとも無心に鋼を打つのが楽しいのか、普通の人間には到底理解の出来ない境地である。
そして最後にガバルドシオンの紅一点…見た目では男女の区別が付かないシオンは仕事が終わると人形焼き器で作った惣菜系ドラ焼きで夕食を終わらせる。
材料を切ってクッシュさんが用意した粉に混ぜて焼くだけなので、作るのがとても簡単なのだ。
後片付けも洗浄剤やスポンジが進化して以前より短時間でできるようになったのも有難い。
バルドーとガバスは自宅に戻るが、シオンはこのガバルドシオンの店の中に自室を構えている。
夕食後はクレストが教えたキャラクター達を商品化するためにデザインを考えるのが一日のルーチンになっている。
シオンも実は転生者なのだが、記憶の覚醒に失敗して中途半端な記憶しか残っていない。
彼女が何故かゆるキャラしか思いだせないのは、転生を担当した転生神のチョンボである。
それでもその記憶が偶然にもクレストを引き寄せる切っ掛けになったのだから、『偶然』と言う文字に『ご都合主義』とルビを振っても間違いでは無いだろう。
地球で出せば著作権侵害だと訴えられるレベルのキャラクターを使用した商品は次第にリミエンっ子達のハートにも届き始め、
「これ、うっそー!」
「ほんとー!」
「ナウいっ!」
と店内でこんな言葉を使う女性客が増えてきたとか。
実に迷惑である。
クレストが考えた(ことになっている)ピーラーとスライサーをこの世界で初めて作ったバルドーは、次にどんな新商品を生み出すのかと周囲の者達から期待を寄せられて困惑している。
最近になって、占有販売権による利益をクレストが放棄してバルドーに押し付けたのは、この迷惑料代わりだったのではないかと疑う今日この頃である。
勿論、被害者仲間であるガバスとシオンはそれらをクレストが発案した物だと理解しているが、声に出すことはない。
だが、そのことを知らないお客様からバルドーにSOSが入ったのである。
「バルドーさん! 助けて~!」
「いきなり助けてと言われても困る。
まず何をどうしたいのか話して欲しい」
泣きついてきたのは人形焼きの試食係…そんな係は無いが、一番試食した量が多いファブーロ服飾店のメイドさんだ。
「玉ねぎが怖いんです!」
「…玉ねぎの魔物が出たと? それなら冒険者ギルドに」
「違いますっ!
切ったら泣かされるんです!」
と言う訳だ。
包丁の扱いが下手な彼女らしい悩みだが、家に居た時に妻のエメルダにも同じことを言われたのを思い出す。
更にエメルダはエリスが嫌いなピーマンとニンジンを微塵切りにするのも手間だと言っているのだが、そのことはすっかり忘れているバルドーだ。
それはともかく、ガバルドシオンは住民の悩みをお助けするのも仕事の一つ。
どんな依頼であれ、やる前から無理とは言わない方針なのだ。
そこでまずバルドーが考えたのは、玉ねぎを箱に入れて切ることだ。
ただの箱に入れたのでは当然切れないので、刃物を内蔵した箱が必要である。
次にどうやって玉ねぎを切るか。
外から箱ごと切る訳にはいかないので、箱の中に刃をセットする必要がある。
そしてその刃を素早く動かす。しかも一方向だけではなく、前後左右方向に。
クレストは包丁を引いて切るのでなく、食材を押して切るように変えて薄切り器を作った。
刃物は方向を変えても使える…前後左右、それに斜め方向も…手を包丁のようにして、切る方向を変えながら玉ねぎをトントンと切る仕草をやってみる。
包丁を使って玉ねぎを切ったことのある人なら気付くと思うが、切る時は包丁は押して切るより引いて切った方が涙が出にくい。
だが料理をしないバルドーは真上からトントンとリズミカルにチョップする。時計の針が動くように少しずつ角度を変えながら。
「刃を回す?
いや、刃を回したところで、水平にしか切れんだろうな」
そう思ったのだが、ちょうど良い具合に洗浄剤作りに使う攪拌器(ハンドルを回してくるくる掻き混ぜる装置)の製作中で、部品が大量にあるのでそれを流用してみるかと思いつく。
撹拌するヘラを取り除き、適当に作った刃と交換するのはバルドーにとっては朝飯前だ。
惣菜系人形焼きの材料としてニンジン、玉ねぎ、芋がストックしてある。
適当にぶつ切りにした野菜をカップに入れて、その後に作ったばかりのカッター刃式撹拌器をセットする。
そしておもむろにグルグルグル…何故か知らないが、彼はこの無心になってハンドルを回す動作が好きなのだ。
最初はかなりの抵抗を感じていたのだが、回していくにつれて手応えが無くなっていくのを感じていた。
一流職人だけあって手の感覚は優れているのだろうか?
彼の気が済んだところをパカッと開けてみると…
「野菜はどこ行った?」
聞かなくても分かると思うが、入れた野菜は微塵切りのレベルを越えて野菜ジュースになっていたのだ。
ちなみに芋は生のままなので、これを飲む訳にはいかない。仕方なく惣菜系人形焼きのタネに混ぜて焼いたら女性達から大好評を貰ったそうだ。
何がどう幸いするか、分からないのが面白いね。
気を良くしたバルドーが、同じようにぶつ切りにした野菜を入れて、
「シオン、試してくれ」
とミキサー擬きの試運転をお願いする。
野菜ジュース入り人形焼きを食べてバルドーの評価をアップさせたシオン、喜んで『ベジタブルチョップマシン』のハンドルを持つ。
「軽く回し続ければ野菜ジュースが出来るぞ」
と何事も無いようにバルドーが言うが、何故かシオンはハンドルを持ったままで回すことがなかったのだ。
「あの…固くて全然回せませんけど」
「おかしいな。代わってみろ」
シオンさんの手をどかしてバルドーさんがハンドルを持ち、グルグルグルグルグルグル…
「…ひょっとしてバルドーさんって馬鹿力なんじゃ…」
シオンのバルドーに対する評価が上がる前より落ち込んだのは言うまでもないだろう。
それから『ベジタブルチョップマシン』が実用化されるのに約一ヶ月を要したのだが、クレストの知識に頼らず、一人で作り上げたバルドーは以外と天才なのかも。
『ベジタブルチョップマシン』と言う名前だが、バルドーが刃の動きをトントンとチョップする動作から思い付いたのでそう付けられた。
確かに微塵切りを英語でチョップやミンスと言うけど、バルドー氏のように回し過ぎてジュースにしちゃう人が多発したので、いつの間にか『ジュースマシン』と呼ばれることになる。
「解せぬ…ベジタブルチョップマシンで良かったと思うが…」
販売開始後、商品棚に貼られたタグを見て一人だけ納得の行かないバルドーだった。