第4話 フィットネスと競馬と住宅問題
「私が美容部門にですかっ!?」
冒険者ギルドのライエルの執務室でそんな驚きの声を上げたのは、キリアスからやって来た三人組のお頭であるリリーだ。
クレストから女性専用フィットネスクラブの運営計画を聞かされ、ブリュナーが人材派遣部や冒険者ギルドに当たってみたが適材が見付からず。
健康的でスタイルが良く、運動神経が良いのが最低条件。
豊胸術の実践もあるので、大きすぎず小さすぎないバストの持ち主であることも。
そしてインストラクターとして一番大事なのが服装だ。
体の動きを生徒に理解させる為には、体のシルエットが分かるような衣装…現代風のウェアは素材的に無理かも知れないが、トップス、スポーツブラ、Tシャツ、ショートパンツかハーフパンツとレギンスを考えている。
最初にこの衣装を着ることが出来るのは、リミエンの者ではなくキリアス出身者しか居ないと結論付けたブリュナーは、コミュニケーション能力に重大な問題のあるアイリスではなく、格闘技を嗜んでいるリリーに白羽の矢を立てたのだ。
彼女の能力はライエルも認めるところであり、森のダンジョン関連の業務はリリーに任せようかと考えていたのだ。
だがクレストの考えたフィットネスクラブは貴族の女性達に評判を呼ぶこと間違い無しだ。
つまり、チャリンチャリンとお金を落としてくれる場所に人材を派遣するのは経営者として当然の選択なのだ。
森のダンジョン担当には、前回アイリスのお目付役として同行させたメルと言う女性冒険者を就けることにすれば良い。
週に一度か二度、ダンジョンに出向いて移住者達のサポートを行う業務と、現地事務所に常駐する職員と連絡を取る役目がある。
人当たりが良くバランス感覚に優れたメルなら、そう大きなトラブルにはならないだろう。
もしトラブルが起きたとしても、大量の移住者受け入れはコンラッド王国が始まって以来初めての出来事なのだから、(キチンと情報伝達や事務処理が出来ているなら)責任どうこうと言う話にはならないのだ。
この役目を任せるのに、どう考えてもアイリスは向いていない。
それにアイリスは温泉旅館のステージに立つアイドルとして、クレストが利用しようと企んでいる。
更に貴族の女性相手にトラブルを起こさない訳がない、かなり残念系の女の子なのだ。
キリアス三人組の最年少のトッドは男の子なので、女性専用の現場に派遣するのは論外だ。
移住者登録台帳を見せて現地事務所の職員に聞いたところ、二十歳前後でリリーと同程度のスペックを持つ女性は居ないと断言されている。
そうなると、手持ちの駒はリリーしか居ないと言う訳だ。
彼女らのリーダーであるルーファスも、リミエン侵攻作戦が失敗しても見た目が良ければ何とかなるだろうと思ってあの三人を選んだ、と酒の席で漏らしているのだから外見的には間違いない。
フィットネスクラブのプログラムは舞台衣装担当のシアスタと、この時はまだ王都に居るアリア監修の元制作されることになる。
トレーニングウェアもシアスタがデザイン、製作した物が使用される。
なお男性はこのフィットネスクラブに足を踏み入れることが出来ない一種の聖域としたことで、オープンと同時に多数の利用者が押し掛けることになる。
ちなみにこのフィットネスクラブの目の前にキャプテンクッシュが…狙ったのではなく、ちょうど良い具合に広くて頑丈な建物が空き家となっただけだ。
折角消費したカロリーがすぐに補充されていくのは仕方のないことだ。
◇
リミエンでは城壁の外に向かって市街地を拡大する計画が少しずつ動き出している。
その一つが貯水池方面行きの馬車鉄道と、その駅舎近くに大量に設置する車輪付住居である。
そこにまた輸送業ギルドが新たな計画を打ち上げたのだ。その名もリミエン競馬場!
そのまんまのネーミングだ。
幸いにしてリミエンは土地だけは腐るほど余っている。
輸送業ギルドが伯爵にお願いして使用許可を得たのは、約三百メトル×六十メトルの長方形の土地だ。
未使用地であるから凸凹しており、普通に人力で石をどかして整地をするなら、五人の冒険者が十日は掛かりっきりになるであろう。
だがリミエンには最終兵器、ハーフエルフの皆さんが居るのだ。
クレストが王都から戻ってくるまでに、馬車鉄道の整備が出来るようになっていないとモガレル!と脅され、日々工事魔法の鍛練を行った彼らは、十六歳未満の子供を除いた全員が厳しい試験にパスするまでに成長していた。
少し古いが広さは十分のアパート(事故物件だがそこは内緒)に引っ越しも終わり、引率役の騎士見習いに連れられてやって来たのがその競馬場予定地だ。
「今日は馬車鉄道の工事はお休みでーす!」
と言って集団に笑顔を向ける騎士見習いだが、何やらロープを張って区画整理されている土地を目にしたハーフエルフ集団に喜ぶ様子はない。
「あれれ? 皆さんどうしたんです?
以前ならやった!休みだ!と大騒ぎしてたのに」
「アコンさんよぉ、目の前の空き地に何かやらせるつもりだろ?」
「分かりました? 気分転換に整地してもらおっかなって。
この程度の面積だったら、クレストさんなら半日あれば出来てますね」
クレストが貯水池リゾートにライエルに連れられて行った時にキャンプ場などを整地したことを考えれば、確かにアコンの言うことは大きな間違いではない。
敢えて言うなら、あの時のクレストなら二時間もあれば出来る、と言ったところか。
敷地面積で言えば、三十メトル×三十メトルのクレストの屋敷がちょうど二十個分。
一人で屋敷一個でお釣りが来るのだから一日もあれば楽勝だ。
それに今回は単にフラットな土地に仕上げるだけだ。馬車鉄道用の傾斜や溝の付いた道路を作るのに比べれば、遥かに簡単なお仕事ではないかと引率役のアコンは本気で思っている。
試しにトップバッターが地面に手を付け、ムムムと集中。
平らにする対象範囲を設定して魔力を流し、
「スムージング!」
と魔力のゴリ押しでその範囲を平らに均していく。
その一度の発動で二十メトル×十メトルの範囲が白く光り、ゆっくりとフラットな地面へと生まれ変わる。
後はこの整地された地面に高さを合わして横方向に二回整地すればぴったり六十メトル。
それから長手方向が三百メトルだから三十回か。計九十回の発動で完了だ。
一人当たり三回から四回か。
魔法を使わない子供は石を拾ってエリア外に出す係だ。石を退けたせいで穴が開いても、魔法で埋め戻すので問題はない。
クレストが一人で道路の付け替え工事をした際、そう言う邪魔になる大きな石まで一気に処理出来たのは、アイテムボックスを土砂の一時格納庫として利用出来たからだ。
そのスキルを持たない彼らには決して真似の出来ない荒技である。
「で、ここは何になるんです?」
と嫁一人と子一人を持つサボイが質問する。
「馬のレースをする場所ですよ。ギャンブルです。
一度に十頭ぐらいの馬を同時に走らせて、一番に到着する馬を賭けるんです!
楽しみですね!」
マジメな騎士見習いのアコン君だが、どうやらギャンブルは好きらしい。
「儂ら賭ける金が無いからなぁ」
魔法を使った工事の収入としてリミエン伯爵から衣食住の提供を受けているが、現金はまだ貰っていないハーフエルフ集団だ。
恐らくギャンブルに手を染めると一瞬でオケラになるだろう。
だが労働の対価として現金が支払われるようになったとして、それはリミエン伯爵から出るものである。
つまりは税金だ。
ハーフエルフ集団が競馬で負ければ、それは輸送業ギルドに渡って馬車の購入費用になるのだから、ある意味で公共事業の経費と割り切る事が出来る。
それなら彼らを気持ち良く働かせる為の餌に少々の現金を渡すのも悪くないと、飴と鞭を考えるリミエン伯爵とその部下のアコンである。
◇
魔界蟲がクレスト達によって倒され、ダンジョンからの魔力の放出が止まったことでカンファー家が所有していた禿げ山に平和が戻りつつある。
だが、栄養豊富な表面の土は山の斜面から雨によって洗い流され、その麓に深く堆積するような形となっている。
そこは農業を行う上で恰好の好条件となっているのだが、カンファー家当主達は農業への参入など考えたことが一度も無い。
だが彼らが所有する山林は奪爵と同時に伯爵に返還しなければならない。
初代から築き上げてきた財産がまだ残っているので何とか生活は出来ているが、これからどうやって稼いでいけば良いのかカンファー家当主には全く案が無い。
親兄弟に似ることもなく、いつの間にかリミエンでも注目を浴びることになった三男とは以前大きな喧嘩をしたことがあり、彼に力を貸して欲しいとは素直に言えない状況なのだ。
ルケイドが買い集めた(と勝手に勘違いしている)大量のソルガムが運ばれて来た時のことだ。
麦とは違う、今までに見たことも無い穀物に広い庭が占拠されたのだが、邪魔と思っただけで用途をルケイドに聞くことは無かった。
ルケイドもクレストに迷惑を掛けた馬鹿な兄や父とはクチを利く気も起こらない。
敷地にある倉庫の中はほぼ空っぽなのを良いことに、せっせと一人ソルガムを倉庫に運び入れた。
転生時に与えられた筋力強化スキルは時間無制限、かつ使用による反動も無い。
普通の人間ならすぐに音を上げる作業を涼しい顔で終わらせ、家族に化け物だと評されていたのをルケイドが知ることは無い。
家庭内別居をしているのに近いルケイドだが、もし父親と両親が心を入れ替え、真面目に働く意志を表明するのなら支援してもよいと少しだけ思っていたが、まだそれには至っていない。
この無駄に広い屋敷の維持費も馬鹿にならない。
売却すれば大銀貨何千枚かが確実に手に入るのだから、それを元手に農地を切り拓くなり、事務職に就くなりすれば良いと前々からルケイドは家族に言い続けていた。
それを聞かされた方は、急に新しいことを始めても上手く行くわけがないだろう、何甘いことを言っているのだ、と言う思いがある。
そうして足踏みだけを続けた結果が貴族の位を失う原因となったことを理解していないのだ。
過去に奪爵する家から引き替えるように新しい貴族が生まれるという事例はリミエンには無い。
大抵が犯罪、脱税に手を染めて奪爵されるのだから、それは至極当然である。
だがルケイドを新貴族に迎えるに当たり、支度金をどう捻出するかと、居住地をどこにするがリミエン伯爵の悩みどころとなっている。
現カンファー家の家屋敷をルケイドが持つには、新興貴族なので格が足りていないと他の貴族から批判が噴出するのは確実である。
かと言って、一般市民の住む市街地に住まわせる訳にも行かないのだ。
そんなことをすれば、統治者がその者を軽んじていると言う現れだと捉えられるからだ。
しかし残念なことに、ルケイド本人はどこぞやのアイドルグループを真似して『会いに行ける貴族』で良いんじゃないかと気楽に考えている。
そう言う感覚はルケイドがこちらの世界の人間ではないことに起因するのだが、本来貴族の住む区画を分けるのは警備上の都合による部分が大きく、貴族区画なんかに住まないよと言うルケイドに役人達が呆れているのだ。
何故貴族を警備をするかと言うと(現在のリミエンでは該当しない部分があるが)、貴族は税金の徴収や政策決定等の領地内での重責を担う立場にあり、住民から不満を浴びて攻撃対象となる可能性があったからだ。
何も贅沢三昧させる為に見晴らしの良い丘に広い屋敷を建てて住まわせているのではない…筈。
それに、むしろ丘の上に登る労力と時間が必要なので、今の丘にある貴族区画は一般市民からは敬遠される住宅地であり、ルケイドも同意見だと言うのは置いておこう。
だが、コンラッド王国が建国されて年月が経つうちに、貴族のそう言う本来の役割や貴族区画の意味がぼやけて来ており、クレストが国王陛下に言った『児孫のために美田は買わず』の言葉通りになりつつある。
高度な教育を施すことで、多少はマシな子供になる…と思われるだろうが、そもそも何のために貴族が生まれたのか、と言うことを教える親が居ない。
だから生まれてからずっと温々と何不自由なく良い暮らしの中で育った子供達が、まともに育つのは奇跡に等しいのだ。
と色々述べてきたが、結局のところルケイドに与えるのにちょうど良い場所がない。
今は男爵位であるカンファー家だが、子爵位クラスの者が暮らす場所に住んでいる。
爵位が一つ落ちたり上がったりしても、トラックが無い為に簡単には引っ越せないので、彼らがこの少し良い場所に住んでいるのはおかしなことではない。
それなら領地を与えれば良いではないかと思われるかも知れないが、未開地を与えれる訳にもにも行かず、かと言って誰かを減封すればそこで余計な軋轢が生じる。
そう言う理由で伯爵は何処かの男爵家を奪爵出来れば簡単に解決するのに…と物騒なことを考えるようになったのだ。
実際問題、与えられるパイの量に制限があるのに新しく貴族を増やす…貴族を大名に置き換えれば、秀吉の朝鮮出兵の理由がなるほどねぇ、と思うのだ。
それで被害を被る側は堪まったもんじゃないけどね。