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第3話 紙と寒天とソルガムと

 プラチナバットによる連絡を受けて三者三様の溜息が付かれている頃のことだ。


「紙の手漉きって難しいけど、楽しいですね!」


 チャムとクレストの喧嘩別れを切っ掛けに、商業ギルドの管理する空き倉庫で植物紙の研究が行われるようになっていた。


 紙を作る為に最適な材料や配合割合を、地道なトライアンドエラーの繰り返しで探そうとしているのは、スラムに住んでいた子供達だ。

 文字の読み書きはまだ出来ないが、数字の読み書きさえ出来れば材料に割り振った番号と、どの番号の材料をどのくらい使ったのかを書き残すことは可能である。


 腕力には自信がなくても、細かな作業の繰り返しが出来ると言う条件で集めた子供達だ。

 報酬は三食と安全な寝場所の提供…と言ってもこの倉庫の二階部分である。

 それと程度の良い古着と入浴サービス付きである。


 洗浄剤の製造で想定通りに固形化しなかった失敗作を試して貰う、と言うのがこの入浴サービスの目的だ。

 

 固形化した洗浄剤、つまり固形石鹸が使いやすいのは当然のことだが、髪を洗う洗浄剤は液体の方が使いやすい。

 だからシャンプーとして利用可能かどうかを子供達で試しているのだ。


 悪く言えばモルモット扱い。

 だが軍から帰還した治癒魔法使いが商業ギルドに再就職しており、肌荒れ程度ならそう多くの魔力を消費せず治療可能だ。


 モルモットとか実験動物扱いとか人体実験とかではなく、あくまでシャンプー(試作品)の開発に協力してもらっていると言うのが上の人の言い分である。


 今のところ幸いにして大きなトラブルは出ておらず、毎日三食きちんと食べれてお風呂にも入れるのだから、この紙作りの実験は参加している子供達にとって最高の環境と言えよう。


 その子供達の中でも次第に手漉きの技術の上手い下手が別れてくる。どんな物にも向き不向きはあるものだ。

 手漉きの苦手な子は材料の用意に回ってもらう。

 現在は例の浮草を使った実験を行っており、浮草の回収、皮剥き、天日干し、破砕、煮出しなど手漉きの前工程は意外と面倒くさいのだ。


 しかしだ。肥料をやらなくても幾らでも増殖する浮草だから、材料費はゼロ!

 樹と違ってリミエン町のすぐ近くで採取出来るのだから、集めるのは割と簡単。

 川に入って採取しても良し、土手からピッチフォークみたいな物で少しずつ掬い上げるも良し。各自が好きなやり方で取って商業ギルドに運び込む。

 問題があるとすれば、少々青臭いことぐらいか。


 スラムの子供達で体力のあるものは魔力発生器(マナジェネレーター)をグルグルと回して魔石にチャージ。

 回す方法はエアロバイク方式、ハムスターホイール方式、ランニングマシーン方式などが用意されていて、好きな器具を使ってトレーニングを繰り返す。

 いずれこの子達の中から騎士団に入る者が現れるかも。

 

 こうして少しずつスラムの改善が図られているが、全体から見ればまだまだごく僅か。

 食べ盛りの子供達に無償で食事を与えるのにも限度はある。

 サンプルとして手漉きの紙を販売したり、空になったマナバッテリーの充填サービスで少しは銀貨を稼いでいるが、無いよりマシと言う程度。


 それでも何とかやっていけるのは、倒しても倒しても沸いてくる魔物のお陰だ。

 迷惑な存在ではあるが、なくてはならない存在なのだ。

 年長組の子供達は、可愛らしい見た目の草食系小動物ぽい魔物の捕獲に出る。


 城壁から監視出来る範囲と言う限定はあるが、罠を仕掛けることを許可したのだ。ちょっとした冒険者の真似事である。

 仕事と仕事の合間の冒険者がボランティアで引率につくので、何かあっても大怪我することは無いだろう。


 引率のついでに、その辺りに赤芋を植えて栽培する女性冒険者も。リミエンスイートポテト化計画の始動である。

 猪も獲れる、赤芋も獲れる、まさに一石二鳥の夢のようなビッグプロジェクトは都度ブラッシュアップを繰り返して継続されていく。


 クレストが居ないリミエンは概ね平和だ…何かとても失礼なことを言っているような気もするが、問題無いだろうと今日も城門の警備を続けるグレス副隊長がノンビリと思うのだった。


 何故か彼の足元に子熊が待機しているのだが、外に出ている子供達に危険が迫った時に駆け付けるつもりなのか、それとも子供達の仕事終わりに一緒に遊ぼうと思っているのか…。


 半時間後、城門外で子供達と駆け回る一頭の子熊の姿が目撃されたとだけ伝えておこう。



 シャリア伯爵領のとある工場にて。

 王都の商業ギルド本部から依頼を受け、ある実験が行われようとしていたのだ。


「ドルスカさん! 海藻、色んな種類を集めて来ましたよ!」


 ここは大きな鍋に濃縮された海水を投入して海塩を作る工場である。

 ある青年の思い付きによって従来の海塩作りの半分の燃料で塩が作れるようになっただけでなく、苦さやエグミが薄らいで食用として使える物が生産出来るようになったのだ。


 海水を沸かす炎があるのだからと、ついでに洗浄剤作りに使用する海藻灰の生産も請け負っていたのだが、今度は海藻を燃やすのでなく煮るらしい。


 従業員達は塩の生産だけでも重労働であるのにこれ以上仕事を増やしてほしくないのが本音だが、今まで料理人から見向きもされなかった海塩が飛ぶように売れ始めた切っ掛けを作った人物からの要望だから仕方ない。


 日頃から海に潜って貝やエビを採取していたので、海藻を取るのも訳はない。

 しかも今まで邪魔にしかならなかった海藻が、灰になればお金に化けるのだからやって損は無い。

 ただ、食べれない物を作るために海藻を取ってくるのはテンションが上がらなかったのだ。


 だが、今回の依頼は海藻の煮汁が固まるかどうかの試験と、固まった場合の脱水方法の研究である。

 これがもし上手くいけば、新しい食べ物が出来ると言うことらしい。


 家に戻って家族にそんな話をすると『副収入が更に増えるならドンとこいだろ、おとっつぁん!』と発破を掛けられた従業員達だ。


 人は魚や貝、エビだけ食べて暮らせるものでは無い。嫁や子供達は畑を切り拓いて野菜を作ったり、弓矢で鳥を撃ったりと忙しい。

 そんな家族の為にと、男達が大量の海藻を浜辺に引き上げて工場まで運んで来たのだ。


 既に竈の回りには使われなくなった鍋が幾つも置いてある。

 それに水を入れてぶつ切りにした海藻を放り込んでいく。竈の中に鉄製の枠が仕込んであり、ピザ竈にピザをいれるように鉄の棒に引っ掛けた鍋をそれに置いてグツグツと溶けるかどうか知らないが何時間か煮れば良い。


 そうして取り出した鍋を冷えるまで放置し、次の海藻を同じように繰り返す。

 海の匂いに慣れてい居ない者だと、工場の中が濃縮した磯の匂いで回れ右で逃げ出すのは確実だろう。


「この近辺の海藻で、煮て糊みたいになるのは赤いやつだけか。

 まずはコイツが冷えたら固まるかだ」


 実際に寒天を作るようになったなら、材料の海藻にもっと手を加えなければならないのだが、取り敢えず固まる海藻を見付けることが第一段階目にやることなのだ。


 それにクレスト自身が寒天の製法を詳しく知っている訳ではない。

 この赤い海藻の煮汁が冷えたら固まる性質を持っていることが確認できてから、塩抜き、洗浄、アク抜きなどの手法を確立しなければならない。

 それから煮て冷やして水抜きして、凍らせて溶かすを繰り返してやっと寒天が出来上がる。


 しかしクレストはそう言う面倒な工程は、魔法と錬金術と魔道具でやったらラクだよねと安易に考えていた。

 そしてこの世界はご都合主義が支配するのか、その通りになるのだった。


 この赤い紐がたくさん付いているような海藻は今まで特に利用もされておらず、名前も付いていない。

 それでは不便だとドルスカが従業員達に名前を募集した結果、海藻の名前なんてメッチャどうでも良いと言うことで、区別するためにレッド○○…○○にワン、ツーと番号を振って区別することしたらしい。


 考えてみたら、たくさんの海藻全種類によく意味の分からない名前を付けたもんだ。その労力に感心するよ。



 ある日のことだ。

クレストからソルガムシロップのことを教わったルケイドが、商業ギルドのスタッフを連れて農業ギルドを訪れた。


 この時には既にルケイドの叙爵と森のダンジョンの管理者就任は確定事項として通達されており、大手ギルドの中には彼を落ち目のカンファー家の末っ子と蔑むような目で見る者は存在しない。

 むしろ、よくあのカンファー家からこのような実力者が現れたものだと、好意的に受け取られているのだ。


 彼の二人の兄は見た目以外に取り得のない役立たずであることは、ギルド関係者なら誰でも知っている。


 それに対してルケイドの見た目は中の中から上と言ったあたり、気さくな性格で割と常識人、植物に関する知識も豊富であると知られている彼は、今では農業関係者の注目する人物ナンバーワンとなっていた。


 その彼に付き従うのは、商業ギルドの不動産部副部長の懐刀とも目されるイスルである。

 なぜ彼女のような人物があのレイドルの秘書を勤めているのか、と不思議がる者は少なくないが、イスルが実は暴力的な一面を持っていると知っている者は多くないのだ。


「ようこそ、農業ギルドへ!」

と元気な声で受付嬢が二人を出迎えた。


「こんにちは。

 ルケイドと言う者ですが、ラントベルさんに面会出来ますか?」


 今日はアポ無しなので会えたらラッキー、後日会えるように約束だけしておこうと言う感じのルケイドに対し、

「ルケイド様ですね!

 勿論です! ソッコー引っ張り出してきます!」

と受付嬢が何か引き抜くような仕草を見せてカウンターを飛びだして行った。


 そんなに慌てなくても良いのに、と心の中で呟いて彼女が戻ってくるのを待つ。

 奥の方から「おじさーん!」と叫ぶ声が聞こえたので、部屋に居なかったのだろう。


 それでもそう長い時間を待つこともなく、受付嬢が麦わら帽子とオーバーオール姿の初老のおじさんを連れてきた。


「ようこそ農業ギルドへ!」

「それさっき聞いたから」


 農業ルックのおじさんの一言にイスルさんが冷たくそう言うが、全く気にした様子も見せず、

「ギルドマスターのラントベルです。

 ルケイド殿にお会いできて光栄ですよ」

とまだ乾ききっていない泥の付いた手を差し出す。


「突然来たのに済みません。よろしくお願いします」

とルケイドが挨拶の言葉を簡単に述べて手を握った。

 農作業でゴツゴツになったその手の感触に、かなり年季が入ってるなと呑気に思う。


「あっ、おじさん! そんなきったない手で握手なんてマナー知らずよ!」

と受付嬢が叫ぶ。


「僕も色々と畑で作ってるから平気ですよ」


 こんなの気にすることじゃないから気にするな、とフォローするルケイドに、

「ほぉ、どんな物を作っているのか、教えてください。

 おっと、応接室にもお通しせず申し訳ない。奥へどうぞ」

と案内する。


 このおじさんはマイペース系だな、とルケイドがラントベルをそう評価しながら後ろを付いて歩くと、

「あぁ、先に手を洗いましょう。手洗い場へ行きましょう」

と応接室の手前の手洗い場へとルケイドを連れて入る。


「こんな手で握手を求めると、大抵の貴族には拒否されるんですよ」

と水道の水で手を洗いながらポツリとラントベルが漏らす。


「そうなんですか。外で仕事したら、それぐらい汚れて当たり前ですけど。

 みんな綺麗好きなんですね」


 冒険者が外に出て働けば手なんてすぐに汚れるし、畑仕事をすれば尚更だよと気にしないルケイドだ。


 だがルケイドの返事を聞いて、この子は貴族になって大丈夫なのかとラントベルは心配になっていた。


 貴族同士での会話においては、ストレートに本音を出すことはそうそうない。

 仲の良い者同士であれば別であるが、遠回しに喋ったり、難しい例えを使ったり。


 そんなことをしても時間の無駄にするだけなのだが、『下手なことを言って揚げ足を取られることの無いように』と言葉で防衛していた先人達の言い回しを聞いて育った子供達が、その真意を理解せず、おかしな喋り方が貴族の作法なのだと勘違い…そんなところだろう。


 スオーリー副団長など軍関係者は、一つの言葉の受け取り方を誤っただけで部下を大勢失う可能性もあるので、そんな無意味な話法は使わずストレートに物事を述べる傾向にある。


 利用者・利害関係者の大半が一般人である商業ギルドや冒険者ギルドの関係者も、同様に分かり易い言葉を使って喋るよう心掛けている。


 ただし、レイドルはわざとクレストに対して真意を隠すような喋り方をして遊ぶことがある。

 その最たるものがゴールドカードの一件だ。


 『こんな手で握手を求めると、大抵の貴族には拒否される』とは、汚れた手を取る貴族は居ないと言ったのも同じこと。

 回りくどくルケイドは貴族らしくないぞとラントベルが感想を述べつつ注意したのだ。


 それに対してみんな綺麗好きだと返せば、受け取る相手によってきっと意味が違ってくるだろう。


 半年経てば貴族になるルケイドは、今のままでは他の貴族の玩具にされることがラントベルには容易に想像が付いた。


 あのカンファー家に居ながらにして、真っ直ぐ育ったルケイドにラントベルはすぐに好感を持った。

 これから農業ギルドは彼との付き合いが多くなるのだから、この子は儂が守ってやるしかないだろう、ラントベルはクチに出さずそう決意を固めたのだ。



 とある開拓地での出来事だ。

 

冒険者ギルド、商業ギルド、農業ギルドの連名で一通の手紙が届けられた。


「なに? このひょろ長い小麦擬きを大量に栽培しろだって?!

 嘘だろ? なんでだよ?」


 字の読めない若い冒険者が、彼の代わりに受け取った手紙を音読しているリーダーにそう問い掛けた。


「まだ読んでる途中だ、途中。

 どこまで読んだっけ…あ、ここか、いいか、そのソルガムは茎に甘い蜜を貯めこむ性質があり、絞ることでシロップを生産出来る…だってさ」

「はぁ? それ、どうやって調べたんだ?

 まさか、この茎をチューチュー吸った馬鹿が居るってか? うっそだろ」


 そう言うと、半信半疑で刈り取ったばかりの麦擬きの茎をチューチュー…。

 そして一瞬で仏頂面が満面の笑顔に変わった。


「…あ……あまーーーいっ!」


 まさかの甘い液体がクチの中を流れ込み、思わず空に向かってそう絶叫した若者に対して、

「そんなわけあるかぃ」

とリーダーもチューチュー…。


 目を大きく見開いて、

「ほんまゃ…!」


 こうしてテンション爆上がりとなった彼らの活躍によって、この開拓地がソルガム畑へと急速に姿を変えていったのだ。


 常に彼らのクチにソルガムの茎が咥えられていたことから、この現場で働く者達のことをいつしか『ヘビーソルガー』と呼ばれるようになる。


 また、茎だけでなく大量に収穫された実も、次第にこの現場では小麦粉の代替品としても利用されるようになっていく。


 数年後、この地に移り住んで主食を小麦粉からソルガムの食事に変えたことで体の不調が改善されたと言う者が現れ、一大ソルガムブームが巻き起こるのだが、この時はまだ誰もそんな未来を想像しえなかったに違いない。 

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