第33話 黒龍、発つ
「まさかアーミンがこんなに早く来るとは思っていなかったのです」
カオリの蔦と二匹のスライム達の触手を使って巨大な藤籠のような物を作りあげたアルジェンが、窓から飛んで来たアーミンに股がる。
アルジェンにとってアーミンは乗り物であり、遊び相手にすぎないのだ。
「この籠にパパを乗せて運んで欲しいのです。
ナビゲートは任せるのです」
『ここでは狭そうだな、よし、では屋上で受け取ろう』
「分かったのです」
アイテムボックスに巨大な藤籠を収納すると、そのまま外から屋上へと飛んで行ったアルジェンとアーミンだが…
「ここは洗濯物を干しているので、大きくなるなら外でお願いします」
とシエルに拒否された。
「仕方ないのです。前の道で変身するのです」
『マスター・クレストと洗濯物…どちらが大事なのだ?』
アルジェンが聞き分け良く従おうとしたが、さすが黒龍のアーミンはシエルの言うことには簡単には従おうとしない。
三階に寝ているクレストを動かすのなら、屋上の方が圧倒的に近いのだ。一刻も早く移動を開始したいのだから、アーミンの言うことがこの場は正しい。
「シエルさん、悪いけど一度洗濯物をしまって貰えるかしら」
王妃の後ろにクレストを担いだスオーリーが来ていたので、この二人も屋上を使う方向で考えていたのだとシエルが理解した。
「シエルさん、ちょっと屋上を使わせてもらうわよ」
と二人から少し遅れてエマが出てくる。
「皆で手分けして洗濯物をしまうのじゃ。
スオーリーはクレストを藤籠に」
と一番位の高い王妃がこの場の式を執る。
自室で自習となっていたロイとルーチェもやって来て、お手伝いしようとしたがルーチェは洗濯バサミに手が届かない。
「クレパパ、大丈夫なの?」
毛布の上に寝かされたクレストを心配そうに見つめるルーチェに、
「私が居る限りパパは安心なのです!
たまたま体調が悪くなってるだけで、今からダンジョンに治療に行って来るのです。
お子様達は心配せず鍛練に励むのです!
パパが戻って来た時にガッカリさせないように頼むのです!」
と珍しくまともなことを言ったのだ。
『我に任せよ。
黒龍アーミンの名前に掛けて、マスター・クレストを治してみせる』
ルーチェの顔の前で翼をパタパタしながらホバリングするアーミンがそう言うと、
「真っ白なのに黒龍なの?」
と不思議そうな顔をする。
この疑問はルーチェだけでなく、誰もが一度は通る道であり、出来れば素直に黒猫とか黒兎に化けて欲しいと思うのだ。
『我の真の姿を見せてやろう。
準備は良いか?』
「アーミン殿、こちらの準備は出来たぞ。ルーチェ、こちらに下がっておれ。
アーミンに吹き飛ばされるぞ」
王妃がルーチェを手招きすると、渋々とそちらに走って行く。どうやら王妃はルーチェのマブダチ枠には入っていないらしい。
アーミンがくるくると回りながら高度を上げていく。恐らくどの程度まで上がれば屋敷にぶつからないのかを確認しているのだろう。
『では…黒龍降臨』
白いオコジョの体が一瞬で黒く染まると魔力の爆発を起こしたように破裂した。
勿論血肉が飛び散ったのではなく、黒い魔力の粒子が拡散したのだ。
屋敷の屋上が影に覆われたように暗くなり、強烈なまでの魔力が辺りに撒き散らされ始めた。
黒龍アーミンが姿を表したのである。
「そう言えば…アーミンはレア魔物登録をしておらんかったな」
「王妃様…現実逃避はお止めください」
すぐ目の前に現れた黒龍はまさに恐怖と魔力の象徴と呼べるだろう。
味方であると分かっていても脚が震える。
絶対的な強者に人間の本能が畏れを抱かせるのだ。
「これが…アーミンか…」
バサッバサッとゆっくり羽ばたき宙に浮くアーミンを前に、良くクレストは話し掛ける気になれたものだと歴戦の勇者であるスオーリーもライエルも絶句する。
「まるで違う…我々の倒したドラゴンなど、アーミンに比べれば…子供も同じだ」
ドラゴンを討伐し、莫大な富を王国にもたらしたライエルでさえアーミンに恐れる始末である。
そんなアーミンであるが、
『握り潰すかも知れんな…鱗細工…ドラの方舟』
と一言呟き、アルジェンの作った藤籠を鱗で覆って黒く塗り替えたのだ。
「さすがアーミンなのです!
これなら馬鹿力で壊される心配が無いのです!」
そう言ってアーミンに親指を立てるアルジェンに、妖精って怖いもの無しなんだと心底感心するエマ達だ。
「ママ! 私はアーミンと先に世界樹に行ってくるのです!
ママがドランと来るのを待つのです!」
手を振ってから黒くなった藤籠に乗ったアルジェンが、アーミンに合図を送る。
「出発するのです!」
『しっかり捕まっておれよ!』
バサッ!と大きく羽ばたいた巨体は重力に逆らいまっすぐ上昇を開始する。
慌てて建物の中に逃げ込まなければならない程の暴風を残し、遠ざかって行くアーミン達と黒い藤籠を見送ったエマ達だ。
「行ったか…まさか、あれ程までに恐ろしいとは思わなんだぞ」
アーミンの姿が点にしか見えなくなった頃にようやく王妃が再復帰する。
誰ともなくフーッと大きく息を吐くと、しまった洗濯物を竿に干し始めた。
どうやらシエルがこの中で一番精神的に強かったらしい。
「とりあえず、クレストさんのことはアルジェンちゃんとアーミンに頼むしかないけど、私もすぐ後を追うわね」
目の前にパタパタと羽ばたいているドランさんを手に乗せ、エマがそう宣言する。
『そうだね、アーミンの速度には敵わないけど、僕なら馬より早く世界樹までエマママを連れて行ってあげられる』
ドランがエマの手のひらで後ろ足立ちになり、短い前足でガッツポーズを見せる。
「それはともかく…住民達がパニックを起こしているようだからどうにかしないといけないね」
突如クレスト邸に出現した巨大な黒龍は多くの市民に目撃されたのだ。
お隣の洗濯物が竿から飛んで落ちた以外に被害は出ていないが、さすがにラビィやドランとは桁違いの魔物に驚かない者は居なかったのだ。
ブリュナーは丁度領主館に赴き、リミエン伯爵と謁見している最中であったが、これはアーミンがマジックバッグを通ってやってくるとは想像出来なかったのだから仕方ない。
外で騒ぐ兵士達の声に何事かと窓の外を見て、そこで伯爵達も飛び去っていく黒龍を確認した。
「ブリュナーよ、最近のドラゴンは随分フットワークが軽いのだな」
「…王都からどうやって来たのでしょうか?
ドラゴンのやることですから諦めてください、としか申しようがございません」
フットワークが軽いレベルで済むなら衛兵はいらないと思うブリュナーが溜め息を吐く。
恐らくドランさんと同じようにマジックバッグを使った移動をしたのだろうと予想は付いたが、そのスキルはまだクレスト家と王家だけの秘密である。
既にライエルとスオーリーにも知られているが、まだこの時点でその事を知る方法は無い。
「被害は無さそうだが、パニックが起きているだろう。
少し町に出て治めないといけないか。昼はブリュナーと食べてくる」
町に出る良い口実が出来たと少しだけ喜ぶリミエン伯爵だが、この執務室にいる事務官の二人と執事にはその程度の事はお見通しである。
だが、パニックが起きているのは確実であり、伯爵の安全宣言が何より事態の収拾にもってこいなのも 確かである。
「なるべくお早くお戻り下さい。領兵もお忘れなく」
事務官の一人がそう伯爵に告げると自分の仕事にすぐに戻る。
実に良く出来た事務官である。
そしてクレスト邸の前にはワラワラと野次馬達が集まり始めていた。
喋る小熊に空を飛ぶ透明な蜥蜴を飼っているクレストだから、次はドラゴンを連れてくるのではないかと冗談半分に噂していた彼らである。
何も攻撃を受けた訳でもなく、単に何かをぶら下げて飛んで行っただけなのでとやかく言うつもりは無いが、それでもさすがに恐怖の象徴とも呼ぶべきドラゴンを飼っているとなると、安心出来ないのも当然である。
仕方なく出発の用意を始めていたマーメイドの四人が対応に当たる。
アーミンが来ることは聞かされていたが、それは数時間後の事だと思っていたのにその予定が急に崩れて困惑している四人だ。
「あの黒い龍はコンラッド王国の守護龍です!
危険はありませんから、落ち着いて下さい!」
アヤノがそう声を張り上げるが、まだアーミンの存在を知らないリミエンの市民にそれを信じよと言うのが土台無理である。
「分かってるけど、これは困ったわね」
と弱気になる彼女達の後ろに玄関から出てきたライエル、スオーリー、そして王妃が立ち並ぶ。
「皆のもの、静まれ!静まれっ!」
ズイッと一歩前に出たスオーリーが市民に向かってそう怒鳴る。
「誰だよオッサン!」
スオーリーの怖い顔に怯まずそう叫んだ若者は、単に背が低くてスオーリーの顔が見えていないだけであった。
「通りすがりの第三騎士団のスオーリー副団長である!」
背景にドーンと文字が浮かびそうな勢いで名乗りをあげたスオーリーだが、
「そんな奴が通りすがりな訳が無いだろ」
とあっさり一蹴されてしまう。
ごもっともであるが、クレストならきっとそう言っただろうと思ったのはスオーリーだけではない筈だ。
「仕方ないのじゃ、スオさん、ライさん、凝らしめてあげなさい」
腕を組んだ王妃が二人にそう告げると、
「市民相手に暴力はいかん、ライさん、任せたぞ」
とスオーリーがライエルに丸投げした。
「任されても困るが…『沈静化』」
ライエルの唱えた短いコマンドが効力を発揮したのか、騒ぎ立てていた若者達が途端に大人しくなっていく。
ライエルには風属性魔法と使い手の少ない精神操作系魔法の適性があり、このような場面で活躍するのが対象となった者の興奮状態を治める先程の魔法である。
精神操作な魔法は相手によって効かない場合もあるが、ごく普通の市民であれば抵抗するのは不可能だろう。
ギルドマスターの就任が決定した後、荒くれ者の冒険者相手に腕っぷしの強さだけで相手にするのは体力の無駄遣いだと習得した魔法であり、これを市民に使うのは初めてだった。
「はい、皆、このまま大人しくしていてくれないかな。
この屋敷には女性も子供も居るんだからね。
暴力行為に出る者は、冒険者ギルドマスターのライエルが相手になろう。
こっちのスオーリー副団長に任せると、軽傷では済まないからね」
ライエルが笑みを浮かべながらスオーリーの肩をポンと叩く。
「アルジェンが出て行ったからのぉ、怪我をしても治癒も出来んか。
少し運動するのも悪くないと思ったが、収まったのなら仕方ない」
あっけなく事態が終息した為か少し王妃が残念がっているが、大事に至らずに終わったのなら問題は無い筈だ。
「お主ら、あの黒龍のことでここに集まって来たのだろ?
先程も申した通り、あの黒龍はコンラッド王国の守護龍である。
つい先週、この屋敷の主クレスト殿が王都近くにて交渉に成功したのじゃ。
まだリミエンでは正式発表はされておらぬが、これは本当のことじゃ」
王妃がそう説明するのだが、それを簡単に信じろと言うのは無理である。
「あんた誰だよ! おばさんが何で知ってんだ?」
「おばさんじゃと? どうやら躾が必要らしいのぉ」
王妃が手をボキボキと鳴らし、ガツンと両拳をぶつけてファイティングポーズを取る。
「民に手を出すことはお止めください!
フィリー、アレを!」
玄関で成り行きを眺めていたフィリーにスオーリーが声を掛けると、フィリーがポケットから黒い何かを取り出してスオーリーに投げ渡した。
「投げる奴が何処に居るっ!?が、まぁ良い」
手の平にジャストフィットする黒い何かをチラリと見たスオーリーがニヤリと笑う。
「鎮まれ〜!鎮まれ〜!」
スオーリーが格好付けて一歩前に出ると、金色の紋章が入った黒光りするピルケースをズバッとフォークボールの握り方で前に付き出した。
「この紋章が目に入らぬか!
こちらにおられる御方をどなたと心得る?
おそれ多くも現コンラッド王国王妃サリアス・コンラッド陛下にあらせられる!」
低いドスの効いた声を張り上げ、ニヤリと笑みを浮かべる。
だが、急にそんなことを言われて信じろと言われても、本物か偽物か分からないと言うのが聞かされた側の本音である。
「それ、勇者語録のパクりじゃねえかよ!」
「そんなことを言われったって、しょうがないじゃないか!」
「開き治りか!? パクりを重ねて来やがった!」
しょうもないことだけこの世界に広めた召喚勇者達のお陰で、元ネタを知らなくとも名セリフは息づいている。
「えぇーい、一同、王妃の御前である、頭が高い、控えおろうっ!」
「こいつ、最後までやりやがった…」
見事に空振りしたスオさんであるが、本人だけは大満足であった…。




