第31話 異変発生
「おはよう…あれ?」
今日は休みだからと、朝はゆっくりしようと気楽に構えていたエマが目を覚まして違和感を覚えた。
いつもなら先に起きていクレストが、今日はまだ起きていなかったのだ。
まだ体調が悪いのね、と特に気にすまいと思ったのは一瞬のこと。
すぐに彼の異変に気が付き、二人の枕元でまだ寝ていたアルジェンを揺り起こした。
「アルジェンちゃんっ!
クレストさんが!」
揺すられてムニャムニャと目を覚ましたアルジェンが、
「おはようなのです…あれ…? パパ?」
と目を擦ってクレストの異常にすぐに気が付いた。
「ママ…パパを森のダンジョンに連れてくのです!
なる早でっ!」
エマにはクレストが息をしていないように見えたのだが、アルジェンにはこの症状に何か覚えがあるのだろうと思う事にした。
「ダンジョンに連れて行けば治るのね?!」
「まだ魔力欠乏症による仮死状態だと思うのです」
「仮死状態? それって大丈夫なの?」
「恐らく休眠状態にすることで、状態の悪化を防止しているのです」
アルジェンだって魔力欠乏症の患者を見たのは初めてで、共有しているクレストの記憶にそんな症例に関する情報もなく、魔界蟲本体さんが何処からか仕入れてきたデータを元にそう診断しただけだ。
「夕べはあんなに元気だったのに…」
「まだホルモンバランスの崩れが治りきってないので、エッチ度マシマシ、多少の変態プレーは我慢して欲しいのです。
マンネリ防止にも役立つのと、ママも昨日はノリノリで…」
余計なことを言うアルジェンのクチをエマが手で押さえようとするが、スッとスウェーで躱してから両手を出してしっかりガードするアルジェンだ。
「変な事は言わないのっ!」
「体の隅々まで見せ合ってるのです!
今更恥ずかしがっても遅いのです!」
それはそうかも知れないけど、アルジェンに言われるのは少し納得の行かないエマである。
「昨日ママとラブラブハッスルドッキングする前に、パパがレアスライムの魔石に触ったのがまずかったのかも知れないのです」
恥ずかしさで顔を赤く染めたエマを無視して、アルジェンはアイテムボックスから魔石を取り出して繁々と眺めた。
「それが王都で倒したって言うスライムの?」
スライムの魔石にしてはかなり大きな魔石である。スライムの魔石と言えば、小指の爪ほどもないのが普通なのだが、その魔石はゴルフボールかピンポン玉サイズ。
ただしこちらの世界の人にはその単語を言っても通じない。
「そうなのです。
パパの中の人が、この魔石を吸収すれば魔力欠乏症が治ると言ったそうなのです」
アルジェンはその治療法は危険すぎると判断していたのだが、クレストの体調の変化があまりにも急すぎて手段を問える状況ではないと諦めているのだ。
「でも…今のクレストさんの状態で吸収出来るの?」
「私が入って動かせばどうにかなる筈なのです。
それよりママは、カラバッサとオリビアと牙馬の用意を急がせるのです!」
アルジェンに急かされ、パジャマ姿のままでキッチンに向かったエマがブリュナーにクレストの異変を告げ、言われた通りブリュナーが即座に動き出した。
オリビアは早めに出勤して、ロイとアルバスの三人で朝の訓練の最中だった。
運良くと言うべきか、マーメイドの四人も王妃と貯水池リゾートに遊びに行く予定だったのでクレスト宅にやって来たところだ。
リビングでアルジェンからクレストの異変を聞かされた王妃は、流石に自分もダンジョンに行くとは言い出さなかった。
だが、タイミングの悪い奴は何処の世界にも居るものだ。
王妃の帰還時の護衛の為に派遣された第三騎士団副団長のスオーリーが昨夜リミエンに到着し、早速クレスト邸にやって来たのだ。
彼の気分的には、
「クレストくーん、あーそーぼーっ!」
であった。
言っておくが、もう五十歳にも近い良い大人である。永遠の○歳児と言うやつだろう。
慌てた様子で出ていったオリビアを目にして、これは何かクレストがやらかしたな、そう思った彼は巨大を走らせて家の中に駆け込んだ。
彼の怖い顔を初めて見たアルバスが暫く副団長の顔を夢で見ることになるが、それは断じて憧れからではない。
「スオーリーではないか。
どうした、そんなに慌てて。王都から走ってきたのではあるまいな」
敢えて平静を装う王妃であるが、彼女とてクレストの異変に衝撃を受けていることは間違いない。
「誤魔化さんでください。
クレストが何かやらかしたのは…」
「スオーリー、声が大きい。
何もやらかしてはおらんぞ、本人の意志ではな」
王妃は副団長のセリフを途中で遮り、意味深な言葉で彼に考えさせる時間を与えた。
意図せず何かを大事をやらかすクレストなので、それはいつもの事だと思うがクチには出さない分別は持つ、約五十歳児のスオーリーだ。
「クレストの身に何か?」
「寝る子を起こすでないぞ」
黙って付いてこいとクレストの部屋にスオーリーを案内する。
軍人であるスオーリーは覚悟を決めるのも早かったらしい。
エマとアルジェンに見守られながらベッドに横たわるクレストを目にしても、取り乱すことなく脈を取る。
「アルジェンが泣いておらんな…何か知っておるのか」
「…あの時のパパのお友達の強い人なのです。
森のダンジョンで魔石を使って魔力欠乏症を治療するつもりだったのです。
それが、まさかこんなに早く欠乏症の影響が出るとは思わなかったのです」
スオーリーは魔石を使って魔力欠乏症が治せるのかと喜ぶ反面、彼自身も影響が出るとすれば数年後だと予測していたので強く危機感を覚えたのだ。
「クレストを連れて行くんだな?」
「それしか無いと思うのです」
「治し方は分かっておるんだな?」
「この魔石を吸収させるのです。魔力は強いけど、癖も強い魔石なのです」
アルジェンが取り出した綺麗な球体の魔石をレアな魔物の物だと一目で判断し、魔力の殆ど無い状態で吸収させるとは随分荒治療であり、逆に命の危険があるのではないかとスオーリーは危ぶむ。
「森のダンジョンに運ぶ理由は?」
「世界樹を頼るのです」
「世界樹だとっ!?」
お伽話にしか出て来ない筈の、神とも言える存在があのダンジョンにあったことに驚き、かつ、異様なまでの森林地帯を有し、あらゆる事象が普通のダンジョンとは異なる森のダンジョンならそれもあり得るのかと納得した。
「バンパイア戦で傷付いたパパの体を治したのも世界樹なのです。
治し方が中途半端だったから、パパがこんなことになっているのです。
文句を言ってやるのです!」
世界樹に文句を言おうと考えるのはこの世にアルジェン一人だろうが、治せるのなら早く治してやるべきだとダンジョン行きに理解を示す。
「クレストの回復は最優先事項じゃな…スオーリーよ、アルジェンと共に世界樹のもとへクレストを連れて行け。
我はリミエンにて、そなたらの帰還を待つ」
「しかし…」
帰りがいつになるか、クレストが元に戻るのかも分からないと言うのに、王妃をリミエンに置いていく訳にも行くまい、そう思うのが当たり前だ。
「王妃様! 世界樹までダンジョンの中を一週間も掛かるんですよ。
そんなに長く王都を離れられては公務に支障が…」
「エマ殿、コンラッド王国にとって大恩のあるクレスト殿を最優先に行動するのは、我々王族として当然であるぞ」
黒龍のことを言っているのだと理解たエマだが、龍鱗の買い取りなどでクレスト側の利益が大きいのだから、恩は感じてくれるなと言うのが本音である。
それに王妃がこの家に居る期間が伸びてしまうことを心配しているのだ。
「王妃様…王都に戻りたくないと言うのが本心ではありますまい?」
「…そのようなことは考えておらぬぞ」
「考えていたんだ」
とエマとスオーリーの二人が同時に呟き、溜め息を吐く。
「リミエンの方が食うものも旨いし、楽しく遊べるのじゃ、当然と思わぬか?」
「御自分の立場と言うものを…」
「勿論、視察はしっかりこなすつもりじゃし、必要ならば国家権力を発動してやるわ」
できれば穏便に済ませて下さいと願う、それなりに良識を持つ五十歳児のスオーリーだった。
「ブリュナーが強い人達を連れて来てるのです!」
スオーリーが王妃をどう言って王都に戻そうかと悩んでいると、アルジェンが突然そう言って窓に移動した。
その後ろから外を見たスオーリーの目にライエルとサウザスの姿が映った。
数分後に部屋にその二人が入ってきて、クレストの様子を確認する。
「昨日別れた時は元気だったのに」
と脈を取りながらライエルが呟く。
「仮死状態と言え、呑気に置いておく訳にはいかん。
世界樹まで連れて行けば治ると言うのなら、大至急運ばなければ。
しかし…タイミングが悪い」
「クレストさんが居ないと何か不都合が?」
サウザスが意味ありげに最後に付け加えた一言にエマが反応した。
今のリミエンにはマジックハンドコンテストのようにクレストありきで進められているプロジェクトが幾つかあり、その一つで問題が起きたのだと思ったからだ。
「アルジェンの力を借りようと思っていた案件があってね。
だが、今はクレスト君の治療が優先だ。アルジェンが治ると言うのなら、それを信じて待とう」
「ご迷惑を掛けます」
ライエルに頭を下げたエマのその頭にピョコッとドランが飛び乗った。
『クレストさんが寝てるから念話チャンネルを付け替えるね。
僕はその世界樹には行ったことが無いんだけど、急ぐ必要があるなら馬車より早い方が良いよね?』
「この水晶龍が喋っているのか?」
『僕の念話は三人までしか繋げられないから、エマさん、顔が怖いおじさん、腹黒ぽいおじさんに繋いでる』
スオーリーとライエルが急に念話を繋げられたこととドランからの呼ばれ方に戸惑いつつ、龍にはこのような能力があるのかと感心していた。
「カラバッサより早く到着する方法って?」
と念話に慣れているエマが、頭の上だと喋りにくいのよと思いつつドランに尋ねる。
『一つは黒龍を呼ぶこと』
「でも王都に居るわよ」
『頼めばマッパで来てくれる』
「ドラゴンだから服来てないわよね…」
冗談を言っている場合じゃないだろうと真剣に思う男性が二人。
『特急のことをマッパって言うんじゃ?』
「勇者言葉でマッハと言うのよ、パじゃないから」
『分かった、マッハでアーミンを呼ぶ方法が一つ、もう一つは誰かが僕と合体してクレストさんを運ぶ方法』
エマはアルジェンと合体するようなものなのだろうと理解したが、男性二人は自分が蜥蜴と合体した姿を連想して首を横に振った。
「アーミンを呼ぼう。合体は危険すぎる」
「ライエルに同じく。しかし、急いでアーミンを呼ぶにしても王都まで四日じゃぞ」
まだマジックバッグを利用したドランさんの転移は王族だけの秘密である。
それをライエルとスオーリーに公開して良いものか、エマには判断が付かないが王妃が一言、
「ドランさんなら一瞬で王城に行ける能力があるんじゃ」
と、あっさり秘密を漏らす。
勿論、この二人なら口外しないと信用してのことである。
『僕としては合体の方が…』
「我々のモットーは安全第一だ」
『冒険者のトップの言葉とは思えない…』
顔は知らなくても、ライエルと言う名前が冒険者ギルドのマスターであることはドランも今までの生活で知っていたのだ。
「それでドランさん、すぐに王城に行けるのか?」
『行けるよ。でもアーミンが来るまで少し待ってね。
それと、背中に乗せると飛べない筈だからクレストさんを乗せる丈夫な台を用意しておいて』
「それなら私が手持ちの材料で作っておくのです」
アルジェンに工作なんか出来たっけっと疑問に思うが、アルジェンは嘘を付かないので工作スキルがあるのだろうと思うエマだ。
『黒龍化はお腹がすくらしいから、アーミンの食べるものをたくさん用意しておいてね。
じゃあ、呼びに行ってくるよ』
ドランがそう言うと、翼を出してパタパタと棚まで飛んで行き、置いてあったマジックバッグに体を突っ込んだ。
「あれで王城に行けるとは、小さいくせに大したドラゴンじゃ」
ドランがマジックバッグに入る様子を初めて見た王妃が立ち上がり、先程のバッグを確かめる。
確かに中は真っ黒な空間で、王妃の手はそこに入れられない。
「アーミンなら二時間ほどで到着すると思うのです。
こちらは動く準備をするのです!
特にオヤツは念入りにストックするのですっ!」
「あっ…急に黒龍が飛んで来て大丈夫かな?」
エマの呟きに、部屋に居た者達がしまった!と同時に思ったが、時既に遅し…。




