第1話 歩く非常識
暖かな日差しの中、荷台の馬車が勢い良く駆けている。
その客室にはコンラッド王国の王妃が居るなどとは普通なら思うまい。
何故なら護衛として付くのはたった二頭の馬に乗った冒険者しか居ないのだから。
それにも係わらず、馬車に掲げられているのは商業ギルドの重鎮が居ることを示す金色の旗。
実にちぐはぐである。
この世界の住民として、まともな精神と判断力を持った者ならきっとそう思うだろう。
この二人の冒険者が異様なまでに強いのか、それとも馬車の中に強い護衛が座っているのか。
街道で擦れ違った商人も思わず二度見した。
それは護衛の少なさだけが理由ではない。
その馬車の御者台が四方を板で覆われ、手綱を持つ手が見えないからだ。
「なんだ、この気味の悪い馬車は?」
そんな感想を持った商人が金色の旗に気が付き自分の目を疑った。
「護衛が二人…嘘だろ?」
だがその商人の呟きを無視するかのように、二台の馬車は普通ではない速度で駆け抜けて行く。
「快適、快適!」
馬車の中では地味な服に身を包んだ王妃が窓から外を眺めている。
ガラスではない透明な素材が窓には貼られており、雨風の侵入を気にする必要もない。
今は外の空気を取り入れようと、その透明な窓を開けている。
コンラッド王国最高権力者の一人である王妃が取る行動とはとても思えないだろう。
もし外から矢でも撃ち込まれたりすれば…普段は決してこのような行動は許されない彼女は自由を満喫してご機嫌であった。
「サリアス王妃様…言葉遣いの練習を進めますよ」
向かいに座るメイドのフィリーがそう言ってクチを尖らせる。
「そうであったな」
「ダメです。
ここは『そうだな』と言うべきです。
リピートアフターミー! そうだな」
「…そうだな」
お忍びのリミエン視察を名目にしたサリアス王妃に対し、凄腕メイクと称されるメイドの対応は容赦がない。
リミエンに到着するまでの四日間で、王妃の身に付いた喋り方を修正しなければならないのだから。
微に入り細に入り王妃の言葉をチェックして修正しようとするものだから、さすがに王妃もイライラしていたのだ。
良く言えば細かい所にまで気が付く女性であり、それがメイクの時には活かされている。
だが指導者として余りに細かすぎると、生徒は堪ったものではない。
「フィリーさん、もう少し緩くやった方が良いと思いますよ」
御者台に乗るステラも客室に向かってそう声を掛ける。
車輪に装着した緩衝材と、客室の通路を歩いて御者台に入れる構造のラクーンだから出来る行為だろう。
「ステラもそう思うだろ?
フィリーは真面目過ぎる。折角遊びに行くのだ、楽しい気持ちを持たねばなるまい」
「王妃様、この旅は遊びではなく、視察、ですよね?
浮ついた気持ちを持ってはいけません!」
「そうであるか。
折角リミエンの食べ歩きマップを手に入れたと言うのに、これを役立てられんとはのぉ。
パンケーキとワッフルの店、キャプテンクッシュに寄ってみたかったのじゃが…はぁ、誠に遺憾ょ」
そう言って態とらしくテーブルに食べ歩きマップを乗せるのだ。
「パンケーキ…」
と呟いたフィリーがアルジェンの食べかけを貰って食べたその味を思い出して、ゴクリと唾を飲み込み、ここで遂にフィリーが陥落する。
「立派な一般人としてキャプテンクッシュに行けるようになりましょう!
今から注文の仕方を教えますょ!」
どんな一般人よ?とステラが頭を押さえたが、幸い客室の二人がその姿を見ることはなかった。
何故なら二人の視線は既に食べ歩きマップに注がれていたからだ。
◇
一方のクレスト達が乗るラクーンでは。
「ポッポッポ~ 鳩ポッポ~♪」
アルジェンがテーブルに立って歌い、その隣で薔薇の魔物のカオリが歌に合わせて体をくねらせていた。
実にシュールな光景であるが、気にする者は一人も居ない。
クレストは素材研究所のフォイユから貰った植物紙のサンプルをスケッチブックにして、何やら楽しそうに書いている。
王都で知り合った役者志望のアリアも、クレストから紙を貰ってコスプレ衣装のデザインに忙しい。
シャーペンと言う紛らわしい商品名の付けられた鉛筆が生産されるようになり、外出先でもこのように気軽にアイデアを書き出すことが出来るようになったのだ。
ただし、この鉛筆は芯に油を染みこませる工程を省略しているので、クレストやアリアの転生組から見るとパーフェクトな書き心地とは言えないのだが、それでも生粋のこの世界の生まれの人にはこれで十分。
ゴーと言えばゴーに従え…なのである。
全くもぅ、どこのどいつだよ、そんな変な諺の改変した奴は?とクレストが溜息をつく。
もう一人の乗客のケルンはミニミニ魔界蟲さんの変身した魔界馬車鉄道トリプルナインで遊んでいる。と言うより、遊ばれている。
最近、このミニミニさんもアルジェンから離れて単独で遊ぶことがあるのだ。
そのうち本家魔界蟲さんと同じように巨大化しないかとクレストは心配しているのだが、今のところミニミニさんは餌を食べることが無いので、きっとアルジェンから栄養を分けて貰っているのだろう。
◇
王都からリミエンまでは、通常なら六日間を掛けて町、村、宿泊施設、町、村、リミエンの順に宿泊しながら移動するのが一般的なプランであり、一日の移動距離は約四十キロメトル。
それをラクーンは一日に六十キロメトルを走行して四日間で走破する。
一日の移動距離は普通の旅行者の実に一・五倍の約六十キロメトルである。
その分、一日あたりの移動時間は他の旅行者より一時間程長くなるが、道中の三回の宿泊は車中泊、宿泊施設利用、車中泊となるので、一時間ぐらい遅れてもそう大きな違いは無い。
二日目に利用する宿泊施設は部屋に限りがあるので、早い者勝ち。
往路では先に到着していた第三騎士団が利用していた為に一部屋しか取れなかったように、遅く到着すると部屋が取れない程度の問題である。
もしコンラッド王国に明確な四季があって、凍えるような寒さを車中で震えながら凌がなければならないのなら、クレストも無理はせず各町村の宿泊所を利用するプランを立てるだろう。
だが幸か不幸か、この国は海流と大陸北西側にある大山脈が寒気をガッツリとブロックする影響もあって、常春を謳歌する地域となっている。
故にクレストの無謀に拍車を掛けたのだ。
だが仮にコンラッド王国に冬があったとしても、クレストはラクーンに外付けの暖炉を設置すれば良いと軽い気持ちを持っていた。
ラクーンは鉄パイプのフレームなのだから、オプションで耐熱材を使った内外装に変更すれば、薪をくべて燃やす暖炉だってビルトイン可能である。
煙は煙突を屋根より上に延ばせるようにテレスコピック構造を採用し、不要な時は収納すれば良い。
これで冬場でも馬車の中は温々だろうとクレストが妄想していたのはここだけの話。
また、例え馬車で移動中であってもクレスト一行は十三時と四時のオヤツタイムは欠かさない。
これは勿論トイレ休憩も兼ねてのことだ。
国道を走っていればコンビニが其処此処に立っている日本と違って、この世界で移動中のおトイレ事情は劣悪である。
ラクーンの注文が殺到したのは、クレストの拘った乗り心地の良さ、前輪操舵機構、車中泊の機能よりも、トイレ車両の牽引が一番大きな理由である。
そのことをクレストに伝える踏ん切りが、開発者の一人であるステラにはまだ付いていない。
何故なら、既存の馬車用にトイレ車両が牽引出来るアタッチメントを作るか、牽引出来るように馬車を改造すれば良いとクレストなら言うだろうと予想しているからだ。
クレストは従業員達の給料を支払っても赤字にならないだけの稼ぎがあれば良い、と基本的に儲けを出すことに頓着しない傾向にある。
ステラにはもう少し上のランクの生活が送れるようになりたいと言う人並の願望があり、収入を減らす方向の提案を受けたくないのだ。
ステラがどうしようかと悩みながら馬車を走らせていると、前を走っていた一号車が減速の合図と左に馬車を寄せる合図を出してきた。
その合図に合わせて一号車が減速して馬車をゆっくり左に寄せて行く。
クレストは複数台で走行することも考え、減速、左又は右に馬車を寄せる際に後方車両に照明の魔道具で合図が出来るようにブレーキランプとウインカーもラクーンには装備させてあるのだ。
地味なアイテムだが、無線で連絡の取れないこの世界、御者台に座る者には前を走る車両の動きがリアルタイムで分かるこの装置は非常に有難い。
時刻は午前のオヤツの時間だ。一日の行程のおよそ四分の一の距離を走ったことになる。
ステラ達が元々持っていた常識では、乗客の誰かが尿意を催すか馬の具合を見て休憩を取るのだが、クレストはそれを強引にオヤツの時間に変えてしまったのだ。
どれだけ食べることに執着しているのだろうと最初はステラも思ったのだが、アルジェン達が嬉しそうにオヤツを食べる様子を見せられると、これはこれでありなのだと納得してしまった。
王城の中では『クレストサイド』や『クレスト化』と言う言葉が出来ており、クレストの考えを何もおかしく思わないようになることを『クレストサイドに堕ちる』、『クレスト化する』と冗談半分に言われているのだが、まさにステラもクレストサイドに堕ちてしまった一人なのだ。
王都から出て最初に通過する休憩地点は約二十キロメトルの位置にあり、その少し手前で馬車が止まった。
一日の移動時間の四分の一の時間をノンストップで走って来ているが、馬車を曳く馬はそれ程疲れた様子を見せていない。
サリアス王妃はもう少し先に行けば、中間地点の休憩所があると言うのに、何故何も無いここに停まるのかと馬車を降りて考える。
だが通常なら十キロメトル走ったあたりで休憩するところを、既に十五キロも走っているのだからここで休憩を取ることは誤りでは無い。
周囲には何も無い原っぱが広がり、自分達以外は誰も休憩していないので気兼ねしなくて良いと言う気楽さに彼女が気が付くのは、少し時間が経ってからだ。
「こんな広場が途中にあったとは知らぬな」
「王都に来る時に、アルジェンちゃんがここを整地したんですよ」
王妃の呟きにステラがそう答えた。
この場所を少し上空から見ると、高速道路のサービスエリアのように道路脇を拡張して作られていることが分かるだろう。
道路管理者に何の断りも無く(アルジェンにお願いして)勝手に工事をしているのだが、クレストは全く自覚していない。
だが他の通行車両の邪魔にならぬよう、かつスムーズに休憩所に到着出来たことに気が付いた王妃がムムムと唸るとクレストを呼び寄せた。
「クレスト殿、少し構わぬか?」
「はい、構いません。
ですけど、今は殿は不要ですよ、サリアさん」
王妃に対して略称さん付けで呼ぶことを特に何とも思わぬクレストである。
「そうであ…そうですね…はぁ、普通の話し方は中々身に付かないものであるな」
「俺は逆に敬語が身に付きませんからね。お互い様です」
「クレストさん、早いとこ普通に貴族対応の喋り方も身に付けないとマズイですよ」
王妃とクレストの会話にステラが割り込む。
運転中に時々フィリーの代わりに王妃との話し相手を務めたせいか、少し精神的な疲労を感じているのだ。
「はい…善処します…」
婚約者のエマは来年は子爵となるロックウェル男爵の次女であり、結婚後はイヤでも貴族達との付き合いが今以上に増えるのだ。
実際には既に水面下で家令であるブリュナーの元に、ロックウェル男爵家に連なる家の者達が挨拶に出向いている。
だが、敢えてそのことをブリュナーがクレストに教えていない。
何故ならもう少し親方様には気楽な生活を送らせてあげたいと言う親心と、今の親方様では先方に不安を与えるだろうと言う心配の両方があるからだ。
ついでに言うと、出来れば王都から戻って来た後もマダムファブーロのマナー教室に通わせたいと考えており、どうやって説得しようかと頭を悩ませているのは内緒にされている。
そんなブリュナーの考えも知らず、アルジェンに『格納庫』(アイテムボックスを偽装した呼び名)から寛ぎセットを出しても貰うと、クレストとの行動に慣れたメンバー達があっと言う間に休憩所をセッティングした。
テーブル、椅子、そしてドランが運んで来た最新式のビーチパラソル擬きのガーデンパラソル。
手持ち式の傘を開発する前に、鍛冶師達が大きめの傘を作ったのだが、手持ちの雨傘が出来上がったので不要となったのだ。
それをクレストがドランさん経由で回収すると、錘式のパラソルスタンドでは無く、アルジェンの大地変形で地面に捻じ込み固定する贅沢仕様で使うことにしたのだ。
馬車での移動を舐めているとしか言いようの無い寛ぎの場の出現に、初めて見た王妃、フィリー、そしてアリアの三人がクチを大きく開けて絶句する。
本日初公開のガーデンパラソルにはアヤノ達も少し戸惑ったが、添付されていた説明書を見て難なくクリアーしたのだ。
「クレスト…そのガーデンパラ何とか…は必要なのか?」
と不思議そうに王妃様が聞いてくる。
「まぁ、気分の問題ですかね。
日差しが強い時とか、嫌がらせみたいな通り雨が降った時に、これがあれば良いと思いますよ。
東屋の代わりだと思ってください」
事も無げに笑うクレストに、これが世に聞く歩く非常識かと内心溜息をつくサリアス王妃だった…とか。