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94 希望の光

ライトベージュのナイティを着て深く眠る美奈子の頬を、雄太は指で静かになぞった。


「 ベッドに入ったら子供の時の話をしたいの。進藤のおば様やママも若かったしたくさん思い出があるわ 」


 無邪気に笑っていた美奈子だが、いざシルクの枕に頭を埋めて雄太のキスを受け抱きしめられたら一瞬で眠りに落ちていった。


 今頃幼い俺と夏の高原を走っているんだろう。あの頃が一番幸せだったかもしれない。


 


 雄太は壁の時計を見た。あと30分で日付が変わる。


 恭平に電話をしてからもう4時間経っている。だが連絡はない。無事倶楽部で青葉に会えただろうか。腕力に任せても、青葉を盾に取られては太刀打ち出来ないだろう。それに、卿は老獪で心理戦では到底勝ち目はない。考えればただ気持ちは焦る。俺が行ければ… だが美奈子を放って追いかける事はあの状況ではできなかった。


 雄太は目を閉じ唇を噛んだ。すでに青葉は恭平に託して別れを告げたはずなのに、依然心の中にはまだ二人が残って俺に笑いかける。そして美奈子はまだ腕の中だ。

 俺は一人になると心に決めた。なのに、このざまは何だ。

 

 自嘲気味に笑った雄太はサイドテーブルの煙草に手を伸ばした。


 雄太は倶楽部を辞めて美奈子と婚約した後、すぐに渡米し美奈子に眼の手術を受けさせるつもりだった。既に現地の医療コーディネーターを通じてサンフランシスコの病院に連絡を取り眼科と脳外科のドクターがチームを作っている。同じような事例をいくつも成功させているため、美奈子が視力を取り戻す可能性は高いと判断した雄太は進藤家の弁護士と相談し費用の2000万を全て進藤家側が払う内約を取り付けた。同時に堀川家から結納金として8000万円を要求されていると聞き、それも雄太がポケットマネーで半額払うことで渋る弁護士を説き伏せた。


「 皇族の支度金ではあるまいし、あの落ちぶれ華族に与える金額ではありませんよ 」

 

 電話の向こうで嫌味を口にする弁護士は一方的に筋書きを変えた雄太に不満を露わにする。


「 進藤の跡継ぎができるんだ。2億3億でも惜しくないだろう 」

「 私どもが所望しているのはお世継ぎ様だけです。高飛車な堀川家の老婆たちや世間知らずの娘は用が済めば必要ないんですから 」

 

 同じ人間をモノのように切り捨てる傲慢さと金と見栄ほしさに貞淑で純粋な娘を生贄に出す非情さはどっちもどっちだと呟きながら雄太はスピードを上げて手続きを進めていた。本当の目的はその果てにあったからだ。


 無事美奈子の視力が戻り帰国したら、俺から婚約を解消する旨進藤・堀川両家に通告する。支払い済の結納金と治療費は慰謝料として全額堀川家に差し出す。そうすれば晴れて美奈子は自由の身になり、生き方も恋も好きに選べる本当の幸福を手に入れられる。俺のためにこれ以上誰かが肩身の狭い思いをするのはまっぴらだ。 

 死んだ母がどんなに進藤家から苦しめられたか雄太は痛いほどわかっていた。だからこそ美奈子を同じ目に合わせるのは母への裏切り行為だと雄太は信じて疑わなかった。


 だがバスルームでシャワーを浴びながら互いに髪や体を洗い合ったしばらくの間、雄太は美奈子を妻に娶り仲睦まじく暮らす生活を思い描いていた。互いに助け合いながら日々を送り、いつか生まれる新しい家族を心待ちにしてベッドを共にする。子どもが生まれたら思い出のスイートルームで美奈子の弾くピアノを聞きながらソファで子どもとくつろぎたい。そんな空想の中の雄太は優しい笑顔を浮かべていた。


 しかし、その夢想は一瞬で消え、容赦ない現実が冷えたリビングの空気に横たわる。嫁入りすれば、対立する堀川と進藤の間に挟まれ美奈子が辛い目に合うだけではない。進藤家の内女中たちの執拗な嫌がらせは並大抵の女には耐えられないだろう。老いた女中頭は雄太に対し寵愛の限りを尽くしたが、雄太の母には凄まじい憎悪の炎を向けた。わかっていて美奈子を進藤家の瘴気にまみれた闇に連れ込む事は、雄太にはできなかった。


 それに何より、雄太の愛の行く末にいるのは、やはり今でも恭平とその傍らでほほ笑む青葉だった。


 俺は美奈子を自由にして、恭平と青葉の幸せを見送ってからしばらくは一人で生きる。いつか嫡男として腹をくくるその日までは、自分らしさを忘れずに生きたい。愛した人の幸せを願うほど自分の幸せが叶うより喜びは募るから。


 雄太はかつて金持ちの放蕩息子と自嘲していた自分が少しは成長していた事に細やかな満足感を得ていた。


 とうとう日付が変わった。連絡してみようと煙草をもみ消して携帯電話を取ろうとした時、遠くで何かが動く音がした。くぐもった金属音が近づいて止まる。エレベーターの動く音だった。雄太は美奈子を起こさないようにそっとベッドから降りると早足で寝室を出て玄関に向かった。

 ドアを開ける前にすでに気配を感じて雄太はドアスコープも見ずに鍵を開けた。


 暗い廊下の奥から、恭平が歩いてくる姿が見えた。


 首に白い包帯を巻き、やや青ざめた両手はしっかりと眠る青葉を抱きかかえている。その顔立ちが薄明りの下で明確になるにつれ、雄太はこの2人に起こった何かをテレパシーのように感じ取った。生きて帰ってきた安堵が先か、おぞましい光景を見せつけられる恐怖が先かわからない。


 唯一の確信は、何があろうとも全て受け入れる事にある。


 雄太は言葉の代わりに愛しい気持ちを込めた深い息をゆっくり吐きだして、彼方に見える希望の光を見つめた。






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