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92 土壇場の優雅

 手応えはあった。シャツの割ける音に続いて短い呻き声が聞こえ、反動で私はベッドの足元に倒れこんだ。ナイフの刃先にうっすらついた血の染みを見て振り返ると, サイドテーブルにもたれて脇腹を押さえる幣原様の背が見えた。二つに割けたシャツに赤黒い染みが3つ。血だ。


 「 う… 」


 恭平さんの弱い声がした。ベッドの上で縛られたまま仰向けでぐったりしてる。首に赤黒い手の跡が生々しい。


「 恭平さん!死なないで!」


 ベッドに上がると私は剥き出しの下半身を元に戻して、縛られた手をほどこうと恭平さんの体に手を伸ばした。でも背後から押し殺した唸り声が聞こえ咄嗟にナイフを持って後ろを向いた。


 血まみれのシャツを纏った鬼が鞭を持って立っている。血走った目は濁った怒りと憎しみが溢れもう人間のそれではない。でも私はその狂気に負けないよう目を逸らさない。膝をついて右手でナイフを持ち、左手をベッドにおいて低く構える。


もう恭平さんには指1本触れさせない。


「 今すぐ地獄へ落としてやる。よくも私を…  」

「 来たら刺してやるわよ。あんたなんか怖くないわ!」

 

 鞭がしなって、すぐ顔の前で跳ねた。ベッドのシーツが裂けている。狙うなら足だ。膝の上から太ももの間を刺せば動けない。刺したら窓から飛び降りて死ぬ。もうなんの未練もない。胸を張って父さん母さん、おじいちゃんに会える。

 

 神様最後のお願いです。私を天国に連れていって下さい。


「 青葉… 早く… 逃げろ… 」


 でも恭平さんの声に私はうっかり振り向いてしまった。間髪いれずに飛んできた鞭の凄まじい痛みと衝撃が右腕に走り、同時にナイフは手から飛んでダイニングテーブルの下に転がり落ちる。近寄ってくる鬼の顔に笑いはない。右の脇に弧を描いたナイフの傷から落ちる血がベッドに散らばり、辺りに生臭い匂いが立ち込めた。


 右手に、赤く残った鞭の跡。逃げるのも命乞いもしたくない。

 これでお終いなら、最期に私が出来る事は愛する人を守る事。それが出来たら、ここまで生きた甲斐がある。


「 お前ら下民の分際で私に手をかけおって!死ね!苦しんで地獄に落ちろ!」


叫び声を聞きながら私は恭平さんの体に覆いかぶさった。甘いトワレと煙草のフレーバー。この匂いに包まれて死ねるなら、私は幸せだ。


「 危ない!離れろ、青葉! 」

 

 恭平さんの声を塞ぎながら私は冷えた頬に唇を当てた。何もかもが愛しいけど、あまりにも沢山の事がありすぎて思い出の糸を上手く紡げない。意識のあるうちに少しだけでも雄太さんと恭平さんの笑顔を胸に残そうと息を吐いた時、背中に火柱を打ち込まれたくらいのショックが走り、痛みとも痺れともわからない感覚で全身が弾ける。声をあげようとした途端立て続けに同じショックが打ち込まれ、これが鞭の感覚だと知った時私は意識を失いかけている。背中に火を放たれたような熱さがどんどん五感を麻痺させていく。


「 やめろ!この子は本当に死んでしまうぞ!」

「 死ねえ!下等生物どもは皆死んでしまえ!」


 不思議だ。朦朧としても恭平さんを包む手足には力がみなぎる。私が受ける痛みが強いほど恭平さんを守っている充実感に包まれる。

 雄太さん、恭平さんと幸せになって。私を愛してくれてありがとう。

 人を愛する喜びを教えてくれてありがとう。


 痛みはもう感じない。もうすぐ死ねる。


 そう思って目を閉じた時、遠くでパンと何かが弾ける音がした。


 鞭の音が止まりわずかな静けさが続いて心に妙な違和感を感じて目を開いたら激しい破裂音が数回続いた。顔を上げようとした途端、恭平さんが上体を肩から持ち上げてさせて180度回転し、私の上に覆いかぶさった。


 「 動くな、拳銃だ 」

 

 恭平さんの体は汗で濡れてわずかに震えている。私は思わずその背に手を回して固く抱きしめた。誰が撃ったの。とうとうあの狂った男が私たちを…


 「 いい加減に、うちの職員をいたぶるのはやめてくださらない?侯爵殿 」


 声はベッドの反対側から響いている。私は目を疑った。


 シャンパンベージュのイブニングドレスを着た三条緋呂子会長が、凛とした表情で銃を構えて立っている。その姿は、ただ優美以外の何物でもなかった。




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