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72 神の謀略~雄太に架せられた十字架~

「 俺は家を出てから親父と顔を合わせたことは1度もない。顧問弁護士が連絡してきてやりとりしているけど、一貫して家督も財産も継がないと言い続けた。俺は恭平と死ぬまで添い遂げるから、後継ぎは勝手に親父が再婚して作ればいいんだよ。だがそこだけは親父が譲らなかったんだ」


 雄太と恭平は、山中湖を見下ろす別荘へ来ていた。3年前に2人の名義で購入し、ゴルフや避暑で月1度は通うお気に入りの隠れ家として使っている。窓の外には雪で覆われた木々の合間に青い湖が広がり、その奥に雄大な富士山がそびえる。透明な青空と白の壮大なコントラストは言葉にできない美しさと神秘さ称えていた。


 二人は寝室のベッドで抱き合いながら、窓に映る景色を眺めていた。年末は青葉に遠慮して控えていたせいか日中の情事は激しさを増し、恭平の悲鳴と雄太の口を憚るような睦言が交錯して白いリネンを情欲の紅で染めた。互いに精を搾り取った後、余韻と景色を楽しむ間に日は暮れて頂の白に夕陽の黄金が重なる。恭平はその様に見とれながら雄太のつぶやく言葉に静かに耳を傾けた。


「 もう後継ぎはいい。恭平と二人で人生を好きに生きろ。だが嫡男の役割は果たせ、直系の子孫を残すのが最後の義務だと言って聞かないんだ 」

「 …… それこそ無理なんじゃないの。俺は子供は産めないもの 」

「 親族の中には後継ぎを狙う連中が山ほどいるが、家督の一子相伝は我が家の鉄則なんだ。そこで

 弁護士と古株の女中頭が手を組んでとんでもない計画を思いつきやがった。平たく言えば偽装結婚と子宮売買の合わせ技だ 」

 

 恭平は露骨に顔を曇らせた。外はすっかり夜の闇に包まれている。


「 まさか… 馬の種付けと同じことを女性に…?」

 

 雄太は頷いて髪をかき上げた。悩み事がある時にいつもする仕草を見て恭平はこれはただ事ではないと気付く。


「 とりあえず籍を入れて、俺から採取した精子を人工授精で着床させる。めでたく妊娠、出産したら子どもは男女問わず進藤家の跡取りとして育てる、母親は1年後に離婚し籍を抜く… 俺は、配偶者となる女と一度も会う必要はないらしい 」

「 そんなバカげた話が成立するわけがない 」

 

 恭平は怒りで声を荒げた。跡継ぎ欲しさに一個人の人権を蹂躙するような行為を大っぴらに行う特権階級への怒りと、雄太をそんな境遇に追い込む原因である自分に対する怒りが恭平を混乱させた。


 「 それが、こんな謀略を喜んで受けた家があったのさ。母方の遠縁で元は徳川家の血を引く名家だったが、今は没落して小さなマンションで女3人暮らしをしている。娘は3つ年下で、昔は那須の別荘で一緒に過ごした幼馴染だよ 」


  恭平は起き上がって雄太を見た。


「 雄太、まさかその話に乗る気?」

 

 雄太は首を振った。


 「 父親譲りの敬虔なクリスチャンなんだ。白磁の人形みたいな顔をしてるが男と手をつないだこともないと聞いている。俺と結婚して妊娠すれば処女受胎だ。そんな罪作りなんてできるわけがない」

「 でもそんな恵まれた容姿と家柄ならほかにいくらでもお相手が… 」

 

 雄太は恭平を見た。穏やかだが,悲し気な陰りが瞳の奥で揺れている。


「 目が見えないんだ 」

「 え…… 」

「 19の時、父親の運転していた車が事故を起こして父親は即死、乗っていた彼女は助かったが、頭部を強打して視力を失った 」


 部屋の中はもう薄明かりしか残っていない。雄太はベッドサイドのランプをつけると煙草に手を伸ばした。恭平は厚手のガウンを羽織るとベッドから出た。


「 コーヒー、淹れてくる 」

「 濃い目に作ってくれ。少しブランデーを垂らして 」


 無言で出て行った恭平の気持ちは雄太にストレートに伝わった。


 すまない、だが俺も辛いんだ。小さいころ那須の高原を二人で走り回った日々が昨日のことみたいに思い出される。あの子は「ユウ兄ちゃん」と言って俺の後をいつもついて歩いてきた。知らなかったよ、目が見えなくなった上に俺の偽花嫁に差し出されるなんて… 美奈子、こんな形で再会するとは思わなかった。


白い灰を落とすと煙が一筋立ち上って苦い香りが雄太の鼻をつく。恭平の淹れたコーヒーの匂いが欲しくて、雄太は裸にタオルケットを巻いて部屋を後にした。




 湯島のマンションのリビングで、美奈子は母の瑞枝、叔母の藤子と夕食の膳を囲んでいた。三が日の祝い膳にも係わらず、食卓の上は色の乏しい質素な料理が並んでいる。美奈子は汁物の椀を両手に包んで、ゆっくり口元へ運び1口啜ると軽く息をついた。瑞枝は心配そうに美奈子の手元を見ている。


「 美奈子、無理して食べなくていいのよ… 後でクッキーとジンジャーティーを持っていくわ 」

「 あら、そんな事いわないでしっかり食べてよ。進藤家にご挨拶に伺うまでにお肌と髪の手入れをしないと恥ずかしいわ。痩せてしまうとみずぼらしく見えるもの。私たちがご飯をあげてないみたいじゃない 」


  対照的に藤子はどんどん皿の料理を平らげていく。両手にはめた派手な指輪と濃い目の化粧が飾りひとつない部屋の中で奇妙に浮いていた。


「 藤ちゃん、進藤の大旦那様は本当に美奈子でいいとおっしゃっているのかしら」

「 姉様、くどいわね。弁護士の白井さんから何度も確認したって言ったじゃない。雄太さんと美奈ちゃんは子供の時から兄弟みたいに仲が良かったのよ… それにうちの血筋は進藤家より格が上なんだから、もう少しは胸を張ってもらいたいわ 」

 

 瑞枝は渋い顔で藤子を見る。白井弁護士からこの話を持ち掛けられた時の藤子の喜びようは異様はほどで、反対した瑞枝を押し切りろくに美奈子の意見も聞かずに輿入れを受けた裏には落ちぶれても残る貴族の意地と、進藤家の財力に引き付けられた強欲さが露骨に見え隠れしていた。夫を失って以来外部との折衝を社交的な藤子に任せている手前、娘美奈子の仕組まれた結婚を面と向かって断る勇気は気弱な瑞枝にはなかった。


「 ごちそう様。ママ、叔母様、お祈りをするからしばらく一人にして 」


 美奈子はドアを開けて部屋を出た。黒いセーターとチェックのロングスカートに包まれた体は折れそうに細かった。


「 神様なんかにお願いしてもしょうがないのに… 変わった子だこと。兄さまのつまらない所ばかりよく似てるのね 」

 

 聞こえよがしにつぶやく藤子から目をそらし美奈子の皿を片付ける瑞枝はそれでも強く心に願う。


 雄太さんが美奈子を気に入ってくれたら… 妻として可愛がってくれたら、あの子はこの崩れていく家系から抜け出せる。私は覚えているわ。小さな二人が手をつないで青い草原を走っていた眩しい時間。美奈子をあの時に戻してあげたい。雄太さんなら、美奈子を外の世界へ戻してくれる。だから、私はこの気のふれた縁談を受け入れた。望みは捨てない。全ては娘のため…


 瑞枝は湯を沸かしにキッチンへ向かった。それは携帯を取り出しどこかの令夫人とおしゃべりを始める藤子のそばから逃げる頃合いを告げていた。






 頭に白いレースをかぶりロザリオを手にした美奈子は目を閉じて祈り続ける。壁に掛けられたキリスト像は不慮の死を遂げた父の形見だった。こうして祈る時間だけが美奈子にとって心安らぐ時間だったが、年末に突然現れた進藤家の使者と話して以来、美奈子は激しい胸のざわめきを止める事が出来ない。

 進藤家に嫁ぎ、家督を拒んだ雄太さんの代わりに跡継ぎを孕む。弁護士さんは都合のいい様に話していたけど、わかっている。私は、お金で買われた花嫁。目の見えない、自立する能力もない私でも出来る事で進藤と堀川の家は共存共栄する。普通の女なら到底受け入れない話だ。でも私はなぜか拒む気にはならなかった。どうして?


 美奈子は目を開けた。視覚は失ったが、その分自分の内面に向き合い感性を研ぎ澄ます時間を与えられた美奈子は、自分の心の奥に芽生えた雄太への想いが日を追うごとに育っていくことに気づいていた。雄太の母の葬儀以来、もう10年以上顔を合わせたこともない。だが美奈子の中に生きる雄太は幼かった時の面影以上にはっきりと輪郭を描いて美奈子に寄り添う。それが恋心なのか、愚かな妄想なのかわからないまま花嫁になる日は近づいていく。


 会いたい… 雄太さんに差し伸べた私の手を、握ってほしい…


 美奈子は頬を赤らめてロザリオを置いた。駄目だ、祈っていても気持ちはどこか遠いところを浮いている。神が私を試しているのかしら。それとも、この結婚は神が私に与えた福音…


 壁のキリスト像は、盲目の花嫁を見下ろし沈黙という苦痛に耐えるように目を伏せている。




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