56 神がくれた光と悪の華~夢のような景色の裏で渦巻く瘴気~
「 うわあ… すごくきれい… 」
丘の頂上から見るクラブハウスと木々には色とりどりの電飾が付けられて、そこだけ別世界みたいに浮き上がっている。入口にある大きな木はツリーみたいなデコレーションが点滅して圧巻の迫力。私はうっとりして光の洪水を見つめた。
「 都心の駅前に行けばこれよりもっと派手なやつがあるけど、ここは山の中だから雰囲気がいいんだ」
進藤チーフが煙草を吸いながらぶっきらぼうに答える。いきなりインカムで呼ばれてお説教かと思ったらこんな素敵なプレゼント。お掃除フェチのアラサーだけど、こういう気の利くとこもあるのね。私はチーフの横顔を見た。会員さんとノリノリトークしたり若いスタッフにガン飛ばして怒鳴ってる落差に正直未だに戸惑うけど、こうやって素の顔を見てると上品で良いとこのお坊ちゃんっぽいのが不思議。どれが本当のチーフなのかわからないところが、今は魅力的に映る。初対面は最悪だったのに…
「 何ジロジロ見てるんだ 」
「 どうして乗馬のインストラクターをしてるんですか ?」
「 そんな事聞いてどうする 」
「 如月チーフから聞きました。実家は品川のお金持ちで、本当ならお父さんの会社を継いでるはずって… 」
チーフは煙草をもみ消して黙ったまま。どうしよう、プライベートな話とか嫌いそうなのに、また怒られるかも。私は頭の中で必死に言葉を探した。
「 馬の世界は結構乱暴な人が多くて男社会なんです。馬主さんならわかるけど、上流階級の人が世話をする側に入るのは信じられなくて 」
「 そもそも、その上流とか金持ちとかが向いてなかったんだよ。母さんが死んでからはそれに拍車がかかって、家を出ることしか考えてなかった 」
「 お母さん、亡くなったんですか 」
チーフは目線をクラブハウスの方に移した。気まずい空気… 何か話題を変えないと。でも何を話していいのかわからない。どうしよう、もう下に降りようかな…
「 もうしばらく、ここにいてくれるか 」
「 え… ? 」
「 あと5分で、別のライトアップが始まるんだ 」
チーフは振り返って笑った。イルミネーションと重なって、顔の輪郭が柔らかく光っている。吹く風がライトの熱を帯びて温かい。やだ、恋人でもないのに、気分が上がっちゃう…
私は返事の代わりにチーフのすぐ隣りに立った。肩に、チーフの腕があたる。ああ、父さんと同じ匂いがする。すごく落ち着くな…
触れていた腕がスッと消えた。チーフの右腕が私の肩を抱き寄せて、あっという間に私はチーフの胸にすっぽり包まれた。暗い空にチーフの荒っぽくて懐かしい匂いが舞い降りて私は目を閉じた。
「 寒くないか 」
小さく首を振ると、その胸にゆっくり体を預けた。私はもしかしたら今幸せなのかもしれない。神様がそれを許してくれるなら、少しだけ甘えても怒られはしないだろう。だって、ずっと辛いことばかりだったもの。
目とを開けたら、クラブハウス裏の斜面に大きなサラブレットのイルミネーションが輝いていた。前脚を上げてたてがみを揺らす姿が美しい。夢のような景色とチーフの温もりが、ハートのギアを2つ上げた。顔をチーフの胸に強く押し付けて腰に手を回すと、チーフの手が私の頬を包んだ。もう心の準備は出来ている。
雄太の唇と舌が青葉の中で甘くささやくと、青葉は健気に応えようとぎこちなく体を動かす。だがまだ初心な器官は雄太に軽々と支配され、切ない喘ぎ声を漏らすのがせめてもの抵抗だった。唇を重ねながら、雄太は青葉を汚した夜を思い出していた。あの時密かに盗んだ冷たく固い唇は、今熱く躍動して雄太を受け入れる。何度キスを繰り返してもあの光景は蘇るだろう。人を愛しいと思った、数少ない瞬間の度に母の穏やかな微笑みを思い出す。この握った手の温もりは母に通じている。雄太は夢中になって青葉を抱きしめた。恭平もこの喜びを感じているだろう。俺たちは、いつも繋がっている。
神様、俺に光をくれてありがとう。母さん、恭平、青葉、俺にありがとうの意味を教えてくれて、ありがとう。
雄太の五感は青葉の温もりに満たされて穏やかに弛緩している。そうでなければ、すぐ近くでくすぶる禍々しい瘴気に気づかない訳がない。邪念の主は鮮やかな光を背に重なる大小2つの影を、少し離れた倉庫の窓越しに見つめていた。
天雅の顔に表情はなく、灰色に曇った瞳は青葉の背に向けられていた。目の前に広がるおぞましい光景を受け入れるなど到底できない。だが、2人から放たれる光に包まれた幸福の矢が、天雅の冷え切った体に容赦なく突き刺さる。流れ落ちる血は黒い石塊に変わり、薄汚れた床に転がって絶望の孤島を作り上げる。
どこぞのおせっかいな神が、俺に不幸のとどめを刺そうと躍起になっているんだな。ふん、馬鹿にするな。憎しみと怒りを生き残りの糧にしてここまで来たんだ。
天雅の痛みは復讐という名の豊穣な大地に飛び散り、瞬く間に芽吹いて美しい悪の華を咲かせた。華の毒気を浴びて、天雅の顔は狂気に近い美貌が蘇る。雄太への透明な愛は深く研ぎ澄まされる一方で、青葉への憎悪は轟音を上げて噴き上げる溶岩の如く天雅の全身を埋め尽くす。
殺してやる。いや、生きながら死を超える苦痛を味あわせてやる。
天雅は笑った。生血を啜り染まる朱を連想させる唇が、この世の者とは思えない妖忌を湛えて闇に震える。
「 今度、俺も泊りに行っていいかな 」
「 いいですけど、お掃除ツアーはちょっと… 」
「 恭平がお前の作るじゃがいもの味噌汁が旨いって褒めてた。掃除は年末に2泊3日くらいでやるから心配するな 」
「 一緒に、寝るんですか?」
思い切って聞いてみた。私はまだチーフの腕の中だ。
「 何もしないけど、俺は恭平と違ってストレートだから、ちょこっと勃つかもしれないな。それは勘弁してくれ」
「 チーフ、ストレートって … 」
「 俺はゲイじゃない。ただ愛した恭平がたまたま男だっただけだ」
あ、なんか、涙が出そう。すごくいい言葉を聞いたような気がする。
「 いつでも来てください 」
チーフはもう一度、私を強く抱きしめた。涙を見られるのが恥ずかしくて、私は広い胸に顔を埋めた。
山側から吹き抜ける温かい風が倉庫の窓を潜り抜けると、天雅の残した瘴気の香が一瞬で捉えて淀んだ溜まりに変え床に堕ちる。光に満ちた愛のすぐ隣で、剝き出しの悪が渦を巻いていた。




