56 甘く危険なジングル・ベル
今日で11月が終わる。ロビーには中央に大きなクリスマスツリーが置かれ、ガラス張りのエントランスはサンタやトナカイの絵がスプレーできれいに描かれてすでに気分は聖夜を待つばかり。私は孝之とツリーに飾る大量のデコレーションを結びつける作業に追われている。さすが高級クラブのオーナメントは本格的でおしゃれだ。私なんてイブになんの予定もないけど、こうやって準備していると少しだけお祭りの端っこに入っていけたようでウキウキする。
「 孝之、そこの大きいベル早く取って 」
「 それすぐ隣についてるよ。バランス考えたら?センスないなあ 」
「 文句言わないでよ。これが済んだら玄関のツリーも飾らなきゃいけないんだから急ぐの!」
「 人使い荒いよな… 例の嫌がらせが解決してから順調だからって、俺に向かってマウント取りに来るなよ 」
「 あんたにはちゃんと感謝してるじゃない、毎日お昼のおかず分けてあげてるじゃん… 」
確かにあの一件が終わって嘘みたいに私の周囲は落ち着いた。結局直接の謝罪はなかったし、理由もあまりはっきりしないままだったけど鞍は元通りになって戻ってきたし、職場の先輩達も以前より親切に話かけてくれる。レッスンもジュニアを中心に一人で持てるようになったし、インストラクターとしてのやりがいも感じられるようになった。
でも一番大きいのは、進藤チーフと如月チーフの存在だ。2人はあの夜から私のアパートに交代で遊びにきてくれるようになった。如月チーフは美味しいご飯を作ってくれて、私がお皿を洗った後お喋りしたり、テレビ見てだらだらしたり。仕事の愚痴とか会員さんの噂話にも付き合ってくれて、何だか女子会してるみたいですごく楽しい。
進藤チーフ、知らなかったけど……
めちゃくちゃ綺麗好き。掃除の鬼だった……
「 おい、今日は窓の桟を拭くぞ。水入れたバケツを持ってこい!」
自作のお掃除グッズを持ってきて、あちこち隅から隅までピカピカに磨く。
「 ど、どうしてそんなに掃除できるんですか… 」
「 よくわかんねえけど、部屋に入ったら汚れた場所が浮き上がって見えて気になるんだよなあ 」
それ、おかしいでしょ、なんかのフェチじゃないの?
とにかく、お陰で家はチリひとつ落ちてなくて爽快。ていうか、ゴミとかホコリが落とせない雰囲気にちょっと緊張する。
終わったら満足そうに煙草を吸って、「じゃあ、帰るぞ 」って。
一昨日なんて、下着を干してるバスルームに入っていくんだもの。
「 止めて下さい!勝手に開けないで!」
「 心配するな。お前のパンツ見たって何も思わない 」
それはそれで何か悲しい… いや、彼でもないのに下着を見られるなんて普通女子としては許せない。だけどよく考えたら、この2人は恋人同士なのよね。私はポジション的に一体何だろうと思うこともあるけど、男手に育てられたせいかチーフと一緒にいても何の違和感もない。
それに、帰る時、必ず2人ともキスしてくれる。初めは怖かったけど、慣れたら結構大胆に振舞える。この間なんて、如月チーフの首に手を回しちゃったもんね、ふふっ、ふっふっふっ。
「 青葉、何ヘラヘラ笑ってんだよ。マジ気持ち悪いから止めろ 」
ハッとして口元を押さえる。何よ、わざと大きな声を出して嫌な奴…
「 俺わかってるんだぜ、青葉が片思いしてるのは誰かって。進藤先生の事考えてたんだろ 」
「 残念でしたー、私は漢漢してる人は嫌いなんですー 」
「 だって青葉は岸谷先生を嫌ってるじゃん 」
「 だから何よ…… 」
孝之はそっと私に耳打ちした。
「 岸谷先生は進藤先生の事が好きなんだよ 」
私は持っていたサンタのマスコットを落としそうになった。華奢な体とメイクした色っぽい顔。あの人もゲイなんだ。
「 あいつ昔は会員のおっさんといちゃついて金もらってたんだ。昼の休憩とか、夜間レッスンの終わった後とかさ。俺何回も見たことあるよ 」
「 それでどうして進藤先生が… 」
「 ちょっと前から急に大人しくなったからから変だなって思って。ずっと進藤先生を見てるんだ。いつもツンツンしてるくせに、その時だけは泣きそうな顔でさ。青葉があいつを嫌ってるのはそのせいって思ってるんだけどな 」
岸谷先輩とは極力関わらないようにしている。そういえば勤務シフトも微妙にずれてるし、本当に最近は顔を見る事も少ない。それはそれで助かるけど、進藤チーフに気があるなんて…… 本当なら少し複雑な気分。
「 母さんの店にもゲイのお客はたくさん来るから別にどうってことないけどさ、あいつは嫌いなんだよね 」
「 孝之、早く終わらせて一緒にクリームブリュレ食べよう。事務所の冷蔵庫に入ってるの 」
「 うわあ、食べる食べる!青葉、早く行こうよ !」
箱を抱えて玄関へ走っていく孝之を追いかけながら私は甘いエスプレッソの匂いに包まれたロビーを横切っていく。北海道を出て東京へ来て、やっと落ち着いた時間がやってきた。このまま、何も悪い事がなく1年が終わればいいな。お金がたまったら、北海道へ帰っておじいちゃんと父さんのお墓に参りたい。友達にも会いたいし、こっちへ遊びにおいでよと誘える位東京にも詳しくなりたい。そうだ、今度如月チーフと進藤チーフに頼んで、一緒に原宿の街を歩いてみよう。私はうきうきして足も軽い。
一人じゃないって、本当にすごいんだ。
「 ノルウェー国立歌劇団のオペラ公演?そんなプラチナチケットどっから巻き上げてきたんだ?」
厩舎に戻った馬に保温用のガウンを着せる雄太から少し離れたところで天雅は様子を伺っている。引き締まった腰と無骨な横顔を交互に見つめる目元は仄かに赤く染まって妖しい色香を感じさせていた。
「 懇意にしているお客様がS席を2枚下さったんです。仕事が入って忙しいから代わりに行っておいでって 」
「 また悪さしてその見返りでせしめたなら断る 」
「 もうそんな事はしていません」
きっぱり言い切ると天雅は馬に近づき顔を撫でた。ほの暗い室内でピンクのマニキュアが光る。
「 チーフが会員さんとオペラの話で盛り上がっていたのを覚えてたんです」
「 せっかくだけど俺は遠慮する。他の奴と行ってこい 」
馬の支度を済ませて出ていこうとする雄太の背中を天雅の目が追いすがった。
「 僕は、避けられてるんですか 」
振り返った雄太の目に映る天雅は何の邪気もない寂しげな青年だった。とても女の弱みを握って青葉を追い詰めるようには見えない。優しく笑ってしょうがないな、と言えば輝くような笑顔を見せるだろう。だがそんなその場しのぎの愛を天雅に与えることは残酷以外の何物でもない。
「 北岡を誘ったらどうだ。歳も近いし話も合うだろう」
天雅の顔つきが一瞬で変わった。胸の奥に隠していた鬼が顔を出して牙を剥く。妖艶さと重なって雄太ですら軽く身震いする凄みがある。
「 ご存じでしょう… 女は嫌いなんです。特にあの手の天然素材は 」
「 そこまで嫌うのは、他に理由でもあるのか 」
「 生理的に受け付けません。あの人の名前、僕の前で出さないで下さい 」
天雅は出て行った。雄太は息をついて小屋を出た。
やはり、岸谷は危険だ。早めに手を回した方がいい。部長あたりじゃ体よくあしらうだろう。やはり、俺が引導を渡すしかないか。
家庭に恵まれず、人より早く大人にならざるを得なかったところは青葉に似ている。夏の日に無理やり精を搾り取った後の、毒気を抜かれた天雅の横顔を思い出した。出来ればなんとかしてやりたいが……
かぶりを振って、雄太は出口へ向かう。冬の薄日が西の空を赤く染めている。雄太はインカムのマイクを握った。
「 進藤です。北岡、東棟第5厩舎まで 」
雄太は外へ出て坂を上った。もう勤務時間は過ぎている。特別会員用のハウスにイルミネーションが今日の4時半から点灯しているはずだ。あいつに少し早いクリスマスプレゼントをくれてやるか。はしゃぐ青葉の顔を想像して雄太は軽く照れ笑いを浮かべた。
この雄太のきまぐれが、次の凄惨な悲劇の幕を開けてしまうとは、まだ誰も気づいていない。




