㊿魂の夜~青葉を巡り、2人の男は死を選択する~
「 口紅、ついてるぞ…… 」
雄太の声に恭平はハッとして口元を押さえた。相本と川野が事情を聞くため加代子を連れて倶楽部へ戻り、暗い駐車場に静寂が戻った頃合いの一言が恭平を我に返らせた。雄太は恭平の顔から眼を背けてバイクのエンジンを切った。後ろを向いてハンカチで唇を拭う間、恭平は青葉との間に起った出来事をどう雄太に伝えようか迷った。しかしそんな焦りはすぐに消えた。
真実を、ありのまま話せばいい。それを雄太がどう取るかは、彼次第だ。
もし怒りに任せて手を挙げられても酷い言葉で罵られても構わない。例えそうなっても、恭平の中で雄太を愛する心に揺らぎはなかった。雄太が不貞と裁いて俺に罰を与えるなら好きにすればいい。
雄太がするは事全て受け入れると神に誓った。それが恭平の雄太に対する永遠の愛でもあった。
雄太は背後から恭平を抱きしめた。慣れ親しんだ甘いハグとは程遠い、固い鎖を思わせる圧迫感から雄太の切ない思いが伝わる。
恭平は雄太の手を包んだ。痺れるように冷えた甲は、雄太の悲しみそのものだった。
「 このまま、刺してもいいか 」
穏やかな声に恭平は目を閉じる。雄太になら、自分の血を全て捧げても後悔しない。俺の生き血に染まる雄太に抱かれて果てるなら、それも幸せと喜んで逝ける。恭平は振り返り雄太の頬を包んだ。
「 いいよ。雄太に殺されるなら何も怖くない 」
雄太の目には怒りとも悲しみともつかない色が浮かんでいる。
「 あいつの匂いがする…… 」
ぽつりと呟いて、雄太は思い切り恭平を抱きしめた。恭平の体に残る青葉の残り香は、慣れ親しんだ匂いの中にしっくり馴染んで心地よい。それが雄太の胸を激しくかき乱す。俺たち二人ともどうかしている。俺はともかく、女を寄せ付けたことのない恭平があいつの唇と、体の隅々に触れた。何故俺は怒らない。むき出しの感情をぶつけて殴り合う間抜けな恋人同士になればいいのに、それが出来ない。
理由はわかっている。俺も恭平と同じ罪を既に犯した。
雄太が青葉の無垢な唇を汚したように、恭平はその白い体に手を染めた。二人が犯した罪に理由をつけるとしたら、1つの糸で結ばれた2つの心から芽生えた新しい糸が、青葉に絡まり複雑な模様を描きながら体の奥に息づく神聖な臓器につながった果ての蛮行としか言いようがない。雄太は自分たちがどこに行こうとしているのかもうわからなくなっていた。北岡青葉は悪なのか、害なのか、それとも愛なのか。異質な存在として拒絶することも受け入れて愛でることも、到底できないとわかった今は、恭平を連れて永久に2人だけになれる遠い場所へ行くしかない。例えそこが天国でも地獄でも、一緒ならそこが安住の地だ。雄太の決心に揺るぎはなかった。
「 お前を刺して、俺もすぐ後を追うから 」
「 俺が事切れるまでは、抱いていて… 」
恭平は泣いていた。永く見ていなかった恭平の涙に雄太は動揺を隠せない。ふいに雄太は青葉の目に浮かんだ涙の粒を思い出した。2つの涙は重なって、神々しいまでに光り雄太の胸を締め上げる。
恭平は雄太の胸に抱かれながら、青葉の小さくて柔らかい乳房の感触を思い出した。初めて触れた女の肌は、さらさらした絹を撫でるようで艶めかしさは全く感じなかった。それでいて皮膚に吸い付く圧倒的な感触が今も胸に残る。今まで自分に興味を示した女の全てから感じたのは腐臭と憎悪だった。だが青葉は違った。青くて色づく前の果実が収穫を目前に日々成長していく健気さに溢れていた。それを見守る気持ちが情とも愛ともつかない奇妙な有機体となって恭平の繊細な内面を侵食していった。年の離れた妹などという言い回しも空々しく響く。
そして恐ろしいことに、雄太までもが俺と同じ感情を青葉に感じている。それが何を意味するのいか。俺たちの固い絆は10も年下の女に煽られて揺れている。これを理屈や言い訳で説明することは出来ない。何があっても離れないと誓った心と体が2つに裂ける恐怖は死を軽く凌駕する。
もう駄目だ。 雄太と恭平は同時に互いの胸の内を目で確認し合った。
雄太はズボンのポケットからキーホルダーを出し、短い折り畳みナイフを取り出すと、グリーンの柄から刃を押し出した。皮肉なことに、3日前に研いだばかりだ。感じる痛みは最小限にできる。
恭平は雄太の背に手を回した。痛々しい赤い目で雄太を見ると無理に笑顔を見せる。唇を重ねて互いの呼吸を送り合うと、雄太はナイフを恭平の首筋に当てた。
これで、俺たちは永遠に1つになれる。
恭平と雄太が互いに強く抱き合った、その直後だった。
強く同調し合う2人の精神世界に、短い矢が1本突き抜けた。その衝撃で波長を乱された魂は引き合う力を弱め、雄太と恭平は同時に体を離した。短い矢は、2人に向けられた視線だった。先に気づいた恭平は顔をアパートの方に向けた。
青葉が、2階の通路に立ちじっと2人を見つめている。
雄太の手からナイフが落ちた。
数奇な運命の糸に手繰り寄せられ出会った3つの魂が、沈黙の中で揺れている。
冷えて澄んだ夜だけが、ただこの瞬間を見守っていた。




