表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/96

㊿淫売の涙~倶楽部に巣食う魔性の純真~

事件当日の出勤者で,相本以外の左利きは岸谷天雅だった。




アパートに現れた村内加代子は40半ばの社長夫人だった。虚偽の告げ口、今まで投函した青葉への中傷文、鞍をナイフで切った事すべて自分が行った行為とその場で認めた。


加代子は半年前から独身男性会員と不倫関係にあったが、クラブハウスの個室で密会していた現場を天雅が動画に収めてそれをネタに青葉に嫌がらせをするよう脅されていた。年末までに青葉を退職に追い込めば動画は削除するが、出来なければ動画を夫の会社のHPに送信すると言われ、中傷文を送り続けていた。


 青葉の鞍に傷をつけた件は天雅から指示されて実行した。あらかじめ天雅が鍵を開け、加代子がシートを切った後天雅が施錠する計画だったが、託革を切ってはいないのでそれは天雅の所業ではないかとも話していた。


 翌日天雅は出社後川野に呼ばれ、青葉に対する嫌がらせの件で事情聴取を受けたが、天雅の供述は加代子のそれとは全く食い違っていた。


「 違いますよ、8月に村内さんは僕に交際を申し込んだんですよ。お断りしたら逆ギレされちゃって、めんどくさいから無視してたんです。そしたら、具合悪くなった北岡さんを医務室に連れていくところを見られて、付き合ってるのかって問い詰められたんです。 僕が適当にごまかしたのが悪かったんじゃないですか?第一、どうして僕が北岡さんを中傷したりここから出ていくよう仕向けなきゃいけないんです? 村内さんと僕が連絡を取り合った証拠でもあるんですか?」


 加代子によると、天雅とはいつも直接会って話をしており電話やSNSは使っていなかった。なぜ青葉を脅すのか、その理由も教えてはもらっていなかった。因みに会って話す際、天雅は加代子の携帯を取り上げて会話を録音できないようにしていた。結果、心理的に追い詰められ冷静な判断が出来なくなった加代子は、最後は天雅の言いなりになるしかなかった。


 倶楽部の重役会議でこの案件が審議された。


 加代子は倶楽部を除名処分とするが警察には被害届を出さない、鞍の修理代と慰謝料として青葉に10万円を支払う、不倫の相手の会員は自主退会をしてもらうまでは全体の合意を得た。


 しかし、天雅の処分については天雅と加代子の言い分が真っ向から対立している点で意見が割れた。なぜなら、天雅が関わったという事実を証明する手立ては加代子の供述以外になく、託革を切った件や鞍箱の鍵を開けた件も天雅がやったという物的証拠もなかった。何より、天雅が青葉に敵意を持つ動機が見つからない。


 相本指導部長はじめ数人の管理職が天雅の処分を要求したが、最終的に天雅については処分保留という名目で、実際は不問に付された。


 天雅のバックにはかつての遊び相手である倶楽部の古参会員たちがついている。下手につつけば、そこから面倒な横槍が入るのは必至だった。結局、加代子一人を悪者にして今回の事件の幕を閉じたい幹部クラスの思惑が優先された形となった。


 重役会議の後、天雅は三条会長の部屋に呼び出された。


 天雅は、怯えた顔で緋呂子の前に立っていた。天雅を前に黙って煙草をくゆらせる緋呂子は、紫煙越しにその様子を眺めていた。


「 随分と手のこんだいたずらをしかけるわね。あの北海道から来た田舎娘がそんなに気に食わないの?」

「 仰ることがよくわかりません。いきなり呼び出されて問い詰められて、もう少しでクビにされるところでした」

「 川野の前ではいけしゃあしゃあと言い訳しておいて、私の前では被害者を装う。下手な演技に騙されるのはお前の尻を追いかけてる助平親父くらいよ。まあいいわ。今回は証拠もないし、お前もこれ以上同じ騒ぎを起こせないだろうから、せいぜい大人しくしておくことよ」


天雅は涙ぐんで俯いた。両手で顔を隠しすすり泣く様は弱々しく、細い肩が震える度に額にかかる巻き毛が揺れた。


「 会長には感謝してます。身寄りのない僕をこの名門倶楽部に入れてくださった恩は忘れていません。裏切るような事をすると思われるなんて、心外です」


 緋呂子は大声で笑い始めた。煙草をもみ消すと、凄みのある目で天雅を見据えた。


「 淫売の涙を信じる程、私はおめでたくできてないのよ 」


 ややあって、天雅は俯いたまま手を下ろした。怯えた表情は消え、顔一面に憎悪の炎が燃え盛っている。


「 お前も、お前を捨てて男に走った母親と一緒よ。血は争えないわね。今度私の倶楽部の名を汚すような真似をしたら、淫売に加えて母親と同じように前科者の烙印も押してやるわ。それなりに嫌われ者だということ、しっかり自覚しなさい。もういいから、とっとと仕事にもどって頂戴 」


 挨拶もせず天雅は部屋を後にした。緋呂子は涼しい顔で書類をめくるといつもの仕事モードにシフトを切り替えた。




天雅は誰もいない廊下を歩いていた。右手に見下ろせる馬場には既に大勢のライダーが馬を走らせている。冬の弱い日光が馬体を艶やかに照らしていた。のどかで美しい光景とは裏腹に、天雅の腹は怒りで煮えくり返っていた。


バカ女、もう少しで青葉を追い出せたのに、焦りやがって。それにしてもアパートを見張って村内を挙げたのは誰だろう。青葉をそこまで庇う人間がこの倶楽部にいるとしたら…… 


天雅は立ち止った。思い出したように頬に手を当て目を閉じる。


まさか、そんな事はない。あの人は女が嫌いで恋人だっている。青葉に少しかまっていたような時期もあったけど、俺が青葉をちょっといじめても何も言わなかった。多分会長に媚を売る奴らが動いたんだろう。


 最初から俺はあの女が大嫌いだった。気が利かなくて鈍いのにちょっと馬を知っているくらいで役職連中から褒められる。貧乏で身寄りがないことを売り物にして、若い女に目がないお客の同情を引く身振りや仕草も鼻につく。つい最近まで呑気にJKやってたくせに、何が不幸だ。


俺なんて、5歳から施設に預けられて父親が誰かも知らない。母親はクスリと酒に溺れては男を刺して、2度目のムショ暮らしが終わるまであと3年ある。


 あの人がそのうちキレて追い出してくれると思ったのに、いつまでたっても動いてくれない。だから、俺が脇の甘い女を使って叩き出そうと思ったらこのザマだ。忌々しい… こんな時に限って、運のいい女め。


 足を止めて窓の外を見た。彼方に指導中の雄太の姿が映る。天雅はよく通る独特な低い声に耳を傾けながら厩舎で犯された蒸し暑い日を思い出していた。首筋とこめかみに受けた残酷で優しいキス。気が遠くなるほど体で悦びを感じたのは、あれが生まれて初めてだった。


 青葉が消えてここの空気がきれいになったら、あの人を誘って映画かドライブに行こう。バイクの後ろに乗って、あの人の匂いを胸いっぱい吸い込んで風を感じるんだ。いつもお金をくれる男としかデートしないけど、あの人となら、何もいらない。


 女会長の言う通り俺は淫売だ。流す涙も黒く濁る。それでもあの人を想う気持ちには嘘も偽りもない。汚れた心と体の中に、一筋だけ白く光る真実。


それがあの人へ向けられた、俺の唯一の真実。


目元に浮かんだ純真をかき消すと、天雅は馬場へ通じる扉を開いた。


胸に巣食う業が深いほど、その妖しい美貌は冴えて輝く。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ