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㊽最後の夜、最後の幸福~行き場を無くした青葉の行き着く先は~


相本部長の車でアパートに送ってもらった後、私は明るいうちにシャワーを浴びた。食欲もなく、すごく疲れているのに目が冴えてベッドに入っても眠れない。とにかく暗くなるのが怖くて、明かりをつけたまま頭まですっぽり布団をかぶった。何とかして眠ろうとしても、目を閉じると切り裂かれた鞍が頭に浮かんでくる。どうしてこんなひどい事ばかり起きるんだろう。私は誰かに恨まれるような悪いことなんてしていない。孝之は妬まれていると言ったけど、お金もなくてひとりぼっちの私の何を羨むのかわからない。


 生きているのが、こんなに辛いなんて思わなかった。必ずオペレッタを連れ戻すと誓った自分はもうどこかに行ってしまったみたいだ。


 死んでしまおうか…… どうせ私が消えても、困る人も悲しむ人もいない。父さんとおじいちゃんのところへ行った方がずっと幸せになれる。


涙がこぼれた。もう嫌だ。死にたい。キッチンに包丁がある。風呂場で手首を切って水を流せば眠るみたいに死ねるかもしれない。そうすれば、父さん、母さん、おじいちゃんに会える。こんなところで怯えながら生きるより、天国で家族と暮らした方がいい。私は起き上がり流しに向かった。死んで楽になれると思ったら、心が軽くなる。水切りカゴの中にある包丁を手に取った。早く、早く気が変わらないうちに…


スマホが鳴った。驚いて手から包丁が落ちて床を滑る。ベッドに戻ってスマホを手に取る。倶楽部からだ。


「 もしもし 」


「 如月です。大変だったね。今話して大丈夫?」


「 大丈夫です」


「 野菜スープの材料を買ってくるから、8時ごろそっちへ行って作っていいかな 」


「 ありがとうございます。でも、食欲がなくて 」


「 匂いをかいだらお腹がすくかもしれないよ 」


「 …… はい」


「 良ければ携帯番号を教えて。着いたらベルを押す前に電話するよ 」


自分の携帯番号を教えて電話を切った後、化粧ポーチと鏡を出して薄くメークを始めた。今思えば、上京して私のアパートに入ったのは如月チーフと進藤チーフの2人だけだ。如月チーフは裸で一晩過ごした後は話しかけることもなく時間が流れていった。いつかあの日のことを確かめる時が来ると思って待っていたけど、結局私は彼にとって特別な存在ではなかったみたいだ。それなのに、弱っている時に限って優しい言葉をかける。


 馬鹿にされてるんだ。 冷たくした挙句、たまに食べ物を与えて機嫌を取れば尻尾を振ってついてくると思ってるんだ。


薄くファンデをはたいて、リップを唇にあてた。仕事場でつける淡いピンクじゃなくて、オレンジがかったブラウンを使う。これで少しは大人っぽく見えるかもしれない。私は鏡に映る自分を見つめた。


この口紅、彼ができてデートする時につけるかもって、高かったのに無理して買ったやつだ。同じ色合いのアイシャドウも塗ってみる。少し大人びて見える瞳に笑顔はない。


 お前なんかに、幸せになる資格はないよ。


鏡がそうつぶやく声が聞こえた。甘く光る唇が、痛くて寒かった。


 如月チーフが来たら、告白しよう。返事はわかっているけど、それが済めばもうこの世になんの名残もない。そうすれば、私はいつでも死ねる。


気づいたら外はもう真っ暗だ。時計を見た。7時50分。もうすぐ彼はやってくる。もし明日私が死んでいる事を知って、少しは悲しんでくれるかしら。いいや、もう期待するのはやめよう。心が痛むだけだ。


 涙がまた頬を伝った。お化粧を直すために、私はコンパクトを開けて滲んだ目元を押さえた。






 恭平がアパートの駐車場についたのは8時30秒前だった。自宅でスープの下準備をして着替えをしたら案外時間を取ってしまった。出がけに雄太の携帯に電話をしたら、雄太は既にアパートで張り込みに入っていた。


「 敷地に2台暗視カメラを置いた。俺はポストが見える場所に隠れてるけど、着いても探すなよ。見られてるかもしれないからな」


「 わかった。今日のスタッフのシフト表をスマホに送ったけど左利きは2人しかいなかったね」


「 ああ。一人は相本部長だけど、今日は新しい馬場の設計会議で社長室にこもってたから関係ない。 だから、あと一人が多分当たりだ 」


「 今日、女は来ると思う?」


「 孝之が騒いだから必ずとどめを刺しにくる。そういわれてるはずだよ。左利きの主犯格からな」


恭平は食材の入ったリュックを手に外階段を上がり青葉の部屋の前に立った。スマホを開き電話をかけると、ドアが開いた。


「 こんばんわ。入っていい?」


青葉はうなずいた。恭平と目が合わないよう顔をそむけているが、いつもと違う色を放つ目元と唇に恭平は気づく。


「口紅、綺麗な色だね。似合うよ 」


青葉は返事をしない。先に入って電気ポットのスイッチを入れ、お茶の準備を始めた。恭平は流しに食材と鍋を置き手を洗いながら、青葉の様子を伺った。


ショックだったろうに、元気出せって言うほうが無理だよな。


盆にカップとティーバッグを乗せて居間に入っていく青葉の背を見た恭平の視界の隅で、何かが光った。目を横に移すと床に落ちた包丁の刃が照明の明かりを反射している。


どうしてあんなところに包丁が……


包丁を拾い流しに置くと、恭平は顔をこわばらせた。まさか……


流しの包丁をすばやく自分のリュックにしまうと、鍋に水を入れ火にかけた。カット済みのチキンや野菜を放り込む。


「 今日は寒かったよ。でも馬は元気に動いてくれて助かった。黙って立ってると冷えるから、意味もなく大声出して疲れたよ 」


わざと大声を張り上げて話しかけたが反応はない。恭平はしばらく料理に専念することにした。





私は、ベッドの前に座って料理をする如月チーフの背中を見ていた。


誰かがいると、すごくほっとする。なんか結婚して一緒に暮らしてるみたい。もしチーフが旦那様で、交代で晩御飯を作る約束をしてたらこんな感じなのかしら。もしそうなら、どんなに幸せだろう。でも私はもう夢を見ることはない。どうやって告白して、どうやって断られて、どうやってこの世とお別れするか。この3つが頭の中にあるだけ。さっき、1か月前に買った下着に着替えた。シャンパンベージュに白いレースがついているシンプルなセット。如月チーフに見せるかもしれないと思って着ないで取っておいた。最後に見せたかったな。


いや、見て欲しい。最後に綺麗な私を見てほしい。


私はスウェットの上下を脱いだ。少し悩んで、ブラも外した。


ゆっくり如月チーフに近づいた。温かくて美味しそうな匂いが煙草やトワレと重なった。私にとって、これが最後の幸せの瞬間にしたい。


私は如月チーフの背中に手を当てた。顔を上げたら、振り向いたチーフと目が合った。チーフは目を見開いたまま動かない。


「 好きです 」


チーフはお鍋の火を止めた。


「 抱いて下さい 」


全身が火のように熱い。もう何も考えたくない。私はチーフの背に思い切り抱きついた。





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