㊻青葉に忍び寄る謀~四面楚歌に怯える青葉に更なる追い打ち~
「 全く、お前は何回俺をこき使えば気が済むんだ!」
翌日、私は朝っぱらから事務所のど真ん中で進藤チーフに雷を落とされた。
「すいません…… 」
「 お前の粗相で貴重な休憩を個人レッスンで潰して, 勝手に鍵を持って帰ったから取りに行けば自分の部屋の鍵を俺に渡して 」
「 ごめんなさい、慌てていて気付かなくて… 」
「 もう一度行ったら、床の上で爆睡とはどういうことだ!」
返す言葉もなく俯く私の横を、先輩達が笑いながら通り過ぎる。罰ゲームにしても、もう少し気を使ってくれてもいいのに…
「 今日は休みだってのに、鍵を返しにあさイチでここへ来たんだぞ…お前のせいで、オチオチ寝てもいられない 」
「 あの、私本当に直前まで起きてたんです、いつ寝たかも気づかなくて 」
腕組みして私を見下ろすチーフの顔が一段と険しくなった。
「 起きてたなら、テーブルの上にある鍵が自分の鍵じゃないこと位気づけよ 」
「 ……はい……」
「 部長、俺は帰ります。後は宜しくお願いします」
一方的に喋って、チーフは出て行ってしまった。昨日の夜に会った無口なチーフは何者だったんだろう?こんなことなら、昨日怒ってくれればいいのに。本当に訳わかんない…
「 まあ、北岡さん、そんなに落ち込まないで。あれでも主任は遠慮してる方だよ。とりあえず彼はまだ謹慎中だからね」
丸顔で太った総務部長が人懐っこい顔で笑う。何だか朝から説教で気分が落ちる。今日は1本目から障害クラスのアシスタントがあるのに。早く馬場に上がって準備しよう。馬たちの顔を見たら嫌な事は忘れられる。デスクから今日のレッスンスケジュールを印刷した紙を取ると私は外へ出ようとした。
「 北岡さん、ちょっとカンファレンスルームに行ってくれないか」
総務部長の声に私は振り返った。
「 これから中級障害のレッスンがありますが… 」
「 それは別のスタッフに代わってもらったから。人事部長が話したいと言っている。行っておいで 」
「 はあ…… 」
カンファレンスルームは管理棟の一番奥にある。あんな不便な場所でわざわざ話すなんて。とりあえず私はドアへ向かった。
扉を閉める時に見えた部長の顔には、さっきまでの笑顔がうそのように消えていた。
カンファレンスルームで川本人事部長が告げた言葉に、私は耳を疑った。
「 私が男性の会員とデートしてお金をもらってるなんて嘘です 」
「 私もそう思っている。だが会員の方からそういった内容の報告を受けたものだから、放っておく訳にもいかなくてね」
私は怒りで体が震えた。酷い。誰がそんなでたらめを言いふらしているの?
「 教えて下さい。どなたがそんな事を仰るのですか 」
「 それは言えない。とにかく事実がないという君の言葉は信じるよ。だがくれぐれも誤解されるような言動は慎みなさい 」
「 そんな厭らしい事をした覚えも言った覚えもありません 」
声が大きくなった。川本部長は優しい顔で頷いた。
「 怒らないでくれ。これも私の仕事なんだ。何度も言うが君のことは信じている。早く仕事に戻りなさい 」
私は挨拶もせずに部屋を後にした。悔しい、悔しい。会員の方々の役に立とうと必死で頑張ったのに。やっと顔と名前を覚えてお喋りやアドバイスができるようになったのに。廊下で立ち止まって、ハンカチで目頭を押さえた。泣いてる顔は絶対見せない。父さん、お爺ちゃん、私は負けないよ。北岡牧場の跡取りとして、名前を汚すような振る舞いはしないから。
だから、天国から見守って。ここには私を守ってくれる人は誰もいないの。
ハンカチをポケットにしまうと、私は唇を固く結んで馬場へ急いだ。
1本目のレッスンが終わりに近づくと、次のレッスンの準備を始める会員達が洗い場を埋める。初級クラスの会員が使う馬を厩舎から出して馬装をするため、私は馬を引いてごった返す通路を急いだ。
あの話を聞いた後、どの会員さんの顔を見ても緊張が走る。誰だろう。もしかしたらこの中に私を陥れようとした人がいるかもしれない。笑えない。いつもみたいに明るい声も出せない。下を向いて誰とも目を合せないよう洗い場へ向かう。4番の洗い場に馬を入れて鎖につないだら後ろから大声が飛んできた。
「 何やってんだ!ウィンストンは厩舎で馬装するんだよ!4番は別の馬だから早く戻れよ!」
栗毛の馬を引いた岸谷先輩がイラついた顔で私を睨む。
「 え、でもスケジュールにはウィンストンが… 」
「 それ昨日の夜の進行表じゃないの。今朝変更がかかったの聞いてなかった?」
「 すいません… すぐ空けます 」
私は急いで無口に引手をつけて馬を出した。突然、岸谷先輩が私の手から進行表をひったくって一段と声を張り上げる。
「 ほら、やっぱり昨日の日付だ。いい加減仕事覚えろよ 」
岸谷先輩は私の胸ポケットに乱暴に進行表を押し込んだ。胸の辺りに強く手が触れて強い痛みが走る。私は顔を歪めながら何とか耐えた。
「 日本語、読めないのかしら… 皆さん、教養なくってすいません!」
ウィンストンを連れて戻る私の背中に、甲高いあざけるような声が投げつけられる。何人かの会員の笑い声も聞こえた。私は黙って厩舎に戻る。
負けるな。私は何も悪いことはしていない。
噛みすぎた唇は感覚を失っている。馬を馬房に戻すと、その温かい首に顔を押し付けた。ごめんね、ちょっとだけ私を慰めて。その流れる血のエネルギーを少しだけ分けて。ウィンストンと目が合った。心配してくれている。ありがとう。馬は私を裏切らない。それだけでも心が救われる。
馬具を取りに外へ走り出る。周りの景色は見えない。心を閉ざしたまま、私はひたすら体だけ動かした。
父さん、お爺ちゃん…
北海道の冷たく澄んだ空気が懐かしくて、目を閉じた。




