㊸裸にされた心~恭平の美しい裸体に宿る魔性~
恭平はコーヒーの匂いで目が覚めた。横たわったまま視線を泳がせると、入り口のドア右手にソファーセット、左手にダイニングテーブルと燭台がある。昭和の初めに造られた建物は幾度となく補修とリフォームが繰り返されているが、重厚なシャンデリアや時代がかった調度品は当時の趣を残したままだった。ベッドのすぐ脇に置かれた小机に置かれたカップにゆっくりコーヒーを注いでいる大柄な男は目線を恭平に移すと微笑んだ。
「 もう動いても構わんよ。気持ちよさそうに寝ているから起こすのは止めておいた」
「 すいません。緊張がほぐれたら眠くなったみたいです 」
起き上がった恭平に、男はガウンをかけてカップを差し出した。恭平は一口啜ってホッと息をついた。熱と香ばしい苦みが心地よい。
「 お陰で下絵はほぼ完成したよ。6時間かけただけあった。見てごらん」
ベッドにほど近い場所に置かれたイーゼルから30号サイズのキャンバスを手に取ると恭平の膝の上に乗せる。
木炭で描かれた恭平の裸体は子細で、首筋の線や胸の隆起まで細やかに描きこまれている。交差した膝からつま先にかけて降り注ぐ日光の陰影が立体感を際立たせ、今にも動き出しそうな錯覚を覚える。恭平は自分の体とは思えず、出来のいいデッサンを見ているようであまり実感がわかなかった。
「 顔を見てみなさい。とてもいい表情をしているよ 」
キャンバスの中の恭平は、焦点の合わない目で遠くを見ていた。寂しいのか笑っているのかわからない不思議な表情で、これが自分かと思うと急に気恥ずかしくなり、恭平はキャンバスをイーゼルに戻した。
「 僕、こんな顔をしていましたか 」
「 少なくとも私にはそう見えたよ。正確には君の内側がそう見える、かな」
体だけでなく心まで裸にされたのか。戸惑いと羞恥が恭平の中で交錯し、思わずガウンの襟をかき寄せた。
「 まさか君からモデルの承諾をもらえるとは驚いたよ。半年間頼み込んで断られ続けたからすっかり諦めていた 」
「 片桐卿は画家としても著名ですから僕なんかがモデルを務めるのはおこがましくて… 」
「 卿はよしてくれ。爵位など祖父の代で終わっている。会社も息子たちに渡したし、今は暇な年寄りだよ」
片桐は2杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。短く整えた髪と口髭は見事な銀色で、白いシルクのシャツとシルバーのベストと良く釣り合っていた。肩幅や身長は恭平のそれを上回っており、外国人と並んでも遜色ない。かつては社交界の花と謳われた華族の嫡男だが、10年前に病で細君を亡くした後は表舞台から身を引いたとゴシップ好きの女性会員らが噂をしていた。
「 実は…… 片桐様にちょっと伺いたいことがあって 」
「 ほう、自分の事はほとんど話さない君が相談とは」
「 女性から、思いを寄せられているようなのですが 」
「 そんなことは珍しくなかろう。ここで君に流し目を送るご婦人は一人や二人じゃない。いちいち気にしていたら身が持たんよ 」
「 会員ではありません。同じ倶楽部の職員です」
「 職員? 」
「 この春北海道の高校を出たばかりの若い女の子です」
「 君はすごいな。てっきり30以上の熟女が専門と思っていたが、未成年まで制覇するとは。狭すぎるストライクゾーンじゃ勿体ないぞ 」
「 茶化さないで下さい 」
片桐は笑い出した。恭平は真顔で憤然とする自分が情けなく下を向いた。やはり相談などするべきではなかった。ガウンの紐を結んで立ち上がる。
「… もういいです。これで失礼します」
「 申し訳ない。クールな君が困った顔をするのが可愛らしくて。君を独り占めできる進藤君が羨ましいな。さあ、座ってちゃんと話を聞かせておくれ」
片桐の柔和な笑顔にほだされて恭平は座りなおした。この人のそばにいると守られているような温かい気持ちになる。こんな人が父親だったらいいのに。実の父とは既に遠く心が離れている故、恭平は一抹の寂しさを胸に感じながらカップのコーヒーを口に運んだ。




