㊵青葉、まさかの大ピンチ~どーしよう、お客様がガチのお怒り!~
「 それでは皆さん、並歩から軽速歩に入りまーす!準備はいいですか!」
進藤チーフの明るい掛け声が小さな初級クラスのサークルにこだまする。全部で6頭。アシスタントは3人で、私が担当しているのは先週入ったばかりのおばさんだ。
「 どうしよう、怖いわあ、急に馬が走り出したら落ちちゃうかも 」
「 大丈夫ですよ。私が調馬索を持ってますから、いつでも馬を止められます 」
馬をつなぐ太いロープを見せてもおばさんはおろおろしている。ねえ、頼むから馬上でキョロキョロしないでよ、馬がバランス崩すからそっちの方が危ないでしょ…
「 それでは行きまーす! 軽速歩、よーい、はい! 」
チーフの掛け声とともに馬は2ビートのリズムで走る…はずなんだけど、おばさん完全にパニくって、手綱にしがみついて固まってる。
「 体はもっと後ろにそらして下さい。目線は馬の耳の間。手綱を引っ張りすぎです。ちゃんと呼吸して力を抜く、それから… 」
「 ちょっと、そんな一度に言われたって…… !」
「 北岡、先に鞭入れて馬を動かせ 」
チーフから怒鳴られて、私は持っていた調教用の長い鞭で馬のお尻を刺激する。でも馬は前脚があがらないから走れない。おばさんが前傾姿勢になっているせいだ。
「 あのですね、お願いですから体をまっすぐ伸ばして…… 」
私の言葉を待たずに、チーフは鞭をひったくると思い切り馬のお尻をバシっと叩いた。馬は驚いて無理やり脚を上げて走り出す。
「 …… トロい 」
鞭を返す時に、チーフはドスの利いた声で小さくつぶやいた。でもすぐに笑顔になって、見よう見真似で腰を動かす初心者さんたちに愛嬌を振りまく。
「 皆さん、上手ですよ。その調子で騎乗を続ければ広い馬場で自分で馬を操作する日も近いです!とにかく習うより慣れろです、お気に入りの馬を見つけて、指名して毎日会いに行けば必ず仲良くなれますからねー!それでは並歩に落としましょう!レッスンお疲れ様でしたあ!次回の予約、忘れないでお帰り下さい!」
お気に入りのって、ここキャバクラですか?そりゃど素人に騎乗のイロハを口で教えるのは大変だけど、ただやみくもに乗ったって上達はしない。すこしは頭も使わないと。でもお客にそんな事は言えないよねえ。私は馬から索を外したり口かごをつけたりしながら、下馬するお客のサポートに忙しい。その間、進藤チーフはインカムを使って何か小声でボソボソ話している。
「 皆さん、今日はラッキーですよ、1時からの初級レッスンに空きができました。4名様先着順ですが、どうされますか?」
突然の勧誘に、皆顔を見合わせてザワザワしている。
「 参加される方には、私進藤が馬装のお手伝いをさせていただきます 」
「 やります」 「 私も 」 「 私もいきますっ 」
一瞬でがら空きレッスン、ソールドアウト。うまいなあ…… まあ、その口上、私も慣れましたけどね。身内には鬼みたいに厳しいくせに、会員さん達にはスマイル炸裂営業トークの2枚舌。見習いたいとは思わないけど、あそこまでお客さんに気に入られる魅力は努力じゃ真似できない。28か月連続売上ナンバー1の記録、また更新間違いなしかな。
如月チーフと一晩過ごし、進藤チーフが私を抱きしめたあの朝から、丸1か月が過ぎた。
あれから2人のチーフと直接話す機会はない。私は日勤しか入らないけど、2人とも午後出勤のラスト9時ままでの勤務がほとんどだからだ。しかも勤務シフトの大半は個人レッスンでびっしり埋まっているから、個人的に話しかける隙間なんてない。特に如月チーフは私のいる時間帯は馬場や厩舎に顔を出さない。以前は早く来て馬の様子を見たり馬装を手伝ったりしてくれたのに。
私、もしかして避けられてるのかな…… あの時は告白する気でノリノリだったけど、いざ仕事場で顔を見ると、怖くて近くに行けない。一緒にいた夜の優しい眼差しとは全く違う、別人みたいな顔が私を無意識に遠ざける。手作りの料理、楽しいおしゃべり、そして、朝まで添い寝してくれたのは、ただの気まぐれ? 考えると心がざわめいて、仕事に集中できない。しばらくはあの日の事を忘れよう。いつかまた、話ができる時が来る。そう信じていられるうちは、私にもまだチャンスは残っているような気がする。
「 何ボケっとゼッケン持って突っ立ってるの? 早く鞍載せなさいよ、今日は3級対策レッスンだから、時間無駄にしたくないのよね 」
ハッとして振り返ると、飯森さんがキツイ目で私を睨んでいる。私が慌てて馬装を始めると、飯森さんは赤いマニキュアを塗った爪をしげしげと眺めてあくびをした。
「 ねえ、あんたが先週のレッスンの前に色々アドバイスくれたけどさ、全然参考にならなかったわよ」
「 そうですか、すいません… 」
「 やっぱり馬が悪いのかしら。今の子は1か月指名してるけどなつかないのよね。最近生意気な馬、多くない?」
馬は悪くないんだよ、あんたの乗り方が悪いんだよ。
そう心でつぶやくと、鞍を注意深く馬の背に合わせる。これだけでも重いのに、体重90キロはありそうな飯森さんを乗せるなんて、可哀そうすぎるよ。お馬さん達。
「 自宅でできるエクササイズもありますから試したらどうですか 」
「 自宅って… 馬もいないのに、何するのよ 」
「 筋肉を柔らかくするだけで馬上の動きが違いますよ 」
「いやよ、大体乗馬を始めたのは、家で運動しなくても痩せられるからなのよ。意味ないじゃないの 」
「 あのですね、それなんですけど、飯森さんレッスンが終わっていつもラウンジでミルクティとアップルパイ食べてますよね。あれじゃあんまり意味ないと思うんですよ」
「 あ、あんたなんでそんなの知ってるのよ 」
「 馬も重量の負担が多かったら、動きづらいのは当たり前です。痩せる努力を同時進行でしないと馬だって協力する気になりませんよ 」
腹帯を締めて振り返ったら、突然顔に大量の水がバサッと降りかかってきた。ずぶぬれになって、呆然としている私の目の前に、ひきつった顔でバケツを持っている飯森さんがいる。
「 あんた何よ! 私が太ってるのが悪いって言うの!」
あ、やばい。これってNGワード言っちゃったってやつ?
「 自分が若くてスリムだから、私をバカにしてるんでしょ!新米のくせに調子に乗るんじゃないわよ!」
辺りが騒然として、皆がこっちを見ている。
どうしよう、 何とかしなきゃ……
私はデスマッチのリングに上がった新人レスラーみたいに、孤立無援で震えていた。




