㊴この胸のざわめき~憧れの彼がベッドに…&雄太に起こった異変~
夜明け前のベッドの中で、憧れの上司の乳首を前に私が出来ることを必死で考えてみた。
① とりあえず元のポジションに戻る。
② こっそりベッドから出て身を隠す
③ 捨て身の攻撃に出る
①は、ない。②は、結局隠れてもどうしようもないからない。
③…… 、つまり何をすればいいんだろう。
キスはいくら何でもやりすぎだし、いきなり抱きついてもキモい女と思われる。そっと近づいて、匂いを嗅ぐくらいなら気づかれても不自然じゃない。私は、チーフの胸に顔を寄せて息を潜めた。柔らかい人の肌の温もりが伝わる。白くてなめらかな肌。ムダ毛なんて全然ない。
ちょっとだけ、触ってもいいかな…… 私は指先をチーフの鎖骨の辺りに伸ばした。
パッと、チーフの目が開いた。びっくりした私は慌てて手を引っ込める。
「 おはよう 」
「 … おはようございます 」
そのまま、上半身だけ起き上がると如月チーフは軽く首を回した。ほどいた髪が背中にかかって、超セクシー。
「 眠れた ?」
「 はい、それはもうよく眠れました (緊張)」
「 ちょっと向こうを向いててくれる?パンツ履かなきゃいけないんだ 」
「 パンツ ?」
ということは、下半身も裸?まじありえない。
私は無言で頭から布団をかぶった。チーフがベッドを降りた。どうしよう、素っ裸のチーフと一晩同じベッドで過ごしたんだ。本当に何もなかったの?私はブラとパンティをまさぐった。触られた形跡は、ない。ホッとしたけど、なんかちょっと残念。
「 もういいよ 」
顔を上げると、服を着たチーフが髪を後ろにまとめている。すっかり覚醒して、いつもと変わらない爽やかな表情だ。女の子と一晩過ごしたのに、こんなに清々しい顔ができるって、なんか不自然。みんなこうなの?
「 じゃあ俺は帰るから。また明日ね 」
「 はい、ありがとうございます 」
「 ちゃんと鍵をかけるんだよ 」
そして、チーフは出て行った。私はベッドに座って必死に昨日の夜のことを思い出す。北海道の話、高校時代の思い出、リモート面接の話。この辺りから記憶が曖昧だ。多分、意識が朦朧として寝落ちたんだ。
その後、チーフはベッドに入って一緒に寝た?なぜ?頭が混乱する。
シーツを撫でると、ふわっと香水の香りが浮き上がる。私は顔を摺り寄せて、残り香をかみしめる。
如月チーフの乳首を見た女は多分倶楽部で私だけ……
だめだ、顔がニヤける。あの裸の上半身、絶対忘れない。
私は妄想用にいつでも加工編集できるように、朝の光景を何度も脳に上書き保存を繰り返した。
アパートの階段を下りて恭平は車を止めてある駐車場へ向かった。昨年買い換えたスカイラインの400Rはまださほど走行距離は伸びていない。腕時計を見た。午前6時5分前。今なら道路も少し空いている。高速を西へ向かって1時間ほどドライブして帰ろうか。たまには4000回転以上回さないと、エンジンが可哀そうだ。そう思ってポケットからキーを取り出したら、愛車の前に立ちふさがるように止まる黒いバイクが目に入った。GSX1100Sにもたれて煙草を吸う雄太の足元に吸殻が少なくとも10本は散らばっている。
「 いつからここにいるの 」
「 お前が北岡の家に飯を持っていくって連絡よこしてから3時間後にアパートに行ったら車がない。合鍵で入って待ってたけど、3時になっても帰らないからここに来てそこからずっと 」
「 仕方ないだろ。あの子が先に寝ちゃって、出て行ったら鍵が開いたまま一人になるから一緒にいたんだよ。 ベッドは意外と大きめだったから俺が入ってもそんなに窮屈じゃなかったしね」
雄太の口から煙草が落ちた。
「 は?お前、一緒に寝たのか?」
「 固い床の上で寝たら筋肉が強張って馬に乗った時にうまく体が動かなくなる。回復に2,3日かかるから困るよ」
「 もしかして… 」
「 俺は裸じゃないと眠れないの知ってるだろ?」
「 バカじゃないか?あいつに全部見られたのかよ!」
「 心配しないで。起きたら乳首ガン見してたけど、それ位 」
恭平は車のエンジンをかけた。雄太はバイクを動かす気配を見せない。
「 ねえ、もしかして何か疑ってる?」
「 恋人が別の女と一晩過ごして、笑ってお疲れ様って言えるほど俺は寛大じゃない」
「 俺は女には興味ない 」
「 じゃあ女が近寄っただけで吐き気がするって言ってたのは嘘なんだな」
「 あの子は、違うんだ 」
「 言い訳するなよ」
「 女の匂いがしないんだ。不思議だけどね 」
雄太は口を開こうとして、やめた。
「 そんなに疑うなら、彼女に聞いてみたら?」
「 今から仕事だ。そんな暇ねえよ」
雄太はバイクにまたがると、道路に飛び出て右へ走り去った。
その後ろ姿を見送りながら、恭平は煙草を取り出し火をつけた。車に乗り込むと運転席の窓を開けて紫煙を吐き出す。
彼女は、今頃何を考えているだろうか。同じ職場の男が、裸で同じ布団に横たわっていたらびっくりを通り越して犯罪だ。でも何となく、彼女の気持ちはわかっていた。レッスン中、遠くからじっと俺を見ている大きな瞳。近くを通ると顔をそむけて逃げるくせに、厩舎で馬装をする俺の前をほうきを持って何度も通り過ぎる。単純でわかりやすい女だけど、なぜか不快にはならなかった。昨日、医務室の前で振り切るように走っていった後ろ姿がどうしても気になって、食事を口実に様子を見に行った時の嬉しそうな顔。歳の離れた妹がいたらこんな感じなのかと、妙な気持ちになってこっちが驚いた。
話をしている時、あの子は3回涙ぐんだ。父親を事故で亡くした話。祖父が厩舎で絶命していた話、そして、最後に残った馬と別れた話。まだ生まれて18年しかたってないのに、家族を4人も失って一人になったのか。俺が18の時は、自分で家を飛び出して身内に背を向けていた。だが彼女は違う。運命の神に翻弄されて、たった一人でこんな遠くへ流されてきた。もし目覚めて俺が横で寝ていたらどうするだろう。つまらない好奇心が背中を押して、初めて女と一緒の朝を迎えた。彼女の気配を感じて目を開いたら、潤んだ瞳がじっと俺の胸を見つめていた。いつものあどけない顔つきとは違う、女を感じさせる火照った涙腺。残念ながら、俺の体は何の反応も見せなかったけど。
さて、困ったな…… 自分の撒いた種とはいえ、雄太の手前、どうにか落とし前をつけないと。
煙草をもみ消しハンドルを握ると、恭平はゆっくり前進して車道に出た。左へハンドルを切ると、スポーツモードに切り替えてアクセルを踏み込む。400Rのエンジンは低い唸り声を上げ、日の出に向かって飛ぶように消え去った。
如月チーフが出て行って20分くらい過ぎた。もう家についたのかな。私はベッドの中で悶々とあれこれ考える。明日倶楽部で会ったら、とりあえずお礼を言って、ストレートにどうして一緒にベッドに入ったのか聞いてみよう。私のこと、もしかして好きなんですか?図々しいけどはっきりさせたい。100万にひとつでも脈がありそうなら、思い切って告白するんだ。
パンフレットの写真を見た時から、恋に落ちました。あなたのためなら、私面倒くさくない女になります。
もし付き合ってくれたら…… 結婚して二人でお金を貯めて、オペレッタと牧場を買い戻す。天国の父さん母さんおじいちゃん、どんなに喜ぶか。如月チーフなら帯広の牧場主たちと上手く付き合ってくれるだろう。銀行だって二度と私をバカにしない。子供は何人だって欲しい。チーフにそっくりの男の子なんて、めちゃ可愛い!
はっ、付き合うってことは、キスもするし、あんなこともするよね。私はベッドから跳ね起きた。
ヤバいわ。私、体の手入れなんて全くしてない。チーフは全身ピカピカなのに、私なんてあちこち野放しで毛、生えっぱなし……
寝てる場合じゃないよ。カミソリと脱毛クリーム買わなきゃ。
ついでにもっと可愛い下着のセットも揃えないと。その日はいつ来るか分からない。私はスマホを握って駅前のショッピングモールの開店時間を調べようとした。
ピンポーン
え、来たの?もう来たの?早っつ!
私はダッシュで玄関のドアを開けた。如月チーフ、やっぱり私に会いたくて戻ってきたんですね!
そこにいたのは、如月チーフと全く違うフォルムの人影だった。逆光でよく見えない。目をこらしてみたら、進藤チーフのように見えなくもない。
「 なんだよ。元気そうにして。心配して損したな」
進藤チーフやん。そのまんまやん。
「 なんでしょうか…… 」
「 昨日早退したらしいから、気になって様子を見にきただけだ。飯は食えるか」
「 ええ、多分 」
「 何か、欲しい物はあるか 」
「 特にありません」
異様に事務的な口調になるのは、展開が180度変わって脳が対応しきれてないからだ。なんかおかしい。チーフの私を見る目がいつもと違う。如月チーフがここに来たことを知っていたら…どうしよう。追及されたら隠せない。言えないよ、となりで裸で寝てましたなんて。
「 熱は下がったみたいだな 」
進藤チーフは私の額に手を当てた。今日の手は、温かい。心配してくれてありがたいけど、今は頭の中が如月チーフで一杯だから出来れば早くひとりにしてほしい。
「 心配してくださって、ありがとうございます。私は…… 」
大丈夫ですのでお仕事に行かれて下さい、とつなげようとした時だった。
進藤チーフは、手を引っ張ると、思い切り私を抱きしめた。
ヤメテ
私は心の中で叫んだ。でも、なぜか声には出なかった。チーフは私の首筋から肩にかけて、ゆっくり顔を擦り付ける。くすぐったくて首をすくめたら、私の頭に手を回して、しっかりと胸に抱きかかえた。
琥珀がかった深みのあるパルファムと、メンソールの混じった煙草の匂い。頬を胸に押し付けられて、チーフの体温と心臓の音が聞こえてくる。涙は出ないけど、泣きたいようなもどかしさが募る。お願い、何か喋って。朝からこんなに色々ありすぎて、私の心は破裂しそうに膨らんでいる。
「 無理、するなよ 」
チーフは手を離した。私は何か言おうとしたけど、声が出ない。息が、ひどく苦しい。
進藤チーフはそのままドアを開けて出て行った。ドアが閉まるのと同時に、私は床に崩れ落ちた。あの人達は、一体私をどうしたいんだろう。
今私を包むこの昂ぶりが、辛いのか悲しいのか苦しいのかわからない。
それが1番、やるせない。
雄太は倶楽部の更衣室で着替えを済ませると、ブーツとチャップスを履いて拍車を取り付けた。今日は午後から10本の個人レッスンが入っている。ほとんど寝ていないが、気持ちが高ぶっているせいか疲労は感じない。これから長い一日が始まる。
恭平の言ったことは確かに間違いじゃない。あいつを抱きしめた時、体から恭平の匂いは全くしなかった。風呂上がりの様子もなかったし、恐らく何もないまま一晩を過ごしたんだろう。それはそれで、安心して気持ちを切り替えるはずだった。しかし雄太の胸はまだざわついたままだ。それは恭平を待ち続けて感じた苛立ちとは違っていた。何か未知の感情が雄太の内面に芽生える居心地の悪さや違和感。畜生、調子が出ない。心の中にフワフワしたものが浮いてるみたいだ。脱いだ服をロッカーに入れようとして、手が止まった。上着から漂う柔らかい香り。無意識に顔を近づけた。掌に小さな灯りがともったような温かみがある。ふと気持ちが和んだ。
あいつの匂いだ。
上着をレザーのパンツにくるんでロッカーに押し込むと、雄太は乱暴に扉を閉めた。洗い場と厩舎へ続く長い坂に向かって雄太は走った。この妙な感情を振り落としたくて、秋の気配が漂う早朝の馬場の砂を踏みしめる。だが乾いた風が雄太の体にまとわりついた雑念を払い落して残ったのは、やはりあの温もりだった。レッスン客でごった返す洗い場の中を走りながら、なぜか雄太は母親の姿を思い浮かべていた。




