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㊲切ない身の上話

狂ったように暑い夏がようやく終わりかけたのは10月も半ばに入ってからだった。帯広は今頃紅葉も終わりかけて、気温もぐんぐん下がっていく頃だ。それなのに、こっちはまだ夜でもエアコンがいる日がある。冷房慣れしていない私でも蒸し暑くてスイッチを入れたまま寝込んでしまう。そのせいか、すごく体がだるい。北国生まれの体には、東京の夏はすごく応える。


「 ちょっと、北岡さん、早くこの子の馬装やってよ。あと5分でレッスンが始まるのよ」

「 はい、すぐ行きます!」

レッスンの合間の30分は次の出番を待つ馬たちの準備に忙殺される。自分で全部準備してくれる会員さんもいるけど、騎乗の時しか馬に触らない、ちょっと図々しい人もけっこういる。平日にやってくる奥様連中がその類だ。1頭準備が終わって、すぐ次の馬の馬装に移る。ゼッケン、ゲル、ボアを背に乗せて、鞍を抱え上げた。やばい、力が入らない。手が滑ってあやうく鞍を落としそうになる。

「 あんた、気を付けて!それ先月買ったばかりの新品よ!」

「 すいません、すぐ装着します。」

何とか馬装を済ませて厩舎の奥へ頭絡を取りにいく。でも壁に手を伸ばした途端ふらついて、床にしゃがみこんだ。頭がぐらぐらする。でも早くいかないと怒られる、立たなきゃ…

「 貸せ、俺が持っていく 」

進藤チーフが私の手から頭絡を取った。チーフは私の額に手を当てた。ひんやりして気持ちいい。

「 熱がある。すぐ医務室へ行ってこい」

「 でも仕事が… 」

「 そんな状態でアシスタントは出来ない。レッスン中に倒れられたらもっと迷惑だ。ここはいいから早く診てもらえ 」

チーフは頭絡を持って洗い場に走っていく。

「 はーい、飯森さん!頭絡つけてレッスン行きましょうねー!」

進藤チーフの明るい声が響く。少しホッとして体が楽になった。


進藤チーフ、めちゃくちゃ忙しいのに私のことを見ててくれたんだ。


仕事に復帰して2か月過ぎたけど、何かにつけ接客や指導方法のアドバイスをくれる。怒られる時もあるけど、どこがいけないかきちんと説明してくれるからわかりやすい。おかげで少しづつ乗馬クラブの仕事が見えてきた。


あんなことがあったから、気を使ってくれるのかな…


初対面で見せた険悪な顔と、応接室で見せた笑顔。同じ人間とは思えない。

いなかった10日間、一体何があったんだろう。


「 手、貸しなよ。医務室まで連れていくから」

右手を引っ張って私を立ち上がらせたのは、岸谷先輩だ。

「 いいです。自分で歩けます 」

「 無理するなって。化粧剥げてるから顔色悪いの丸見えだぜ」

「 そばによるとドブの匂いが移りますから離れて下さい 」

「 進藤チーフから頼まれたんだ。早く行こう 」

 私は岸谷先輩と並んで厩舎から坂を下ってクラブハウスのある東側へ歩いた。私は先輩と目を合わせたくなくて、下を向いたまま速足で先を進む。

「 雄太主任と最近仲いいんじゃない? 」

「 別に、普通です 」

「 あの人、会長に給料半分に減らされたんだって。でもファンクラブのおばさん達からチップもらえるから、意味ないよね 」

「 私、そういう話に興味ありません」

「 あんたも金が欲しいからここに来たんだろ?」

顔を見なくても考えていることはわかる。人を見下した喋り方。本当に嫌な男だ。

「 ここは何でもありの世界だからね。会長さえ怒らせなかったら大概ヤバいことしても平気だよ」

「 あの、もう着きましたから大丈夫です。ありがとうございます」

通用口の前で頭を下げた。1秒でも早く離れたい。突然ドアが開き、

書類を手にした如月チーフが現れた。

「 どうしたの、北岡さん初級クラスのアシスタントの時間じゃなかった?」

「 丁度良かったです。如月チーフ、この人医務室まで連れていってください。俺、次レッスンなんでお願いします」

岸谷先輩はさっさと私を残して馬場に引き返して行った。

「 具合、悪そうだね 」

「 進藤チーフにもう下がれって言われて 」

「 おいで。医務室まで連れていくから」

如月チーフがドアを開けてくれた。違った意味で、緊張が走る。

「 仕事は慣れた?」

「 はい、お陰様でかなり 」

「 若いから頑張りすぎたんじゃないかな。季節の変わり目だから体調も崩しやすい 」

「 平気です。ちょっとめまいがしただけです 」

「 女の子は男と違って色々体の管理が大変だから、無理しちゃいけないよ」

如月チーフ、すごく気配りが利いて優しい。話し方もさりげなくスマートで紳士的だし、疲れてる体にビタミンもらった気分だ。

「 あ、そうだ、新入社員に特別休暇制度があるんだ。勤続3か月で帰省休暇が5日取得できるんだよ。一度北海道に帰ってゆっくりしたらいい。家族と会ったらいい息抜きになるよ」

「 家族は、いません 」

如月チーフは立ち止った。

「 父も母も子供のころに亡くなりました。最後に残った祖父が5月に倒れて死んで」

「 北岡さん… 」

「 家は借金を返すために売りました。だから、帰る場所もありません 」

バカ、なんでそんな暗い話をチーフにするんだ。私は自分を心で責める。

「 気にしてませんよ。一人っ子だから、早く自立しなきゃって思ってたんで」

無理に笑顔を作った。でも化粧が剥げた顔じゃ笑ったってかわいくもない。

医務室のドアが見える。私は両手で鼻から下を押さえた。

「 ありがとうございます。ここで結構です」

走って医務室のドアを開けた。如月チーフはまだこちらを見ている。


同情なんて、誰にもされたくない。小さいけど、私にだってプライドはある。


ドアを閉めた。振り返ると摺りガラス越しに、まだ立っているチーフの影がぼんやり写っていた。



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