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㉟蘇る記憶~青葉を襲う恐怖の瞬間、再び?~

「 何度言ったらわかるんだ! 私は里田じゃなくて里中!毎日会っとるのに、いつになったら覚えられるんだ!この能無し!」

朝っぱらから馬をつなぐ洗い場の前で、私はハゲのおっさんから大声で怒鳴られてる。おっさんは朝から夕方までこの倶楽部にいて、馬や馬具の管理にあれこれ口出しをするめんどくさい人だ。

「すいません、名前を覚えるのが苦手でつい… 」

「 ついで済む話か!名門倶楽部の従業員なら、客の品位に合わせて振る舞うのが当然だ!緋呂子会長も腕が落ちたもんだ、こんな会員の識別もつかない小娘を雇うとは… 」

おっさんは怒りながら馬に鞍を乗せる準備を始めた。名前はともかくこの人一日中馬のそばにいるのに、全然馬のことを理解していないのは一瞬でわかるんだけど。

「 あの、ゼッケンの位置が違います。き甲にかぶるようにもっと上げて下さい」

「 私はこの倶楽部に入会してもう15年だ。未だに特別会員の招待状が来ないのは全くもって納得がいかん 」

「 鞍は逆、もっと後ろです。背に沿って載せないとバランスが取れません」

「 この鞍ももう3つ目だ。毎回値段ばかり高くなって、ちっとも上達した気分にはならん。詐欺だろうが 」

「 あ、腹帯は前脚の付け根辺りに回してください。それと、鞍は馬の体を守るものですから里山さんレベルの技術ではあまり関係ないですよ」

「里山じゃないっ! 里中!」

「 すいません… 」 

「 こんにちわ、里中社長。今日も3鞍騎乗ですか。毎日熱心ですね 」

ふわりと香るトワレ。私の脳内に設置されたセンサーが反応する。ああ、後ろにいるのはもう誰だかわかってる。

「 おお、如月先生、ご機嫌麗しく、この時間に洗い場に来るのは珍しいですな」

おっさん笑顔になって態度急変。私は慌てて頭絡を手に取り馬の口にハミをあてがう。さっさと馬装をすませてここから逃げよう。

「 今少し人手が足りないもので、個人レッスンのスケジュールを変更してグループ指導に回っています」

「 そういえば、進藤先生の出張も随分長くかかってますな。早く帰ってきてもらわないと倶楽部に活気がなくて困る 」

「 ありがとうございます。進藤も喜びます。そろそろお時間ですから、馬場の方へ。お気をつけて 」

里田、いや里中のおっさんは、ヘラヘラ笑いを浮かべながら馬場へ馬を連れて行った。

「 …… ありがとうございます 」

「名前の覚え方にはコツがあるんだよ。あの人なら、ハゲで中は空っぽの里中、とかね 」

私は思わず笑った。今日の香水はジパンシーだ。

「 あの、馬場に水を撒くホースが足りないから持ってくるように言われましたが、場所がよくわかりません 」

「 12厩舎の一番角にある倉庫なんだけど、口ではわかりづらいね。一緒に行った方がいいかな」

本当は、場所わかってるの。でもしらないふりしてるの。だって、一緒に歩けるから。ふっふっふ、

如月チーフは後ろを向いてインカム越しに何かしゃべる。がっしりした肩幅からシュッと締まるウエストとキュッとあがったお尻がもう最高。チーフの個人レッスンを受けるために延々とキャンセル待ちを続ける会員さんの気持ち、分かるわあ。いけない、あまり下半身ばかり見てたら変な女に思われるわ。次のレッスンはあと一時間後だから、充分おしゃべりできる。とにかく、彼女がいるかどうかをなんとか突き止めたい。目線を上にあげると、チーフの顎のラインにまだ細いテープが貼ってある。

「 怪我はまだ治らないんですね 」

「 もうほとんど塞がっているんだよ。でもお客さんを不愉快にさせたらいけないから、しばらくはこのまま。どうせ俺の体はあちこち傷だらけだから構わないんだよ」

いいえ、あなたなら、傷すら愛しく思えます。どうせなら、全部見せてほしいくらい。ああ、どんどんいけない女になっていく私……

「 お呼びですか、如月チーフ 」

「 岸谷、悪いけど彼女を連れて12厩舎の用具庫まで案内してくれないか」

 振り返ると、指導部の岸谷先輩が立っている。え、如月チーフが連れて行ってくれるんじゃないの?

「 わかりました 」

「 彼は指導部じゃ君の次に若いから。歳も近いし、仲良くしたらいいよ 」


如月チーフは岸谷先輩の方を見てフッと笑った。岸谷先輩は目が全く笑ってない。微妙な空気。何、居心地超悪いんですけど…

「 こっちだよ。早く来て 」

岸谷先輩は坂道を上がってさっさと歩いてく。短いフリートークはお終い。私はあきらめて、その後を追う。振り返ったら、愛しい人の姿をもうそこにはなかった。


「 君、進藤チーフを謹慎に追いやったんだってね 」

「 追いやったって、そんなつもりではなかったですけど 」

「 他のスタッフや先輩が喜んでたよ。あの人結構疎まれてたから」

「 進藤チーフはどうなるんですか 」

「 知らないよ。はい、ここね、用具庫。これで大丈夫 ?」

「 …… はい、ありがとうございます 」

「 あとさあ、お願いがあるんだけど 」

岸谷先輩は初めて振り返って私を見た。女の子みたいに華奢で綺麗な顔が、般若のお面をかぶった怖い顔になってる。私はビビッて後ずさった。

「 僕のそばに近づかないでくれる ?」

「 は、はい?」

「 臭いんだよ。田舎のドブ川みたいな匂い。クソイラつくからそばに来るなっつーの 」

そのまま、先輩は歩いて馬場に戻っていった。これ一体どういう展開?今日初めて話した人にそこまでディスられる理由って、何?

「 北岡、早くホース持ってきて!」

「はい、すいません!」

イヤホンから怒鳴り声が響き、私はホースを抱えてバタバタと坂を下る。ああ、もう今日はついてるのか、ついてないのかよくわからない。


あっという間に夕方。早番勤務が終わる時間だ。馴れるまでは夜勤務はしなくていいと言われたけど、そっちの方が手当てが多い。お金を早く稼ぎたいけど、その前に顔と名前覚えなくちゃ…


「 北岡、至急フロントに戻ってきなさい」

インカムから呼び出しの声。なんだろう。あと5分で終わりなのに。

通用口から事務所の横を抜けてフロントへ出ようとした時、いきなり呼び止められた。川野人事部長だ。ちょっと顔が緊張している。

「応接室へきてくれないか。そのままでいいから 」

「 何か…… 」

「 進藤主任がきている。君に謝罪したいそうだ 」

脳裏にあの日の光景がよみがえる。私に向かって、鞭を振り下ろそうとしたあの顔。むき出しの憎悪に満ちた目。


私の頭で恐怖が繰り返し襲い掛かってくる。








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