㉛深夜のサプライズ~憧れの人、現る。青葉絶好のチャンス?~
やっとアパートに入ったのは、午後10時を回った頃だった。
倶楽部から歩いて10分くらいの場所で、外観はかなり古びてちょっと怖かったけど、ドアを開けて驚いた。中は完全にリフォームされておしゃれなワンルームマンションの作りになっていた。
お風呂とトイレは別々、家電製品も全部揃っていて、シングルのベッドには清潔な枕と布団がセットされている。冷蔵庫には牛乳やミネラルウォーター、卵、パンがあって、簡単な朝ごはんならばっちり。小さなテーブルにはバスタオルとミニタオルが2組とお弁当まで…「祝 入社 」とメッセージが添えてある。
こんなに歓迎されて、いいんだろうか…
とりあえずシャワーを浴びてお弁当を食べる。めちゃ美味しい。一息ついて今日一日のことを思い出してみる。オペレッタは無事厩舎入りしただろうか。レインハートの脚、治療してもらえればいいけど。明日は午後1時に出勤して入社手続きと倶楽部の案内、簡単な研修。火曜日が定休日で次の水曜からアシスタント業務開始。とりあえず会有馬127頭の顔と名前を覚えなきゃ。あっ総務部長さんから「 うちの会長のフルネーム、一番最初に覚えてください 」と何回も言われたな。
三条 緋呂子。 帝国乗馬倶楽部の4代目当主。はい、秒で覚えました。
ふと、会長に追い出された主任の進藤という人の顔が頭に浮かぶ。謹慎と言われたけど、どうなってしまうんだろう。まさか、クビ?あんなひどい言葉を吐いて関係ない人に怪我をさせたんだ。そうなっても仕方ない。
でも、やっぱり気になる。あの泣きそうな瞳が…… 忘れられない。
如月恭平さん、いや彼も主任だから上司だ。怪我は大したことはないから心配しなくていいと総務部長さんは言ったけど、絶対謝らないと。
煙草と香水の香り。両手で胸を抱きしめるとあの時の光景が瞼に浮かぶ。どうしてあんなに辛そうな目をしていたのか。そしてなぜ、私を助けてくれたのか… 主任の唇、すぐ目の前に迫っていてちょっと背伸びすればキスできるくらいの近さだったな… 恥ずかしくて、顔が火照る。ダメだ、絶対まともに顔を見ることは出来ない。そうだ、パンフレットの写真を見て冷静になろう。北海道から送った段ボールを開けて中を探る。
ピンポーン
いきなり、ベルが鳴った。びっくりしてドアの方を見る。
誰? もう11時過ぎてるのに…
恐る恐る、ドアに近づいて、気配をうかがう。
「 北岡青葉さんですか 」
「 はい どなたですか? 」
「 帝国乗馬倶楽部の、如月と申します 」
このタイミングで、本物来る?
気が動転して、確認もせずにドアを開けた。
そこに立っていたのは、確かにその人だった。白いシャツとチノパンに濃いブルーの長袖を羽織って、あの時とは違う柔らかいほほ笑みを浮かべている。
「 夜分遅くにすいません。女性の部屋に行く時間じゃないけど、電気がついていたから。少しだけいいですか 」
高校の体育の授業で、面白半分にテニスのラケットでボールを思い切り空に向けて打ち上げた。今の私はそのボールだ。一気に雲を突き抜けて、どこまでも舞い上がる。ヤバい、地面はどっちだ、足に力が入らない。
「 どうぞ 」
その言葉だけで、精一杯だった。彼は静かにドアを閉めた。夜風に揺られて、濃密なコロンの香りが鼻をくすぐる。もうダメだ。
神様、私、このまま死んでもいいです……




