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⑲ 泥にまみれて~罵倒の最中、唯一残った家族との愛、青葉の苦難はどこまで~

坂道を登って馬場を横切ると厩舎の入り口が見えた。知らない男が二人、オペレッタを引っ張って馬運車に乗せようとしているけど、オペレッタは抵抗して激しく頭を振っている。私は駆け寄ってリードロープをひったくった。


「何やってるのよ!勝手にうちの馬を連れ出すなんて、あんたたち誰!」


「その馬はもうあんたのものじゃないよ」


馬運車の陰から銀行のクソ親父が顔を出した。私が手に噛みついた、手島とかいう奴。


「この土地も建物もうちの銀行が爺さんに貸した金のかたに押さえたんだ。その馬だってもう売り先が決まってるだろ」


「引き取りは来週の水曜よ。まだ1週間あるわ」


「馬主の希望で早くつれていくことになったんだよ。さ、早く乗せろ」


クソ親父はニヤニヤ笑って私を見ている。オペレッタは怯えた顔で首を私


に摺り寄せる。今離れ離れになるなんて、そんなの辛すぎる…


「お願い、もう1週間待って。1週間後には必ず引き渡すから」


「おいおい、人にものを頼む口の利き方をしろよ」


私はクソ親父にまっすぐ見て、頭を下げた。


「お願いします、あと1週間待ってください!」


2人の男たちは困惑した顔でクソ親父を見ている。親父はポケットから煙草を出して火をつけた。


「土下座、しろ」


「はあ?」


「 その馬は家族なんだろ、家族のためなら土下座くらいできるよな」


最低の男だ。私は怒りで頭が真っ白になった。


「 嫌よ、あんたの命令なんて絶対きかない」


「じゃあ馬を連れていくしかないな」


クソ親父は男たちに目配せした。一人が私からロープを取って、もう一人が無絡に手をかけオペレッタを引っ張っていく。オペレッタが悲しそうに鼻を鳴らす音が響く。嫌だ、こんな別れ方なんてしたくない、行かないで、行かないで、オペレッタ……


「待って!」


私は叫ぶと、両膝を地面につけた。そのまま手をついて、ぐっとかみしめた唇を開いた」


「お願いします… オペレッタを連れていかないでください…」


クソ親父は私に近づいて、いきなりついた手を踏みつけた。


「うっ……っ!」


「このクソアマが、お前に噛みつかれた跡がまだ残ってんだよ」


踵でグリグリとこすりつけるように踏むたびに手に激痛が走る。


「やめて、痛い……」


クソ親父は今度は肩を踏みつけた。私は地面に顔をつけたまま動けない。口の中に泥が入って、苦しい。


「おい、やめとけよ、銀行さん、その子まだ子供じゃないか…」


「いいんだよ、こんな生意気なガキは懲らしめとかないとつけあがるだけだ。おい、お前みたいな身寄りのないバカ女はな、生きてる価値なんてないんだよ。牧場なんてやれる訳ないんだ。誰がこんな小娘信用するかよ、あ、なんか言ってみろ!」


何とか立ち上がろうとしたけど、動けない。悔しい、こんな奴らに大事なオペレッタを取られるなんて…


「お前なんてせいぜい場末のピンサロで客引きするのがお似合いだろ。その時は指名してやるからよ、サービスしろよ!ギャハハハハハ!」


途端に、激しい嘶きが響いた。オペレッタの声だ。クソ親父が驚いて振り返った途端、オペレッタは後ろ脚を跳ね上げて厩舎の柱を蹴っ飛ばした。ドーンと割れるような音がして柱は真っ二つに折れた。


「うわっ…!ヤバい、離れろ!」


男たちはオペレッタから離れたけど、クソ親父は固まったまま突っ立っている。そのすぐ至近距離で、オペレッタはジッとあいつを睨んでいる。いつもの大人しい顔は消えて、野生をむき出しにした獰猛な顔。クソ親父はビビッて後ずさり、私はやっと立ち上がった。


「オペレッタ、構わないから蹴とばしなさい!」


私が叫ぶと、オペレッタは再び嘶いて両前足を上げて威嚇した。400キロを超える馬体が覆いかぶさるようにクソ親父に向かっていく。男たちは馬運車に駆け込むと、そのまま猛スピードで坂を下っていった。


「やめろ…! あっちいけえ!」


クソ親父は顔面蒼白になって後ずさりするけどオペレッタはすぐ近くで頭を上下に振る。頭だけでも100キロ近くあるんだ。当たれば骨折だけでは済まない。そのまま入り口に止めてあった軽自動車に飛び乗って、クソ親父は逃げて行った。途中まで追いかけたオペレッタは踵を返すと真っすぐに私のところへ戻ってきた。いつもの穏やかな顔に戻っている。泥まみれになった私の顔や手をしきりに舐めてくれる。


「平気よ、大丈夫だから、ありがとうね」


ほっとした途端、涙がぼろぼろ流れる。もう泣かないって決めたのに、泣きたくなるようなことばかりが次から次へと押し寄せる。私はオペレッタの首に手を回して抱きしめた。温かい。


「 嫌だ、離れたくない、嫌だよ、オペレッタ……」


いつの間にか日は西に傾いて、地面にオペレッタと私の長い影が伸びている。左右に揺れる尻尾の影を見ながら、私は初めて明日なんかこなければいいと神様に願っていた。

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