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⑱青葉、衝撃のひと目惚れ~あまりの美しさに言葉を失う瞬間。そしてオペレッタの危機~

組合長の加藤さんと約束した時間の一時間前に私は帯広駅に着いた。天気は良く、空気は爽やかで街が緑に染まりいきいきしている。この季節になると私は週末ごとに友達と映画やショッピングを楽しんだ。誕生日に服を買ったり、初めて飲んだタピオカミルクティを動画に撮ったり、彼氏(もちろん友達の)に渡すプレゼントを選んだり、ここへ来る時の私はいつも笑顔ではしゃいでいた。


 今、私はひとりでみんなと歩いた並木道にいる。懐かしさで少しは気が紛れるかと思ったけど、やたらと寂しさだけが募って景色が曇って見える。あの頃、自分がこの町を出ていくことになるなんて想像もしていなかった。いつまでもここで生活できると思っていた自分はもう過去の人間で、新しい現実に向かい合う私は別人。でも下をむいてなんかいられない。戦うんだ。私はひとりだけどひとりじゃない。心の中に父さんやおじいちゃんが今も生きている。絶対に、必ず戻ってきて北岡牧場を復活させる。私は上を向いて、通りを大股で歩き始めた。


 組合の本部があるビルの応接室に入ると、加藤さんが大判のパンフレットを渡してくれた。表紙を飾るとても立派な洋風のお城みたいな建物の写真。その下に「帝国乗馬倶楽部株式会社」と書いてある。


「そこの専務が組合の牧場主と親戚でね、女の子の指導員を急ぎで探してるらしいんだよ」


「私、人に乗馬を教えたことなんてありません」


「最初に指導員養成の研修を受けさせてくれるから安心しなさい。青葉ちゃんは障害も馬場も国体選手なみの腕前だからすぐ教えられるようになるよ。先方も大乗り気なんだからこの話を逃す手はないだろう」


「私、道内では就職できないんでしょうか」


いきなり一人で上京するなんてやはり不安だ。加藤さんは、一瞬困ったように眉をひそめた。


「ここいらで女の子を預かってくれる牧場はないんだよ。住むところだって用意しなきゃいけないし、それに、馬の世界は男社会だから、若い青葉ちゃんがやっていくには、ちょっとね…」


おじいちゃんと同じセリフを言っている。でも私は本音がわかっている。お金も身寄りもない私に関わりたくないんだ。銀行でクソ親父に嚙みついた件も知れ渡っている。適当にごまかして追い出せば誰も責任を取らなくて済むから、加藤さんも必死なんだ。


おじいちゃんが生きていた時は、みんな親切にかわいがってくれたのに。でも所詮他人なんてそんなものだ。自分の身を守るので精一杯。もういい。私も自分のことだけ考えて生きていけばいいんだ。


「それにここはとっても待遇がいいんだよ。実力さえあれば給料もどんどん上がっていくしね、倶楽部の会員は政治家や実業家、病院の院長とかエリートばかりだから、青葉ちゃんにいい結婚相手を紹介してもらえるかもしれないだろう」


「そんなにいい職場なのにどうして人手不足なんですか」


「それは、まあ、ちょっと厳しい先輩もいるようだから…… でも大丈夫。青葉ちゃんは根性があるからきっとついていけるよ」


私はパンフレットをめくった。広い馬場にいくつものサークルがならんで、何十頭ものサラブレットがレッスンをしている。最新型の屋内練習場、高級ホテルのロビーみたいな受付、競技用の乗馬服を着て障害を飛ぶ騎手の写真。なんかこの騎手のおじさん、やたら顔が怖くていかつい。体は細くてエンピツみたいだけどこれだけ高いバーを飛ぶんだから鍛えてるんだろうな。


「もしよければ、すぐ連絡して面接の段取りを取るから。ほら、今流行りの何ていうんだ、パソコンの画面を見ながら話すテレビ電話みたいなの」


「リモート面接です」


「そう、それそれ、人事部長さんと専務さんと社長さんが面接されるらしいよ」


社長さんって、このページの半分使って写真出してるドスの利いたおばさんかあ、めっちゃ怖そう…… やだなあ、私、こういう圧の強い人は苦手なんだけど…


私はパラパラとパンフレットをめくって最後のページを開いた。






手が止まった。その途端、体にビリビリと電流が走った。


「 面接の結果次第ではすぐに上京して入社の手続きを取ってくれるとも言っていたな。私からも青葉ちゃんのことは褒めちぎっておいたから、少しは印象も上がっているはずだけどね」


加藤さんの言葉も、何も聞こえない。私はパンフレットの1ページ分を占める大きな写真に見入っていた。鹿毛の馬を引いて、馬塲鞍を片手に微笑む男の人。美形で、小顔で、セクシーで、ああもう何て言っていいかわからない。モデルみたいな広い肩幅と引き締まった腰と、形のいいヒップのライン。馬との立ち位置からして身長は180センチ以上はある。何よりも、切れ長の切なくてきれいな目………


だめっ、もう、スキっ………!



スキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ


言葉では伝えられないこの気持ち、心臓が爆発して壊れそう。パンフレットを握って過呼吸気味の私を加藤さんが心配そうに見ている。


「青葉ちゃん…… 色々あって疲れているなら、しばらく休んでからにするかい?」


「面接、受けます」


「え、いいのかい?」


「受けます、すぐ連絡してください。今日今からでも構いません」


「いや、そ、それは流石に…… 後で連絡して先方の都合を聞かないと」


「それと、これ、この人誰か聞いてみてくれませんか」


私はパンフレットの写真を指差した。加藤さんは訝し気に見て首をかしげた。


「撮影用のモデルじゃないのかい。乗馬をするには手足が長すぎる」


「いいから…… とりあえず聞くだけお願いします」


私はあわててパンフレットをかばんにしまった。


「あの、私、オペレッタの世話があるのでもう帰ります。また携帯に連絡ください!」


「そうだ、オペレッタはいつ引き取られるんだっけ」


「…… 来週の水曜日です」


「 そうか、寂しいだろうけど、きっと次の場所でかわいがってもらえるから、青葉ちゃんは今は自分のことをよく考えなさい」


 私は黙ってお辞儀をすると部屋を出た。外は相変わらず日差しに溢れて、家族連れやカップルが楽しそうに通りを歩いている。駅へ向かう道を歩きながら、私はかばんの中のパンフレットを取り出して最後のページを開いた。あの素敵な眼差しの彼が、私を見つめている。なんだろう、全身に熱が回った不思議な感覚。心に羽が生えて、どこかに飛んで行ってしまいそうになる。変なの、さっきまでの私と、まるで違う…。


 これからどうなるかわからない不安やオペレッタと別れる寂しさ、そして「彼」に出会った衝撃。色々なことが一度に胸に覆いかぶさり、私は混乱している。とりあえず帰ろう。帰ってオペレッタに今日の出来事を話してあげよう。私はパンブレットをかばんにそっとしまうと、遠くに見える駅に向かって駆け出した。






「だからさあ、大人の魅力なのよ、久美子が付き合ってた今時のイケメン君じゃなくって、ダンディとかセクシーとか味の染みたおでんの大根とか」


「何言ってるのかよくわかんないけど、仕事は慎重に決めないとだめよ」


バスを降りて家まで歩く30分の間、私は東京にいる久美子と久しぶりに話した。久美子はハイテンションの私の勢いに呆れながら、慣れない東京での生活や人間関係の難しさに愚痴をこぼしていた。心なしか、疲れて不機嫌そうなところがひっかかる。


「 それで青葉、本当にこっちへ来るの?」


「まだ面接も受けていないから分からないよ。でも加藤さんの口ぶりじゃすぐにでも雇ってくれそうな感じだった。お給料とてもいいんだって」


「都会の生活は大変よ。そっちみたいにのんびりお付き合いしてたら、いつ騙されるか分からないわ。田舎者なんてすぐにバレるんだから」


「 お金を貯めたら北海道にすぐ戻るわ。北岡牧場を立て直すって決めたんだから。オペレッタだって早く買い戻さないと可哀そうだし」


「ねえ、もう考え直した方がいいんじゃない?青葉一人で牧場経営なんて無理よ」


「どうしたの。久美子以前は私を励ましてくれたじゃない」


「父さんから青葉の家の事情は少し聞いてるけどさ、何ていうか… 青葉ひとりが頑張っても、周りが協力しないと難しいと思うんだよね」


「もう決めたのよ。もう誰の力も借りない。全部自分でやるから。それよりさ、久美子、もし東京に行ったら会わない?買い物とか付き合ってほしいんだけどさ」


「……… 学校の授業とかあるから、来たあとに連絡してよ」


電話を切った後、私は久美子の話し方や雰囲気がかなり変わったのに違和感を感じていた。昔はもっとハキハキしてノリも良かったのに、他人行儀でよそよそしい。まあいっか、疲れてたのかもしれないし、会えばきっと昔みたいに笑って話せるだろうから。それより面接用のスーツ買わなきゃ。お化粧も少しはしないと印象が悪いかな、ああ、こういうの苦手なんだよね。


 ふと、パンフレットのセクシー男子の顔が頭に浮かぶ。会いたい。もしあのクラブの社員さんなら、きっとどこかで顔を合せるはず。ああ、なんか体が熱い。ずっと辛いことが多かったから、こんなに心がハイになるなんて久しぶり、いや、きっと初めてだ。もしかしてこれが恋なのかな…


 小走りに牧場に続く坂道を上がるとぎょっとして私は立ち止った。


 おかしい。閉めたはずの門が開けられてる。地面に見たこともない車のタイヤの跡。私は胸騒ぎがして、敷地へ駆け込んだ。その途端、彼方から軋んだような馬の嘶きが響いた。オペレッタだ。私は咄嗟に走り出した。カーブを曲がると見慣れた厩舎の屋根が見えるはずなのに見えない。代わりに1台のトラックがある。馬運車だ。


「オペレッタ!」


私は叫ぶと厩舎へ向けて一気に坂を駆けあがった。






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