⑪ 雄太と恭平の過去①
今回は東京の乗馬倶楽部で働く雄太と恭平の出会いについてのストーリーです。
時間を過去に遡って、恋人になる前の二人を楽しんで下さい。
暮れていく夜空を切り裂くジェット機の轟音が、東京湾の彼方へ尾を引くように流れていく。既に人影が消えた通りの左右にひしめく無数の倉庫や雑居ビルが、羽田空港の明かりに向かい一直線に続いている。
川沿いに立つ朽ちた空き倉庫の奥で、制服姿の青年が2人、地面を転がりながら激しい殴り合いを続けていた。上になった男が下の男のみぞおちに一撃を入れると、うめき声とともに下の男の頭突きが飛ぶ。2人は離れてにらみ合った。頭突きを受けた方は立ち上がったが、もう片方は腹を押さえて動かない。互いに白いシャツは裂け、血痕と痣のついた腕や胸がむき出しになっていた。
腹を押さえていた方がゆっくり地面に崩れおちた。
「負けた。俺の負けだ」
立っていた男は、声を聴くと放心したように地面に転がった。
2人とも、しばらくは息を弾ませて天井を仰いでいたが、先に倒れた男はようやく上体を起こして壁にもたれてズボンのポケットから煙草を取り出し火をつけた。気の荒さをむき出しにした表情にどこか少し幼さが浮かぶ。それは18歳の雄太だった。
「引き分けだ。あと30秒遅かったら俺が先に倒れてた」
1週間後に18の誕生日を控えている恭平が言葉を返し、並んで雄太の横に座った。こちらはすでに落ち着いた雰囲気に加え、長いまつ毛や整った顔立ちが10代とは思えない妖艶さを連想させる。
「関係ない、俺が先にくたばったんだからお前の勝ちだよ。族のアタマは今日で降りる。明日からお前が引っ張ってくれ」
「俺には無理だ。グループをまとめる器なんてない」
「俺が今までアタマ張ってこれたのは、一度もタイマンで負けたことがなかったからだ。未練たらしくしがみついてりゃ、下の連中はついてこない」
「リーダーやりたくて、喧嘩売ったんじゃない」
雄太は恭平を見た。恭平の横顔には、気持ちを言葉に出来ないもどかしさが浮かんでいた。
「言えないことが多すぎた時間が長くて、どうしようもなかっただけ」
恭平は、独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「女みたいな弱っちい奴なんて言って、悪かったよ。ごめん」
恭平は驚いて雄太を見た。雄太はまっすぐ恭平を見つめている。2人は、どちらからともなく笑った。傷に響いたのか、雄太は脇を押さえて軽く呻いた。はっとして恭平は雄太の肩を抱いた。
「大丈夫か…この傷じゃバイクは無理だろう」
「俺は一晩ここにいる。朝になればどうにか動けるだろ。もう帰れよ。心配しなくてもいいから」
「親が心配するだろ」
「親父とは1か月会ってない。かわりにごちゃごちゃ詮索してくる下働きの女どもが多くて、イラつくんだ。帰りたくない」
恭平は、ほかの仲間が雄太を富豪の一人息子だと噂していたのを思い出した。だがその横顔には虚ろな寂しさとやるせなさしか見えない。
「良かったら俺のアパートに来いよ。一人暮らしだから気を遣わなくていい」
「アパート?お前の実家この近くだろ」
「半年前に家を出て、一人で生活してる。遠慮するなよ」
恭平は雄太の手を取りゆっくり立ち上がらせた。2人はしっかり肩を組んで歩き始めた。
「借り、作ったな」
「これから、名前で呼ばせてくれたらチャラにするけど」
雄太はタバコをくわえライターで火をつけると、それを恭平に差し出した。
恭平は受け取ると口に差し込み、天に向かって煙を吐き出す。
「 雄太だけどユウでいい。死んだ母さんがそう呼んでたから」
時折よろめく雄太を支えながら、恭平は心の中で小さくユウとつぶやいた。
雄太には安堵が、恭平にはやすらぎがそれぞれの胸に広がっていく。
倉庫の出口に弱い月明りが道標を照らす。2人は一本のタバコを分け合いながら、暗がりの奥へ寄り添いながら消えていった。