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①馬大好きJKが行く!

8月の終わりの北海道は、すでに風が秋色にさざめく。夏が去り、冬の訪れを迎えるまでの短い間、人も自然も動物も、この時期に厳しい寒さを耐えるための身支度を始める。道央の小さなこの村も、山々の間に浮かぶ空の青が薄くたなびいていく日々を迎えていた。


 北岡牧場は、この村の外れに位置している。片側1車線の道路を脇に入り、未舗装のでこぼこ道をカーブを描きながら上がっていくと左手に広い砂地の馬場、右手に古びた厩舎がある。馬をつなぐ洗い場はその厩舎のすぐ横にあり、そこで一人の少女が栗毛のサラブレットを洗っていた。使い込んだ古いキュロットに包まれた下半身は細く引き締まっている。慣れた手つきで大きな馬の背中をブラシで磨く姿は大人顔負けの貫禄だ。だが、色白の顔は童顔で、澄んだ瞳がまだ強いあどけなさを残してした。


 少女の名前は北岡青葉。地元の農業高校畜産科に通う高校3年生であり、3代続くこの牧場の跡取り娘でもあった。




「オペレッタ、昨日飼葉をあまり食べてなかったけど大丈夫?」


私は馬の首にブラシを当てて話しかける。オペレッタは耳をピクリと動かしたが、のんびりとあくびをしてそっぽを向いた。よかった。どうやら機嫌はいいみたいだ。石鹸で白くなった馬体にホースで水をかけて洗い流す。今は何ともないけど、もう一月すれば水の冷たさが身に染みるだろう。「めちゃ寒いのに、よく毎日馬の手入れなんてするわね」と友達は笑うけど、私にとっては苦にならない。だって、馬は家族だもの。世界中で一番大事なのは家族とこの牧場。私はおじいちゃんの跡を継いで北岡牧場を引っ張っていくのが将来の夢なんだ。


「青葉!鞍の修理が終わったぞ!」


厩舎の奥からおじいちゃんの声が響く。北岡祥三といえばかつて道内の馬術競技で向かうところ敵なしだったとお酒を飲んでは自慢するけど、今では新馬の調教と蹄鉄の修理ばかりで馬に騎乗するところは見たことがない。声は元気だけど70を超えてからはめっきり動きがスローになった。歳なんだな… だけどおじいちゃんが元気なうちに牧場の経営や調教の手法を教えてもらわないと。


「オペレッタの手入れが終わったら行くよ!」


タオルで体を拭く私ををじっと見つめるオペレッタの大きな目。馬は言葉が話せないけど、わたしはこの子達の考えていることは全部わかる。まだ幼い頃から父さんが私を馬に乗せて、毎日この馬場を歩いたからだ。


「母さんは青葉を産んですぐに死んでしまったけど、お前には父さんと馬がいるから大丈夫だ。寂しくなったら厩舎へおいで。この子達がいつでも待っているからね」


そう言って父さんは、私を抱きしめた。草と煙草の匂いのする胸に思い切りしがみついて天を見上げたら一日が終わる。明日も、その次の日もこうやって過ごしていけると信じて次の朝焼けを待ち望む。それが永遠に続くと思っていた。


オペレッタを厩舎に入れると、私は一番奥の作業場にいるおじいちゃんの元へ向かった。お気に入りの椅子に座って私の鞍に油を塗るおじいちゃんのすぐ後ろに置かれた父さん愛用の黒い鞍。7年前から使われることなく、ずっと戻って来ない主の帰りを待っている。


「来月から自動車学校に行けるから、年明けから買い付けはトラックで私が行けるよ」


「いかん、あの道を運転するのは絶対にいかん」


おじいちゃんは鋭い口調でお決まりのセリフを口にする。私は黙って鞍に積もった埃を払う。


父さんは飼葉の買い付けに行く途中の山道で事故死した。観光客の運転するレンタカーがカーブを曲がり切れず、ハンドルを切って衝突を避けた父さんのトラックは反対側の崖に激突した。


即死だから、苦しまずに天国に行ったでしょう、と若い刑事が遠慮がちに話すのを私は他人事のように聞いていた。あれから7年、今でも馬場や厩舎で父さんの気配を感じて辺りを見回す。それが悲しみでなく、安堵に似た諦めに変わるまでそれなりに時間はかかった。今の私を支えているのは、父さんの代わりに4代目の調教師としてこの牧場を引き継ぐという夢とプライドだ。昔は馬で一杯だったこの厩舎も数頭しか入っていない。だけど、私は負けない。


必ず北岡牧場を立て直して、おじいちゃんを安心させるんだ。


「見てごらん、青葉、まだまだ使えるぞ。父さんが選んだ鞍だから大事に使いなさい」


「うん、ずっとこのサドルで頑張るよ」


サドルを受け取った私から視線を外したおじいちゃんの目が再び鋭くなり、厩舎の入口を見ている。私も振り返った。


あいつが、また来た…


 続




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