表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アルヴェアーレ・ア・ラ・カルト

【読切版】徒花のト書き

作者: 冬村 窓果


 知らないままに生きていた。



「なあ、ほんとうにこれでいいのか?」

「くどいぞ、スェン。何度も言ったはずだ」

「それはそうだけどさあ、こう……こう、なんかあるだろ」


 ぐちぐちとなおも言い募る男が苛立ちを浮かべ、舌打ちでもしそうな顔をしているであろうおのれを見てぎょっとする。降参だ、とでもいうかのように両手を中途半端な高さで振るので、ぎりぎり舌打ちはしないでおいた。安堵の音。


(うるさいな)


 堪えたはずの舌打ちを無意識のうちにしていて、ああまた無駄になったとため息を吐いて頭を掻き回す。我慢しようと思っていても、おのれの口は一向にソレを覚えないので成果は実らないが、無駄ではないはずだと信じている。頭の片隅でだけだが。



 気付いたときには生きていた。

 何も無い自分だけがこの世界に放り出されている。親しみを込め朗らかに声をかけてくる隣人。おのれを見る度になぜか怯えの音をさせる路地裏に屯する破落戸ども。寄ってくる畜生。聞こえすぎる耳。何もかもが気に触り、また何もかもに覚えがない。一瞬前の記憶が無かった。すべてだ。混乱する頭の真ん中に『記憶喪失』という言葉が降って湧く。自分の名前すらも覚束なかった。今の自分に果たしてそれが本当かを判じる記憶は無いが、またたきの間にかつての自分は消え失せてしまったのだ。魂の名とともに。


「……リアム? リアムじゃないか!」


 そんな折りに聞こえてきたその声は、記憶のない自分にも分かるほどまっすぐこちらを向いていた。灰色の毛をした帽子を被り顔は影になって見えなかったが、路地の先から射し込む光を遮るような、大きなからだをしていることは察せられた。

 リアム。

 このおとこ曰く、おのれはリアムというらしかった。



 男はスェンと名乗った。本名かは知らない。興味も無い。なぜ名を問うのかと聞くので「記憶喪失だ」と言うと、なんだか訳知り顔をしながらどもりだすから不審だった。それを些細なことだと思うのになにかが気に触ったらしいリアムの無意識が選択したのは舌打ちで、小さくも大きくもない音がふたりの間に落ちる。スェンは攻撃かなにかを受けたかのようにからだを揺らして、それから情けなさそうな顔をした。

 どうやらこの男は、随分とかつての自分に怯えていたらしかった。


 スェンは事ある毎におのれへの怯えを覗かせつつも、リアムの生活基盤を整えてくれた。といっても、かつての自分が住んでいた部屋だったり築いていた人脈だったりの説明が主で、あとは多少の援助を申し出てきたくらいだった。どうしてそこまで、と問うと途端に吃りだすやら目線を合わせなくなるやらと不審になるので、それ以上の追及は諦めた。


「それから……おっといけない、忘れちまってた。あー、リアム。今のお前さんは人がたくさんいるところって平気か?」

「“今の”? それは記憶の無いおれのことか、それとも文字通り今現在ということか、どちらだ」

「うーむ、そいつは答えるのがちっとばかし難しいが……そうだな、文字通りの今現在だ。お前さん、なんだったか、耳が良いんだろう? 調子がいい時に人混みに行くと、気分が悪くなる……とかなんとか前のお前さんがたしか言っとった」

「おまえがおれに怯えているのはよく分かるが、調子がいいのかと言われるとわからないな……あいにく、記憶が無いもので比較できない」

「怯っ…!? そ、そうか……うーむ」

「それで? おれの耳の調子が何に関係あるって言うんだ。聞いてから決める」

「そうだな、簡単に言えば……大家への挨拶ってところか」




「……なるほど」


 大家への挨拶。そう言われて連れてこられたのは、酒場だった。夕に差し掛かったところだが、それなりに繁盛していることが外からも伺えた。有り体に言って煩い。なるほど、リアムが耳が良いらしいと知るスェンが調子の良悪を尋ねたのも無理もなかった。


「そういえばスェン、おれの歳が幾つかを知っているか」

「あー……たしか、成人はしてるとかなんとか言ってたはずだ。というかお前さん、それも分からないのか」


 そう言うスェンに、曖昧だなと笑えるほどリアムは自分についての情報を持っていない。


「そうみたいだな」

「そうみたいだなって、そんな他人事みたいな……いや、悪い。そうだな……今から会う大家はたぶん、オレの知らないお前さんのことを知っているだろうから、気になることがあれば聞いてみるといい。案外、記憶が戻ることもあるかもしれないぞ。アレは魔女みたいな女だから……」

「魔女?」

「ああ、うん。いや、……聞かなかったことにしてくれ。ほら、入るぞ」


 遠い目をしたかと思うと、スェンは何かを振り払うようにして頭を振ってリアムの腕を掴み、酒場の戸を開けた。ぐわりと耳に入ってくる情報量が膨れ上がって、多少の目眩がした。少し立ち止まりかけたものの、構わず腕を引かれてついたたらを踏む。


「おい、スェン。引っ張るな、自分で歩ける」

「まあまあ、大人しくしてろって。酒場にゃこの時間帯はまだマシだが、たまに手の付けられない荒くれ者ってのもいるんだからな。ただでさえ今のお前さんは記憶喪失なんて面倒を抱えてるんだ、避けられるもんは避けたほうが良い」

「ふぅん、そういうものか」


 誰に聞かせるでもなく、リアムはもう一度、そういうものかと呟き、以降はスェンの腕を引くに任せた。スェンはその大きなからだをうまく流れに乗せ、人の波を掻き分けた。スェンのそれはいつもの事なのだろうと察せられる慣れた動きで、腕を引かれているだけのリアムさえ人波の中、誰ともぶつかることが無い。そうしてほんの少し進んだかと思えば二人はいつの間にか酒場のいちばん奥、カウンター席までたどり着いていた。


「いらっしゃい、お二人さん。なんだか珍しい取り合わせね?」


 リアムはいつも通り、今日のオススメでいいかしら。

 明るいプラチナブロンドの髪に赤いドレスを纏った女がそう言って、カウンターの向こうで立ち上がる。さらりとドレスの生地が立ち上がりざまに音を立てて、思わず視線が釘付けになる。その女は美しく妖艶で、スェンが零したようにともすれば魔女のように見えた。


「いやいや、待ってくれよイザベラ。今日は酒を飲みに来たわけじゃないんだ」

「あら、酒場に来て酒を飲みに来たわけじゃない? 随分とおかしな事を言うのね」

「そりゃあそうだが……おい、分かってて言ってるんだろう。揶揄うのはよしてくれ」

「つれないわねぇ。それで、わざわざここまで来てどんな用事なの?」

「うーん、それがなぁ。リアムが、記憶喪失に……な?」

「初めまして、大家。あー……イザベラ?」

「あら。そうなのね……」


 そう、ともう一度言って、大家はすこしの間目を伏せていた。なにか、リアムの記憶喪失について知っているような態度だ。スェンと同じだった。


「初めまして、リアム。私はイザベラ。そうね、ベラでもいいわよ。あなたの部屋のあるアパートの大家と、この酒場を経営しているわ」

「……おれのことで、何か知っていることがあるんじゃないか。スェンもあなたも、そういう顔だった。なあ、」

「リアム」

「……」

「今は、まだ。……ねえリアム、思うにあなた、記憶喪失になってからまだ一日も経っていないんでしょう。その事について考えるのは、せめて明日になってからにしたら?」


 イザベラの言う通りだった。自分がこうして記憶を失ってスェンに出会い、この酒場に来るまで。要約するとたったこれだけだが、そんな今日は慌ただしく、そしてとても目まぐるしいものだった。濃密な時間であるために随分と時が経ったようにも感じられるが、我に返って考えてみればまだ一日も経っていないのだった。


「……わかった。そうするよ」

「それがいいわ。そうね……じゃあ、飲みましょ! リアムはさっきも言ったけど、いつものでいいわよね? スェン、あなたはどうする? 実はあなたが好きそうなのがついこないだ入ったの。それでいいかしら?」

「それ、疑問形の意味あるか? あんたのオススメにはハズレがないし、いいけどよ。それでよろしく」

「酒……? まだ夕方だろう。早くないか?」

「こういう時は、パーッと飲むのがいいのよ。でも、そうね……それじゃあ、あなたとの初めましてに乾杯、っていうのはどうかしら」

「そりゃあいい! そら、リアムもグラスを持てよ。いいか? よし、──リアムとの初めましてに!」

「乾杯!」

「……カンパイ」




 スェンの世話になり、大家と顔合わせをした日から二ヶ月ほどが経った。あれから今のリアムは、イザベラの酒場で用心棒の真似事をして日銭を稼いでいる。記憶が無いので何とも言えないが、どうやらリアムは武闘に腕が立つらしく、あの日目を醒ましてすぐの頃破落戸に怯えられたのは、そういうわけであった。記憶が無いのに大丈夫なのかという疑問はいざその時に自然、体が動いたことで解決した。自分よりも遥かに──とまではいかないものの、巨体をものともせず投げ飛ばしたことには、我がことながら呆然だか、感心だかわからない心地になった。──どうやら、かつての自分は“それなり”どころか、“かなり”腕が立つようだった。


(たしか、今日は何か買い出しを頼まれていたんだったか……)


 昨日帰り際、イザベラにされた頼まれごとを思い出して、ポケットからシワがついたメモを取り出す。くしゃくしゃになっているそれを広げて見ると、細い文字で注文が書いてあるようだった。筆跡が馬鹿みたいに薄く、目を細めるか、メモそのものを目の前に近づけなければ見えないような代物だ。立ち止まるか端に寄るかで逡巡するが、時計を見ると買い出しのことを考えればいつもの時間までそれほど余裕も無い。どうせさして人通りも無い路地裏だと、行儀こそ悪いが歩きながら眺めることにした。


「あ〜これは……レモン? か? で、卵、あとは……何を作るつもりなんだ、これで。酒場じゃなかったのか?」


 記憶が無いというのは不便といえば不便だし、そうでもないといえばそうでもない。リアムにとっては、要は心持ち次第なことが多い。例えば今、こうして材料だけで何を作ろうとしているのかレシピが思い浮かばないのも、記憶が無いからというわけでは一概にないわけだし。昔のリアムが知らない可能性だってあるのだ。……というようなことをつらつらと考えながらもメモの解読を進めていると突然、衝撃が走った。


「……は?」

「ぁう」


 メモからようやく顔を上げ──下げると、そこには金色がいた。正確に言えば、金髪の子どもがいた。リアムとぶつかって競り負け、弾き飛ばされたのだろう、ふわふわとした金髪を隠していたのであろうフードが落ちているのも気にせず、尻もちをついてこちらを見上げている。つい、思考がうまく働かずその様子をただ眺めていると、みるみるうちにその目尻に涙が盛り上がっていく。


「な、泣く……泣くのか?」

「んにゅ……にゃきゃにゃ……!」

「なんて?」


 もごもごとしゃくりあげながらの言葉にすらなっていない子どもの返答にもう一度同じことを言って、それから途方にくれた。買い出しに行かなければならないのに、目の前には自分が泣かせたのであろう子ども。それも、服のサイズが到底合っていないうえに、リアムにぶつかるまでは走っていたときている。──どう考えても、訳ありだった。




「あら? いらっしゃい、リアム。なんだかいつもより早いお着き、ね……」

「……」

「……誘拐?」

「違う! 勘違いするな。頼むから」


 開店前の酒場に駆け込んで来たリアムは到底買い出しの荷物とは言えないような、ちょうど人間の子ども程度の膨らみを抱えあげていた。というか、ふつうに子どもだった。勢い込んだリアムの否定の真似か、数秒遅れて「あう!」と舌足らずに大きな声を上げたリアムの抱えあげている布の塊から頭だけを出した金色と目が合ったイザベラは大きくため息をついた。だって、それ以外何ができるというのだろう。記憶喪失の知人が見知らぬ子どもを抱えあげているなんて、どう考えても厄介事だ。状況からしてさながら誘拐じゃないか。しかもそう、布の塊。着ている服は到底丈が合っておらず、子どもが大人の服を着せられているような有様だった。いや、断定しよう。これは誘拐だ。


「えーっと……その子、どうしたの?」

「……拾った」

「元の場所に戻してきなさい」


 顔を顰めながらも子どもにちょっかいを出されるのを甘受しているリアムにじくじくと痛み出した頭を抑えてイザベラがなんとか声をかけると、どこまでも端的な言葉が返ってくるので思わずこちらも間髪入れずに叩くようにして返してしまう。本音だった。


「いや、違う。ぶつかって、泣いて……あー、だから拾ってきたんだ」

「何も説明になってないわよ、リアム。あのねぇ、それを世間一般で誘拐って言うの。記憶喪失でそのへんの常識もわからなくなったのかしら? ……まあ、とりあえずそれは置いておきましょう。ねえ、お嬢さん……えっと、女の子でいいのよね?」

「うん。たぶんな」

「お嬢さん、お名前は?」

「……? えーあす!」

「……? もう一回言って」

「えいあう!」

「……エイアス?」

「エリアル?」

「? あい!」

「わかってないのに返事するな」

「う?」

「はいはい、小さい子に当たらないの。えーっとじゃあ、エリアルちゃんでいいのかしら」

「いいんじゃないか」

「あなたには聞いてないわ。うーん、見た感じ、三歳くらいだけど……その割には、言語能力が発達してないわね」

「へえ。じゃあ三歳じゃないんじゃないか?」

「いいえ、……いいえ。何かしらの──そうね。例えば、魔術的要因が関わってくる可能性があるわ」

「……魔術的要因?」

「そう。だってその子、走ってきたんでしょう?」

「そうだな。それが?」

「サイズの合っていない、自分よりも遥かに大きい服を着ているのに?」

「……あ?」


 腕の中にいる子どもを見つめる。抱えあげている腕から遥かに余った布を足より先に垂れ下げたまま、何も知らないその子どもは青の瞳を煌めかせて無邪気に笑っていた。



 結局、子ども──エリアルはリアムが預かることになった。エリアルが幼い少女であることを考えると同性であるイザベラが預かるのが適当ではあるのだが、なんといっても彼女は酒場の主人である。子どもの傍にいるべき夜などいちばんの稼ぎ時だ。その点、リアムの住処はイザベラが大家をしている関係で、彼女がエリアルを預かっているのと環境はそう変わらないだろうという結論に至ったのだった。


 ──が、その状態で次の日、また次の日と日を重ねていくうちに、そうは言っていられない事実が発覚した。


「リアムでしょ、ベラでしょ、あとねぇ、エリアル!」


 出会って次の日にはエリアルがまともに喋り出したのだ。もちろん見目に違わず拙くこそあるものの、前日までほとんど喃語を喋るばかりだった少女である。成長が著しいというどころではない。イザベラの見解では、エリアルはおそらく何らかの要因により記憶をも失うかたちで幼体化した人間であろうということだった。記憶喪失という点においてはリアムとお揃いだった。まったく嬉しくない。

 そうして養育環境についての問題が再度浮上した。この成長速度では、ひょっとするとたったの一週間で大人になるような事件が起こりかねない。記憶喪失だろうがなんだろうがリアムも社会的責任のある成人男性おそらくだ。いくらリアムにそのつもりがなくとも、倫理的に問題しかない。


「まあ、なるようになるわよ」


 一方、イザベラといえば楽観的だった。聞けば、成長するごとにエリアルに選ばせればいいと言う。それはそうだが、同性としてもう少し気にするべきなんじゃないかと思う。それともリアムが気にしすぎなんだろうか。

 この二ヶ月ほどでわかったことだが、イザベラは案外適当な人間だった。とはいっても何もマイナス一辺倒の意味でなく、その適当さでのらりくらりと迷惑客や年齢についての言及などを躱すのが特別うまい。しかしほぼ万事そんな感じであるので、割合神経質であったらしいリアムと衝突することも少なくなく、今となってはお互いに遠慮も随分と無くなっている。


「で、どうしたい?」

「……?」

「ちょっと、それだけじゃ何もわからないでしょ。相変わらず気の利かない男ね。……ねえエリアルちゃん、あなた、誰と一緒にいたい?」

「おい」

「リアムは黙ってて」

「……? リアム?」

「ですって。お姫様のご所望よ、リアム」

「はあ? こいつ今、わかってないくせに返事しただろ。無しに決まってる」

「リアム!」


 何を問われたのかわからず疑問符を浮かべていたエリアルが突然、はっきりとリアムの名を呼ばわり飛び跳ねた。そして何が琴線に触れたのか、カウンターから少し離れたところで腕組みして立つリアムの足の周りをちょこちょこと走り回り出す。そのうえ何が楽しいのか青目をぴかぴか光らせながらリアムの名前を連呼するので、さながら小さな借金取りだった。子どもの体力は大人が思うよりも底無しで、いつかは終わるという希望的観測が役に立たない。

 ちなみに、リアムが実際に借金取りにあったことは無い。酒場のツケが溜まりに溜まった客の家にイザベラに言われたときに取り立てに行くくらいであって、どちらかと言えばリアムの方が借金取りに近い。


「あーもう、うるさいな。エリアル、わかったからおまえは大人しくしてなさい」

「……つまり、引き受けてくれるってことでいいのね?」

「ああ、そうだよ。だけどエリアルが成長しきるまでにさっさとこいつの身元を探し出してくれよ、そしたらおれが気にしてる理由は無くなるんだから。……で、今の進捗は?」

「あなた、それお隣のアラナに言ったらまた怯えられるわよ。それで、進捗だけど……今、グレイソンにあたらせているけどあまり芳しくはないわね」

「もうちょっと計画的にやればいいものを、お隣の漫画家さんは常に修羅場だからだろ。おれに怯えてるわけじゃない。……グレイソン? 誰だそれ」

「私の甥よ。情報屋みたいなものなの」

「へえ。なんでもいいけど、それでそのグレイソンはなんだって?」

「馬鹿ね、三歳くらいの女の子に限定した捜索願いをあたるならまだしも、エリアルちゃんの実年齢がわからないことには難しいに決まってるでしょう。『まったく』よ」

「……まあ、それもそうか。向こうさんがこいつが縮んで、ついでに記憶までなくしてるってことを知ってるかもわからないわけだしな」

「そういうこと。わかってるならいいわ。……それにしても、こうも難しいとかなり時間がかかりそうね。詰所もこの辺りには無いことだし」

「なんでもいいけど、とにかく一刻も早く見つかることを祈ってるよ、おれは」

話は終わりだというポーズのつもりで、言いつけられた通り大人しくしていて眠くなったのか、リアムの足にもたれかかったままうとうとしているエリアルを抱き上げる。エリアルにとって退屈な話だっただろうとは思うが、記憶喪失云々以前にリアムとて子どもとどう付き合えばいいのかわからずにいた。

「……リアム。あなた、新聞を取りなさい」

「なんでだよ。あんまり金を使いたくないんだが」

「新聞には人探しの広告が出されることがあるからよ。一刻も早くだなんて言うなら、人任せにしていないで自分でも探しなさい」


 それに、新聞って案外生活に役立つのよ、と悪戯げに笑ってイザベラは酒場のマガジンラックから新聞を一部取って寄越した。



♦♦♦♦♦



「ねえリアム、このへんの新聞って使ってもいいやつ?」

「ん? ……あー、ちょっと待ってろ。確認する」

「わかった。けどできれば早くしてね、それでアラナさんと遊ぶから!」


 生返事をしながら山となっているそれを不精して雑に引き寄せる。たしか一度も回収などには出していないから、取り始めてからの分すべてが置いてあったか。パラパラとめくれば、定かではない記憶がそういえばと言わんばかりに顔を出した。

 イザベラの勧めによって新聞を取り始めてから、だいたい一年。目当ての記事が出ずに新聞は溜まりに溜まり、エリアルの成長は一度ぐんと伸びてからゆるやかになった。今の彼女の身長はどれくらいだったか、少なく見積もってもリアムの胸ほどはあるはずだ。


「『銀髪青目の老女』『黒髪赤目の未成年男性』『金髪赤目の女児』『赤髪青目の男児』、『金髪緑目の未成年女性』……思ってたより条件に合致するようなものは無いうえに、これなんか何回も同じところが出してんだよな」


 それは半年ほど前に『金髪緑目の未成年女性』の人探しの広告を出してから、定期的に多少内容を変えて掲載され続けていた。『金髪緑目』という特徴は変えずに、指定される年齢だけが前後するという変な広告だ。……いや、一度だけ金髪の項目はそのままに、『青目』という特徴に変えられたことがあった。エリアルかとも思ったが、指定されていたのが『赤子』であったので、いまいち腹を決めきれずに逃したのだった。今考えればその場で連絡すればよかったかと思うが、かと言って年齢が合っていてもエリアルは緑目ではなく青目なのだ。金髪緑目という条件には合致しない。


「……よし。おいエリアル、それ全部使ってもいいぞ」

「ほんと? ……あれ、思ったより多い。こんなに使わないよ?」

「まとめてればまた使うかもしれないだろ。何に使うかは知らんが怪我はするな」


 よ、と言い切る前に扉をドンドンと叩く音がした。ちなみにこの部屋にインターホンなんて上等なものはない。そう広い部屋ではないので、今のように扉を叩くので十分だ。


「エリアル、おれが出るから隣に行くのはちょっと待ってろ。……はい、どちらさまですか」

「ここに金髪緑目の少女がいると聞いた。出してもらおうか」


 扉を開ければ、制服のようなものを着ている銀髪を後ろに撫で付けた男が立っていた。知らない顔だ。騎士か何かだろうとは思うが、それにしてはこちらの質問に答えないうえに出し抜けに不躾過ぎて気分が悪い。


「だから、どちらさまですかっつってんだろ。話聞いてるか?」

「……最寄りの詰所の者だ。いいから金髪緑目の少女がいるのかいないのかを答えろ」

「あ、そ。うちには金髪緑目なんていないけど。……ていうか、ふつう名前を答えるだろ」


 青目であればエリアルがいるが、我が家に緑目の人間はいない。しかし『金髪緑目』といえば、先ほどまで見返していた奇妙な人探しのことが思い浮かぶ。そういえば散々ひとにどちらさまですかと聞いておいて、自分は名乗っていなかったことに気付いた。


「あー……おれはリアム。で」

「わたしはエリアル!」

「は?」

「……!」

「おい、出てくるなって言っただろ、エリアル」

「だって、リアムが遅いから悪いんだよ。アラナさんの時間が無くなるじゃない!」

「……おい貴様、リアムと言ったか」


 先ほどまでの高圧的な表情を一転させ、感情を押さえつけるような無表情でその男はリアムに向き直り、「その少女をこちらに引き渡せ」と言った。エリアルは男が探しているらしい金髪緑目ではないのに、だ。


 やたらに高圧的であっただけでその男の最寄りの詰所の人間であるという申告に嘘は無かったようで、その後リアムの──というかアパート全体が騒がしくなった。男の上司であるというへらへらしてこそいるが隙の無い騎士がやって来て、正式にエリアルを引き取ろうとしたからだった。

 曰く、あの奇妙な人探しは城が定期的に依頼していたもので、とにかく一刻も早く金髪緑目の女性を探し出す必要があったのだという。そして緑目でこそないものの、おそらくエリアルはその探し人でほぼ間違いないらしい。そう言われるとただのいち預り人であるリアムとしては引き渡さざるを得ない。まさか一年以上もかかるとは思っていなかったが、もとより身元を探すつもりで孤児院や詰所にも届け出ずエリアルと暮らしていたのだ。突然でこそあるが、最初からわかっていた別れではある。


「ねえリアム、どういうこと? もうアラナさんのとこ行ってもいい?」

「別に行ってもいいけど、今からは遊べないぞ。……エリアル」

「なあに?」

「おまえと一緒で楽しかったよ。元気でな」

「リアム? 急にどうしたの?」

「……じゃあな」


 突然やって来た知らない大人に手を引かれて不安げな顔をしていたエリアルを覚えている。潤んだ碧色が何度もこちらを振り向いて、軌跡が目に焼き付いた。

『一刻も早く』という文言に違わず、リアム以外とまともに別れを告げることもしないままに去ったエリアルに、イザベラやアラナといった少なからぬ周囲の人間が残念がった。勤務先である酒場ではなかば看板娘のようにまで思われていたから、余計にだ。

 エリアルがいなくなった後のリアムはといえば、時々もういない人間に向かって呼びかけてしまって虚しくなるくらいで、生活そのものは大して変わっていない。




 夏が来た。照りつける日差しがだんだんと強くなり肌を焼く頃、なぜかいま、リアムは王都にいる。

 事の発端はといえば、エリアルを引き取りにきた件の騎士が、王城から呼び出しがあるとかで突然リアムのもとを訪ねてきたことだった。リアムに拒否権は無かった──というか、問答無用で馬車に乗せられて王都にある城まで連行された。リアムたちが住む街から王都までは半日程度かかる。ちなみに最寄りの詰所というのは王都の最西端に存在していて、緊急時などは半日もかけていられないために街には自警団がある。リアムもそのひとりだ。


「リアム様ですね? 謁見の間で殿下がお待ちですので、ご案内いたします」

「王城からの呼び出しとしか聞いていないんだけど……殿下だって? そんな方がおれに何の用があるっていうんだ」

「……私どもは存じませんが、直にわかるかと。それよりも、くれぐれも殿下へ無礼な真似などはなさりませんよう」


 さすがに直属ではない騎士が城の中を案内するというようなことは無いようで、使用人らしき男に先導される。天井窓から降り注ぐ日光が、白い壁で反射して眩しい。長い廊下の先、突き当たりの最も大きい扉の前で男が立ち止まった。


「殿下、リアム様をお連れしました」

「どうぞ。入って」

「失礼いたします」


 扉の向こうから聞こえてきた声に、どこか聞き覚えがある気がした。ギイと大きな音を立てて男が扉を開き、それからリアムを手招きする。どうやらひとりで入れということらしかった。記憶喪失なのもあって作法にあまり自信は無いが、男の真似をすればいいのだろうか。


「……失礼します?」

「あまり畏まらなくていいから、頭を上げて」

「はあ、それはどうも……」


 中を見ないままに入ってすぐ頭を下げたから姿はわからないが、随分気安いひとらしかった。声的に女性だろう。それはそうとしてわざわざ王都までリアムを呼び出した理由がわからない。とにかく許されたのでいいかと頭を上げて──息をのんだ。


「わたしはエリアス。リアム、あなたに会えて嬉しいな」


 そこには、エリアルとよく似た女性がいた。薄暗い部屋のなか、彼女の後ろに位置するステンドグラスから降り注ぐやわらかな日差しを受けて煌めく、夏の新緑よりも深い緑の目。それだけが、あの子と異なっている。逆に言えば、それ以外のすべてが、リアムにはエリアルと同じに見えた。


「……エリアル?」


 思わずリアムの口からこぼれ落ちたその名前に、目の前の彼女がすこし笑みを深めた──ような気がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ