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元奴隷の少女と怪物男の血にまみれた日々  作者: 桐城シロウ
第一章 それは歪んだ執着から始まって
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1.毒のような少女と孤独な怪物男の始まり

 






「まずは食え。話はそれからだ」

「あっ、ありがとう……エリオットさん」



 どんと、目の前のテーブルに魚のフライとポテトとピラフが入った皿が置かれる。意外にも彼の────エリオット・ホープの部屋は綺麗に整っていた。ここは終わった世界と呼ばれる無法地帯の片隅で、一応これでも治安が良い方らしいが。



「あっ、あの……」

「質問は後で受け付ける。……この部屋なら前の女の趣味だ。先週死んだが。いや、殺されたな。俺が死なせた」



 憂鬱そうな顔で呟くエリオットの顔立ちは整っていて、無骨な雰囲気が漂う。胸元から首にかけてドラゴンのタトゥーが施され、黒髪に赤い瞳が美しい。そんな男をじっと見つめてから、上を向いて天井を眺める。そこにはオレンジ色の花形ランプが吊り下がっていて、ぼんやりと淡い光を放っていた。



 壁紙は白く、床は傷付いたフローリングだったが埃一つ積もっていない。ダイニングテーブルに椅子が二脚。どこからか拾ってきたようなぼろぼろのソファーに薄汚れたキッチンと冷蔵庫。



 それなのに横の窓には花柄のカーテンがかかっていた、黄色とピンクの。



「まぁ、いいんじゃないですか? 居心地の良さそうな素敵なお部屋で」

「知ったような口を聞くな、お前は。一体いくつだ?」

「ジャスパーから聞いてないの? 十七歳。もうすぐ十八歳」

「そうか。……お前が生きていたら祝うか。誕生日」



 表情一つ変えずに言われ、目を瞬く。やはり意外と優しい男だ。憂鬱そうな顔立ちでこちらを見つめ、深い溜め息を吐く。



「今までの女もあっという間に死んでいった。……頼むからお前も俺のことを信用してくれよ? 手足を切り落とされてレイプされたくなくばな」

「私、そんなに馬鹿じゃないの。エリオットさん? 貴方は何も悪くなんてない、悪いのは全部その子たち。貴方を信用しなかったから死んでいった。ただそれだけの話でしょう?」



 彼が望む言葉を選び、口にしてゆく。白身魚のフライはべったりとしていてちっとも美味しくなかったが、フライドポテトは美味しかった。ふわりと檸檬の香りが漂う。



「いいや、違う……俺が殺したんだ、あの子達を」

「そうでも思わなきゃ生きていけない? ……自分のことが許せないのね、貴方は」



 これは彼の望んでいた言葉ではない。しかし意図的に選ぶ。ある程度傷付けた方が、人は心を開く。見極めを謝れば大きく閉ざされてしまうが。スプーンでピラフを掬い上げ、眉を顰めている男を睨みつけた。



「いい? 貴方がどう思おうと勝手だけど。でもこれだけは言っておく。貴方は何も悪くなんてない。その女の子たちが馬鹿だっただけ。それに、」

「やめろ、死者だ……それに言っても仕方が無い。もう戻ってこない」



 彼が黒髪頭を抱え、ぼそりと呟く。重たい言葉だった。スプーンをくわえ、食い散らかした皿の上を見つめる。



「そうね、ごめんなさい。貴方が自分を責めているものだから。それを見てつい腹を立ててしまって。自分勝手だったわ、ごめんなさい」

「何故分かる? ……お前は何をどれだけ見れるんだ?」

「人の性格や行動の何もかもを全部。頑張れば……いや、運が良ければ過去も見える。流れ込んでくる」



 その人を見ただけで、それらが分かる。こういった場面では怒る、萎縮する。こんな人間が苦手、こんな作業が苦手。そして相手が望む言葉も分かる。これは絶対に言わないけど。



「だから貴方のことも分かるのよ、エリオットさん。……辛かったでしょう? 今まで。誰にも何にも信じて貰えなくて。いくら貴方がどんなに泣いて縋って手を伸ばしても、」

「やめろ。やめてくれ、今すぐにやめろ……!!」



 がたんと椅子から立ち上がり、低く呻く。真っ赤な瞳に懇願するような色が浮かんでいた。怖いのだ、今まで求めてきた理解と言葉が突然降ってきて。低く笑い、スプーンを振り回す。彼は弱い獣だ、人に手当てされるのを嫌がっている。



「怖い? 私が? でも、貴方が今まで求めてきたことを渡せる……そう、理解出来る。信用できる。あんまり舐めて貰っちゃ困るんだけど。伊達に舌先だけで生きてきてないのよ、この終わった世界で」

「まさか。それだけで生き延びてきたのか、お前は」

「人は知られるのを一番嫌がる……簡単なことよ、全部全部説明してやればいい」



 真顔で相手の目をじっと見て、「貴方は本当はこう思っている、本当はこんな性格なんでしょう?」とつらつらと述べれば青ざめてゆく。そして決まって「何故言ってもいないのに知っているんだ? お前は」と聞いてくる。どいつもこいつもくだらない人間ばかりだ。



「でも、貴方は違う……私を受け止めてくれる。大きな何かを隠しているから」

「知っているのか? それを」

「いいえ、でも後ろめたいんでしょう? 知られると怖がられる、そんな大きな秘密……ああ、大丈夫。暴く気は無いから。それで信用しないとかも有り得ない話だから。ちょっと一旦落ち着いてくれる? エリオットさん」



 彼はぼそりと「毒のような少女だな、お前は」と呟いて座り直した。その赤い瞳には「こいつなら大丈夫じゃないか、俺のことを分かってくれるんじゃないのか」という安堵と期待が滲んでいる。



 ああ、そうだ。そのまま信用してしまえ、私のことを。



(彼に縋らなきゃ生きていけない……私を最初に買ったのが女で良かった)



 しかし、同じ手は二度と使えないだろう。あの女がとりわけ弱かっただけ。



(精神攻撃だけで生きて行ける訳が無い……何としてでもこの男に守って貰わないと)



 たかだか十七の小娘だ、私は。慎重に狡猾(こうかつ)に生きていかなくては。皿の上のピラフを睨みつけ、考え込む。変な味はしなかった。むしろ丁寧に作られたような味がした。薄味でスパイスの香りが効いている。



「前の……前の女の子は恋人だった? その子も奴隷?」

「いいや、恋人じゃなかった……間違ってもそんな関係じゃない」



 エリオットがくちびるの端を歪め、自嘲(じちょう)した。私が何を疑っているのか、それが分かったのだろう。何のためらいもなく続ける。



「性欲処理に使ったことはない。いたって健全な関係だった。そして俺はお前もそんな風に扱う……お前の嫌がることは何もしない。……望めばまぁ、別だが」

「貴方がお断りって感じじゃない? こんな骨ばった女」



 元々太りにくい体質だったが、前の女が私に食事を与えなかったことで悪化した。自分の細すぎる体を見て眉を顰める。向かいに座ったエリオットがこちらを眺め、眉毛を持ち上げた。



「今後はカロリーの高そうなものを買ってこよう。見ていて不安になる」

「お気遣いどうもありがとう、エリオットさん。手に入るのならだけど、アイスでも買ってきて貰おうかしら?」



 スプーンを置き、空っぽになった皿を眺めつつ「ありがとう。美味しかったわ、とても」と告げておく。エリオットがこくりと頷き、横の窓を眺めた。



「月に一度、普通の世界……あちらの世界へのゲートが開く。その時を狙って行こう。まぁ、十中八九襲われるだろうが」

「お金はあるの? そもそもの話、仕事をしているの?」

「ある程度は。仕事なら……麻薬を運んだり、あちらの世界から来た人間の護衛。後はまぁ、暗殺だな。復讐も請け負ってる」

「そう。まぁ、大した仕事じゃなくて良かった……誰の傘下に入っているの?」



 この終わった世界を牛耳っているマフィアが四人いて、誰の傘下に入っているのかと。そう聞いたのだが、彼はあっさりと驚きのことを口にした。



「俺はマフィアじゃない……誰にも従っていない。自由に生きている」

「嘘でしょ……私を買った前の女だって、そんな、庇護下にいたのに……?」

「そうだな、そうじゃなきゃ仕事も食料も手に入らない。が」



 エリオットが白いマグカップを持ち上げて、いとも簡単にそれを()()握りつぶした。ぐしゃりとマグカップが砕け散り、それを見て呆然とする。



「嘘……そんな、オモチャみたいに。いや、脆いガラス細工みたいに」

「俺の特殊能力とでも言うべきか。銃弾も通らない、この力で何とか生きて行ける。……一人でもな」

「じゃあますますよく分からないわ、エリオットさん。一体どうして私を買ったの? わざわざこんな、面倒な荷物を背負い込まなくても」



 性欲処理に使う気が無いと言っておきながら、そういったことに使う予定なのか。



(いいや、嘘は吐いてなかった……どうして)



 感情が窺えない整った顔立ちを見つめ、探る。駄目だ、何も分からない。彼は酷く疲れていて、常に憂鬱そうだ。まるで世捨て人のような倦怠感を身に纏っている。



「それをお前に話すつもりはない……だけど約束しよう、何が何でも絶対に守ると。そうすることで俺にもある程度のメリットがあるんだ。だからそんなに警戒するな、毛を逆立てた子猫ちゃんみたいに」

「っふ、子猫ちゃん、ね……真顔で言われてもおかしいだけだわ、エリオットさん」

「緊張が解れたのなら良かった。見るもおぞましい無残な姿で発見されたくなくば、俺を信用することだな。ソフィー」



 どうだっていいことだが、私の名前をやけに大事に発音している。少しのためらいが滲み出し、こちらを真っ赤な瞳で見つめてくる。その瞳にはやはり、真面目さと優しさが宿っている。ああ、そうだ。



「信用するわ、エリオットさん。そんなに頭が緩い女じゃないから、私」

「そうか……いいな、手間が省けて。お前の能力は」

「そう? こんな力、無い方が絶対にいいけど?」



 嘘にも優しい嘘がある。家族が私のために吐いてくれた嘘も見破ってしまう。ああ、嫌だな。人のことなんて知らないに限る。知らなければ幸せだったことの、なんと多いことか!



「とにかくもまぁ、今日は眠れ。くたくたに疲れきっているだろう、お前」

「っふ、ばれちゃった? もうね、あのジャスパーとやらが最低最悪の男で……殺してやろうかと思ったわ、本当に。まぁ、向こうも向こうで私のことを殺してやりたいと思ってるんでしょうけどね?」



 そこまでを話してから、一気に生温い紅茶を飲み干す。この男の家に紅茶があったとは驚きだ。きっとこれも前の女とやらの趣味だろう。それともその女のために用意したのか。しそうだ、この男は。そんなことを。



 薄れてゆく意識の中で、男が()()()()立ち上がった。そのままゆっくりとこちらへやって来て、それまで私が持っていたマグカップを取り上げる。



「もう眠れ、お前は。ソフィー……もう、誰もお前のことを傷付けたりなどしない」



 酷くそっけない言葉。なのに涙が出そうになる。その優しい声を聞いてくちびるの端を緩めた。ああ、そうだ。私はこの男と生きていこう、怪物と呼ばれるこの男と。



「ありがとう、エリオットさん……本当はね、ずっとずっと怖かったの。貴方もでしょう? 理解されないことはこんなにも恐ろしい……」



 男が黙って私を抱き上げ、リビングを横切ってどこかへと向かう。寝室だろうか、でも身の危険は一切感じない。そのまま力を抜いて、ぐったりと体を預けた。眠りに落ちる寸前、エリオットがぼそりと呟く。



「ああ、そうだな……そうだな、ソフィー。俺もずっとずっと怖かったよ」






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