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元奴隷の少女と怪物男の血にまみれた日々  作者: 桐城シロウ
第一章 それは歪んだ執着から始まって
19/44

17.その頃、彼女はチキンを強奪して食べていた

 





「大丈夫だって! 大丈夫だから一旦落ち着けって、エリオットさん! まだ傷も塞がってないのに、」

「落ち着けるかよ、放せ!! ソフィーが、ソフィーが、だって浚われて」

「ソフィーさんなら絶対に大丈夫だって! 死ぬって出てなかったし! 全然感じ取れなかったし! それに、あのソフィーさんが黙ってやられる訳ないだろ!? 今頃、全力で暴れてるって!」

「何でそんなことが言い切れるんだよ!? 今頃、酷い目に遭って」

「聞けよ、俺の話! ていっ!」

「いだっ!?」



 それまで俺の肩を掴んで引っ張っていたアンドルーが、ぐるんと俺を回して、頭突きをしてきた。ごんと衝撃がやってくる。流石に星が飛んだ。痛い。



「おっまえな……!!」

「泣いちゃうだろ、俺が! 淋しくて! 話を聞いて貰えなくて!!」

「いや、もう泣いてるじゃん……」



 アンドルーがだくだくと涙を流し、「だ、だってさ、俺、役立たずだし……巻き込んじゃったし」と言って嗚咽を上げる。何て言えばいいんだ、こういう時。初めて見た、人がこんなに泣くの。



「そ、それにさ!? 弱かったじゃん!? また刺されに行くつもりかよ!?」

「……ソフィーが相手の男を殺して欲しくなさそうだったから、それで……」

「にしたってさ? 動きも悪かったし……実力差があるんだよ、やっぱり」

「いい。次は殺すから」

「いやいや、待とう!? ちょっと待とう!? ソフィーさんなら大丈夫だから! 黙ってしくしく泣くような女の子じゃないじゃん!?」

「いや、今頃、震えて泣いているかもしれない……」

「それはエリオットきゅんが恋に落ちてるから、そう思うだけなんだって! がっつり恋愛フィルターがかかってるだけなんだって! 恋愛フィルターがかかってると、ブスも傾国の美女! はい、復唱して!?」

「何でだよ、やだ」



 俺が軽く笑って胸元を押すと、ずびびと、鼻水を啜ってほっとした顔をする。仕方ない。少し落ち着くか。



「分かった。……今すぐには追いかけない。まだ傷も、完全に塞がってないしな……」

「噂には聞いてたけど、本当だったんだな……でも、まだ不死身にはなってない感じ?」

「なってない。ソフィーが嫌がるからな……」

「事情を話してすれば良かったのに。打算的というか、シビアだからしてくれそう」

「……それは流石に嫌だ」

「えっ、ピュア~。俺だったら、さっくり話してするんだけどなぁ」

「気持ちが無いのなら嫌だ」

「ぴゅ、ピュアピュアじゃん、も~! やだ~!」

「痛い。背中を叩くなって……何でたまにおばさんが入るんだよ、お前は」



 興奮気味のアンドルーに背中を叩かれつつ、瓦礫を踏みしめて歩く。一体どこに行けばいいんだろう。家に帰っても意味が無い。帰る場所が無い。ソフィーがあちらにいるのは分かる。分かるが、追いかけるなとアンドルーは言う。苛立って舌打ちをすると、アンドルーがとんとんと、俺の肩を叩いてきた。



「……何だよ?」

「俺さ、前にアンブローズと揉めたことがあってさ」

「アンブローズ……? 何か聞いたことがある名前だな。一体誰だ? ええっと、ボブの知り合いか……?」

「うーん、それは違うと思うなぁ! ボブって一体誰? アンブローズ、そんな男と知り合いじゃない」

「悪いな、人の名前を覚えるのは苦手で……」



 アンドルーがはっと白い息を吐き、俺の隣を歩く。ふと見てみると、涙はもう止まっていた。その代わりに、黒い瞳には何らかの意思が強く秘められている。



「あいつ、ジャックって名乗ってた奴。アンブローズが飼ってる犬なんだよ。ちょっと前にそう言ってた。あんな化け物の弱点、どうやって知って、突いたのかはよく分かんないけど」

「へぇ? それで? 俺は忙しいんだが?」

「おっと、ソフィーさんの王子様は気が短いなぁ~。考えた? 口説き文句」

「愛してるとなら言える。が、ん~……あいつが気に入るような言葉は、とんと思いつかない」

「やだ、可愛い……!! 健気~!」

「いいから、おばさんになってないで早く言え。妙案があるんだろ?」



 横目で睨みつけてやると、にっと笑って黒い瞳を細める。ふざけてはいるが、こいつも、この終わった世界で生きていけるような奴だ。只者じゃない。



「知り合いのね? お姉さんに会いに行こっか! とびっきり刺激的で、優しいよ~?」

「そいつが協力してくれるのか? 俺に?」

「してくれると思う。そもそもの話、あんまり細かいことを気にするような人じゃないし」

「強いか? 足手まといはいらん」

「強いよ~。アンブローズだけに、だけどね?」

「アンブローズだけに……? いや、どんな奴か思い出せないんだが」

「まぁ、しょっちゅう暴れてるもんね……エリオットきゅんは」

「何できゅんが入るんだ……?」

「俺の気分で入れてる!」

「そっか……そっか」













 かちかちかちと、歯の根が震える。知らなかった。人間、恐怖を感じるとこんなに震えるんだな。止まらない、震えが。恐怖心が。でも。



「生憎と私、乱暴な男はタイプじゃないのよね……」

「震えながら言うことか? それ」



 目と鼻の先にいる、アンブローズが低く笑う。逞しく盛り上がった胸元に、ナイフの切っ先を当てているのに、一向に動じない。むしろ、私が震えている。手の振動が伝わって、切っ先がシャツを僅かに擦っていた。どくどくと心臓が鳴っている。どうする? どうする。ここからどうする。



 頭がぐらつくような甘い麝香(じゃこう)とベルガモットの香りを漂わせ、アンブローズが妖艶に笑う。そして、震える恋人の手を握るかのように、私の手をそっと握り締めた。壁に背中を預け、食い入るようにそれを見つめる。



「……可哀想に。そこまで震えてちゃ、相手の心臓も突き刺せないな……どっちがナイフを持っているんだか」

「だって、さし、刺したら、私のこと、殺すでしょ……?」

「俺がそうやってお前を殺す前に、お前が俺の心臓を突き刺せばいいだろ? まぁ、出来ないよな? 所詮、お前はたかだが十七のガキだ。それなのに偉そうな顔をして、ゴチャゴチャ言いやがって……」

「っぐ、あく、悪趣味ね、本当……!!」



 あまりにも過去に触れて、引き摺り出すと、逆上して私のことを殺す。アンブローズに首を絞められながらも、必死に頭を回転させる。考えろ、考えろ。自分が生き延びる方法を。どうやったら、この男から逃れられるかを。



「刺す、刺すわよ、本当に……」

「しょっぼい脅し文句だな? まぁ、いい。首を絞めたいと思って絞めていた訳じゃない」



 意外にも、ぱっと首から手を離した。いけると思ったのも束の間、おもむろにアンブローズが近寄ってきて、首筋に吸い付く。突然のことに硬直する。何をしようとしているの、この男は。



「ちょっ……!?」

「お前は痛めつけるより、優しくされる方が嫌いだろ? プライドが高い」

「……ああ、なるほど。まだ利用価値があるから殺す気は無くて、弄ぶつもりだって?」

「最初からそのつもりだけどな。まぁ、女を殴って喜ぶような小物じゃないさ。俺も」

「っは、どうだか。その気になれば殺すくせに」

「まぁな。でも、お前みたいな女はいくら殴っても、目に力が入ったままだ。死なない。死ぬ直前まで、こっちを睨みつけてくる……」



 ああ、殺したのか。綺麗な人だったのに。黒髪に青い瞳を持った女性が、がりりと床に爪を立て、歯を食い縛る。凄まじい形相でこいつを睨みつけ、ひび割れたくちびるから、真っ赤な血をぼたぼたと落とし、呪詛を吐き出した。



「覚えているがいい、アンブローズ……どうせ、お前みたいな男はすぐに殺される。そう! お前が親友だと、そう、ぬけぬけとほざいていた男を殺したようにな!!」

「っブレンダの言葉か……!! すごいな、一体どこまで辿れるんだ? なぁ?」

「全部よ、全部……!! 一つ一つ、教えてあげましょうか? ああ、貴方のお兄さん代わりだった人。結局、貴方の忠告も聞かないで飛び出していったわね? 辛かったでしょう? 悲しかったでしょう? だって結局、実の弟のように思ってるって言葉も全部嘘だったって、そう証明されたも同然じゃない!!」

「黙れ!!」

「ぐっ」



 がんと壁に叩きつけられる。しまった、煽り過ぎたか。彼が殺した女の動きを再現しようと思って、「ああああああああ!!」と気でも狂ったかのように叫び、滅茶苦茶にその足を蹴り飛ばす。また、ぐっと首を絞められた。恐怖を与えるのが目的なので、すんと鼻を鳴らして落ち着き、正気を取り戻した顔でじっと見上げる。



 アンブローズが、形の良い眉をほんの少しだけ顰めた。



「……不気味だって言われないか? よく」

「言われるわよ、もちろん。親にも友達にもね? そしてね、みんな怖がるの。一体どうしてだと思う? そんなに過去や性格を知られるのって怖い? 本当、こんな力なんて無かったら良かったのに」



 ああ、そうだ。知りたくない本音も性格も、全部全部分かってしまう。どうして嫌われているんだろうと思えば、元カノとそっくりだったからとか。どうしろって言うのよ、私に。知ってもくだらないことばかりだ。傷付いてしまう、いちいち色んなことに。



 自分の足先を見つめていると、熱く歪んだ。もういい、吐き出してしまえ。この男は敵だから、どう思われようとどうでもいい。ぐっと、太い手首を掴む。



「お父さんだってお母さんだって! ……口には出してないけど、私のこと、不気味だって思ってる。普通の娘だったら良かったのに、ごめんねって、そう……そう言った時の、惨めな気持ちときたら! 友達だってそう、結局救えなかった。もういい、殺してくれる?」

「あ? 一体何を」

「だって、あんたみたいな頭のおかしいマフィアにさえ、怖がられるんだからさ……!! 無意味じゃない。そりゃ、他の人も怖いわよ。人を怖がらせるだけ、嫌な思いをするだけ!! もう、もう嫌だ……せめてあんたが怖がらずに、私を殴りでもしてくれたら良かったのに」

「……殴るのも、殴らないのも。俺の勝手だろ? くだらない」

「呆れた……怖気づくだなんて」

「調子に乗るな。そう焦らずとも、あいつが来たら殺してやる」



 また私の首から手を放し、さっき、床に落とした葉巻を拾ってくわえる。そして、おもむろにポケットからライターを取り出して、火を点けた。



「興が削がれた。どうしてくれる」

「願っても無いこととだけ伝えておくわ、それならね」

「はーあ……だる。呼び戻すか、あいつ」

「あいつってジャックのこと? あーあ、貴方の相手をするより、面倒臭そうでやだ……」



 こちらに背中を向けたまま、おもむろに何かを掴んで、かぁんとベルを叩く。ハンマーでも置いてあったんだろうか? すぐさまドアが開き、誰かが入ってくる。振り返りもせずに、「ジャックを呼んでこい。今すぐにだ」とだけ伝える。ドアが閉まったあとで、力が抜けて、へなへなと床に座り込む。



 疲れた。体に負担がかかるってのは嘘だけど、いつもいつも眠たくなって、泣き出したくなってしまう。使いすぎると駄目だな、本当に。



「はー……エリオットさん、早く迎えに来てくれないかな……」

「中々に楽観的だな? ソフィー」

「だってエリオットさんのこと、そこまで恨んでないじゃない……殺すと言っておきながらも、殺意があんまりない。そんな舐めた態度で待ってると、あっという間に首を切られて死ぬわよ?」

「……かもな」



 アンブローズがハンマーを持って、こちらを振り返る。どうしよう、やばい。いや、違う。これは怖がった瞬間、頭をかち割られるやつだ。じゃあ、どうしたらいい? そうだ、じっと見つめればいい。そうすれば、こいつも静かに私のことを見下ろしてくるから。案の定、ハンマーを振りかぶったまま、ぴたりと止まる。こつんと、ハンマーの先が私の頭にキスをした。



「……何で怖がらない? 自殺願望があるからか?」

「かもね。でも」

「何だ」

「殺される気がしないの、まったく。だから怖くないし、私はここで死ぬような女じゃない」

「へぇ、やけに自信があるんだな? じゃあ、例えば今ここで、俺が……」

「待たせたな。呼んだか?」



 とっと、擦り切れた赤いカーペットの上に男が着地する。ジャックだった。こちらを見て眉を顰め、ぐいっと腕を掴んで、私を立たせる。



「もういいだろ? 我慢出来ない。これ以上は()()()、アンブローズ」

「……好きにすればいい。連れて行くなり、何なり」

「なら、そうさせて貰おう。行こうか? ソフィー」

「ありがとう、ジャック。貴方が来てくれて良かった、淋しかったのよ? 私」



 媚でも売っておくかと思い、喜ぶ言葉を選んで告げてみると、嬉しそうな表情で口元を緩める。味方にして飼い慣らしておかないと、この男を。じゃないとまた、さっきみたいな目に遭う。もっともっと、おぞましい目に遭ってしまう。



「ううん、えーっと、ごめん……行こうか? お腹空いた?」

「空いた! フライドチキンが食べたい! それか温かいスープが飲みたい」

「よし。それなら適当に誰かの部屋に行って、奪って食うか……」

「そうしましょ。あーあ、疲れた……」

















 何故、こんなところでこんなことをしているんだろう。俺は。一分一秒が惜しいのに、隣のカウンター席に座ったアンドルーがコートを脱いで、「すみません、この不機嫌なお兄さんにはお水を一つ!!」と叫んで注文をする。歯を食い縛って、隙間から細く息を吐き出していると、流石に慄いて、ぽんと肩を叩いてきた。



「ごっ、ごめんごめん……ほら、アジトの場所なら分かってるからさ? 多分、俺を選んだのも、その辺りが理由なんじゃないかって」

「アンブローズと言ったか。殺そう」

「いや、バランスとかも色々あるし……ずっと抗争続きだったし、またあの状態に戻るのもなぁ~」

「そいつの傘下にいたのか? お前」

「えっ、淋しい!! いつもみたいに呼んでくれないと、拗ねちゃいますけど!? 運ばれてきたポテトも全部俺一人で食っちゃうし、何なら、赤ん坊みたいにばぶーばぶーって泣きますけど!? いいの!? 俺が隣で、ばぶばぶ赤ちゃんの泣き真似をしても!?」

「どんな脅しだよ……ごめん」

「ひゃ~、何だかんだ言って優しい~、ひゅーう」



 どう反応すればいいんだろう、こういう時って。アンドルーがおどけた表情でくちびるを尖らせ、指をぱっちんと鳴らす。ソフィーだったらきっと、物凄く嫌そうな顔をして「その指、折ってもいい?」と聞くんだろうな。ああ、駄目だ。泣けてきた、怖い。きっと今頃は、震えて泣いている。



 運ばれてきたグラスを持ち上げ、氷水を流し込むと、ふわりと檸檬の香りが漂った。爽やかだ。熱くなった喉を通って、胃に冷たく染み渡ってゆく。



「……その女ってのは、どこだ? 名前は?」

「名前はアンジェラ・バース。うねった黒髪に緑色の瞳を持つ、最高に色っぽくて勝気な美人。あ、恋人でもないし遊び相手でも無いよ? ただ、彼女、一つ特徴があって……」

「久しぶり、アンドルー。何? ようやく顔を見せたかと思えば、そんな怪物男を連れて来て」



 その声に振り返ってみると、確かに、気の強い顔立ちをした美女が立っていた。まるでジプシーのようだ。黄色と緑のチェック柄スカーフを被って、茶色のシンプルなワンピースを着ている。そのアンジェラとやらが、俺のことを強く睨みつけてきた。



「あんた、アンドルーのことをいじめるようなら……」

「あ~、待った待った! アンジェラ姉さん! この人、エリオットきゅんはこう見えてピュアピュアだからさ!? 今さ、好きな女の子をアンブローズに浚われちゃってさ、だから人相が悪いだけで、」

「あんた、獣人か? そんな匂いがする」

「……なるほど。鼻がいいのね? まぁ、私達とあんたでは何もかもが違うけど」



 深い溜め息を吐いてから、しゅるりとスカーフを取る。そこに現れたのは、黒い耳だった。短い毛が生えている。



「それで? またアンブローズが、あんたに余計なことをしたんだって?」

「まぁ、俺への嫌がらせも含まれてはいるんだろうけど……」

「酒を飲んでいる場合? 行くわよ、アンドルー。まったく、あの子はいつまで経っても分かりゃしないんだから……お仕置きをしに行かなくっちゃね、面倒だけど」






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