決闘を繰り広げた、あの桜の木の下で。
小学生だった頃のことを、思い出してみてほしい。
身体も心もまだ未熟だった少年少女達が集まれば、当然ながらケンカも起きたのではないだろうか。
うちのクラス……『1年1組』では、とりわけ男子と女子が不仲だった。
やんちゃで気の短い男子が大勢いて、口うるさい女子も大勢いて……ケンカが起きるのは日常茶飯事だったんだ。
互いを罵り合うだけなら、ほっといてもよかったかもしれない。でも困ったことに、うちのクラスの連中は口だけじゃ終わらないんだ。そう、ひとたび火が付けば、高確率で殴り合いのケンカに発展しちまう。
はっきり言って、担任の先生は無力だった。
うちの担任……無能すぎて名前も忘れちまったが、ケンカが起きればもう、オロオロとしているだけで止めにも入らない。
ん、なんか騒がしいな……。
お、今日も始まってるな。
「いちいちうるせえんだよ、このクソアマ! アバズレ!」
「あんたらがちゃんとやらないからでしょうが! このごくつぶし! 男子全員地獄に堕ちろ!」
一応、念を押しとくか。
すごいだろ、これ両方とも小学生の口から出た言葉だぜ? どこでそんな言葉を覚えてきたんだって突っ込みたくならないか。
今、このふたりは絶賛ケンカの真っ只中。
ケンカが起きた原因は、掃除当番の男子が箒でチャンバラ対決を始めたことらしい。
男子も女子もお互いを掴み合って、周りにいる生徒達は止めるどころか、「もっとやれ! ぶん殴っちまえ!」なんて煽り立てる始末。なお担任の先生はいつものように、オロオロしてそばに立ってるだけだ。
その時、ひとりの少年が教室のドアを開けて、ケンカの現場に割って入る。
「おいやめろ! やめろお前ら!」
この少年が俺……水原純平だ。
ぶん殴っちまってからではもう手遅れだから、俺は男子のほうを羽交い絞めにして引き離す。その最中にもう一名、この場を収める役目を持った子が駆けつけてくる。
腰まで伸びた長い茶髪をヘアピンで留め、広いおでこを出したその女の子は、ケンカしていた女子をぐっと押さえ込んで、引き離した。
「ちょっとやめて! ケンカしちゃダメだってば!」
紹介しよう。
彼女は三嶋夏美、俺と一緒に『ケンカ管理委員』を務めている女の子だ。
聞き慣れない委員だと思ったあなたは正しい。ケンカ管理委員は、俺達生徒の間で勝手に作った、ケンカの収束を目的とする委員なのだ。
その仕事内容は、今のようにケンカを仲裁して止めること。
そしてもうひとつ、彼らに代わって、『ケンカをすること』だ。
どういうことなのかって? それを説明しよう。
時間を放課後まで飛ばし、場所もこの教室から学校の裏山まで移させてもらう。
木々や雑草の生い茂った道を数分歩けば、解放感を感じるほどに開けた原っぱがある。タンポポがたくさん生えていて、真ん中には大きな桜の木が立っている。
そして、そこにはたくさんの少年少女達が……1年1組の生徒達が、男子と女子に分かれて、互いを睨み合うような形で仁王立ちしていた。集まったのはクラス全員じゃないんだが、あのケンカの当事者である子は皆いる。
そして、男子と女子……双方の代表者が、前方に歩み出る。
そう、ケンカ管理委員の俺と……夏美だ。
「ちゃんと掃除をしなかった男子が悪い。今謝るんだったら、許してあげるけど?」
腕を組んで俺を睨みながら、夏美が言った。
彼女は水色のパーカーに灰色のショートパンツ、スニーカーという出で立ちだった。いかにも動きやすそうで、ケンカに適した格好に思えた。
「誰が謝るかよ、ゴチャゴチャうるさい女子が悪い。そっちこそ、謝るなら今のうちだぜ?」
俺はゴキリと拳を鳴らした。
「やっちまえ、純平!」
「夏美、しっかり!」
周りの子供達が囃し立てる中、俺と夏美はしばし睨み合った。
その後、一時の沈黙が訪れる。草木の匂いを内包した風が、俺達の周囲を吹き抜けていく。
風が止んだ、その時だ。
俺と夏美は、同時に口を開いた。
『男子か女子か、いざ尋常に!』
俺達の言葉が重なり合う。それは言うなれば、戦闘開始の合図。
俺は男子の代表として、夏美は女子の代表として、全員の気持ちを背負ってケンカするという意思表示だ。
始まったケンカは、わりとすぐに決着が付いた。
「あいたたたた! わ、悪かった! 俺達の負けだ、許してくれ!」
初めのうちは夏美の腕を振り払ったりしてた俺だけど、すぐに転ばされて逆エビ固めをかけられた。
成す術がなく、俺ができるのは降伏の意思を伝えることだけだった。
「聞こえない、ちゃんと謝りなさい!」
「俺達の負けだ、降参だ! ギブギブギブ!」
そこでようやく、夏美は俺を解放してくれた。
地面でのたうち回る俺をよそに、夏美は女子達のほうを向く。
「勝負あり、女子の勝利!」
勝どきを上げる夏美。女子達は歓声を上げ、逆に男子は皆俯く。
その後、掃除の件で女子と揉めた男子は全員謝罪し、肩を落として去って行った。
ケンカ管理委員である俺が負けたということは、つまり男子が負けたということなのだ。
服に付いた草や雑草を払い落としつつ、家に帰ろうと歩いていた時だ。
「あ……」
俺を待つように道端に立っていた夏美と視線が重なり、俺達はそのまま、ふたりで公園のベンチに腰掛けた。
「純平、大丈夫? さっきの技、痛くなかった?」
「大丈夫さ、それなりに効いたけどな」
夏美の問いに、俺は答えた。
敵対者である彼女と、どうしてこんな親しくしているのかって? ごもっともな質問だ。
正直なところ、俺と夏美は別に不仲って間柄でもないんだ。
さっきの決闘の時みたいに、クラスの連中が近くにいる時はこんな親しくはしないけど……他に誰もいない時は、こんな感じで話すこともある。
「けど、もうちょっと力抜いてくれてもよかったぞ」
「ごめんごめん。でもヘッドロックとかジャイアントスイングじゃないだけいいでしょ? サブミッション(関節技)だったら、本当に力が掛かってるかは見ている側にはわからないし……『演技』だってバレる心配もないもの。それともやっぱり、ボディ・スラムとかのほうがいい?」
「やめてくれ、投げ技で力加減を間違われたら俺が耐えられない」
苦笑しながら、俺は答えた。夏美は相変わらずプロレスが好きだな。
察してる人もいるかと思うが、あの決闘も、決闘の前のやり取りも、ハッキリ言って全部『演技』だ。
本気でやり合っているように見せかけて、あえて俺は自身の負けを演じている。『俺の負けだ』、とは言わずにあえて『俺達の負けだ』、と叫んだのも、男子連中に謝らせ、あの場を収めるためだ。
無論、女子のほうに非がある時には、夏美が負けてくれる。もちろん俺は彼女にケガをさせないよう配慮して、頬を軽くつねる程度で済ませる。それだけで夏美は、『ふにににに! やめて、許して!』なんて迫真の演技の叫びを上げてくれるもんだ。
お互い我がクラスのケンカ管理委員として、ともにケンカを止めに入ることも珍しくない。そして、最終的には決闘という形で収拾をつけるのが俺達の仕事だ。
修羅場と化したケンカの現場に割って入っては、一緒に揉め事の解決を担う戦友……俺にとって、夏美はそんな存在だった。
俺達が通う小学校には、クラス替えがない。
だから男子と女子が敵対する風潮は、六年間ずっと続いた。それに伴って、俺と夏美はケンカ管理委員として、六年間ずっとケンカを止め続けた。
その甲斐あって、怪我人はゼロ。
最終的に、俺達のクラスは男子も女子も皆一緒に、笑顔で卒業記念写真に納まることができた。
それからしばらく、年月が過ぎた。
中学校の卒業式を終えたその日……十五歳になった俺は今一度あの場所を、幾度も夏美と決闘を繰り広げた(ま、八百長なんだけど)あの裏山を、訪れていた。
「懐かしいな」
小学校の頃から変わらず、原っぱの真ん中には大きな桜の木が立っていた。
時期は三月の半ば、ちょうど満開で、青空をバックにピンクの桜が咲き誇っていた。
桜の木に、ゆっくりと歩み寄っていく。
その最中で、俺は夏美との最後のやり取りを思い出した。
“純平、中学校の卒業式の日、あの桜の木の下で会おうよ”
互いに違う中学校に進学することになった俺と夏美。
違う高校に通うことになれば、さらに離れ離れになってしまう。だからその前に、少しだけでも再会し、六年間ケンカ管理委員を全うしたお互いを称え合おう。という、夏美の申し出だった。
桜の木に歩み寄った俺は、その幹に指先で触れてみた。
俺達の決闘をずっと見守ってきた、思い出ある桜の木。ゴツゴツした表面から、ほのかに春の温もりが伝わってきた。
「覚えてるわけ、ないよな……」
俺は、自分を嘲るように笑った。
あの約束を交わしてから、もう三年も経ってるんだ。あんな口約束を、夏美が覚えているはずがない。
何考えてんだ、俺。
約束を果たすために、夏美が今日ここに来るとでも思っちまったのか。
帰ろう……と思って踵を返した、まさにその時だった。
いつの間にかそこにいた少女と、視線が重なった。
俺は驚いたけど、それは彼女も同じなようだった。
清楚なセーラー服に身を包んだ彼女は、目を丸くして、まばたきもせずに俺を見つめていた。
「純平……?」
俺の脳裏に浮かんだ予感は、彼女の言葉で確信に変わった。
「お前、夏美か……!?」
彼女が笑顔を浮かべた。
「約束……覚えててくれたんだ」
長く伸ばした茶髪といい、面影は確かにあった。
三年越しに会った彼女は、驚くほどに綺麗に成長していたのだ。
また会えるなんて、約束を果たしに来てくれるなんて。
「高校は、どこに行くの?」
嬉しさに浸っていると、夏美が歩み寄りつつ問うてきた。
「栄翔高校だよ」
俺が答えると、夏美は息をのんだ。
「えっ、私も栄翔高校だよ……!?」
今度は、俺が息をのんだ。
再会できただけでも奇跡に等しかったのに、まさか同じ高校に進学する予定だなんて。
「そっか、じゃあ同じクラスだといいね。ケンカが起きたら、また一緒に止められるし」
「いや、いくら何でもケンカはもう……」
はぐらかすように、俺は笑みを浮かべた。
思えば、決闘以外でここで夏美と会うのは初めてのことだった。
「ねえ、ひとつお願いがあるんだけど……いいかな?」
「何?」
不意の申し出に、俺は応じた。
「私達の『合言葉』、また一緒に言ってくれないかな?」
「合言葉……ああ、あれか」
その後、一時の沈黙が訪れる。草木の匂いを内包した風が、俺達の周囲を吹き抜けていく。
風が止んだ、その時だ。
俺と夏美は、同時に口を開いた。
『男子か女子か、いざ尋常に!』
再会の場所となった、かつての決闘の舞台。
俺達の春が、今この瞬間から始まった。




