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02 カルカンド 状況は加速する|5 急転

 賢者の間での会議を終えた後、ロジオン王国の本宮殿であるヴィリア大宮殿の宰相執務室で、スヴォーロフ侯爵は執務を行っていた。洗練された統治機構を有するロジオン王国に()いて、宰相の役割は極めて大きく、大部分の省庁は宰相府の指揮下にある。王国の絶対君主たるエリク王を除けば、スヴォーロフ侯爵こそが王国政治の頂点だった。

 広々とした宰相執務室には、装飾らしきものは(ほとん)どない。万事に合理的なスヴォーロフ侯爵は、執務の場を飾り立てることを嫌い、家具の類に就いても実用性を重視していた。大ロジオンの宰相として、格式を保てるぎりぎりの豪華さを持った室内は、部屋の主の許容する範囲を見極めた、官吏(かんり)達の苦労の賜物でもあった。


 スヴォーロフ侯爵の執務中、部屋には常に数多くの官吏が列を為している。迷うということが殆どなく、業務を処理する速度が尋常ではないスヴォーロフ侯爵は、官吏達が次々に差し出す多種多様な案件を、瞬時に理解して精査し、正しい指示を出していくのである。その冴え渡った頭脳は、エリク王をして〈この世で最も賢いかも知れぬ〉と賞賛されるに相応(ふさわ)しいものだった。

 張り詰めた空気の中、スヴォーロフ侯爵が書類を捲る音だけが響く執務室に、控え目に声を掛ける者がいた。官吏の一人が、来客を知らせる先触れに訪れたのである。


「御執務中に申し訳ございません。タラス・トリフォン伯爵閣下が、宰相閣下への御目通りを御希望だそうでございます。如何(いかが)御返事致しますか」

「陛下の家令(かれい)殿の御申し出とあらば、全てに優先するであろう。この執務室でよろしければ、いつなりと御越し頂くが良い。私が何処かに足を運んだ方がよろしいのであれば、そうさせて頂くと御答えせよ」

「宰相閣下の御許可があれば、()ぐにでも執務室に御出でになるそうでございますので、御案内して参ります」


 官吏が一揖(いちゆう)して席を外して間もなく、タラスが執務室に現れた。スヴォーロフ侯爵は立ち上がってタラスを迎え、優雅な身振りで応接の長椅子へと誘った。爵位も階位も、スヴォーロフ侯爵の方が上ではあるものの、国王の側近中の側近である家令という立場は、大ロジオンの宰相に丁寧な扱いをさせるだけの権威と実力を持っていた。


「突然の訪問を御許し頂き、有難うございます、宰相閣下。無作法を致しましたこと、御詫びを申し上げます」

「タラス伯にならば、いつなりと扉は開いておりますよ。とはいえ、伯がそのように御急ぎとはめずらしい。何かございましたか」

「よろしければ、護衛騎士以外の者を、隣室に御下げ頂けませんでしょうか。陛下よりの御下知(げち)がございますので、宰相閣下と御打ち合わせをさせて頂きたいのです」

「勿論構いませんよ、トリフォン伯爵」


 軽く頷いたスヴォーロフ侯爵は、一度だけ小さく手を振った。宰相の側仕えを許される程の者達が、スヴォーロフ侯爵の意図を読み間違える筈がない。官吏(かんり)達は(わず)かな戸惑いも見せず、タラスに丁寧に一礼し、滑るように部屋を出ていった。官吏らの気配が完全に消えるのを待って、タラスは端的に言った。


「そろそろ第四側妃の問題を片付けると、陛下が御決めになられました。宰相閣下にも、、御協力を御願い申し上げます」

「ほう。何か切っ掛けがございましたか」

「大したことではございません。本日、第四側妃に目に余る振る舞いがございましたので、良い頃合いかと存じまして」


 隠し切れない怒りに燃え盛り、白皙(はくせき)に酷薄な笑みを浮かべながら、タラスは、ロージナが先触(さきぶ)れもなくボーフ宮を訪問した顛末と、第四側妃がエリク王の関心を取り戻そうと、俄かに焦り始めた状況を説明した。


「ロージナ王女は無知であり、女官共は許されざる無礼者でございます。我らがエリク国王陛下は、追い詰められた第四側妃らが一層愚かな行いに手を染め、ロージナ王女らを利用するのではないかと危惧しておられ、苦渋の御決断を下されました」

「至尊の国主たる御方が、耐え難きを耐えておられましたのに。今まで猶予を与えておられた陛下の寛大な御心は、愚かな者共には伝わりませんでしたか。確かに、そろそろ頃合いでございましょう。長引けば陛下の御名にも関わりかねませんから。側妃の不貞(ふてい)による大逆罪として、関係者を全員を処刑致しますか」


 顔色一つ変えず、スヴォーロフ侯爵は聞いた。ロジオン王国では、妃が不貞を理由とした大逆罪で処刑された場合、その妃の産んだ王子王女もまた、不貞の時期に関わらず処刑すると決められている。一度でも不貞に手を染めるような女の産んだ子は、誰が父親か分からないと、王子王女ごと切り捨てられるのである。ロジオン王国に()いて、国王の血筋を意味する王統は、それ程までに不可侵なものだった。


「いえ、陛下は不義の女を愛人の男に下げ渡すと仰せです。子らは王籍を剥奪して男の貴族籍に入れよ、と。寛大なる陛下は、子らの命を哀れんでおられるのです」


 タラスは、もう第四側妃を妃とは言わず、()の女の産んだ子供達についても、王子王女とは呼ばなかった。スヴォーロフ侯爵は、大きく頷いた。


「よろしい。何事も陛下の御意の通りに致します。女の父親に関しては、()ぐに外務大臣を罷免(ひめん)する手筈(てはず)を整えましょう。爵位と領地は如何(いかが)なさいますか」

「領地は没収し、爵位は男爵位にまで落としましょう。新しく子らの父になる男も、男爵家の嫡男(ちゃくなん)ですから、釣り合いは取れるというものです。それから、男を(ねや)に招く手伝いをした女官が三名と従僕が二名、知っていながら黙認していた女官が四名、女中が五名いると判明しております。この十四名の者達は、一人残らず処刑致します」

「ならば、罪状は王国に対する反逆罪が妥当な所でしょうか。詳しい罪状までは明らかにせずとも、皆、口に出せない真実に行き着くでしょう。その者達は、近衛(このえ)に捕縛させますか。王城での騒乱は、通常は近衛の出動となりますけれど」

「いえ。この度は慣例を破り、近衛ではなく王国騎士団を使いたいと考えております。実は、近衛の中にも男に協力していた()れ者が二名おります。二人一組で護衛騎士として不寝番(ふしんばん)を務める筈が、買収されて口裏を合わせ、男を閨に送っていたのです」


 そう口にしたとき、常に冷静な微笑みを浮かべているタラスが、耐え切れないように眉根を寄せ、瞳を暗く光らせた。近衛騎士団の騎士は、王家の守護を最大の職務とし、国王への絶対的な忠誠を誓った筈の者達だった。よりにもよって、その近衛騎士団の騎士が、エリク王を愚弄したという事実に、タラスは激怒し続けているのである。


「王城に王国騎士団を出動させることそのものが、近衛騎士団への処罰の一つなのでございます。近衛を処刑するのは外聞が(はばか)られます故、一度は見逃す形になり、その者達にも表立った処罰は下しませんので。勿論、不忠者に生きる空など有りは致しません」

「協力者の数まで詳細に把握しておられるトリフォン伯が、愚か者共をそのままにしておかれる筈もなし。(おそれ)れ多くも陛下を愚弄し、貴方を本気で怒らせた時点で、女も男達も行く末は決まっていたのでしょうな、トリフォン伯爵」


 タラスは、氷壁を思わせる瞳で優雅に微笑んだ。国王の家令(かれい)であるタラスが、もう一つ、別の顔を持っていることは、王城でも知られた事実である。国王に最も近い家令、王国一の忠臣と呼ばれるタラス・トリフォン伯爵は、国王直属の特殊部隊である〈王家の夜〉を統べる立場でもあったのである。王子王女の助命という建前から、一旦は第四側妃や愛人、その同僚達を見逃したように見せていても、崇拝(すうはい)するエリク王を侮辱した者達を許す気など、タラスには欠片も有りはしなかった。

 スヴォーロフ侯爵は、国王の直接の命令のみに従い、宰相ですら全貌を把握していない組織に()いて、長く全権を握ってきたタラスに、淡々と(たず)ねた。


「処分と処刑はいつに致しましょうか、トリフォン伯」

「明日の夜は、男が(ねや)にやって来る予定の日です。ローザ宮で現場を押さえ、全ての関係者を捕縛させておきますので、翌朝から動きましょう。女から側妃の地位を剥奪し、子らを王籍から外し、男と女の婚姻を結ばせ、子らを男の貴族籍に入れ、女の父を降爵させなくてはなりませんので、手続きは膨大でございます。大変に御面倒とは存じますが、何卒よろしく御願い申し上げます」

(かしこ)まりました。明朝までには全ての書類を整え、朝一番に議会を招集致しましょう。反対する者などおろう(はず)もございませんが、根回しもしておきましょう」

「忝うございます、宰相閣下」

「何の。陛下の御心に沿うことこそ、(わた)くしの使命でございす。それにしても、この度の断罪は、近衛(このえ)には手痛い打撃でしょうな。アリスタリス王子殿下は、どう御考えになることやら。陛下はそれも計算しておいででしょうか」

「私くし如きが、偉大なるロジオン王国の国王陛下の御心を代弁することなど、到底許されませんよ、宰相閣下」


 スヴォーロフ侯爵とタラスは、それぞれに顔を見合わせ、優雅に微笑み合った。大王国を支える高位貴族だけが持つ落ち着きが、底知れない威風(いふう)となって、密やかに二人の姿を(いろど)っていたのだった。


『フェオファーン聖譚曲』をお読みいただき、ありがとうございます!

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