誓約の刺青
最古の魔術と称される誓約には、大きく分けて二つの使い道がある。
一つは、制約や対価を支払うことで理に反した力を得る使い方。
もう一つは、契約を逆手に取って、対象に制約や対価を強いる使い方――特にこちらのほうは、生殺与奪を握っている相手に対しては、理不尽なルールすらも設定可能である。
彼女たち奴隷に施された鎖の刺青。それに込められた術式は当然、後者に該当した。
「これがある限り、彼女たちは逃げ出すことはおろか、レイノルズ商会の者や顧客、もちろん購入した主人にも、逆らうことすら許されません」
「なんだよ、それ……もし逆らったら、どうなるんだ?」
「それは場合によりけりですが……基本的には苦痛か、あるいは快楽で動けなくなるはずです。ちなみに、どちらを与えるかは切り替え可能となっています」
ちなみに前者は首に、後者は下腹部を中心に刻印されるのが常である。
――なるほど。道理で、見張りが緩いわけだ。
しかし、こんな恐ろしい刺青の存在など、獣人のヴォルグは知らなかった。
「いつからこんなヤッバいもんが……!?」
「私が知る限り、ここ数年以内からですね。噂によると、もともとはメアリス教国が捕らえた魔女の一人が持っていた力の一端だとか」
「魔女様を捕らえたって……マジかよ……」
この世界における魔女とは、ただの魔術師なんかとは一線を画す人智を超えた存在である。
特に上位層の二つ名持ち面々は、世界の法則すら捻じ曲げるほどの力があるらしい。
眉唾ものだが、その気になればたった一人で世界すら滅ぼせる女たち。
絶対的力を持つがゆえ自らを律し、学問を尊び、俗世に干渉せず生きる……それが獣人ヴォルグの知る魔女だった。
「でも、魔法学校がメアリス教国に焼き討ちされた件は、流石にご存じでしょう?」
「ああ。だが、それが……?」
魔法学校とは、数年前まで大陸の最西端で開かれていた魔術の学校である。
どこの国家にも属さない完全中立な学園都市だったが、数年前に神聖メアリス教国が容赦なく学徒を皆殺しにしたと彼は聞いていた。
「その魔法学校の教員は、少なくとトップ二人が魔女だったはずです」
「あ……ああっ!?」
事件から数年が過ぎた今さらになって、その異常性を理解する獣人ヴォルグ。
いったいメアリス教国は、どのようにしてそれほど武力を、急に手に入れることができたのか……。
「ま、『どうやって』を考えるのは、今は無意味ですね。大事なのは、それが魔女の技術であるのは本当で、私たちには手が出せないという事実です」
「ここで働いているお前でも、解除はできないのか?」
一縷の望みにかけて獣人ヴォルグは問いかけるも、少年メイドは無慈悲に首を横に振った。
「無理に決まってるでしょ? 私は一介のメイドにすぎませんから」
「そんな……せっかく見つけたのに……!」
「ルーくん……」
鉄格子越しにそっと触れ合う恋人たち。その二人の姿は姿は尊くも、同時に悲しいものだった。
「まあ、仮にできたとして、私は絶対にやりませんけど。責任を問われたくありませんし」
「責任……そうだ! ここの責任者をぶっ殺せば、みんな自由になるんじゃ……?」
獣人ヴォルグは思いついたことをそのまま口にするが、そんな浅はかなアイデアが上手く行くはずなどない。
「短絡的ですね。その場合、次の責任者に権利が移るだけですよ」
案の定、彼の考えは少年メイドに一蹴された。
「ならそいつも、いや、いっそ、ここに居る奴らを皆殺しに……!」
少年メイドはそのバカさ加減に、いよいよ大きなため息を吐く。
「……もし仮にそれで解決するとして、貴方にそれを実行する力はありますか?」
ミト少年は、ヴォルグの考え方が間違っているとは思わない。
そもそも定められた法が獣人の人権を侵害しているのだ(人権なんて概念はこの世界には無いが)。メアリス教国の法に従うことを正義とするならば、獣人は平穏な幸福を望むだけで社会的な悪となる。
だから、ヴォルグの発言はある意味で正しい。自由と平穏を取り戻すためには、戦わなければならない。
ただ――弱者には実現が不可能なだけである。
そう、たとえ弱者が平穏な日々を望んでも、強者は理不尽にそれを奪っていく。
突き詰めればどんな世界でも、結局は『力こそ正義』なのだから。
そして、たとえ弱者が正義を唱えても、世の中を変える力はないだろう。力無き者に許される正義など、この世には存在しない。
ミトの冷静な指摘に、ヴォルグは何も反論できなかった。
「一度、外に出ることをお勧めします。一晩経ったら、状況が一変する可能性だってありますし」
「クッ……リンスさんが今日買われる可能性は、どのぐらいある?」
「少なくとも、一週間は大丈夫でしょう」
意外にも、少年メイドは断言した。
「実は、最近大口の顧客ができまして、健康な女性はなるべくそちらにお売りする方針となっています。その証拠……と言ってはなんですが、営業時間にもかかわらず此処には誰も居ないでしょう?」
言われてみれば確かに、周囲には不自然なほど誰も居ない。
この区画は展示スペースだと少年メイドは言ったが、それが本当なら、今この瞬間にも性奴隷を求める客の一人や二人はいて然るべきである。
外の奴隷市はあれだけ賑わっているのだ。
ただ不景気で閑古鳥が鳴いていると考えるよりは、性奴隷を買い占める大口顧客の存在を信じるほうがよっぽど説得力があった。
「じゃあ、リンスさんが今日明日にここから居なくなるってことはないんだな?」
「はい。まだ猶予はあります。一度戻って、じっくり方法を考えてみてはいかがでしょうか」
「一週間……」
「さらに言えば、私を巻き込まないでくれれば、なおよろしいかと」
ちゃっかり厄介ごとの切り捨てに掛かる少年メイド。
「……ルーくん、無理は絶対しないで。どうしても無理そうなら、助けなくてもいいから……私は、ルーくんが傷付くほうが、絶対に耐えられない」
リンスと呼ばれた獣人の奴隷は、獣人のヴォルグを心配するように言った。
「ごめんなさい、本当なら、逃げてって言うべきなのに……」
「リンスさんは、悪くないよ……絶対に助け出すから。でも、日はちゃんよ改めるよ。約束だからな。ミト、俺をここから出してくれ」
ヴォルグがそう言って、少年メイドはあからさまにホッと息を吐いた。
「分かりました……くれぐれも、早まった真似はしないでくださいね?」
少年メイドはそう言うと、残りの配膳に取り掛かった。
そして十数分後、空になった黒パンのバスケットで身を隠すヴォルグをワゴンに乗せ、二人は堂々と奴隷の宿舎を後にした。
* * *
深夜、レイノルズ商会の裏手――草木も寝静まったころ、闇の中をこっそりと移動する影があった。
その正体は言うまでもなく、獣人のヴォルグである。
(悪いな、ミト。結局、その日のうちにまた侵入することになっちまった……)
これは、彼なりに色々と考えた結果だった。
理由は三つ。
一つ。情報が足りないこと。
恋人を救出するためには、あの刺青の解決策を見つけなければならない。そう考えれば……もう、猶予は一週間しかないのだ。一日たりとも無駄にはできない。
買われた後で救出することも少し考えたが、その場合だと相手になるのは『女性の奴隷を根こそぎ買おうとする客』だ。そんな奴、金や地位が間違いなくあるだろうし、ならば警備も商会よりますます厳重になるだろう。
二つ。今夜が新月であること。おまけに風が程よく強い。
つまり、視覚的にも聴覚的にも、潜入するには絶好の条件だ。今夜侵入しないで、いったいいつ侵入すればいい?
贅沢を言えば小雨でも振ってくれれば臭いも誤魔化せるのだが……無いものねだりをしていても仕方がない。
三つ。ミト少年の情報が真実であるとは限らないこと。
あの少年メイドが言った言葉があの場を凌ぐための虚言である可能性は否定できないし、勘違いや予定変更だって起こる確率はゼロではない。
与えられた情報を鵜呑みにして何もせず待機するなんて、それが危ういことは、深く考えなくても分かるだろう。
色々と要因を挙げたが――要は、焦っているのだ。
(せめて、糸口ぐらいは見つけないと……契約書みたいなのがあれば、奴隷契約の内容を変えられるか?)
まずは正式な手続きで使われるであろう契約書を調べてみよう。彼はそう考える。
狩りを生業にしている彼は、警備の目をかいくぐり、あっさりと敷地内に侵入した。
――その様子を、じっと観察する存在がいたことに、彼は気付かなかった。




