不完全燃焼
女が目を剥いて放つ突きを躱すと、走り込んできた男が斜め後ろから剣を振るう。
アスラは男と隣り合うようにして避け、跳び下がりながら払われた剣にわずかに身を引く。
女は形相を歪め、アスラの背中に渾身の力で剣を振りまわした。
アスラは唸りをあげる二本の剣をつまらなそうにひらひらと避け、思いつめたように小さく呟く。
「……………こんなわけない」
「な、なにがだよっ!?」
アスラは息を荒げる女を冷ややかな目で見つめ、焦燥で顔を歪める男へとその視線を移す。
軌道がまるまる見える生ぬるい攻撃、拳を打ち込めば一撃で死んでしまいそうな魔鎧。
ハイオーガ戦で感じた胸の高鳴りも、沸き立つような闘争心も、何一つ感じない。
瞬きすら許されない疾風のような攻撃、全てを切り裂くような爪、当たれば頭が吹き飛ぶ豪腕。
なにもかもがあまりに違いすぎる。
「………念のため聞きますが、全力でしょうか?」
アスラにはとても信じられない。胸のうちで繰り返した自問自答を思わず口にした。
肩で息をする女は剣を引きずり、屈辱にまみれた顔で射殺すような目を返す。
「どういう意味だアァ!?」
「そのままです。何か凄い魔法があったり、スキルが発動する条件を待っているんじゃないかと」
「も、もし………私たちの力が……これで全てなら?」
男は引きつったように顔を強張らせ、己が腹ただしいほどに声が震えた。
一度も攻撃が当たらない敵。それどころか、かすりもしない。魔術式を組めば簡単に潰されるであろうし、たとえ攻撃魔法を放つことができても容易く回避されるのは間違いない。
この敵が攻撃力が低く、魔法も不得手など希望的で愚かな考えだろう。
男は呻くような思いでアスラの答えを待った。
「全力なら………なにもないなら殺します」
アスラの声音は悲しみを含み、男を見つめる目は失望に満ちていた。
男はすぐさま剣を放り投げ、とんっと毛足の長い絨毯が音を吸収して鋭い刃を受けとめた。
「降伏する。抵抗はしない」
「なっ!? そんなマネは許されねえぞ!」
男はまっすぐ立ったまま手だらりと下げ、アスラの背後で喚く女に感情を殺した目を向ける。
その目にくっと呻いて、不利を悟った女は知らず一歩退いた。
「もし、逃げようとしたら殺します。引いた足を戻して戻してあの男の所へ」
女はぎょっとして固まり、切っ尖をアスラの背に向けたまま男を窺い見た。視線の合った男は煩わしそうに言葉を放つ。
「お前ひとりで勝手に死ぬがいい」
女の表情が此処へ来て大きく歪み、捨てた剣がことんっと音を立てた。苦しげに地面を見つめながら、重い足取りで男の傍に立った。
アスラはふたりを眺め、魔力が戻るのを感じていたがアッと声をあげる。
「そういえば、証人になるのだから殺しちゃダメでしたね」
女は白けた目を返すと、一変して勝ち誇ったように胸を張りふてぶてしく笑う。
「あんた、誰か喋ると思ってんの? 売女に魅了された奴らはとっくに魔物のエサなんだよ。逆らう相手を間違えたね」
「奴隷商の人ですか?」
「カールだ。カール・フォン・グレイブス子爵だ。魅了した相手は四人、魅了が解ける前にカールの部下が殺した」
「バ、バカかテメェ!」
男が静々とアスラに激白すると、女は驚愕のままに怒鳴りつけた。そして、アスラは聞いたことを咀嚼しようと目を隠すように手をやり、度々耳にしたその名前について考える。
男はアスラの姿を見つめると、怒気を放つ女に視線を転じて蔑んだ目を浴びせる。
男からすれば、馬鹿は直情径行な女の方であった。
男の考えではもはやカールは敵である。
関係者の誰かが喋れば終わり。刑法所が本気なら神殿裁判にかけられ偽証もできない。
それでも罪を回避しようとするなら、刑法所に圧力をかけたり、逆に手心を加えてもらったり。
あるいは奴隷商を黒幕とする工作を行うか。
いずれにせよ不安の種は除こうとする。
たとえ黙秘しようが関係なく、捕まった時点で終わりなのだ。
衛兵や刑法所の職員、牢の中でもカールの手の者がいる可能性もある。
男が考えれば考えるほど先の展望は暗い。
暗い思考をふり払うように、男はうつむきがちの顔を上げた。
「そうだ。君は奴隷の彼女に会いにきたのだろう。カウンターの奥に地下への入口がある」
「ああ、状況を確認した刑法所の人に助けてもらった方がいいでしょう。それで、彼女はどうなると思いますか?」
男と同じようにうつむきがちの顔を上げ、アスラもこの先のことを考えていた。
「そうだな………おそらく国の所有物になるだろう。さて、君にひとつ尋ねたい。私は進んで証言するし、護衛や見張りとして関わっただけで大した罪にはならない。だが、カールにはどう映る?」
「それは、あなたを殺すということですか? 僕も考えましたが、罪を重ねるようなことをするでしょうか? あなたが死んだら真っ先に疑われますよね」
表情一つ変えずに突っ立っていた男が、アスラに好意を含んだ目で皮肉な笑みを浮かべた。
「疑われる程度で済むなら、奴は喜んで口封じするだろう。子爵位は従属爵位でカールは伯爵家の跡取りだ。それが、このままなら廃嫡され、重罪人となるのだ。なりふり構わないと思わないか?」
「………それなら、かばい立てする伯爵家や他の貴族、王様まで子爵の味方になるかもしれませんね」
「フッ、それはさすがにないだろう。実際には反対派の貴族が騒ぎ立て、王家は伯爵家もろとも力を削ろうとするだろう。だが、カールが追い詰められた立場だというのは分かったくれたかな?」
アスラがうなづくと、男は険しい顔で訴えるように目に力を込める。
「証言できる者は私を含め命の危険がある。そして、ひときわ危ういのは奴隷の彼女であろう」
アスラもまなじりに力を込め、男を睨みつけるようにうなずいて返す。
まだ試練には続きがあり、この先に神の与える戦いがあるのだろう。そう考えれば炎が燻るような不完全燃焼の戦いにも納得できた。
しかし、実際には神の試練などない。
アスラは偶然を必然と感じ、湧き上がるような戦いの興奮が忘れられず、我が身を燃やすような激しい戦いを欲していることに気づかないでいた。
女は怒りを含んだ目でアスラと男へと視線を忙しなく移していたが、徐々に戸惑いを感じ始め、今ではうつむいて悔しげに唇を強く噛んでいる。
そんな姿だった女が突然バッと顔をあげ、大きく両手を広げて声をあげた。
「そ、そうだ! あたし、あんたに頼むよ。奴隷女のついででいいからさ」
男は思わぬ機先を制された女を冷たい目で一瞥し、眉をひそめるアスラへと視線を戻した。
「いいかな? 貴族や犯罪組織が相手であれば重要な証人は刑法所が隔離して保護する。恐らく今回もそうなり、証人はそれぞれが別々に守られる。そこで私は、奴隷の彼女と一緒に保護されるよう希望する」
はあ、とアスラが要領を得ない返事をすると、男は人の悪そうな笑みを浮かべる。
「護衛だよ。刑法所は職員以外に何名か腕利きの冒険者を雇う。つまり、君は自らの手で愛する女を守ればいい。その際には私も君の名を出して希望するが、そうなれば君は完全にカールを敵に回す。……構わないかね?」
「それは今更ですし、問題ありません。でも、ランク1の冒険者を雇うでしょうか?」
「なあ!?」
女が驚愕の声を上げ、男の驚きを代弁する。
男は混乱した頭を急いで立て直し、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「………い、いや、しかし、今回の功労者だ。と、ともかく君の方でも希望してくれ」
男がぶつぶつと呟いていると、レグロと十数人の男がバタバタとなだれ込んで入って来る。
汗を滲ませるレグロは慌てて視線を巡らせ、首をひねるアスラと陰鬱に佇む男女を発見した。
「おう、無事だったみてえだな。意味がわからんがそいつらも無傷に見えるが?」
「はい、それとカウンターの奥に地下への入口があるそうです」
安堵の息を洩らすレグロに笑顔を向けて答え、腕を上げて指し示した。
「捜査員がすぐに見つけるさ。俺たちは邪魔んならんよう隅に引っ込んでよう」
店の中は刑法所の職員が忙しなく行き交い、時折り張りあげた声が飛んでいる。
男と女もすぐに連れて行かれ、アスラは店の片隅で壁に寄りかかった。
レグロとふたり騒々しさを眺め、娼婦や従業員が続々と連行されてゆく。
「まあ、これで解決だな。刑法所の連中も貴族を挙げりゃ大手柄だと張り切ってる」
レグロは満足げな笑顔でアスラの肩を叩く。
浮かない顔のアスラは曖昧に笑ったが、レグロの肩越しにエルザを見つけ、ハッとして大きく目を見開く。
アスラの遠目では、エルザが薄く煽情的な衣装で捜査員に挟まれるように歩いていた。うつむきがちな白皙の顔は憂いを含み、アスラに気づいた様子もなく店を出て行った。
「あの、護衛に選ばれる冒険者というのは誰が決めるんでしょう」
「ん、ああそうか、要請があるかもれんな。そうだな………誰っていわれても担当するやつだ。子爵家の影響を受けない、身元と実力の確かなやつを選ぶ」
「そうですか………」
物思いに耽るアスラを見やり、レグロはしばらく考えるとわずかに眉を寄せる。
アスラが護衛に選ばれるのは難しい。
実力は問題ないが、経験と実績が絶望的に足りなかった。希望があるとすれば、エルザの居場所を見つけ、この犯罪を暴いたという功績、さらには関係者だということ。
「お前の望みはわかってるさ。まあ、俺も推薦しといてやる。それと蒸し返すようでなんだが、冒険者を続けちゃどうだ? 特にギルド専属となれば強力に推せるぞ」
「冒険者ギルドの職員ですか? そんな簡単になれるのでしょうか?」
アスラが浮かない返事をすると、レグロは自信ありげに笑みを浮かべて胸を叩く。
「現状は人手不足だ。お前が希望すればギルド長は喜んで迎えるさ」
レグロの言葉通り冒険者の数が足りず、魔物の被害は年々増加傾向にあった。
これは時代の流れにも一因がある。
魔法文明時代までは一丸となって魔物にあたっていた戦力が、他国に侵攻する為のものとなり、あるいは他国の侵略に備えるものとなった。
為政者たちは魔物の被害より、人間からの脅威に備えるようになっていたのである。
▽▽▽
明くる日、アスラが刑法所の聴取を終え、南地区の庁舎を出たときには日が沈みかけていた。
エルザとの出会いから始まり、その関係性や罰金のこと、さらにはガブリエルのことまで、問いかけは多岐に渡り繰り返しなされた。
一方でアスラの質問にも答えてくれたが、まだ全容を把握するといった段階であった。
南西地区まで戻り、予定よりすっかり遅くなったがアスラは武具屋を訪れた。
店内に入るとアスラを憶えていたようで、初老の店主はにっこりと白いひげを動かした。
「やあ、今日はなんじゃな?」
「これなんです。修理できますか?」
店主は確認するように目を瞬くと、置かれた魔鉱石の杖を眺め露骨に嫌な顔をした。魔鉱石の杖は持ち手の上辺りから、ぐにゃりと大きく曲がっている。
「殴打武器のように使うのは予想がついとったが………ううむ、かなり頑丈じゃったはずじゃが、また同じように使うのかのう?」
「はい、そのつもりです。修理は難しいのでしょうか?」
店主は白いひげを弄り、しばらく難しい顔で魔鉱石の杖を見つめた。
「焙じ直せば戻すことはできる。しかし、前より曲がりやすくなるじゃろう。こいつは下取りするから、メイスから選んではどうじゃ?」
「いえ、あれを持ってうろうろするのは………それに魔導士なので」
「そういえばそうじゃったな。うーむ、とりあえず真っ直ぐにはしておくわい。金はいいから、しばらく預けてもらえるかのう」
「ありがとうございます。お願いします」
礼は言ったものの、アスラは弱り顔である。
魔鉱石の杖は魔法に補正がかかり、戦闘時には打撃武器という理想的な武器だった。
それが修理を終えて曲がりやすくなるなら、今後は全力で使えない。
戦いに向けて万全を期す予定が崩れ、途方に暮れるような思いで店をあとにした。