ふたりの魔族
店の中に入ると、広い吹き抜けのラウンジとなっていた。赤を基調とした脚の長い絨毯が中央に敷かれ、落ち着いた木目のテーブルと革張りのソファーのセットが何組か見える。
「お席へご案内いたします」
二十代後半の体格のいい男が微笑んで先導する。
ソファーに座るアスラはきょろきょろと見回すが客は四十代の男が二人だけ。
あとは男の従業員が三人とカウンター奥に女主人らしき姿が見える。
「まあ、落ち着けよ。あそこに扉があるだろ?」
ソファーの背もたれに両手を広げ、足を組んで悠々とするレグロが顎で指す。アスラが首を伸ばすと、ラウンジの壁には奥に向かって扉がふたつ見えた。
「あの扉の向こう側から、一階と二階の部屋に行けるんだろう。ほとんど似た作りだ。あの男どもは用心棒も兼ねてる」
「はあ、なるほど。じゃあ、あの向こうの部屋にエルザがいるかも知れないんですね?」
「そういうこった。おっと、とりあえず喋らないで俺に任せろよ」
アスラが目を向ければ、女主人が近づいて来る。
レグロは背中越しだが気配を感じたのだろう。
「初めてのお客さまですね。少しお飲みになりますか? それとも女の子を選ばれますか?」
中年の女性だが上品に艶のある黒のドレスを着こなし、目尻を下げ穏やかに微笑んでいる。
「そうだなあ。変わったのを頼む」
「変わったとおっしゃいますと、どういった女の子がお好みでしょうか?」
女主人が穏やか笑みのまま問うと、レグロは目を細め薄らいを浮かべる。
「俺はエルフだな。連れのこいつは魔族が好みだ。お高いそうだがたっぷり用意してる。見てから決めるからここに呼んでくれ」
「魔族でございますか? 申し訳ございませんが生憎………エルフの女の子ならご用意できますので、そちらのお方もどうでしょう? 獣人族などもご用意できますよ」
深々とお辞儀すると、レグロとアスラに目線を移しながらにっこりと笑う。
レグロは大きく首をふり、両手を広げた。
「おいおい、紹介じゃないとダメなのか? ここなら大丈夫って連れて来たんだ。俺に恥をかかせないでくれよ」
「申し訳ございません。すぐに呼びますのでエルフの女の子をご覧になって下さい」
「んー、わかった。そこまで俺に恥をかかせたいんなら一部屋ずつ確認するぜ。そんな面倒は俺も御免だし、金貨を見せようか」
「わかりました。うちの店には合わないようでございますのでお引取りください」
女主人は笑みを消して背を向けると、人差し指をくいくいと動かす。ゆっくりと去って行く女主人の姿を眺め、アスラは失望の声をあげた。
「違いましたね。他の店の情報もあるんですよね?」
「ここだと思うぜ。俺の勘だが凄え怪しい女だったろ? 面倒くせえが一部屋ずつ覗くか」
「そんなことしたら捕まりませんか?」
「どうってことねえ。南東地区じゃ少々暴れても問題にはならねえさ。相手も善良な王都民じゃねえんだからよ」
薄ら笑いするレグロは親指を後ろに向けた。
ラウンジの隅にいた大柄な男が歩み寄り、レグロとアスラを睨み威圧感を放った。
「お客さま、どうぞお引き取りを。追い出されたくはないだろう?」
「ん? 兄ちゃん、何も感じないのか? 感知がなくてもこんだけ近けりゃマナを感じるだろう?」
男は睨みつけたまま怪訝な色を浮かべた。
レグロは溜め息をついて立ちあがり、アスラへ向けて押すような動きで手を突き出す。
「座って待ってろよ。俺が確認して来てやるから。あ、心配すんな、ちゃんとノックして顔を出すのを待つからよ」
アスラは呆気にとられ、レグロがすたすたと扉へ向かうのを茫然として眺めた。その途中で止めようとした男達と何やら話し、見送られるように扉へ消えた。
「あれは、あんたの護衛か? 貴族か商人か知らんが厄介なことになっても知らんぞ」
男は苦々しげに扉とアスラを交互に睨む。アスラは曖昧に笑って返し、また厄介ごとだと気を重くしたが、それでもエルザが見つかるなら別に構わないとも思っていた。
アスラは待つ事しか出来ず、ラウンジの客が帰り、扉から客らしき男がたまに出て帰ってゆくのを眺めていた。
やがて三人の従業員も扉へと消え、所在無げにアスラはぽつんとソファーに座っている。
変化といえば女主人と時折り目が合う程度。
そろそろ見に行こうかと思っていると、二人の男女が入って来た。
そこそこ大きいマナだが、レグロは気づかないのだろうかと首を捻り、一直線に向かって来る集団にどう対応したものかとアスラはまた首を傾げた。
二人は足早に歩み寄り、アスラに油断なく視線を送りながらゆっくりとソファーに座る。
膝に手をついて組んでいる細身の男は三十代。
造り物のように端整な顔には薄い笑み。
青白い肌で緋色の目が鋭い眼光を放っている。
短めの銀髪をきれいに撫でつけ、額の上からは一本の小さな角が生えていた。
男から発せられる威圧感と携えた剣さえなければ知的な紳士といった風貌。
まだ若い二十代前半といった女はソファーに斜めに座り、後ろ手をついて足を組んでいる。
銀髪がふわりと肩を越えて流れ、わずかに覗く二本の角。整った顔には切れ長の緋色の目と薄い唇。すらりとした身体で黒っぽい服装に赤い革の上着を纏い、腰にはこれ見よがしの朱鞘の剣。
「………あんたの探し物は見つからない。刑法所に雇われたのかい?」
女が気怠げに問う。アスラは小さく口を開けて驚き、きょとんとして呟いた。
「………………魔族?」
ほう、と男は小さく声をあげ、肩を揺すって可笑しそうに笑う。
「クックック、これはこれは……高価な魔導具なのだが見えるようだな。ならば私の力も分かるな? 人族なぞ容易く捻り潰せる。帰って不審な点はなかったと報告すればいいし、少しばかりの金なら払ってやろう。それとも魔物の餌になりたいかね? んん?」
男は射抜くような眼光を向け、酷薄そうな笑みを深めた。アスラはその目をじっと見つめ、害意がないことを感じる。スキルは発動せず、話し合える余地もありそうに思える。
「できれば伝えてもらえますか? 彼女が稼ぐ分も上乗せして買い戻します」
「………そうか。君は誰の使いだ? 捜索を依頼されただけではないのだな」
男は目を細めアスラを窺い見る。
並みの魔鎧だが、平然とした様子からしてシーフや魔導士タイプで腕には自信があるのだろう。
それに、ここまで嗅ぎ回られては元凶を殺した方がいい。そうすれば刑法所も手を引くだろう。
男がそう考えていると、アスラが怪訝な顔で答えた。
「誰の使いでもありません。僕が買い戻すんです」
男が目を見開く。じわじわとこみ上げるような笑いを堪え、ゆっくりと立ち上がる。
女の方は身体を起こし、前のめりの姿勢となって構えた。
アスラが眉をひそめると、開いた扉から大股でレグロが戻ってくる。
「おあ!? 悪りい悪りい、遅くなったな。隠し部屋みたいなのがあって手こずった。やっぱ地下みてえだな………妙なマナがあるし、魔導具の結界だろう」
レグロは二人を横目で通り過ぎ、アスラが座るソファーの側に佇むと頭を掻いて気まずそうに笑う。アスラもうなづきを返し、ゆっくりと立ち上がった。
「地下には二人の気配があるので、そうかもしれません」
「ああー、なんだよ。先に言えよ」
「アアアアア!! 無視してんじゃねぞォー!」
女は目を剥いて立ち上がると剣鞘ごとテーブルに叩きつけ、ドガンと激しい音が響く。
レグロは驚いたように見つめ、アスラは呆れたようなうんざりした目を向けた。
「おいおい! 魔族の嬢ちゃん、もうすっかりバレたから無理すんな。客を取らせるだけじゃなく、魅了で悪さしてたんだろ? そりゃ契約書や権利書を好きに出来りゃ大儲けだからな」
レグロは肩を竦め、へらへらと笑った。
男は動揺した素ぶりも見せず、剣を構え間合いを確かめるように移動して不敵に笑う。
「君らを片付ければ元どおりだ。そうそう、君に唄った者たちの始末もあったな」
「ロードリック! こいつ強いよ」
「わかっている。ふたりなら大丈夫だ。私の死角を埋めるように動け」
女はぎらついた目で抜いた刀身を旋回させ、剣に手をやるレグロに向けピタリととめた。
二人と対峙するレグロが盗み見れば、アスラは未だソファーの傍で眺めている。
「おい! スキルは発動したか?!」
アスラがのそのそと移動し、気まずそうにレグロに囁く。
「はあ、レグロさんに殺意が向いてるのでダメみたいです」
「ああん!? なんて薄情なスキルなんだ!」
喚くレグロの前では、相手がじりじりと間合いを詰めている。
「僕がやる気になっても勝手に発動するんですが…………あの、こんな時間ですが刑法所の人を呼んでもらえますか? これはどうしても僕がやらないといけない相手なので……………」
「お前一人を置いていけって?!」
「はい、お願いします」
真剣な目でうなずくアスラの魔力が抜ける。
相手を見据えながら、レグロは怖気たつような気配を感じた。薄くなったマナの気配とは裏腹にびりびりするような獰猛な気配。
「わかった………」
アスラにチラっと目で合図し、レグロは一直線に出口へと駆け出す。
その行く手を遮るように女が雄叫びを上げた。
「逃がすかよオオオォー!」
大きく薙ぎ払うような軌道。レグロは獣のように身を低め抜けてゆく。レグロが放ったすれ違いざまの斬撃に女は目を見張り、跳び転げるように躱した。
「クソやろう!」
女が毒づいて振り返ると、レグロはすでに扉に手をかけ、アスラに向かってうなづいていた。
追おうとする女の背に落ち着いた声がかかる。
「追わずともよい。騒ぎの元は向こうの男だ。逃げた男が増援を連れて来る前に片付け、そのあと女を移せばいいだけのこと」
「わかったよ」
女がうなづくのを見やり、アスラに目を向けた男は怪我な表情で眉を寄せた。
口角をあげ、楽しくてたまらないといった顔。
「………気でも触れたか?」
「ふふっ、これで約束が果たせるんです」
「……約束?」
とっておきの秘密でも打ち明けるように、アスラは笑みを深めてうなずく。
ーーー神との約束。
胸をかきむしるような苦しみ、身を焦がすような激しい怒り。世を呪うように願ったこと。
全てを叶えられるよう授けてくれた力。
「僕が勝手に思ってるだけですが、最後の試練なんだと思います」
「はん! 意味がわかんねえよ。んじゃその試練でさっさと最後を迎えな」
女は無造作に歩み寄り、笑みを浮かべるアスラを据え物でも切るように剣を振りおろした。
一歩踏み込み半身になった横を、ぶんっと鋭い刃が通り過ぎる。
「へっ?」
女が動揺したのも一瞬、身についた動きで素早く斬りあげた。しかし、足を引き少し反らしただけの身体を抜けてゆく。
「て、テメェ!」
女が怒りと屈辱に顔を歪め、男はなにか強烈な違和感に顔を曇らせる。
アスラもひどい違和感に戸惑っていた。
溢れるような力を感じながら、湧きたち高揚した気持ちが急激に冷えてゆく。