進むべき道
探索の苦労を喋り続けるディアナを前に、アスラは遠い目をして考える。
君と僕は関係ない、とはっきりと言わなければディアナには伝わらない。しかし、また彼女の沸点の低さが証明され、うんざりする事態にもなりかねない。何故まだ馴れ馴れしく話しかけるのか、アスラの脳がぐるぐると迷走する。
「でね、二匹やっつけたの。もちろん大きな群れは狙わないわよ。でも、全然いないから結構奥まで行っちゃったのよ」
「ああ、はい」
「………ねえ、何で怪我してんの? それって折れてるの? 顔にも傷痕があるし」
「討伐の受付にも並ぶし、依頼を取り下げたり、あと治療所にも行くし、だから忙しいんです」
「あんたさあ、会話が成立してないんだけど。まあ、いいわ。オスカーが気にしてるんだから、朝はちゃんとロビーに来なさいよ」
ディアナは機嫌を損ねたように眉をしかめ、くるりと背を向けると混雑する冒険者たちの一員となった。アスラは長い溜め息を吐き、長居するとよくなさそうだと受付の列を見比べる。
すると、レグロが歩み寄ってくるのを見つけ、露骨に顔をしかめた。
「ああん、お前はどうしたら俺にそんな顔が出来るんだ?」
「すいません。なんとなく面倒ごとの予感がしたので………」
レグロはあごに手をやり若干ふてくされ気味だったが、アスラの言葉に破顔した。
「ハッ、面倒ごとの予感か! いい線いってるかもなあ。ま、先にそいつだな。ラットマン、ちょっくら頼むわ」
レグロに手招きされ、四十過ぎの痩せた男がアスラに会釈して微笑んだ。緩い金髪をすっきりとまとめ、穏和そうな顔からは人のよさが窺えた。
「隣の診療所で働いてるラットマンといいます。肩に掛けてある外套をずらすよ」
ラットマンは添え木のされた左腕を見つめ、納得したようにうなづく。戸惑っているアスラを気にした様子もなく、ラットマンは時間をかけて魔術式を組んでいった。右手が淡く青の光りを纏うと、そっと触れるようにアスラの左腕に当てる。
「よーし、仕事は終わったんだ。マナが空っぽになるまでやれよ。こいつにゃ、これから一仕事あるからバッチリ頼むぜ」
首を伸ばして覗き込むレグロが、にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべる。
アスラに苦笑いしたラットマンは、レグロに視線を移し迷惑そうな声で抗議した。
「レグロさん、こういのは困りますよ。いつも同じこと言ってますが………みんな診療所で治療を受けてるんですから」
「あんなパッと回復魔法かけて終わりなんざ意味ねえだろうが。それにちゃんとギルドの仕事だから問題もない。それともあれか、金か? それならこいつに治療費を貰えばいい」
「要りませんよ! 本当にギルドの仕事なのか、あとで職員に確かめますからね」
へらへらとしたレグロの不躾な問いに、ラットマンは腹立ち紛れの声を返す。
アスラはそれを居心地悪く眺め、腕の痛みが引いていくのを感じていた。
「そいつは本当だよ。アスラ、お前の依頼にあった魔族の情報だが、三人から同じ情報があった。うちの職員によれば、かなり本命臭いみたいだ」
「そ、それでエルザはどこに?」
アスラは目を丸くして驚いたが、したり顔のレグロが口角をあげて言う。
「セパネスって娼館らしい。他の情報も娼館から酒場までその界隈に集中している。そこでまあ、セパネスの実地調査から開始ってわけだ」
「………なるほど。それで僕に確かめに行けということですね?」
「ん? ちょっと違うな。依頼的には終わりなんだが………まあ、ギルド的にも確認しておこうと思ってな」
アスラが首をひねり意味を考えていると、見兼ねたラットマンが呆れた声をあげた。
「つまり、君は確かめに行くだろう? レグロさんも一緒に行くつもりなんだよ。娼婦や酒場の女性を目的にね」
「おい! いちゃもんつけてんじゃねえよ。ちゃんとした仕事だ。そんなわけで、ラットマンはバッチリ治す。お前は必要経費の用意という役目がある」
レグロは腕組みして、えっへんとばかりに胸を張った。その姿にアスラの目も呆れを含んだが、何も知らないところに一人で行くよりいい。
「そうですね。僕としても安心できます。お金は用意しますのでお願いします」
「こっちは終わりましたよ。肋骨も治ってるはずだがら大きく呼吸してみるといい。治療費は必要ないけど、普段は決してやらない行為なのは覚えておいてくれ」
ラットマンは可哀想な人でも見る目を向け、アスラに優しく微笑んだ。アスラが恐るおそる腕を動かし、大きく深呼吸しても痛みがない。
「そんじゃあまあステータスを確認して来い。治ってなかったら状態異常、左腕損傷って出てるからよ。それと金の用意と依頼の取り下げだ」
「わかりましたけど、討伐報酬で並ぶので時間がかかりますよ」
「そいつは俺がさくっと片付けてやろう。あんなのに並んでたら夜が明けるぜ」
討伐リストをピッと指で挟んで抜き取り、レグロが得意げに笑うと、ラットマンの目は完全に蔑んだものとなった。苦笑いのアスラはそんなラットマンに頭を下げてお礼をいうと、壁に立て掛けていた魔鉱石の杖を手にする。
「そういえば武具屋にも行きたかったんですが、もう閉まってるかな。杖が曲がってしまって………」
「杖なんか買ったのか? そりゃ魔導士ではあるが戦いじゃ役に立たないだろう。ケチって粗悪品の杖を直すより、まともな剣を買い直せよ」
レグロは気楽な声をあげ、討伐リストに目を通した。すると、だらしなく緩んだ目が大きく見開かれ、食い入るように討伐リストを凝視する。
ラットマンはその様子に首を傾げ、怪訝な顔でそっと覗き込んだ。
そこにあったのはハイオーガという記載。
ラットマンもあんぐりと口を開け、驚愕に目を見開いた。
アスラは鈍色のステータス計測器の前にいた。
つけた右手に冷んやりとした感触があり、次いでステータスが表示される。
LV:41
HP :169/209
MP :62/312
STR(攻撃力):161
INT(魔力) :333
DEX(器用さ):216
DEF(防御力):144
AGI(素早さ):281
LUK(幸運) :318
《魔力感知》 《火炎魔法》 《神色自若》
《闘神修羅》 《悪鬼羅刹》 《跳梁跋扈》
《屍山血河》 《乾坤一擲》
新しいスキルが目に入り、減ったマナポイントを見てなんとなく思い当たる。
ーーハイオーガに放った最後の攻撃。
力を出し尽くしたような一撃だった。
しかし、冒険者としてすべきことは終わり、もうレベル上げの必要もない。
このレベルなら防具がなくても安全だろう。
アスラはステータスを見つめ、これから先のことを考えていた。
▽▽▽
王都を縦横に走る幹線道路では、乗合馬車が頻繁に往来している。大きな商会が定期運行するものから、個人の商売人が門前で声をかけるものまで様々であった。
アスラが揺られている箱馬車もその一つで、十人ほど乗れる座席部を箱型に覆った木製の頑丈な馬車である。
「運賃は俺が奢ってやる。それで軍資金の方は大丈夫なんだろうな?」
ガタガタと揺れる座席も気にせず、くつろいだ様子のレグロが目を細める。小さな車窓から景色が流れるのを眺め、しかめっ面のアスラがうなづく。
「よし、そんじゃあ魔族をみつけようじゃねえか。仲間の装備も見つかったし、ハイオーガも倒したし、こりゃ祝杯だな」
「それには異存ありませんが、まずは居場所を確かめてからです。そうすれば奴隷商との交渉も進むんじゃないですか?」
「そうだな。知らぬ存ぜぬから進展があるかもしれん。ところでレベル41だったか? ハイオーガねえ………」
しきりに唸るレグロの声を聞き、アスラはぼんやりと外を眺めたまま尋ねた。
「レグロさんのレベルは秘密ですか?」
「いや、別に秘密じゃねえよ。レベルは86くらいだったかな………ただ、レベルも50越えるとステータスは殆ど変化しねえ。だから経験を積んでスキルを磨くしかねえんだが………………」
「だが………?」
アスラが話の先を促すと、レグロの唸り声に首をひねる仕草が加わった。
「多分、俺じゃハイオーガは倒せねえな。せいぜいが追っ払えたら御の字だ。ルーベンだって厳しいだろうし、オフィーリアじゃあ話にならん。東支部の奴らじゃチームでも怪しい。ましてや貴族街の北支部じゃ泣きついてくるだろう」
「はあ、冒険者ギルド専属の方ですか?」
「ああ、特にルーベンとオフィーリアは、どっちも討伐専門の職員で、それぞれパーティのリーダーだ。つまり、お前はそんな力があっても冒険者をやめるのかってことだ」
アスラが向き直ると、珍しく真剣みを帯びたレグロの表情に言葉が詰まる。アスラは視線を逸らし、うつむいて考え込んだ。
「それと、どこだろうが貴族なり役人なりが出張ってきて収穫を持っていく。かといって、あんまり田舎じゃ保護もない。こんなこたは承知だろうが、今の実力なら冒険者もありってことだ」
「………はい………少し考えてみます。ありがとうございます。その前に彼女のことを終わらせないと」
「よしよし、さっさと面を拝もうじゃねえか」
馬車を降りたのは南東地区の中心街。
その街並みをアスラが眺めれば、冒険者ギルドのある南西地区そっくりである。
だが、視線を巡らせば宿らしきものは娼館であり、他は大小の酒場らしき建物であった。
道行く人々は賑やかに笑い、猥雑さこそ同じに見えるが、その街並みは華やかさと淫靡さを感じさせた。
「どうだ最高だろう?」
いつもの眠ったような目を一転、レグロは目を輝かせ満面の笑みを浮かべている。浮ついた足取りを追いかけるアスラは微妙な表情でうなずく。
「賑やかで楽しそうなのはわかります。まだ遠いんでしょうか?」
「もうちょいだ。少しは肩の力を抜けよ。そういや、解放奴隷になって結構な月日が経ってるだろ。娼館にも行ってねえんだな」
「ずっとゴブリン狩りで忙しかったし、ずっと奴隷でしたのでそういのは………」
アスラの言葉が尻すぼみになると、レグロはがばっとふり向き、見開いた目でまじまじと見つめる。
「ま、まさか!? いやいや! それはない! 結婚してる奴隷だって大勢いるからな」
「はあ、聖フランネルとは違うからじゃないですか? 農奴は領主さまに大金貨を支払わないと結婚は認められませんし、大きな農地の小作農しか結婚できませんから」
アスラから見ればこの国は豊かだった。
雪は僅かに積もる程度だろう。屋敷には便利な魔導具があり、下水道まで整備されている。
食べるものは充分に満たされ、自分のように栄養の足りていない者もいない。
アスラは若干の憤りを含めたが、レグロにはまるで伝わらなかった。大袈裟な仕草で頭を抱える。
「おおーー! そりゃダメだ。ハイオーガを倒したやつが男じゃねえなんて許されねえ」
「いや、僕は男ですよ」
「そういう男じゃねえよ! あ、あれだ」
泡を吹くように興奮したレグロがおもむろに指して示す。その指先を辿れば、こじんまりといったアスラが泊まっている宿ほどの建物が見えた。
二階建てで、明るめの赤茶っぽいレンガ造り、壁には看板と対となる水の女神の像が据えられている。