両手剣
樹々が伐採され、深い森が切り拓かれたその地は、アスラの想像よりずっと大きく、人間の寒村のような生活の営みが見受けられた。
鬱蒼とする樹々を背景に広がるのは、疎らな雑草と点在する切り株、そして枝や板を重ねたような小屋が多数ある。
辺り一面をゴブリンが猥雑に行き交い、数匹ごとに集まり何やら作業をしていた。
その光景が駆け寄るごとに鮮明となる。
アスラは目を丸くしながら走り、両手に魔術式を組むと視界に入るゴブリンに次々と火の矢を撃ち込んだ。とめどなく放たれる火の矢に八匹のゴブリンが倒れ伏す。しかし、そこまでだった。
グギャギャーー! と奇声の連鎖が始まり、たちまち火の矢は萎れように儚げとなる。
強い気配が近づく様子はない。
アスラは腰帯から魔鉱石の杖を抜き、辺りをぐるりと眺めた。騒ぎ立てるゴブリンの装備に覚えのある物はなかった。
ひとつ溜め息を吐いて走り出す。
駆け抜けざま殴りつけ、ゴブリンからゴブリンへ移っていくように移動し、魔鉱石の杖を振りおろした。ゴブリンが剣を振りあげ、手斧を構えるが、唸る魔鉱石の杖が無慈悲に応える。
どごんっ、どんっ、ばごん、似た響きの音が不規則に続き、アスラはひらすら魔鉱石の杖を振りあげ、振りおろした。
異変を感じて小屋から飛び出し、離れたところから駆け寄り、ゴブリンが続々と集まる。
しかし、濁った金眼がぎょっとしたように見開いて足をとめた。
目に入るのは倒れ伏して動かない無数の仲間。
その惨状に怯えて距離を取り、集まったゴブリンは遠巻きにして動かない。アスラに視線が注がれるなか時折り小さな奇声だけが響く。
包囲されたアスラは気のない様子で周囲を眺め、大きな気配が近づくのを感じていた。
最も遠い大きな気配には勝てない。
もう逃げるべきだと冷静な頭が訴える。
早くしないと気配はどんどん近づいている。
そう思いながらもアスラの身体は動かず、魔力が戻ったまま悠然と佇んでいた。
「グガァ! グガアアアァー!」
青みがかった緑の巨躯。
ゴブリンと同じような体表。しかし、盛り上がった肩から太い腕がぶら下がり指先には鋭い爪。
厚い胸板と割れた腹筋、身体を覆う筋肉が強さを主張している。
ふり乱した髪から二本の角が生え、大きな牙のある口を開け吼えていた。
「おお…………」
オーガの威容にアスラが思わず呟く。
血走った金眼が顔を歪め、アスラを睨んだ。
魔力が抜け、力が漲る感覚に酔ったような心地よさを覚え、アスラの口端が上がる。
ずしっと響きそうな一歩とともに青い巨躯が真っしぐらに突進した。
アスラの手前で踏み込むように足をとめ、ぶんっと唸りをあげる爪が襲う。
アスラはその爪をくぐり前に出た。薙ぎ払うように腕をふり、勢いのった魔鉱石がオーガの胸をどんっと打ち抜く。
オーガがたたらを踏んで胸を押さえ、アスラはすぐさま魔鉱石を振り上げる。
アスラの上昇した腕力により魔鉱石が唸りを上げ、オーガの顔面にぼごんっと埋没する。
胸を押さえた姿勢のまま、オーガがゆっくりと仰向けに倒れた。
アスラの視線は倒れたオーガを抜け、ゆっくりと歩み寄る赤黒い巨躯を捉える。
グオオオオオーーー!!!
ハイオーガの衝撃のような咆哮。
何匹かのゴブリンが震えてうずくまる。
金色の眼光から射貫くような殺意が放たれる。
アスラはその目を見返し、悪鬼のように喉を鳴らして薄く笑う。
「最高の日だよ」
赤黒い巨躯はライオネスの両手剣を担ぎ、ゆっくりとアスラに歩み寄った。
アスラは目を剥いて一直線に駆ける。
なぜ逃げようとしなかったのか、近づく気配を待っていたのか………全てが解けた。
ーーー神が与えてくれた。
飛び込むようなアスラの一撃が胸を殴りつけ、ハイオーガが苦痛に呻く。アスラは顔を歪め何度も打ちつける。力が漲り、魔鉱石の杖をしならせ思うざまに叩きつけた。
「グガァアア!!」
ハイオーガが怒りに顔を歪め、羽虫でも払うように両手剣をふる。ぶんっと刀身が疾り、上下を分かつかのような横殴りの一撃。
「がはっ………!」
弧を描いた刀身が左腕からめり込み、身体をくの字にしてアスラは軽々と吹き飛んだ。
左腕が折れ、わき腹を抉られたような痛みに顔を歪めて立ち上がり、柄の先が曲がった杖を投げ捨てる。
じわじわと湧き上がるような闘志に身を委ね、アスラは知らず笑っていた。心臓が高鳴り、痛みすら心地いい。離れて睥睨するハイオーガへ疾走する。
ハイオーガも両手剣を投げ捨てていた。
圧倒的な膂力でふるった両手剣は、分厚い重厚な物に弾かれたような感触。
ぼこぼこと歪んだ胸板に金眼をチラリと向け、両目を怒りで染めた。
その刹那、煩わしい羽虫が飛び込んでくる。
頭を吹き飛ばすような豪腕が迫る。身をかがめた上を抜け、髪が擦れる感触と風圧。
目の前の赤黒い巨躯を目掛け、アスラは目標も定めず拳を打ち抜く。
パキャっとハイオーガの骨が砕けた音に笑いが込み上げる。
「ガアアア!」
雄叫びをあげるハイオーガが腕を突き出した。
スッと首を捻り、切り裂くような爪が頬を掠めて抜ける。その引き手に合わせるようにアスラが踏み込んだ。
強い蹴り足から自然に腰がまわり、渾身の力を込めて拳を撃ち込む。
どごんっと大きな音と衝撃がハイオーガの胸を貫いた。
生暖かい感触から拳を引き抜くと、ぴくぴくと痙攣したハイオーガは膝をつくように崩れて動かなかった。
「キゲャギャキャーー」
一匹のゴブリンが悲鳴のような奇声をあげる。
耳を覆いたくなるような奇声の連なりが遠ざかっていく。
アスラは逃げ散るゴブリンから視線を移した。
巡らせた視線はハイオーガの後ろの両手剣を見つめ、安堵しながら膝をついた。
身体には魔法を撃ち尽くしたような気持ち悪さ、左腕とわき腹には激しい痛み。
外套をたくし上げ、アスラは苦悶の表情で腰のポーチを漁った。
▽▽▽
ハンスは藪に身をひそめ、そわそわと川原に身を乗り出しては目を凝らした。
そんなことを何度か繰り返しながら、また薮のなかで唸り、胡座をかいた体をゆさゆさ揺らしていたが、突如ぱんと膝を打ち鳴らした。
「しゃーねえ、チラッとだ」
背負い袋を藪に隠し、険しい顔で気合いを入れる。身を低めてこそこそと進むが、視界が開けた景色に心が休まらない。びくびくと鼓動が速まるのを感じながら近づいて行く。
すると、遥かな大咆哮が轟く。
ハンスは足を踏み出した姿勢のまま硬直し、目を大きく見開いて切り取られた森を見る。
目を凝らしても何もわからない。依頼を受けたことを激しく後悔し始めた。
青ざめた顔で舌打ちし、また足を踏み出した。
遠目に集落の様子と倒れたゴブリンが見える。
ゆるゆると足を進めると、今度はゴブリンが奇声をあげ大騒ぎしている。
悪い予感にハンスは顔をしかめ、逡巡しているとゴブリンが蜘蛛の子を散らして逃げて行く。
ハンスはそれを目を瞬いて眺め、ハッとして集落に向かい駆け出した。
ハンスは走りながら驚愕に目を見開く。
無数にあるゴブリンの骸を抜けると、青い巨躯が倒れていた。
「………オーガだったのかよ」
遠目に小さくアスラの姿を見つけ、ほっとしたのも束の間だった。ビクッと足をとめ、ハンスは真っ青な顔でまじまじと見つめる。
赤い巨躯は膝をついて地面に顔を埋め、うずくまるように倒れたまま動かない。
「………し、死んでるんだよな?」
ハンスはかすれた声で呟き、ハイオーガを避けるようにアスラの元へ走った。
アスラは歯を食いしばり、腹を抱えるようにして悶えている。
「おい! 大丈夫か?! な、なんだ? 何やってんだ」
「あ、ああ、ポーチが、左の腰にあるポーションを……あ、赤い金属の筒です」
ハンスはだらりとした左腕を避け、ポーションを取り出す。震えながら飲むアスラを覗き込み、視界に入るハイオーガに顔がひきつった。
「左腕どうした? 動かないのか? それと………ハイオーガ………倒したんだよな? そりゃ倒したに決まってるよな」
「う、腕が折れてるんです。わき腹の辺りも」
「ああ、骨折ならよかったぜ。いや、よくはねえけど………兎にも角にも添え木だな。骨が曲がってくっつくぜ。と、先にコートだな」
険しい顔のハンスに外套を脱がされ、アスラは顔を歪め、痛みに声もあげられず悶えた。
「治療所でも骨は二、三日かかるから出来ることはやっといた方がいい。それっぽいの探してくるから待ってろよ」
じわじわとポーションの効きをアスラが感じていると、ハンスは集落を漁って見つけた棒を使い、慣れた手つきで左腕を処置した。
アスラはゆっくりたちがったが、腕に響いたように痛みが走る。
頬の傷は治り、左腕の痛みが引かないのはハンスの言う通りなのだろうと実感した。
「とりあえず休んでな。ハイオーガがめちゃ気になるが、先にゴブリンどもの装備を確認してくるからよ」
「あの両手剣です。番号は見てないですが、きっとそうだと思います」
「あれか、見覚えがあるのか?」
ハンスが手に取れば、両手剣はどこにでもありそうな鋳物の量産品。しかも、巨大な刀身は少し曲がっていた。眉をひそめ、半信半疑で刻印された番号を見る。
「おい! これだ! 何でだ? あんた曲がってたのに気づいたのか?」
ハンスが目を丸くして走り寄り、興奮した様子で捲したてた。
「曲がってるんですか? その、上手く説明出来ませんが、そこの魔物が持っていたとき間違いないと思いました」
ハンスは微妙に納得がいかない様子で首を捻っている。しかし、説明すれば頭がおかしいと思われるのはアスラにもわかっていた。
「まあ、あれだぜ。とにかく討伐部位を集めてくる。向こうのゴブリンだけで、三十………いや、もっといそうだな。それにオーガとハイオーガか………めちゃくちゃな日だな」
「いえ、取らなくていいですよ。帰りましょう。道のりも大変ですし、怪我で迷惑かけますから」
「取るよ! あんた大丈夫か? 今日のゴブリンだけで大銀貨五枚以上だ。オーガは金貨二枚………ハイオーガは知らねえけど、とにかく大金だ!」
ハンスは腕をふり回して熱弁をふるう。
その思ってもみない勢いに苦笑いで答える。
「じゃあ、討伐報酬は差し上げますので、今日のお礼です。でも痛くてゆっくり歩くので途中で夜になりますよ?」
「うお、それじゃダメなんだよ。俺が倒したなんて誰が信じるよ? それと、帰りは歩きやすい道を通るから大丈夫だ。来たのは集落を探すために進んだ道だ」
弱り切った顔のハンスが両手を広げ、必死に説明する。もう、アスラは何が正解なのかわからず、渋い顔をして任せることにした。
▽▽▽
ハンナとライオネスの遺品をギルドで保管してもらい、ようやく人心地がついてロビー腰掛けた。
じんわりと充実感がアスラの身体を満たす。
エルザのことが少し頭をかすめるが、今日くらいは酒を飲もうかと目を閉じて微笑んだ。
「おう、よかったよな。他人事だけど俺も嬉しいぜ。これ、解体所でもらったリストだ。部位でも多いときは直に並ばない方が喜ばれるぜ」
満面の笑みでハンスが目を細める。報酬は金貨三枚。ハンスは多すぎると断ったが、遺品が見つかったのは彼のお陰だと押し切ったのだ。
「色々とありがとうこざいます。今日は本当に助かりました」
「いや、結局のとこ大したことはしてねえな。でも何かあったらまた言ってくれ。もう少し、心臓に優しいやつをな」
笑顔でハンスが去ると、彼の人柄もあり幸運を呼び込んでくれたように感じた。これから事態が好転するような気がしていると、つかつかと現れた人物にアスラの微笑が消える。
「ねえ、怪我してるじゃない。ずっと姿も見せないし、何してんのよ。パーティじゃないの!?」
ディアナは腕を組み、険を含んだ大きな青い目で見下ろしている。色々と気分が台無しになったが、それよりも虚をつかれた。
「………パーティ? その、今日は仲間の遺品が見つかったんです。凄く気分がよくて………」
だから去ってくれと言いたかったが、それはそれで面倒そうな気がしてアスラは言葉を呑んだ。
それにパーティとは、今日も一人なのかと尋ねただけの可能性もある。
「うわー! やったじゃない! 凄いわ、本当に見つかるなんて」
ディアナは胸の前で両手を組み、嬉しそうに身体を揺らしてはしゃぐ。一方のアスラはいつ去るのだろう、と目の前の長椅子を眺めた。