フォールズ
小鬼の森ではいつも通りの枝葉が広がり、木漏れ日を作っている。まったくもって普段通りだが、アスラは生まれ変わった杖をつき、にやにやと軽い足取りで歩く。その前では無精に髭を伸ばした三十前のハンスという男が先導していた。
短い金髪の下では青い目が周囲を警戒している。
「魔物の気配はわかるので大丈夫ですよ」
実際、アスラの言葉通りに魔物の気配はなかった。この森の奥に向かう比較的に通りやすい道は、アスラが連日の探索で何度も往復した道である。
広域な気配察知により、見つけ次第に討伐しているため魔物の姿がすっかり消え失せていた。
「そうは言うが………あれだ習慣みたいなもんだ」
「冒険者ならそうですよね。でも、気配があれば僕が伝えますから安心してください」
ハンスはうなずくが油断はない。
奇妙な依頼だった。小鬼の森の案内で金貨一枚。パーティだと割に合わないが、案内なら一人でも出来る。一人で金貨一枚なら充分であり、護衛の必要もなく案内のみ。条件は身を守れることと、ゴブリンの集落を見つけること。
「しつこいようだが、本当に護衛の必要はないんだな? それでも、危なけりゃ助けるが自分の身を優先させてもらうぜ」
「はい、大丈夫です。依頼の通りですよ」
ハンスはじっくりと窺うように見るが、アスラの様子には何ら気負ったところはない。いや、それより始末が悪い。緩みきった目で辺りを眺め、油断しか見えない。
「アスラさんよ、あんたランク1なんだろ?」
ハンスは当然ながら、依頼主はパーティだと思っていた。しかし、受付で確認すればソロのランク1の冒険者。明らかにおかしいが、正式な依頼である以上はギルドは問題ないと判断したのだろう。
「そうです。ハンスさんはランク3ですよね。やっぱりそれくらい経験を積まないとダメなのかな。僕なんか同じような景色にしかみえません」
「そりゃ慣れの問題だな。方角や地形、魔物の痕跡、冒険者を続けてれば分かるようになるさ。それよりレグロさんと知り合いなのか? もしかして凄い魔導士とか?」
「レグロさんとは依頼のことでよく話します。それと火炎魔法なんで凄くはないですし、魔法がちょっと問題あるんで………」
火炎魔法なら中堅の冒険者といったところだ。凄いかと言われると首をひねる。魔法が使える学者ではないかと見当をつけ、ハンスは草を薙いで藪を掻き分けてゆく。
鬱蒼たる森を裂くように川が流れている。細く早い流れは方々で岩にぶつかり、涼やかな飛沫を上げていた。
冷んやりとした空気を感じながら目を凝らせば、澄んだ水には魚の影も見える。
川の水を掬い上げ、ハンスが喉を潤す。
「ぷはっ、あんたも一休みした方がいい。この川は大きな川と合流するまでずっと続いてる。下流に歩けばゴブリンの集落があるだろう」
アスラも顔を洗い、冷えた水の美味さに喉を鳴らした。腰に手を添え、ゆっくりと体を反らす。
久しぶりの日射しに目を細め、のんびりとした時間が心地よかった。
川沿いを進むといっても河原ばかりではない。小さな崖を登ったり、歩きやすい川向こうを目指し、浅瀬を渡ったりといった具合だ。
少し息が弾み、僅かに歩ける川の縁を進んでいるとようやく群れの気配があった。
「………ゴブリンだと思います。ん、オークがいるのかな? 二十匹ほどの小さな群れです」
アスラが指差した先を辿れば、川辺を覆うようにせり出した森の樹々が少し窪んでいる。
「あそこまで気配察知が出来るのか………だが、確かにありそうだ。ありゃゴブリンたちが森を切り拓いたんだろう」
「それでは行ってきますので、時間を置いてから来て下さい」
「んん? お、ちょっと待て!」
ハンスの伸ばした手の向こうには、アスラが軽やかに駆けていく背中があった。
ハンスは舌打ちをくれて、慌てて追う。
追ううちに窪みが大きくなるとはっきり分かる。
間違いなくゴブリンの集落だった。
ハンスは追うが、アスラにどんどんと離されていく。川辺に出た一匹のゴブリンが遠目に火の矢で倒れ、ハンスがほっとするのも束の間、アスラの小さな姿が全力疾走で集落に飛び込む。
「バカ野郎がっ!」
ハンスは顔を歪め、荷物を詰め込んだ背負い袋をもどかしく脱ぎ捨てた。体は軽くなった。しかし、もうアスラはゴブリンの群れに襲われているだろう。アスラの言葉を信じるなら二十匹ほど。
倒せるとは思うが、一人で大きな群れと戦ったことなどない。
ハンスはぐるぐると目まぐるしく思考し、ひたすら足を動かした。
焦燥するハンスを置き去りにし、アスラは獰猛な笑みを浮かべていた。
久しぶりのゴブリンの群れ、そして新しい武器。いつものつまらない討伐が嘘のように気分が高揚していた。
新しい杖の握り心地を確かめ、アスラは夢中になって魔鉱石を振りおろす。
ゴブリンの横をすれ違うように駆け、ずどんっと深緑の頭が埋まる。悪夢のように陥没した死体が量産された。
アスラが少し目を見開いて動きとめ、大柄なゴブリンを見たのも一瞬、少し水気のある潰れた音が続けざまに起こり、バタっと乾いた音が聞こえただけだった。
ハンスは肩で息をし、理解しようと懸命に視線を巡らす。視界にあるのは、頭の潰れた二十匹以上のゴブリンが転がっている光景。
そして、この惨状を行ったと思われるアスラだけが動き、ゴブリンから革鎧を剥ぎ取っていた。
ハンスは目を見開いて見回しつつ、アスラにふらふらと歩み寄る。
「お、おい、あんたがやったのか」
顔を上げたアスラは微笑を浮かべ、緊張感の欠片もない。これだけの群れと戦い、興奮した様子すらなかった。
「あの、一緒に確認してもらえますか?」
「………ん? ………あ、ああ、番号だったな」
まったく想像だにしなかった光景が広がり、ハンスは上手く頭が働かない。
革鎧や手斧、地面に転がるナイフ、それらをゆっくりとした動きで確認し、時折り盗み見るようにアスラを見る。
「………! あ! あ………ああああっああ!!」
突如として気が触れたような雄叫び。
ハンスがビクッと体を跳ねさせ、見開いた目をアスラに向けた。
アスラはぎゅっと目をつむり、腕をたたんで両拳を握りしめている。
「お、おい、どうした?」
顔を強張らせたハンスだが、アスラの振り向いた顔でわかった。歓喜と安堵、薄っすら溜まった涙が物語っている。
「………そうか、見つかったんだな」
「………はい………見つかりました。無駄なことしてるんじゃないかと虚しくなっていたんですが、やっと見つかりました」
ハンスにもその気持ちは分かる。本当にあるのか、雑草に埋もれ、朽ちかけているのかも知れない、どのゴブリンが装備しているのか、この広い森で迷いながら探すのだ。
「あんた大した奴だよ。仲間も浮かばれるさ。フォールズが見つかったなら、他のもあるかもしれないな」
「ええ、見つかりました。このゴブリンが彼女の胸鎧と脛当てを装備してます。それとさっきの腰鎧………どれか一つでも、と思っていたので本当によかった」
アスラは彼女の装備を眺め、放心したように座り込んだ。それを見つめ、ハンスは頭の潰れたゴブリンについて聞きたいのを呑み込み、努めて明るい声をかけた。
「あんた、しばらく感傷に浸ってな。残りは調べとくからよ」
アスラは顔を向けぬまま無言でうなづく。
ハンスは一体ずつゴブリンを引き起こし、転がしつつ装備を剥いでいった。
座り込むアスラの肩が、とんとんと叩かれる。
眉をあげ、自分を見る憐憫の目に気づく。
「………すまんが、残りは見つからなかった」
「あ、いえ、すいません。お任せしてしまって………ありがとうございました」
アスラは慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
上がった顔が穏やかに微笑むのを見て、ハンスは頭に手をやり、安堵の笑みを返す。
「どうやら、落ち着いたみたいだな。それで、聞いていいか? あの潰れた頭はそれか?」
懐疑的な目でハンスが見つめるのは、血塗られた魔鉱石の杖。その目線の先を確認し、アスラが納得したようにうなづく。
「僕のスキルは力と素早さが上がります。それでまあ、殴って倒したんです」
「………強化スキルか……それにしたってチラッと見えた火炎魔法は見事なもんだった。わざわざ近づかなくてもよさそうなもんだが………あ、いや、批判してるわけじゃねえんだぜ」
ハンスが思ったまま喋ると、アスラの顔が曇ったのに気づいて慌てて手をふる。
アスラはしばらく視線を彷徨わせて迷い、ハンスを見定めるように目を合わせた。
「………僕のスキルは他のステータスが下がるんです。それで魔法も使い物にならなくなるので………あの、なるべく内緒にしてるので………」
ハンスはバッと大きく手を突き出し、真剣な顔でうなづく。
「ああ、もちろん秘密にする。教えてくれてありがとな。それにしても代償スキルとは、道理で強力なわけだ。あっという間に全滅させるんだから………そうだ! あんたホブゴブリンも倒してただろう」
ハッとした様子のハンスは大袈裟な動きで指を差す。そこには、明らかに他とは違う大柄なゴブリンが一匹倒れている。
「ホブゴブリンですか? 最初に気配を感じた時はオークかと思ったんですが」
「ああ、そうだ。ただな、こいつがいるにしては群が小さい。きっと大きな群れから独立したか、獲物を集める部隊のはずだ。ま、こいつら結構な距離を移動するし、そんな群れはずっと奥だろうだが気をつけるに越したことはねえ」
アスラはうなずくが、ハンスは何か物言いたげに窺い見ている。
「………?」
「いや、依頼は完了したと思うんだがな」
ハンスは困ったように肩を竦め、苦笑いする。
「ああー、そうですよね……………」
アスラはうんうんと首を縦にふり、徐々に眉をひそめる。目を手で隠すような仕草でしばらく悩んだあと、気まずそうに言う。
「あの、死んだ仲間は二人なんです………それで……もう一人の装備も見つかるんじゃないかと………」
「んー、なるほどなぁ。喜びも半分ってわけか………こいつらと関わりある部隊か、大元の群れを探したいってことだな?」
アスラが懇願するような目でうなずく。
その目を見やり、ハンスは頬をぽりぽりと掻くと諦めたように溜め息を吐いた。
「仕方ねえか………一応、野営の準備もしてる。ただし、この川が本流にぶつかるまでだ。その奥はゴブリンやオークの大規模な集落がいくつもあって縄張り争いをしてる。あんたが強くても人数も準備も足りねえ」
「そこまでで充分です。報酬も増やしますのでお願いします」
「まあ、期待してるよ」
安堵の声をあげるアスラに、ハンスは背中越しに返事をして手をあげた。
ハンスが放り投げた荷物を取りに戻り、すぐに出発する。いくらも歩かないうちに、アスラはゴブリンの気配を感じたがいずれも数匹であり、無言のままハンスの後ろを追う。
少し汗ばんできた頃、細流に沿って曲がり、広い川原に歩きやすさを覚えると、大きく森が抉られたような姿が映る。
「ありゃ間違いないな。まだ冒険者がうろつく場所だってのに相当デカそうだ。あんた、もう察知できるかい?」
しばらく前から察知していたアスラだが、夥しい数のゴブリンと大きな気配が複数。考え込んで言葉を忘れていた。
「六十か、七十か、とにかく多いです。それとオークよりずっと大きな気配があります。勝てそうにない感じの………」
「そいつはまた………あの規模だ……ハイゴブリンがいても不思議じゃねえ。それで、どうする?」
「ハンスさんは隠れていて下さい。ライオネスの………仲間の防具は金属板を縫いつけた黒い革鎧で特徴があります。倒しながら探してみます」
アスラは身をかがめ、切り取られた森を見据えている。同じように姿勢を低くしていたハンスは露骨に嫌な顔をした。
「いや、そんなのありふれた防具だぞ。それに、あんたでも勝てねえって言ってたじゃねえか」
「強い気配は群れから離れています。近づいて来たらすぐに逃げ帰ります」
「くそっ本気かよ。ええい、そんじゃ藪に隠れてるが、頼むから引き連れてもどるなよ」
声にうんざりした響きを含め、ハンスは投げやりに答えた。すかさず笑顔でうなづいたアスラが背を向け、あっという間に走り去ってゆく。
ハンスは身をかがめ、祈るような悲痛な表情で小さく呻いた。