欠陥スキル
その部屋はすっきりとして殆ど物がない。
サイドボードの上には額装された勲章の数々、開き戸の隙間からは酒瓶が見える。部屋の主の木製の机には少々の書類と筆記具、中央には灰皿があった。あとは小さな書棚と、応接するためのテーブルとソファーがあるだけ。
ギルド長という組織のトップにしては整頓されすぎているが、椅子の上で大きく伸びをしているグスタフが几帳面なわけではない。
秘書のミレーヌの仕事ぶりによるものであった。
「出来ましたよ。言われた通り、品質のいい厚い紙に書いてあります」
隣の秘書室から入って来たミレーヌが、グスタフの前に書類を置く。
ミレーヌは三十前の女性で、ブラウンの髪を綺麗に撫でつけ、切れ長の目が凛とした印象を与えている。
「おう、ご苦労さん。字が読めないやつだから、その紙をずっと持ってるだろうからな。おー、どれどれ」
「随分変わったスキルですね。こんな関連付いたスキルは初めて見ました」
「関連付いた? ………ああ、こいつもセットスキルか。確かに珍しいな。俺でも高ランク冒険者でふたり知ってるだけだ。しかも、こいつの場合は五つのスキルがいっぺんに発動したってんだから」
グスタフは背もたれに寄りかかり、にやにやと面白そうに書類を手にする。調べたミレーヌも興味深そうに尋ねた。
「この方も高ランク冒険者なんですか?」
「いや、こいつはランク1のひよっこだ。気にするのはいいが、冒険者を続ける気はないらしい」
「それは勿体ないですね。今でもやる事が山積みで対応しきれないのに。ラータンでも少なからず被害が………? ギルド長、聞いてます?」
ミレーヌの問いにも反応せず、ご機嫌だったグスタフが徐々に顔を曇らせていた。食い入るように書類を見つめ、ゆっくりと上げたグスタフの顔はひどく険しかった。
「すまんが、アスラという男を呼んでくれ。あの始祖の動き絵の男だ。いなかったら、レグロを頼む」
「わかりました。アスラさんですね」
ミレーヌとしては事情が聞きたかったが、まだ話す段階ではないのだろう。グスタフの顔色からすると少し急いだ方がよさそうだと足を速めた。
ミレーヌと現れたのはレグロだった。面倒ごとの匂いを感じて早々に顔を歪めている。
「んー、なんでしょうか?」
「そうか。アスラはいなかったか。お前、今日はいつまでいる? アスラを見かけたら俺んとこへすぐに来させろ」
自分が呼び出され、アスラの名前が出たとなればレグロにも見当がつく。
「ひょっとしてスキルのことですか? それも良くない感じの………」
「そうだ。心配しすぎかも知れんが、あいつ妙じゃなかったか? 感情が抜けてるというか、上手く説明できんが」
「どうですかね。よく笑ってますし、イラついてますけど………?」
「いや、そういうんじゃねえ。あいつを見て恐怖心がない感じがすることないか?」
グスタフには覚えがある。始めて会ったときにアスラが豹変したように感じた。顎に手をかざしていたレグロも小さくうなずいた。
「やっぱりか………恐怖耐性とか恐慌耐性とかあるだろ? あいつのスキルに精神異常無効がある。おそらくそれに恐怖、恐慌も入ってる」
「………なるほど、魔物にも恐怖を感じないとなるとヤバイですね。でも、あいつは慎重ですから危ないと思えば退くでしょう。ま、警戒心が薄くなるのは心配ですけど」
「それなんだが、嫌な感じの文章がある」
グスタフが傷を引きつらせるように顔を歪め、その顔を見たレグロにも嫌な予感が伝播する。
「って、一体どんなスキルなんです?」
「ほとんどはステータス上昇系のスキルだ。ただ、どうにも気になる。これ、読んでみろ」
グスタフは一枚の紙をひっくり返し、机の上でレグロへ向けて押しやる。歩み寄ったレグロが机に手を掛けて覗き込むと、それはスキルの解説文だった。
▽▽▽
《神色自若》
天上よりの神の目は人界を睥睨するのみ。時折り起こりうる神の気まぐれによる慈悲や怒りは、人の身は運命と受け入れる他ない。
《闘神修羅》
闘神の加護を授かりし身は修羅となり、強兵が幾万あろうとも退くことを知らず。難敵にこそ魂を昂らせ、終わりなき戦いの道をゆく。
《悪鬼羅刹》
かの地獄の鬼に対すれば、怪力により害され、豪脚により破壊される。相手は如何に抗おうとも為す術なくその魂を食らわれる。
《跳梁跋扈》
猿の如き身軽さ、蝗の如き跳躍、如何なる手段で行く手を遮られようとも、思うがままに悪辣を為し、勝手なる振る舞いを為す。
《屍山血河》
死が重なるごとに剣尖は鋭く、血河によって渇きを癒せば総身に力が漲る。その悠久たる戦いは果てなき高みへと至らしめる。
▽▽▽
読み終わったレグロは体を起こすと、グスタフに意見を求めるような視線を送り、両手を広げて首を捻る。
「………よく分からんですね。でも、ステータス上昇系なんでしょ。俺も気にしてたんで安心しましたよ」
「確かに始祖の言葉はよく分からん。しかしよう、それ狂戦士スキルの文と似てねえか?」
「………………」
レグロの顔がサッと青ざめた。しかし、解説文に視線を落とすグスタフはそれに気づかず、困惑した顔で言葉を続ける。
「いつまでも戦うとか、戦いで昂るとか。狂戦士スキルの解説も、手足がもげても戦うみたいなやつだったろ?」
「………ヤ、ヤベェ! あいつ小鬼の森に行ってるかも知れません。メフュナー家とシリングス商会のガキも一緒に!」
「んあ、そいつは不味いな。狂戦士でも傷を負って体力半減が発動する条件だが、こいつは戦闘時に発動する」
「くそっ! 俺が行ってくる!」
「おい! 待て、落ち着け!」
踵を返すレグロを、手のひらを前に突き出したグスタフが一喝する。顔を歪め焦燥するレグロに低く重い声が語りかける。
「いいか、アスラが暴走してたら、一緒に行った奴らはもう死んでる。それか、アスラだけが死んでいる。行くんなら、落ち着いてメンバーを集めてからにしろ」
「メンバーって、俺が行きゃいいだけでしょ」
「あいつのはセットスキルで、しかも代償スキルだ。ミレーヌがまとめてくれたスキル効果を見てからメンバーを決めろ」
気持ちが逸るレグロは引ったくるように紙を掴み、忙しく目を動かして流し読んでゆく。
▽▽▽
《神色自若》常時複合発動
《天界の目》《精神異常無効》《気配察知》
《闘神修羅》戦闘時発動
STR+(基礎ステータス最大数値)
AGI+(基礎ステータス次大数値)
上昇後INT半減+DEF半減+LUK半減
《悪鬼羅刹》
闘神修羅発動後 STR【1・5倍】
《跳梁跋扈》
闘神修羅発動後 AGI【1・5倍】
《屍山血河》
時間経過でSTR・AGI上昇【上限2倍】
STR:300
INT:50
DEF:50
DEX:100
AGI:300
LUK:50
▽▽▽
読み終わったレグロが力なく紙を戻した。
先ほどの焦りが占めていた顔から、眉を寄せ戸惑いが多分に含まれる。
「わかったろ。並みの奴じゃ一撃でアスラに殺されるし、あいつも一撃で死ぬ。あいつは魔道士だから、子供より防御が低くなるだろう」
「もし、なんかあったらガストラになんて言やいいんだ………」
「メフュナーの当主か………暴走スキルじゃしょうがねえ。誰のせいでもない………強いていうなら身を守れない本人が悪い。仮にも冒険者なんだからな」
グスタフは目を閉じて唇を厳しく結ぶ。その眉間の深いしわを見たレグロは何も言えなかった。
しかし、じっとしてはいられない。頭のなかでは素早く計算していた。
「とりあえず行ってくる。麻痺武器や睡眠魔法の使えるやつを選んでメンバーにする。しかし、アスラのやつも奴隷から抜けったってのに、こんなスキルもらっちゃ意味ねえぜ」
「ああ、こいつは欠陥スキルだ。暴走しなくても恐怖心を無くして敵に向かうんじゃ話にならん」
レグロがやりきれないように言葉を吐くと、グスタフも目を伏せて呟いて返した。
▽▽▽
小鬼の森へ向かう足取りは重く、三人パーティは長く沈黙に支配されていた。
すでに草原の向こうには深く濃い緑が顔を見せ始めている。しかし、これから戦いだというのに味方の能力すらも把握してないのは流石に問題がある。
アスラは努めて平静な声をかけた。
「オスカーさんとディアナさんのスキルを教えてもらえますか? 秘密にしたいものは言わなくて構いません。僕は火炎魔法と魔力感知ですが、かなり近くじゃないとマナは感知できません」
「へー、火炎なんだ。少しはマシなところもあるのね。私は《弓術》《狙撃》《歩行術》《騎乗術》《地脈感知》 基本的には弓を扱かうと強化されるスキルだと思えばいいわ」
ディアナは相変わらず刺々しいが、こういう時は物怖じしない性格がありがたい。そう思ってアスラが目を合わせれば、薄笑いを浮かべたディアナの顔がすぐに苛ついた目つきに変わった。
ディアナは五つもスキルがあることに驚くと思っていたのだが、アスラにまるで反応がないため再び機嫌を損ねたのである。
「オレは《堅忍果決》《状態異常耐性》《剣術》 のスキルがある。堅忍果決はDEFが上がって関連した法術も使える。さっき説明したヘイトを集めたり、自分のDEFを上げる法術が使える」
わだかまりは解けたのか、オスカーは胸を張って爽やかに笑う。防御に関して自信があるのは分かったが、アスラは聞き慣れない言葉に首を捻った。
「法術とは何でしょう?」
「火、水、風、土の四元魔法以外の魔法をそう呼ぶんだ。双極魔法から派生した魔法が使えると考えれば分かりやすい」
「双極魔法も教えてもらえますか?」
「あんた学校も行ってないの!? ほんとっもう。光魔法と闇魔法のことよ」
ディアナが呆れたように口出すると、アスラが目を隠すように手をかざし、ゆっくりと歩みをとめる。
「それは僕でも使えますか?」
アスラの問いにディアナは白い目を向けるが、オスカーは真剣な表情で首を傾げ、少し考えてから答えた。
「そうだなあ。練習すればスキルが身につくとは習ったよ。オレの剣術スキルも稽古してたら現れた。ただ、ある程度やってダメなら諦めた方がいいと思う。スキルってのは言わば適正だから」
「………わかりました。ありがとうこざいます」
深々と頭を下げるアスラに、オスカーは大したことじゃないと手をふって照れ笑いした。
ひどく興味が惹かれる話である。他の魔術式を習って繰り返し使えば、新たな魔法がアスラにも使えるかも知れないのだ。
アスラが若干の笑みを浮かべ、それを気味悪そうにディアナが見るが、少しはマシな空気が漂っている。
アスラが提案したのは、以前のように小鬼の森の外周に沿ってゴブリンを探し、発見したら騒いで草原まで誘き寄せるというものだ。
オスカーとディアナは、揃って嫌な顔をしたが強く反対はしなかった。
小鬼の森の入り口といってもただ樹々が少なく、出入りする人や魔物が踏み固めた道があるだけだ。その入り口はまだ遠く、視界では深い緑が見えるだけの距離である。
「………ん?」
「どうかしたかい?」
何かを感じる奇妙な感覚があり、アスラは小さく呟いただけだったが、少しばかり興奮し始めたオスカーが拾う。
足を緩め、アスラがその感覚に意識を割けば、確かにうごめく何かを感じる。
「新しいスキルに感知系があったのかも知れません。入り口から少し進むと、二体の生き物がいるようです。魔物なのか獣なのかわかりませんが」
「かなり遠いけど、本当なら凄いね」
オスカーは関心したように笑いかけると、日射しから守るように目の上に手をかざし、深い緑を眺めている。ディアナも目を細めていたが、早々に諦めてアスラに尋ねた。
「魔物ならゴブリンでしょうし、二匹なら問題ないでしょ。どうなのよ?」
ゴブリン二匹ならアスラにも異存はない。
今ならば余程に接近されない限り、十匹くらいは問題ないと考えていた。二匹ならふたりに任せてもいいだろう。
アスラが軽くうなずくと、オスカーとディアナは顔を見合わせて笑みを弾ませた。