表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

 『追憶し、魘される』

第一章 1 風景 

 2 ムー先生の文学教室 

 3 あくむのアルバイト 

 4 過渡期 

 5 この焼かれた声帯が再び唄い出すまで 

 6 真夏の憂うつ 

 7 慈眼寺の散歩道 

 8 追憶し、魘される 

 9 ファイトと徒労 


 第二章 ① boy`s talk 

 ② 愛慕、それと後悔 

 ③ どぶねずみ 

 ④ 草の指輪 

 ⑤ 高慢ちきのベンチヒッター 

 ⑥ 浜市精神保健福祉課 

 ⑦ YASUNARI KAWABATAの妖夢 

 ⑧ 倍音で惑う、小憎たらしく千分に揺れる 

 ⑨ 初音


 終章 懐妊




第一章 1 風景

大きな賞を貰って、自分になるんだ。自臭病だけれど。

一体何が正しくて? 何が異なり、間違っているとか、茫漠で不明で判らないし、ハッキリとしない。不明領域が膨らんでは、か細い声の余白を追う。

日の当たる明るみに出ない多くの言葉を胸に手繰り寄せていく。暗さのうちに光が宿ると信じて。

どういう生き方が真っ当で、どんな人生が不穏だとか、どのような所が不完全だとか、解らない。

解らないまま、……精確な言葉を此れ見よがしに使おうとするけど、取捨選択が上手く行かない。ふらつく置き上がり零し、斃れたら、また立ち上がろう。

日向ぼっこが正解で、日陰暮らしが不徳だとか。お昼寝が大事で、睡眠不足が幻滅だとか。

常識がないな。イエス・キリストによって買い取られたと書いてあるからだがどのような価値を為すとか、その真価は何?

さまざまな価値観が交錯し、咲き乱れ混交していく。

その日一日生きて居られれば満足で、澱のように深い暗き考えにも始末が付く。安堵感が溢れ、慢心を生むけど、どのような抵抗のしようもない。

今日もまた悪心がさわいでいた。コールマンが呼び出した亡霊のように。


一体何が了見だ? それすら、浅墓。

推察してみても、不明。

不服だ。

僕は負けいぬ。

這う犬だ。Creep dog.


笑いに変えるから、愉快なのではなく、心楽しいのではなく、話の落とし所も定まらない。大爆笑した後の遣る瀬無さ。

爆発的な笑いが寒波のように押し寄せて、僕はそれを笑殺するのに必死だった。

覚え立てのことばを話すよう、大典を行うような。……この雑文が書かれてゆく。

一体どんな風に話せば、わかって貰えるのだろう?

男として生まれた性質が、気付くといつの間にか薄まって中和され、女っぽいジ・エンドに予定調和のよう、居坐っている。寝惚け眼を擦りながら、授業に向かうみたいに、頭の回転は鈍いけれど、キチンと授業には出席します、それが第一使命であるかのように。

昼日中、おひるね。安眠。


仕舞いにゃ、切り口上感情の趣く侭、タイミングを合わせて、会話の間と間を埋めるように、たどたどしく説明的でない言い方でなんとか、絞りだし、なるだけ屈託なく話そうとするけれど。何が上手く話せていて、何が上手く話せていないか、判断が皆目付かず、それらの判断はお前に任せる。あー投げやり。まったくお前って奴にはやられたな。僥倖の味を締めて生きて行く積もりだ? 最低、このまま起き上がるな、クズやろう。


「へえ、あ、そう、ほほう」。頷きは守備、ぼうぎょを固めて、臨戦にそなえた。

「ふーん、じゃあ、それからどうなったの? どうなったってこともないんだろう」。質問はオフェンス、攻撃的装備で戦いにいどむ。

生活力をきたえ、負けないように、肉体を酷使していく。構成を立て、総合力で勝負しないと。数値換算にやっきになり、定規で測って、制度化に思いを込めた。

「あらまあ、そんな複雑な事情が。ががーん」。意気消沈は認知。

失望は滑車。

ごろごろ廻り、坂道を転がっていく。

「え、それで、今の君が?」

反対車線から流れ込んで来たような変化球、曲がり曲がって飛んで来る球が、その質問が、知らないで欲しいという事実に噛みつく。隠遁の術をつかい、雲隠れ。隠棲し、しずかな命を燃やして行く。

負けない、負けないぞ。

教育された感情は、死活力。……健康に生きて行けるという気紛れな気持を晴れ晴れしくしていく。説得された、頭の悪さを、やわらかい賢さを思い出す。賢人であるからして、この公式にはこうだな、の収拾がかんたんに付けられる。頭のつかいどころ? この方程式には金属を使って頭を打つくらいしか答えが残っていない。

「アンタばか?」

「はい、そうなんです!」

言ったは良いが、つんのめった。

逓信局に取り次いで貰った音信、通信のように途切れ途切れに言葉が伝わって来る。異邦人になったようでもある。外国人。ようこそ日本においでくださいました。豊かな観光旅行を心休まるまでお楽しみください。行き詰まらなきゃ良いけど。

つんのめった。


いつもクズだって言われている。土の塵だと。

「苦境」を賞賛する訳じゃないのにね、自分自身でもクズだと思う。

砂の山のうちに集まる砂金だ。崩れ落ちていく音の凝りだ。

クズはクズらしく、捻くれて斜に構え、助け船の来ないほど落ち込み、絶望のふちに立ってから、きっと何かをさがし求める。

それが宿命。

僕はクズさ、とつぶやく。すたれたみやびさだ。

僕は閉じこもり、落ちられないトコロまで落ちたから、後は這い上がるだけだと、自分自身を激励するが、……。

家で、ヘンなタスクやってる。

皆様の沢山の支援を受け、成長しました。

言ってはみるけど、強烈な社会の冷たさに打ちのめされ、ふさぎ込み、後の一歩がなかなか踏み出せず、すっ転ぶ。

ドテっ。

連続の手持ち花火のように乱発的でなく、芸妓のように噤みがちにお淑やかに上品に真新しく話ができればなァ。

自分自身を景気付けてくれる言葉が欲しい。

調子付かせてくれる言葉が、……絶望思考のあの頃のおれに、穴で蹲っていたおれに、暗室で横たわっていたおれに、一体何が投げ掛けられよう。

たとえば、どういう言葉を。

「あたい、」思わず主語が出る。

「そんなん言ったら、もうオカマやないの」放心状態。

無臭にんにくでも食べて、元気出さないとな!


「眠りたい愛はloving with you♪」、思わずSPEEDの歌詞が口を突く。

鼻歌を歌う少女が目に浮かぶ。

この娘は、統合失調症中に、もみくちゃにされこなごなにバラバラになった意識で別れ別れになったんだ、と振りかえる。

何所に居るの。「眠りたい愛はloving with you♪」。

息を飲むキオクの、……或いは幻の悪夢が再び襲って来ないよう、身体の力を抜く。

全身のちからを抜いて、へなへなに脱力して、愛した少女をさがす。君が居なくて、さびしいよ。

あの日靴を忘れた場所が、再び悪夢に呼び覚まされないように懇願して。




 読者の皆さん、これから暫し僕は結びの文句まで全く締まらぬ、進展はかばかしくない自慢話をするのだけれど、もし気が向いたら聞いて下さい。

言葉を漉し、醸成を待つ。

試行錯誤ばかりをくり返し、完璧なカタチで提出したく思う。

巧く行かないことが多いけれど、これまで熱心に取り組んで来ました。と話す、恩師に向けた宿題のような文字群だけれど。

ほら、高校中退の弔い合戦するよ。

勿怪の幸いを願って、ここに提出します!

体育館のなか鳴りひびく卒業生スピーチのよう、気取ってぶちかましてみたけれど。あの日から僕は殴られ屋のよう、ボロボロだから、それもまた不恰好な笑いとなるだろう。

 なにゆえ!?








2 ムー先生の文学教室 

 「それで、どういう小説を書きたいの?」「目指している物は?」「もみくちゃな物? はっはっは」

 「文学です」

 「文学って言ってもねー、かなり幅、尺度が広いから、上昇志向だけ持っていても、アカンのね。

満足出来ないの。

それについて、ご自身でどう考えられているか、解らないけれど。ごみごみしていると良くないよ。

頭のなか、スッキリさせておかないと」

 「それについてはよく考えてますね。……どういうことか、よく解らないですけど」

ムー先生はおしゃまな感じで心を広くして、力を抜いて話しているようだった。

「ふうん、なるほどね。むつかしいけど、まず遺稿に手を出すこと。

大江健三郎『死者の奢り』って言うでしょう。ようするに奢り(、、)な訳。死人から譲り受けるんだからさ、どんどん読まないと。

だから漱石なら『明暗』を読んだり。

芥川なら『歯車』を玩読したり。……

まず手始めに遺作を次々に読むことだなあ。満足したら、先がないよ。だからガツガツやること。

人間一生仕事し続けるんだからさ、テキパキやらないと。

作者と読者双方にとって良い方向に。

それが理想だね。

さーて書けるか、書けないか、此処から孤独なマラソンが始まります。

急がなくて良いよ。病気なんでしょう。

ゆっくり安心し、勉強し続けて、空白を埋めて行ったら良いよ」

 「はい」

「コカ・コーラのCMじゃないけど、ノー・ボーダーよ。負けん気強く行かないと、気持の面で負けちゃうの。メンタル勝負な所はある。

ズタボロになって気付く、精神的疲労感の後気付く、使い果たされて。

垣根無し、境無し。

負けないで! 文学は敷居が高くて手を出せないっていう人も居るんだけどねー。

小説を実際に書いている人は少ないとか。

気を強く持たなきゃダメよ」

 「ムー先生、困ります。指標が高過ぎて困ってしまう。水準が高過ぎて。……

面差しは良いんですが、松山ケンイチや綾野剛に似ているみたいですが、……何せ文学ですから。

ま、だいぶ虚仮にされて来ましたけどね。底辺に生きているんで。

中上健次の『異族』を読んだんです。死票ですね。

大安です。

幸運が降りました」

 僕は幸福感に浸り、休息を始めた。

 「ムー先生って呼ぶ人余り居ないんだよ。ルー先生って呼ぶ人は沢山居るけどね。

国文学の先生として、それもどうかなァ、って思うけど」

 孤独なマラソンは続いていく。苦楽を共にした者だけに解る物を目指して。世渡り上手になりたいのに、何度も失敗は続いていく。

負けないぞ、負けないぞ。

 「僕は卒業代わりに、この文学群を書き上げたかったんです」

 僕がそう云うと、ムー先生は渋面を破顔させ、

 「卒業? 尾崎豊じゃないんだからさ、この田舎侍が。文学に興味津々だったんだな。スクールカウンセラーに相談して、高校を中退したんだろぅ。

そういう奴には髪が虹色の奴も居るんだよ。こんなぶっといピアスしてさ。おっかないだろぅ? そういう奴には近付くなって、生徒たちに常々言っているんだよ。

がんばって、他人に反駁しなくても良いんだよ。

これまで何処に居たの?」

 とムー先生は口出ししたが、咎めるような、難詰する形になった。

 「音楽雑誌です」

 「ライターか。居場所は見つかった?」

 「はい、此処に」

 血気盛んに僕は捲し立てた。一歩も身動きできないほど、後退すらできずつんのめりそうになり、タジタジになった。


……気持ちはクールでドライで、乾いていた。

 僕は冷静な落ち着いた優等生を装い、職員室に存在していた。只元の顔は、表の顔は真逆の劣等生で、グロッキーなルーザーで、いわゆるパンチ・ドランカーだった。

永井荷風先生のように遊学もしていないと、しずかに思った。自身の平凡を責めたくなり、心に空洞が空いていて、外国留学もしていないと、鷹揚な気持になった。

次いで投機の気持も働いたが、そのつもりは消え、決意をして、きっと僕は目だけ開いた。

聖なる音符が降りて来たけど、それを僕は無視した。

血まなこになり、表情を紅潮させた。浣腸されるような気分だった。

次いで呵責の気持が起こって来たけど、それはいつもながらの緊張した心持ちだった。

怒りを間接的に通り越すと、通り過ぎていく怒りは冷め、後ろ向きの呆ればかりが溢れた。

僕は自身を否定することばを沢山所持していた。

拾い集めたことばは壊れていて、少し痛む。

何所で手に入れたのだろう? ポケットにそれは沢山携帯されていた。心のなかのその声の為に、いつも僕は辛くなった。心が溶解して、かき氷のようになった。

氷砂糖を舐めれば甘いように、それは糖分を含んでいた。あふれ返った水のような感情がエメラルド色に光り、流れだし、僕の想いを満たして行った。

溢流して行く、……。

ムー先生に対抗する気持の恥ずかしさと緊張と緊迫とで、手の平から汗が滲み出していた。汗は手相に透けていた。

 「たなごころって言うんだよ」

 「てのひらじゃないの」

 川端康成の、『掌の小説』。……

 「パロったな。はあ、まったく仕方ねえ奴だな。お前ってさあ、高校の授業の文学もそんなに得意じゃなかっただろ」

 「そんなことないです。ムー先生の授業が好きでした。あれから勉強し続け」

 「ふうん。何がそんなにたのしいの。学力上がったか」

 「何が、って言われても。惹き付けられたことを引き離すのはむつかしいです」

 「ふうん。序章でつまづいてたと思ったけどなあ。点低かったじゃない、テストの」

 「の(、)奇妙(、、)な(、)冒険(、、)です。73点ですね。……先生天才ってどうして生まれるんですか?」

 「生み難し、この想い。どうしてだろうな。『ドラゴンボール』の餃子(チャオズ)の気持を考えていればいずれ判るんじゃないかな」

 「先生、それって、『ドラゴンボール』の天津飯ってことですか」

 「餃子が居て、天津飯が居る。天津飯が居ないと、餃子は生きて行けない。天津飯も然りだ」

 「なるほど」

 「三ノ宮さあ、おまえ如何していつも物事をそうやってなんかいに捉えるの。悲しくならない? って言うか悲しくない?」

 「悲観的ってことですか?」

 「おれはお前の今後を憂うよ。放棄してさ、だれかに任せちゃえば。ちなみにテストは74点だよ。……っておれ劣等生の現代国語の修正加点してどうする。

いかがなものか。しかも一点、それも口述で。

直接言うことでもないんだと思うんだけどね」

 ムー先生に教えを乞う。

 「ルー先生大好きです。今後もよろしくお願いします。

 「はっはっは。照れるな」

 僕はまじめにルー先生の眦を見詰めて、詰問した。

「先生なんでジーコ・ジャパンはワールド・カップで負けちゃったんでしょうか?」

 「行き成り。なんでだろうな。そんなことおれに聞くなよ。

おれは広島カープファンなんだよ」

 「先生なんで郷ひろみはジャパーンと歌ってるんでしょうか」

 「なんでなんでは止めろよ。そんなの日本のタメに決まってるじゃないか」

 「政治家みたいなこと言うんですね」

 ムー先生は首を回し、疲労をほぐすようにマッサージしていた。

 首を回し、柔らかに疲労をほぐすようにマッサージしていた。会話するのが面倒臭そうで、怠慢っぽさも犇々と伝わってきたが、逆に俺はそこに好意を持っていた。好意を持った人には周りを顧みずとことん尽くす、それが俺の根っからの性分だった。俺はムー先生に尽くしながら自身の成長にも役立てようとムー先生の話に必死に食らい付いた。

 「三ノ宮、芥川賞は無理そうだな」

 「ええ、失望してます」

 「がんがれよ」

 「ああ」

 「川端康成みたいな頷きするな」

 「ええ」


 余白を敷き詰めていくよう、改行を埋め込んでいくよう、僕とムー先生は会話を満たした。屁のような匂いが充ち満ちた。

代り映えのない風景が広がる。メタンガスのような臭いが満ちていたが、ルー先生はムシューダを買っていた。他念無く徒競走で負けないよう、走り続けていくみたいだ。

ュー先生は白米をムシャムシャ食べ、お腹を膨らせていた。たまプラーザに住んでいる、という噂があるが、定かでない。

 「にひひ。でも、ムー先生あれから僕ずいぶん精進したんです。三年間集中の時期、期間を設けて小説だけを書き続けて。……

足掻き続けましたね。もがき続けましたね。

醜いですけれど(苦笑い)。

それくらいしかできなかったです」

 「へ―。そう。まあ良いんだけどよぅ。まさか訪問して来るなんてなあ」

 「ムー先生、あの芥川龍之介の『羅生門』の授業が面白過ぎて、一向に忘れられず、螽斯の共喰いですか、これまで独りで文学を続けて来ました。

『こころ』なんかも習い直しましたね。姜尚中さんの新書を読んだり。『こころ』は、明治の精神の死だったのかー、と」

 「三ノ宮自己アッピールは良いんだよ。大家になりたいのかもしれないけど、先ず一作だよ。我を捨てよ。

彼我なんだよ。

古典も読めよ。『源氏物語』も読めよ。花散里良いぞ。柏木良いぞ。

『徒然草』も推薦するよ」

 「『源氏物語』は読みましたよ」

 ュー先生はたばこを吸い、クールミントのガムを食べ、上方に坐っていた。なんと誇らしげな人だろう、……

ふさふさの髪、禿げ所のない、地肌の見えない頭髪、盛り上がった毛髪、育毛剤は要らないんじゃないか。

と僕は思い、そんけいした。バイタリティが半端無く、聳え立つ壁をなんなく次々に越えてしまう人だった。何なく次々に越えてしまう人だった。居たと思い振り返るともうそこに影さえ残っていないほど、素早い人だった。風のように流され消えて、痕を残さず、教訓だけを託していく人だった。いつかコニカミノルタの株を持っていると聞いたが、万事順調だろうか。……

間接的に僕は思ったけど、「間歇的に、」とュー先生はいつか言ったことがある。

「妻が妊娠し、妻の陣痛が始まり、僕はあたふたしていた。無事生まれたから良かったが、ずいぶん妻は苦しんだようだ。難産の末に生まれた嫡男だから、大事にしたい。

それが一番大事。負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。それが一番大事。

三ノ宮、趣味を持てよ。三ノ宮は問題を抱えているからな。労われよ」――

 「すみません、すみません。すんません、すんません。

あれから何度か交差点のような、スクランブル入ってましたよ、渋滞、混乱していて。

あれから僕たちは、きっと何かを信じて来られたけど、あの頃の未来に立っている気がしないんですよ。『夜空のムコウ』の書き変えです。頭が錯雑となって。……

自分が何を言いたいか、判らないんですよ。

でも、小説家になりたいんです。

望郷。……故郷の町並みが火脹れた視世界をえいりに過ぎり、頭は回想のように、思い出たちが駆け巡って。

東京。……いつかの自分自身が現在の僕を押せ押せに鼓吹しているみたいで。パブロ・ピカソの『青の時代』の時期、メタモルフォーゼってことですけど、数節を経て、生きてます。

燃え尽くされて燃え尽くされて。

七転び八起き。

それに、家禽、猛獣に襲われているような想像力に充たされながら、しっちゃかめっちゃか混雑していて。

スクランブル交差点を歩いてますよ。

すでに意識破れていたんじゃないかなあ、発狂してましたし。

狂ってたんす」

 「支離滅裂になってたのか?」

 「ええ、まあ」

 「よく生きてたな(笑)」

 「手解きを加えてくれる人も居なかったんで(笑)

失笑物ですよね。良い所に引っ掛かることもない小説ばかりを書き続けて来たんです。しぶとく、しぶとく。

自慢話ですが、これでもロックバンドをやっていた頃は僕、後輩たちの伝説になっていたんですよ!」




指の間に挟んでいた煙草の吸い殻を扉の向こうへムー先生は投げ棄てた。小指と薬指の間に挟んでいたスプーンをムー先生は机の上に置いた。何を食べるのでも無く思索的な表情で、相手の考えを「読み耽る」ような按配だった。ビールでも飲みたそうな酒豪だと云うことを僕は知っていたが、その見当も今は付けられぬのだった。犬のようなだらしが無さそうな愛嬌のある微笑を浮かべて、それとなく髪を撫でつけた。

「おれお前にヘンな不確かな期待持たせちゃったんだな(笑) 可哀想に。まあ作家にならなくてもよ、他の職業の業務作業もあるだろう。稽古を付けることは大事だけどな。気にすんなよ。忘れたことをよ、書き続けると良いよ。俺みたいに先生になるとかな。作家は頭良くないとなれないぞ。気を付けろよ」

「そんなに頭良くないです。困っちゃいました。進捗はかばかしくないですけど、悔いを残さないよう続けて良いですか?」

「それをおれに聞くのかよ。まあな。この世界食えないんだよ」

「おいらはとんでもない袋小路に遭難しちゃったんじゃないでしょうか。補佐が必要なんです。支えが欲しいんです」

「こころがやすまれば、……葛藤があるだろうし。……先ず大学だ。大学附属だったら良かったんだろうけどな。通えよ。井戸端の向こうへ、井戸塀の向こうへ行けよ。期待感を捨てよ。目的実行力を付けよ。自己限定性を付けよ。持てよ。つん(、、)大黒(、、)するなよ。安定感を持ち、弱点克服すると良いと思う。がんばれよな」

 お喋りばかりが続き、僕は笑っていた。ほたえお道化ていたけど、急変した天候にも対応出来た。外界は、外部世界は、大雨で、傘がこわれた。ュー先生は、「傘がない」と言っていた。僕らは職員室から出られなかった。

 「文学の根っこはあるか? ちゃんと寝てるか? きちんとした寝方をしてるか? 考え過ぎて見えなくなってるんじゃないか。ちゃんと見つめてるか? 後執筆期の後は多読期に入るぞ。たぶんな。経験からしか言えないけどな。良い寝方をしているなら、夢を見ているあいだに起きていて、眠っているあいだに仕事をしていることも判るだろう」

 「ルー先生小説も書くんですか? 教えるだけじゃなくて。僕は寝たくて寝たくて仕方がありませんでした。少しずつ眠られるようになって来ました」

 「ああ、言ってなかったか。少し小説も書くんだ。趣味でな。それにしても、ドストエフスキーの『悪霊』を読んで自分の根幹を揺るがせにされるような震撼をおぼえたのだろう。大丈夫だったか? 大丈夫だったか、マイフレンド。まあ、あの小説は登場人物死に過ぎだけどな。おれも身震いするよ、末おそろしいよ。文学を続けて来て、出口は見つかったか? 入口の石臼は見つかったか? 今どんな家に住んでいるのかな?」

 「文学の入口を見つけられず、仕方なく出口で待っていました。少しだけ稼ぎがあって、子どもの頃からマンションに住む夢を見ていたのですけれど、ファッションを夢見るような夢で、暫く働いて、同居で実家暮らしですが、マンションで暮らしています。やっと此処で生活できるようになり、ホッと一息付いた所です」

 ュー先生はカミナリに打たれたように感心して、

 「そうか、……ならいぜんより豊かになったんだな。お前高校に居た頃は物質的豊かさがイヤだってつねづね言っていたじゃないか。おれおどろいたよ。お前のような人間が居て。さびしかったから、会いたかったよ。金がにがてな所、その辺はこくふくできたのか?」

 と話した。

僕は静かにムー先生の言葉を聞きわけた。太陽光に照らし出されるようにして、浮かび上がった像を煙に巻いて、夕暮れ時の職員室は更けこもうとしていた。夜の木々がもうすぐそこに姿を現そうとしていた。掴まえることのできない影のようにそれは滲みこんでいた。

 「ええ。未だにお金に対して懐疑的な所はありますけど、お金は好きですね、必要以上のお金は手に入らない気がしますけれど。人・物に対してもずいぶん寛容になって、いぜんと意識や考えが変わりました。そういう現実社会の恩恵を受けること、得ることは人生を愉しむことだと腹を括って、ググって生きて行こうと思います」

「なるほどな。まずそこからだ。そういやお前幾つか忠実に参考書や大学の国語の教科書を読んでいたみたいだな。ほお、大学の国文学の教科書を?」

 「はい。ヲコト点や、てにをはや、接辞についてや用法、用言についてです」

 「なるほど。そうかあ。ああいう用法、用言になんかはお前が読んでもわからない所あるだろう、と思うんだけれどな。余り勉強ばかりするなよ、制度に縛られてると、お前の良さが無くなっちゃうよ。まあ、勉強するのは良いことだけどな。『キテレツ大百科』の勉三さんだな。まあ、文学って制度なんだけどな。後、付記、付け足しばかりしてちゃダメだぞ」

 「はい、小説が自由と思っていた所もあって始めたんですけれど、制度を知らないと自由を感じられないんですよね。他のジャンルの芸術、文学でも同じなんですかねえ」

 「色々他のジャンル、沢山のジャンルに触れると良いよ」

 「用法、用言については、基礎知識だけでも付けておこうと思って。不甲斐ない始まりでしたが」

 「まあ、体裁良くな。要領良くな。役に立たないことはない。無駄なことはないといつも言っているだろう? 必ず糧になるよ。生きていく為のバイブルだ。それとな、棺桶に入るような気分になるなよ、LUNASEAのROSIERのジャケットじゃねーんだからさ」

 ュー先生はそう言って面白可笑しく話し、たのしそうに笑っていた。もぎたての果実を齧るよう、美味しそうな甘酸っぱそうな蜜柑を食べていた。ひとつぶひとつぶ口元に運んでいた。蜜柑の蔕を取ろうとして指が滑り、蔕の方を食べていた。それを見て、女学生二人ペアが笑っていた。蜜柑と未完が掛かっているといつか言っていた。文学はいつでも未完だよ、完成することはない、美味しい蜜柑を食べろよ、愛媛の蜜柑が美味しいぞ、と。ムー先生は御馳走を食べるのがじょうずだ。鮫と言えばジョーズだ。ジョーズにじょうずに食われないよう、案じている。ムー先生の御馳走を食べる様を見ていると、気持ちが良い。むしゃくしゃと齧り続けて、飲む。飲み干していく。草花のよう、ソレは交配していく。地に咲き、後々の花木となっていく。ムー先生とのかいわは、いつも会食形式になる。








3 あくむのアルバイト 

 ねずみのコンビニエンスストアーで蒸し器からあんまんと肉まんとピザまんとプリンまんを一つずつ取り出した。レジでスキャンし、廃棄のボタンを押し、廃棄するのが勿体無いので、事務所で店員みんなで口に入れた。

「プリンまん美味いか?」

「まあまあだな」

「貶すと、『注文の多い料理店』みたいに食べちゃうよ」

 プリンまんは変わり種だったので、どうかと思ったけど、開発部の意思が感じられ、試行錯誤しているさまを想像し、美味しくかんじられた。新規事業開拓、新規事業に着手したんだ、と思うとうれしくなり、開発部の力の入れようも判り、美味しくかんじられたのだ。ほくほくだ。さすがねずみのコンビニエンスストアーである、倉庫に入り、ペットボトルのダンボールの箱を解き、ウォークインに陳列を始めた。ねずみの本部からの納品がまちがっていないかチェックし、確認し続け、GOサインを出した後だった。ねずみのエロ本が大量に店内用かごに入っていた。キリスト者たる者、それを見るか見ないかの二択が訪れた。ねずみのエロ本というからには、中はねずみの水着写真ばかりなのだが、これは見ないと男としてすたれる気もする。ねずみの水着写真という物も見たことがないから、興味本位で見てみたい気もする。が、僕はキリスト者である。そういうお下劣な物は見てはならない気がする。見たい。迷わず、僕はねずみの水着写真を要チェックした。エロかったので、ドキドキしながら、下々の者に伝えねばならぬと思い、三島由紀夫の『近代能楽集』とどっちがエロいか、について暫く談議した。

 毎日朝5時になると、出勤前のタクシー運転手、通称運ちゃんがどの誌か判らないが朝刊を買いに来る。沢山ある各誌のなかから一部。僕は一人おじさんにニックネームを付けていて、タクシーの運ちゃんだから、タクローと呼ぶことにしていた。只それは歌手の吉田拓郎さんとGLAYの作曲家TAKUROさんとの混雑がはげしく、仲間の店員に混乱を来たすので、その呼称を止めて、と立場の上のねずみのコンビニエンスストアーの店長に言われた。「TAKUROが来たと思ったらどうすんだよ(笑)」。店長をタコろうと思った。ちくしょう、僕は二人のよう、生来の美声で歌を歌おうと思っていたのだが、急に歌を歌えなくなっちゃって、声が枯れちゃったから、文章を書くしかない! と愚痴ると同級生の仲間の店員は笑っていた。

 休む。一服し休みから戻る。お客さんは居ない。ねずみのコンビニエンスストアーの店内の冷房は大いに効いていてすずしい。酷暑にも夏場にも負けない性能の良い年季の入った大型冷房機だ。雑誌の陳列に僕は手間取る。ねずみの雑誌ばかりで何所が何所だか何が何だか判らない。取り敢えずそれなりに見えるよう並べて置く。ねずみのコスメティック用品も置いてあり、ヴィジュアル系ロックバンドのヴォーカルをしていた俺は赤いマニキュアを左手の爪に塗っていた。魔神の宿る左手である。僕は息が臭かった。息が臭かったから、話下手で、歌を歌う方が伝わるからヴォーカルをしていたのかもしれない。「この灼かれた声帯が潤されたら歩こう」というフレーズを持つ、中学二年の時に作った楽曲は、メロディーがミスターチルドレンの「シーラカンス」そっくりで、暗さが気に入っていた。只当時パロっていることは同じバンドメンバーの誰も気付かず、<コピー>とは<真似事>とは何かと考え続けていた。が、それは兎も角、この歌の歌詞のせいで、僕は僕の声が枯れたのかもしれないなどと考えていた。ねずみらに発表するだけなら、今でも歌えるが、……枯れた声で、……。

 酒で焼かれたのでもない、歌い過ぎで焼かれたのでもない、たばこの吸い過ぎか、喋り過ぎて焼かれた俺の声、……当時はサザンオールスターズの桑田圭祐さんみたいな声が出したくて、声帯を痛め付け続けていたのだが、バチが当たったんだ。そんなこんなを考えながら、新聞の立てられたラックのスポーツ誌を読み、「綿矢りさ芸能事務所から勧誘!」の記事を読み、金原さん綿矢さんを初めて知った時「えー、同世代でこんなにすごい人居るの」と文学を始めたのが運の尽き、浮かばれぬ生活を暮らしている、只文学か、……文学とは何ぞや、……と書生っぽく考え続けていた。

「遅れてる。僕は遅れてる」……と思いながら、自分で自分を責め続けた。


ねずみのスナック菓子をこと細かにならべながら、整頓し、考え抜き、攻めんとす、どうしたものか、どうしたものか、と熟考していた。いかん、また考えてる、あじゃぱー、と気を取り直し、考えるのはやめよう、足が痛いと、いかんいかんと難渋、あたふたしていた。ひでぶ、洗剤のアタック、自宅に買い置きあったかな? などと考え、あかんあかんあかんぽ君、などと思考停止し、攻めんとす、足しけんと、などと思い、こういうおじいさんが居たよなあ、と思い出し考え直しつつも、思考が届かない、試されるような情緒で、おじいさんにきみは紺などと言われ、<紺>って、<来ん>っていう意味かなあ? と自分では思っていても、おじいさんにはソコは無視され全然みとめられていない状態と思えた。悔しさが出て来て、ラカンラカンカルチェラタン、と思い直し、考え改めていた。導きがあるよと伝道者の書を読みつつ、思い起こし、試練に遭うように深慮を図りながらも暗中模索してしまう。自身の自信がなく<来ん>などと思っていると、情緒が腐り、自身が<来る>と思っていると前掛かりになり過ぎ、ボイラーが沸騰し続け、エンジンが回転し過ぎ、ブレーキが掛からなくなる。ぼうそうし続けてしまうと、交通事故に遭うだろう。スピードの出し過ぎ注意、アクシデントに遭うから、僕らの事故、存在感の事故などと思う。……

サンドウィッチをパクパク頬張り、腹拵えをし、考え続け、パン屋の店員をしていた時、ああいうおじいさんが来たとか、来ないとか、思い続けていた。「ほんとに?」「フォントに?」「ポンとに?」「本㌧に?」。いろいろに口々に友人たちに言われ、てんやわんやになり、パン屋で働き続けていたことをそうだろう、と思い做していた。パン屋でアルバイトを労働し続けていた頃、軽いフットワークでお客様に笑顔を振りまいていた。こまごまとしたことを為していくのがじょうずだった。

「焼き蕎麦パンですね。チョコレート・クロワッサンですね。バケットですね。っしゃ、ラスクですね。毎度あり!」

と手際良くレジ打ちする僕の前にああいうおじいさんが居たとか、居ないとか、

「そんな江戸っ子口調で言わないで」

おじいさんが頑として動かず見詰めていたとか、慮っていた。

ストリートファイター2のダルシムのヨガ・テレポーテーションをつかっていたのかもしれず、自由に場所を移動して、横っ飛びし、行き来し、跳び越えていたのかもしれず。

ためつすすがめ、物分かりの良かった頃を思い出し、全体を見詰め、自分自身をコントロールしていく。視界に浮かぶ物を数え、数え唄を歌う。自信がなかった頃だったが、精神不安定でもなく、健康なからだとしての自分自身を呼び起こし、フレームを合わせて、頭のなかの音楽にフレーズを合わせ口ずさみ、レパートリーを増やしていくよう、ヴァリエーションを広げていくよう、世界の窓を見渡した。

「らっしゃい!」

「いらっしゃいませー」

「ラッシャー板前!」

江戸前寿司の板前になったような心持ちがし、落着した。テンポ良く掛け声を掛けても、駄々滑りのような現況もあった。駄々滑りのような現況もあった。を考え続けていたのだが、……続け様にモヒートを飲みたくなった。

 などと思い出していたのだったが、……。

……それも誤読だろう。<来ん>じゃなく、<紺>だったら? 蒼天を見上げる為生きてゆくという説があるらしい。澄んだ青々としたこの世の物とは思えぬ蒼天を見る為に生きてゆく生き方が、……良いのでは。接辞について学んだと言っても、「三ノ宮、一寸判ってるのかなあ? 形態素について教えたじゃない」、とねずみのコンビニエンスストアーの店員に言われるのがオチだ。彼女に態々貸して貰った或る大学の国文学の教科書を熱読し、読み続け、東大の国文学と比べてやさしいな、と自身は高校敗退者でありながら思いつつ、まったくりかいが追い付いていない状況もあるのではなかろうか。自身の文学に掛けては上級の物を持っていると自負しているが、実際は冷笑されるのがオチである。

困った困った熊った安倍ベアーと言うと、こういうおじいさんが居たよなあ、と考え改め直し、この考えもおじいさんっぽく考えているだけなのではなかろうか? ――形態素について学習したなあ。用法、用言についても、学修したなあ。……

と思いかえしていると、♪♪♪ ――某放送局の意地悪女性アナウンサーの声が聞こえ、美唄かと思いきや一般市民を追い込む発言だった。気が弱る。

――「海が見たい。八幡浜の海が」。

愛媛の八幡浜から来たと結子は言っていた。八幡浜と言えば、宇和島の隣町辺りで、幅広い平地にポツポツと家屋が建て並べられている土地だが。僕は子どもの頃から数えて何度か四国へ行ったことがあるが、そんなに四国の記憶が色濃くない。青々として切り立った茂った四国の山脈のカーブを通り過ぎて、なだらかな下り坂を降り、峠下のホテルまで。……有料自動車道から見る四国の山脈は信濃のそれではなく、峻厳で、少し恐ろしさがあった。八幡浜の結子から聞いた八幡浜の海岸は水色の海辺の印象で、日の出が美しそうで、淡い紫色掛かった陽光が降り注ぐ情景が浮かんだ。浜辺は金色で白い水しぶきが上がっていて、波打ち際に結子が笑っていて横顔を据えている。小型犬のような愛らしい横顔、……。八幡浜の結子から海のことを聞いた時、そういう女生徒だったのだろう結子が思い浮かんでは波のように消えて行った。結子は少し変わり者で、菜食主義者で、豆腐しか食べない。肉はだめ、……八幡浜の結子と付き合っていた時、よく大衆食堂に通い、豆腐を嚥下した。「豆腐で栄養が取れるから」。

などと思い出していた。

ねずみのコンビニエンスストアーで、思慮しつつ、お客さんがレジ前に来ていないかを確認/観察し、来ていたら、直ぐに対応できるよう、心の準備をしていた。注視し、お客さんがねずみのお客さんだった場合、そのケースは、レジ打ちしつつ、画面に値段を示しつつ、分かり易く「ねずみの髭剃りは要りませんか? 二十年前から同じお値段です」と推薦/推奨しなければならない。「お客さんの毛衣ですと、夏場暑いですよね、蒸すでしょう、海藻みたいな毛を纏っていないで、脱毛がオススメですよ」と推薦しなければならない。「汗で臭かった場合、脱臭炭も欠かせません!」

ねずみのお客様は神様です!

お客様が千客万来していた。

 ねずみのコンビニエンスストアーの深夜帯出勤なので、眠たい目を擦りながら、ボサボサの髪を掻き毟りながら、古新聞の返品作業をし、ねずみの新聞業者に持って行って貰う為、雑誌類などもまた返本作業を続けていく。

 夏場は汗で肌がジンワリし、生ぬるい疲れが腹部に降りて来るのだった。眠気とたたかいながら、妥当なことをし続け、怯懦とは思いながらもトボトボと気落ちしながら、ルーティンをこなしていく。店内のねずみ商品の備蓄を調べ、ねずみの缶コーヒーのホット缶を揃え置いていく。ねずみのおつまみを確認し、空きがないか、足りていない所、物がないか、を揃えていく。ねずみのお客様は酒豪が、呑兵衛が多いから、入念に丹念にチェックする。ねずみのダンボールの梱包を解き、店内の棚に並べて、余った物は扉の向こうの倉庫に並べて置く。


 ねずみの検品作業を続け、在庫に不備がないかを調べ続け、深夜1時を過ぎると、ねずみの雑誌類が届くので、よっこいしょと声を上げ、そちらの作業に移っていく。ねずみのおまけ、附録が付いていたら、それらを個別のねずみの雑誌にビニールテープで括り付けていく。何かと手間が掛かる細々とした仕事が沢山だ。

 テレビについて考え、『スタジオパークでこんにちは』好きだったなあ、だとか、バラエティはこの頃見てないな、だとか、スタッフの友達を介し、平井理央と会いたかったなあと千慮した。夢を売る仕事だから、他人から沢山きたいされていないときびしいのかなあ、主役級の人たちはほんの一にぎりだなあ、隙間産業って言うけれど、自分自身の為に空いている隙間など無さそうだな、などと思い做した。十代の頃芸能人になりたかった自己と澪とを振り返り続けた。「殻」を破れなかったよなァ、とか芸能事務所、芸能プロダクションに所属すれば良いものを(オーディションを受けるにも、まずそこからだろう)、事務所という発想がなく、ちくしょうジャニーズJr.カッコ良いなあ、とムキになり、勝手次第に闘争心、ライバル心を燃やし続けていた。あいつには負けたくない、虎の威を借りてでも、なぞと思う十代の青年だった。只それも仕事だからなあ、とねずみのテレビの芸能人について一寸浅慮した。

 高校の頃に向けて浅慮して、確率について勉強し、コインの表と裏について考えを巡らす。そういう高校生活があったとして、どれだけ幸せなのか。敗退した生活者の執着心は何所に行ったか。視聴率競争に明け暮れたテレビマンについて考えを巡らし、一に会議、二に会議の制作会議の状態について思いを巡らす。テレビマンの幸せって一体何だろう。少し気になる。




 覚えたねずみのたばこをお客様に売り捌いていく。番号で注文するお客様と銘柄で注文するお客様とが居るので、ねずみのたばこで日常的にテンパっていく。知らないねずみのたばこの銘柄が沢山なので、陳列場とパッケージを覚えるまでが大変だった。

 店内レジにお客様が並ぶ。ねずみのお客様たちの調査をして、見物/観察して、御購入品を次から次に見ては籠から取り出し、スキャンして、合計金額を出していく。算出されていく金額はお客様に支払って貰い、ねずみのコンビニエンスストアーの店内を見回した。紙幣に皺がないか確認して、お釣りを落とさないよう、渡していく。

 僕は気分にムラがあって気分屋、お天気屋とよく周囲に言われるので、深呼吸をし、自分自身の精神的安定指数を計っていく。調べると、何のことはなし、現時点では比較的安定しているようだった。ねずみのコンビニエンスストアーは二十四時間営業なので、何時から何時までとか、三箇日は休みなどの休日、終わりがない。今日も早朝が来たら、店長がやって来て、「もう雨降ってないぞ」などと言うだろう。そうしたら、傘立てなどを仕舞い込まなければならない。その後事務室で缶コーヒーのFIREを飲みながら一服する店長を横目に、ねずみの引き継ぎ作業をして、アルバイトを終え、眠りに六畳一間へと帰って行く。足が痛む。

 生ぬるい疲れがなまけたような怠さを倍増させて、心を圧迫させて、嘔吐癖を呼び起こす。宿痾が呼び覚まされそうになり、ベランダで一服たばこを吸ったものは良いものをそのまま嘔吐してしまった。一体いつからだろうか? こんなに弱者になったのは、……とプライドの高さだけが鼻に掛けられ、自分自身にいやけが差す。自負心を持っているばかりに他人と口論の辻褄が合わない、……頭ごなしにことばを発し、ごういんに中央突破してしまう。貶したことばが後から後から付いて来る、……言葉のハラスメントを受けているみたいだった。

自室に帰宅し、シャワーを浴びるのも怠く、脂肪分のような生ふやけた疲労感がからだを満たした。深夜帯のねずみのアルバイトによくある疲れだ。両肩から足のふくらはぎまでジメジメした疲れが包んでいる。深夜帯の店舗を守り、おっかない奴がやって来たら、腹を据えて挑まねばならぬと気を張って、ねずみのコンビニエンスストアーの守備陣として仕事をして行く。治安はそう良くないから、考え過ぎな所まで考えればいくらでも身を脅かすきけんは伴なう。

治安はそう良くないから、考え過ぎな所まで考えればいくらでも身を脅かすきけんは伴なう。中学時代このねずみのコンビニエンスストアーで、殺人事件があった。クラスで話題に上った。

「えー殺人事件あったのあそこのファミリーマートなの?」

「恐怖話だな」

「塾帰りとか気を付けないと」

「前あそこの近所の別の場で殺人事件あったでしょう」

「ああ。でも、それは話広げ過ぎだから」

「昨日の殺人事件刺されたらしいよ、どういう大人か判らないけど」

そんなねずみのコンビニエンスストアーで僕らが働くことになるなんて。あわよくば罪人を掴まえて、表彰されたい。ねずみのおにぎりを一個一個並べ続け、日付を見て、賞味期限の近い物からササっと手前に並べていく。棚の奥からおにぎりを取っていくお客さんを見ると、事情を知っている同業者かな、ねずみのコンビニ店員と言えずとも、ねずみのスーパー、パートタイマーさん/フリーターかも、などと考える。同じねずみ系統のチェーン店で働いているんですね、僕らはねずみを打撲させて負傷させて、そしてねずみに働かされると、そういうことですよね。

外面は穏健な顔立ちでも僕は性格内向き感情がはげしく精神が破損していて、店の混雑時にブレーキが掛からない、完全なパニック状態になり、コンビに迷惑を掛けた。ねずみのコンビニエンスストアーのコンビネーションに支障を来たして仕舞った。

「表沙汰にはしたくないが、三ノ宮君あのさ話あるんだけど」、……店長にそのように言われ、即「馘か」、……と僕は思った。

「三ノ宮君ウチの店長やらないか? もうおれも歳だろう。朝がつらくて。誰かに店を譲ろうと思っているんだ」と成り行きに店長は言うのだった。引っ込み思案な性格なので、僕は断ったのだけど、あれから10数年浮かばれぬ人生を生きているとなると、あの時引き受けていたら良かったかもしれない、などと述懐するのだった。ねずみのコンビニエンスストアーだから、ディズニーランドの年間フリーパスが貰えたかもしれない、……などと期待値が高くなり、失念するのを懼れた。チップとデールに会えたかもしれない、……!

「悪いようにはしないからな」

誇らしげに自負するよう、店長は言い放った。僕と云うアルバイターが入店して、さも嬉しそうな様子だった。共感ばかり浮かぶのだけれども、仕事は仕事で厳しく、手数が増えた。手を掛ければその分だけ返って来るほど仕事は甘くなく、むだ働きとも云える作業もあった。

「店長、それは良い話じゃないですか。何でそれが表立って言えない話なんですかぁ! (笑)」

「断られたら、傷付くじゃねえか」

自嘲して、自虐的なほどじゃないにしろ、自分に向かって笑いの矢を込めた。封入された毒矢に倒れそうになるほど、僕は笑った。

「どんだけメンタル希薄なんですか」

「それはそうだと思うけどよぅ」

店長はFIREのコーヒー缶でよく覚えている。たまにコーヒーを奢ってくれた。たった120円に込められたやさしさ、やさしさ。

あの時のことを未だ覚えている。




 深夜3時4時頃のアルバイトは、ねずみのフライヤーの油の取りかえが入り、掃除も行っていく。非常に手間の掛かる仕事で一時間くらい掛かる。フライヤーのない店舗もあるが、昨今のねずみのコンビニエンスストアー業界は何でも屋、便利軒の側面をつよめており、大抵の店舗では置いてあるのだ。店内ではAAAのポップ・ミュージックが流れていて、僕はファンだった弟を思い出し、恐悦至極の対応でやくざのお客様たちを捌いていた。ねずみのコンビニエンスストアーの深夜帯アルバイトの峠、ピークを迎えようとしていた。テンポ良くラップを口遊み、長音符できった。鼻唄を囁き、ノリノリの状態になって行くのと反対に血の気が引いて行った。小休止したかった。無事丘を越え、無表情だった面持ちがみるみる華やいで行った。口喧しさを言われるかと思いきや、賭場で稼いで来たのだろうか、紳士なやくざさんたちだった。笑顔で溢れていた所、すたこらとやくざ様のかおが目に飛び込んで来た。

 「見せしめ料じゃ」

 「見かじめ料、……」

 と言い、熊本地震の募金箱にやくざ様が募金をして行った。僕はやくざ様を頼もしく思い、一生付いて行きます、と思った。その場かぎりだったかもしれないが、……。

 そしてねずみのウォッシャー機を用いて、床清掃をし、一日が終わっていく。小まめな性格でないと熟せない作業が沢山だ。散々床みがきをした後、新店舗だったからか(僕らはオープン時からのチームだった)、ピカピカの床面が光って見えた。よく気が付く、物腰が柔らかな、面倒見が良いねずみらが働いているケースが沢山である。事務室で会話が始まっていく。ポットからお茶を入れて上げ、談話をする。店内商品をアルバイト割引きで購入し、「得だ」とニタニタし、飲んだり食べたりしていく。音楽誌の頃からそうなのだが、「三ノ宮の淹れるお茶は美味い、紅茶は美味い、珈琲は美味い」などと僕は癒し系の側面を持っているらしいのだが、……それもまた一つの自慢話だが、……。

 「今夜も終わったね。お疲れ様した」

 と僕は相方の指宿君に話し掛けた。

「三ノ宮君が居ると助かるよ。おれ仕事楽にできるよ。仕事の相性が良いんだね」

 「合ってるみたいだね。くすくす。今日店長様子見に来なかったね」

 「良かったよ。店長来ると、緊張するからさあ」

「まあ、店長という役職柄で何か言わないと気が済まないんだろうけど。このパンなかなか美味しいよ。今度入った時に指宿君も試してみて」

「美味しそうだね。うん、判ったー」

指宿君は俳優志望の20代の若者で、そういう夢追い虫がフリーターには沢山である。バンプオブチキンの「ベンチとコーヒー」が思い出の曲だといつか指宿君が教えてくれた。仕事モードの時に脳内作用を生む音楽という物はどの職業にもあるだろう。劇団に所属しているらしく、文学にも委しい。

「ねえ、指宿君、亀山郁夫先生ってさ、群馬と茨城をライバル視してたのかなあ、だって栃木の宇都宮に関連しているらしいよ」

「そういう所はあると思うよ。亀山郁夫先生って言うか、亀ちゃんだね。亀仙人やね。だから鶴をライバル視してたんじゃない?」

「嘘付け。佐藤優先生って何で掴まったん?」

「政府に嵌められたんだよ」

「二人の先生に会えて良かったよ。少しだけ、国語の学力が身に付いたよ」――





 その後1

僕はねずみの漫画喫茶で一生懸命に働いていた。ITバブルの時代だったことも手伝って、自宅近郊のソコに勤めたのだったが、ニュースでものちのちに言われているようにインターネット繋げっ放しの状態での仕事は終わりがなく、logoffしてからも仕事が続いているような自縛感があった。漫画喫茶とは言っても、インターネットカフェの設備もあり、インターネット上のあくいが溢れて来るようなこんらんがあった。インターネット上に置き出されていく毒素あるかずかずの言葉が僕を痛め付け、傷付けていた。頭のおかしな中国人の女の子が働いていた。彼女は激しい精神の持ち主で感情的でブレーキが掛からず、しょっちゅう怒り、とても手が付けられなかった。自身が中国人富裕層で留学していることを鼻に掛け、頭が良いと思っているフシがあった。ねずみの中国人の女の子で、喜怒哀楽が一変し一喜一憂した。これは中国人さべつなんかじゃなく、自身が男女平等でなく、女性優位になると、僕は精神的に不安定になってしまった。縄張りにふみ込まれると、きびしいなあ、と僕は思う。僕は心の病で、13年間療養している。独りで悩みを抱え、親も誰も分かってくれない。インターネット上の他人も判らないし、近い友人らも判らない。僕が心の病だということも誰も判らない。みんな僕が発狂したと思った。僕はねずみの中国人の女の子と出逢わなければ作家になることはずっと後で良いと思っていた。ねずみの中国人の女の子に手古摺っていた。頭が破裂し、頭に半導体を埋め込まれているような妄想に捕らえられ、書くことしかすることがなくなった。後は文学を読み続けた。13年間である。ねずみの中国人の女の子とクラブに行った。彼女はクラブで泣いていた。別れた彼氏を思い出していたらしい。クラブは別れた彼氏の好きなDJの演奏だったのだ。どうしてクラブになんて連れて行ったんだろうなあ。

 中国四千年の靴を履いて、形からはいった後、中国文学史についても学んだ。深く学んだ。何が何だか何所が何所だか判らないが、儒教の精神のような物、心で思うことのような物も習得した。漢詩の読めた明治の文豪ほどじゃないけれども、夏目漱石って漢学者になりたかったんだってねえ。中華思想、中国圏文学史、……道教、桃源郷、……東恨歌なんて読んだり。何が何だか何所が何所だか判らないが、僕は今ねずみの中国人の女の子のことを此処に書いた。ジャン・ポール・サルトルみたく言うと、……。

 僕は頑張り過ぎたのだった。だから心の病になったんだと思う。僕は静かに暮らしたい。安らって暮らしたい。そうして暮らしたい、それで良い。……

 作家になるんだ。

 僕は疲れた。激甚な疲れ、……。休む。




 その後2

 ねずみのたい焼き屋さんで働いていた。仕事の初日の前日、某作家さんのツイッターが終わりを迎え、「明日の仕事があるので、ここら辺で失礼します」と伝えた。すると「ファイト!」と返事が返って来た。元気が出た。どんな仕事に行くかは言えなかったが、自身の傷心、ひもじさが解るという物であろう、この歳で未だアルバイトなのだから、と。あっという間にせいしんを崩し、働けなくなってしまったが、あんこを捏ね攪拌したり、あずきを蒸留水で洗ったり、窯を洗剤でみがいたり、キャベツを何玉も千切りしたり、生地を材料を合わせて混ぜ、仕込みをする。和気藹々とした職場で、居心地は良かったが、……

 「えー下水こんなに汚れてるの? 洗わなきゃ。店長これ掃除し始めたら日が暮れるよ」

 「釜本君気合い入れて洗ってよ」

 「そりゃひどいよ店長。人手が必要だよ」

 「くすくす」

 リズミカルに話し立てても、それを聞く相手が居なければ、それは只のがやだった。

 縁あってつどった仲間だし、折角だからなかよくしたい、同感と同感が連結されて、場の空気に雲のように高まっていった。さだめし此処で死すべしとでも言われているような覚悟が身に沁みながら、三ノ宮は仲間たちを愛していた。だけど、仕事だから、甘くなかった。

 「釜本三ノ宮君が笑ってるぞ」

 「三ノ宮君もおれ一人にやらせる気? ひどいじょ、店揃ってグルかよ」

 「釜本安心しろ。チームワークなんだからよ、お前一人で背負い込むことなんてないんだぞ。だれも責めたりなんかしてないよ」

 調子良く会話が交通整理されて不都合な困難などなさそうにあるのに、人それぞれ人はみな生来の孤独に迷い込んでいて陰を持っていた。困難な壁がふるえるほど高く存在しているなか、檻のうちに存在しているかのよう、怯えながら小心者のはたらきをしていた。

 釜本さんはいつもテンパっていて、話し続ければ一人でかってに混乱していく。乱気流に巻き込まれたよう、こんがらがっていく。髪の毛だって巻きパーマを当ててクルクル巻きだ。人なつっこい笑顔でチームの栄養剤となっていて、モチベーションが上がり、やる気になる。そこら辺の栄養ドリンク剤より効くかもしれないな、やっぱり人手は財産だ。精神安定剤を服用し、せいしんの安定を求めている者としては、欠かせぬ物であるが、釜本さんが居れば、柔らかな弾みが付く。只仕事は相当数出来るので、面白さと努力家ということで買っていた。


 それとはまた別の日、次第に銀行での両替えを任されるようになり、僕はねずみのたい焼き屋さんに出向くとまず店長に両替えを言い付けられ、銀行までてくてく歩いて行く、……という業務が増えて行った。遠回りをしたり、寄り道もせず、真っ直ぐ銀行まで赴いていく。受付番号票を取ると、長椅子に坐り、待つ。窓口前で待っているあいだに、刻々とじかんが過ぎて行き、それでも僕の時給が発生するから、良い仕事と言えば良い仕事と言えた。長くて一時間くらい銀行に居続けることがあり、お手隙のあいだに銀行員さんの外見を覚えたりしていた。両替えの為に銀行に来る同業者は何となく分かり、飲食業の方々が沢山らしかった。

 ねずみのたい焼き屋さんでも疲れた。おやすみなさい。




 附録

 俺はねずみのスーパーのアルバイトの実習に励んでいた。デイケア時の職場実習の体験だった。陳列、検品、収納、野菜切断、声掛けなどの作業があった。主に主婦層の方々といっしょに働かせて貰った。そこは、ねずみのコンビニエンスストアーよりも規模が大きく、行う作業も電池電球類まで整えなければならないので、大変だった。補充が行き届かないと苦労して大変なので、一時間以上も補充に時を費やしたり。期間は一週間だった。グッズの合わせ売りということで、特定商品にグッズを付け、店内入口間近でお客様たちに商品を手に取って貰ったり。この期間も二、三日あった。パートタイマーの主婦の方たちと懇意にさせて貰い、世話をして貰った。やさしく指導して貰った。その間、デイケアで美少女新川さんとの別離があり、送別会の『コクリコ坂』も僕は仕事をしていたので一緒に見に行けなかった。恥ずかしくて、新川さんのネームプレートが見られず(胸を見ているように想われたらどうしよう?)、気になっていたが、繭子という名前だと人伝てに聞いた。繭、さなぎ、産まれて殻を破って飛翔して、蝶々になるのかなあ。仕事は、病気の症状で視野が狭くなり、店内全部を見回るのは大変だった。労務、……夕方近くなり、生鮮食品の補充をしまくった。実習に賃金はなかった。

 僕は仕事に励行していた。精勤を続けて、一週間通い続けた。仕事内容は、ねずみのパック飲料の陳列や、ねずみの点検や、倉庫でのねずみの検品作業、値札付け、ねずみの野菜のきり出し作業などがあった。


粘り強く、小説を駄々読みした。日々の退屈な日常生活に見切りを付け、撤退覚悟で、定かな存在になろうとした。精神失調になり、5、6年立ち往生した。立ち直れず、停滞した。低迷して、経済学について勉強をつづけた。精神失調はダブルパンチ、ハンデキャップを背負ってしまったと、神様に挫かれたと、泣き臥した。「神様なぜなんですか?」――

おじいさんは何が欲しい? と<声>に訊いた。

お前は? 僕は女と答えた。僕は賞とは言わなかった。

只その時はそうとしか答えられなかった。

自分でも何故か判らなかった。

文学修行は大正時代に入り込んで行く。島崎藤村、尾崎紅葉、田山花袋、葛西善蔵、嘉村礒多などが頬笑んでいる。でも、僕はまだ彼らを知らなかった。深くは知らなかった。別の時代にもまた入り込んで行く。テレビ番組で散歩していた町田や新宿界隈を散歩した。受け身のテレビ視聴からインターネットでの発言者、主権者への移行期のころのことだった。「別れてから、恋が始まる」という田中編集長の言葉を胸に三ノ宮涼一は、澪との別れを作品内にぶち撒け、忘れられない人が居る、……と清算した格好だった。


切ない恋物語は必要ないですか? 只ナルシシズムに浸っているだけなのですか?


澪との別れを象徴化して、作品を一区切り落ち着けてからも、書きたい意慾が衰えることなく、湧出していた。それで三人称の体裁を取って、基軸になっている三人の男友達をトライアングルのようにして、運んで行きたい、描いて行きたい、と思った。

文学のコード、記号を鵜呑みにするかのよう、感受してしまっている世代だった。トライアングルは邑上春樹さんの「ノルウェイの森」で用いられていた手段、方法、方策で、当時新しかった物らしい。三ノ宮涼一はそれを意識か意識しないでか、無意識に刷り込まれてきた物として扱う、危うさのなかに、三角形の胎動をたしかめていた。身籠った女性性のように小説という陣痛が終わってからの出産だった。

再び歩み始める。そう決めて歩きだした。


 生みの苦しみということは平生母の言っていたことであり、三ノ宮涼一は小説でそれを身を持って体験した。煎餅の塩味を確かめるよう流れ落ちた汗が口のなかへと流れ込み、ベタベタする。頭皮から垂れ落ちる汗が尋常な物でなかった。純情に三ノ宮涼一は前野君、分かち難い時を思い出したよ、と語り掛けた。




4 過渡期 

 筆を興す。吉報が届くように覚えた。文章に勾配がある。見様見真似。有合わせのことばで済ます。まごまごし、躊躇う。葛藤が生まれ、心情が流れ込む、注ぎ込まれていく。

 手が汗ばみ、たじろいで焦り、川端康成のように書けないかな、と思い、微笑む。陰干しされたような心情が滲んで光る。宇多田ヒカル。クリスチャン・ロックを掛け、主を賛美し、フョードル・ドストエフスキーを、ヘルマン・ヘッセを思い、一滴の涙がこぼれ落ちそうになる。大河の一滴のよう、涙が滲む。歯を磨く、何度も歯を磨く、入念に丁寧に。書きながら泣く、泣きながら書く、という経験・体験が自室に籠城しているあいだに来るかもしれない。……そんな時を待ち侘びながら、のろまで、自分自身が気がふさぎ、屁理屈をこねながら、塑造しながら、愚痴をこぼしながら、攻め立てられるような気の持ち様で再びパソコンの前に坐っている。だらだらしているが、少しずつ少しずつ稿をかさねていく。書き溜めていく。

 プラスの方向に向かわない加筆が沢山で、だからと言ってもマイナスでもないだろうが、章節で見るとふかんぜんな所が多く、修正/修整する時、溜め息が出てしまう。どうしてこんなにへこたれているのだろう? 気合いを入れ、「仕事は根性だよ」といつか学校の先輩に言われたよう、修正していくのだが、根性が足りない。今生の根性が足りないなどと言うと、先人たちに怒られてしまうが、……。

 偉い人になりたかった、他人と別のことがしたかった、器の大きな人になりたかった、それが今はどうだろう、……? 結局小さな世界から出られないのじゃないか、――? 外国旅行にも恐ろしくて行けず、部屋に閉じ籠もってばかりでいて、引き籠もりの状態は以前にも増して悪化しているのじゃないだろうか、……? 外出できるか、……? そんなことを思い返してみては、隘路に嵌まり込むようにタジタジになっていた。

 「この人疎か」

 と言われて、侮辱、侮蔑、軽べつされるのがオチだ。そんな気がする。

 「なあ、ネットに本名の宇都宮順って書いたら、宇都宮自由、自由民主党だって思われたみたいなんだよ。……本名を書くおれもよっぽどパニクってたと思うけれども、どんな見方だよ、それ(笑) 某匿名掲示板は恐ろしいなあ。人間をこんな風にしちまうんだからなあ、困った物だよ」

 「疎いから、そういうことになるんだよ。世のなか、世界にはいろいろな人が居るんだよ、雑種だとしても。もっと世界を広く見ないとね。肌の色は違えど、共同して生きている人たちも居る。日本は島国だから、閉鎖的で保守的だからねえ」

 と明日菜は語った。

 「ああ」

 色青く僕は頷いた。ぐうの音も出なかった。ストライキを起こす力もなく刈り取られてゆく労働者たちのように、一員のように、家族のようにして、僕もつぶれてゆく。




 境を渡る。アジトに見立てた砦、城が攻め込みに合い、防御できず、炎上し掛かっている。そこで、外国に出征した兵卒のような気持があふれていた、海外に派遣された先鋒者のような心持がみなぎっていた。社会不滅の精神で、生涯働くサラリーマンのような熱い気持になっていた、精魂尽き果てぬ会社員のような燃え上がる情熱を抱えていた。仕事に見切りを付けず、踏ん切りが付くまで、働き続けていく。泣き言を言わぬよう、負けぬよう、負けぬよう、働き続けていく。滾る汗をシャワーのよう、垂れ落とし続けながら、ポカリスウェットを飲み、水分補給をしながら、体力勝負の持久戦を耐え抜いていく。凍結したハートに火が付いて、燃え上がっていく。演歌を歌うものまね歌手のよう、極みに強く、――ボキャブラ天国に出演したお笑い芸人のよう、土壇場に強く、負けじと手を打つ棋聖の気持を吐いていた。果敢な獰猛な鳥のような気持が、……。

 母校の職員室で先生、恩師に相談すると、所々端折りながらも内容ある教えを言われたけど、あたし負けない。夏祭のおいしい空気を吸って食す水飴のような、引っ付いて伸びていく雑文を、雑食群を、書き続けていく。

大丈夫、大丈夫、負け続けたから。暗い毎日を過ごしたから。敵に太刀打ちできない日々を過ごしたから。打ちのめされて。敗北の体験がヒトの価値を高くする。失敗の経験がヒトの精神を強くする。そう信じていないと、胸が掻き毟られる思いで、落涙が止まらず、石垣から落ちた急転直下の負傷兵になりそう、手負いの敗残兵になりそう。負けるか、負けるか、這い上がれ、石を掴み、塀を登っていく、堤を駆け上がっていく、樽は運ばれていく、のイメージを反復させた。




掌握できることの限界を知って、把握できることの下限を知って、……認証できることの限度を知って、ヒトとしてかげきな刺戟的な流行を追っていく。淡い青春時代のよう、「傷」付けども、負けないで、壊れども砕けども、果敢な後先を省みない一時代を這っていく。向こう見ずに彼方へ走り続けていく、ながながと。只それは積極的な消化不良である。ことばの新陳代謝が欠かせないのに。忍耐に忍耐を続けて、我慢に我慢を続けて、負けじと、竜巻のよう巻き上がっていく。逆風にもいどむような按配で向かっていく。

登用して貰う為に頑張り、書き込んだ気持が、活写されるよう、明るい記憶になるまで続けていく。疲労感が来訪する。感受性の趣くままの記述、共感性の伴う記載が小説になるか、解らないが、そのようなこころ、情感の流れ、心情経路はあっただろう、と誰に伝える訳でもないが、鑑みる。……それとも思いっ切り誰かに伝えたいか、書き損じながらも継続していく工程。塑造していく連想譚。震われない、震われない、……。鳥が翔んで行った。

走れ走れ走れ、高く、……猛烈ダッシュの破れかぶれの疾走、疾駆。冒険心、好奇心旺盛、興味本位鱈腹の明け暮れたホッコリとした日々、……日常。

一言誰に伝える訳でもないか? 多言誰かに伝えたいか? の間主観性の頭の悪さで遮二無二考え続け、……根無し草の芽を成長させていくトコロ、様態。――無感覚で無感情で無感動な過渡期が、やっと芽吹く。

『車輪の下』に居るように。















5 この焼かれた声帯が再び唄い出すまで 

未成年は、他人を伴って歩いてゆく。よそ者と云われた者も、邪険にされた者も、他人の顔した装飾で、気立てで、不安定な素振りを見せて、歩いてゆく。勢い良くかぶりを振ったかと思うと、急速に歩みをかえした。何処かに向かって歩いてゆく。他人に言えぬ言い訳を用意して準備して、それは<秘密>だと言葉を秘める。内緒話にしたことほど、余所者は気になるもので、景気の良い話に飛び付く。水分を欲し、補給して。

始終そんなことばかりをしていた。けんあくな仲の友人らを取り扱うように、聞こえた鳥どもの<声>は何か何処か素直な人の<声>らしかった。鳩どものうめき、百年の愉悦だ。定着感があるそぼくな僕らのこと、憶えているかな?

僕らは忘れないよ、……となんだか子どもの<声>らしかった。暖かな懐かしさを憶え、やわらかく悦ぶ。癒しの時が訪れ、あなたが生きていて良かったと天国に感謝する。子どもは天国に辞令を出され、別天地に向かったものらしかった。以来、初恋を思いだして、身震いして、僕らは歩いていた。質問をされ、根掘り葉掘りたずねられ、子どもたちの思いだすかぎり、返した<声>らしかった。あれはあれだよ、あれはこうだよ、こうはこれだよ、減点形式の質問かと思いきや、それは情愛に満ち溢れていた。だから子どもたちは慶んだ。込み入った事情を掬い取る案件が必要で、必須で、天国に向かった者たちが<声>を語り掛けていた。……時々絡み付いた事情を類推することもなく、洞察することもなく、それらは流れた。島流しにあった人の唄の<声>のようだった。勘案されたことばかりが目に付いた。なんか無いかな。始終そんなことばかりをしていた。

<声>は儚く幻想の裂け目を、縫合し、刺繍し、紡ぎ、治してゆく。生存権を奪われることのないよう、いたぶられた苛められた<声>が幻想の破れ目を補正し、修正してゆく。手間取った些かの気分の時分を労わる。優しさの影に隠れないでいて。思い出した詩の<声>に、首ったけの優しさを押し付けた日々を夢想してゆく。自信家の明るさの響きに柔らかな陽射しの下で、そんな和らぎの下で笑っていた日々の記憶を憶う。

単簡な時系列に沿い、タイムラインにシーンをハコを置き続けたが、内省してみると、どうしても勝手気儘な恣意の総合映画になってしまう。自伝的作風と言えば、聞こえは良いが、語るに如くはなく、浪漫派の装飾で、古典派から小馬鹿にされる。徒然なるままに書いてしまう。シーンの思い浮かぶまま、場当たり的に書いてしまう。

僕は夢想した。

描写してゆく寫眞がシーンが次々にバクテリアのように繁殖して浮かんで来て、コスモスにばらばらに並んでゆく。心の動き、働きだけが連続している。繋留されてゆく心の働きは、次々に様々なシーン、寫眞を生み出してゆく。打てば響く醒めた脳味噌で描いてゆく。

ヴォリュームを膨らませ、満足行く文量に仕上げて、映画を越える小説、小説を越える文学にしたい。それはメタ小説、と云われた、……。

映像が充満していた。仕立て屋としての仕事に挑み続けてゆくように。栄光を目指して。推薦図書を読んでいた時期を思い出す。売れ筋ばかりを読んでいた時期があり、古典に入水してゆく時期があった。海外文学に啓け、打ち込んでゆく時期があった。

すべて文学の連想譚である。

有らん限りの労力をちょびちょびと絞り出して、首を擡げたまま、優しさの窓辺に僕は立っていた。川が先に見え、湧水を浴び、僕は立ち尽くしていた。じれったさが貌から汗のように吹き出し、あべこべに編み込まれてゆく。ふかかいな感情の迷路がソコにある訳だが、具体案には乏しく、僕は鈍感力でそれに応対して、坐り、論理的な判断力を失い、ボロボロになってしまっている言葉の清水に打ち顫え、『愛情論』を結合させてゆく、それについて考えていた。……

平和、平和、平和よ、戻って来い、生きて帰って来い、……。

遠路遥々ようこそお越し下さいました。ようこそここへ。この頃、いかがお過ごしですか? 僕はいかほどの苦労もなく過ごせるようになり、落ち着き、安息の安心安泰の時分です。休養が必要だと思い、待ちぼうけを食らったかのように身動きせず眠っていました。省みれば、その逆に過ごしていたような気も致します。順逆です。いつだったかはトイレに入るのもままならぬ時期があったので、告解でもしているような気持でトイレに篭もっておりました。これ以上腹を下さぬよう、震えておりました。トイレに入ったまま、何十分も粘るのです。


思い浮かんだすべてが叶った頃には、僕にすらできることを証明して、静々と初恋の来たように、懇願して来たいつだかの恋を実らせたく思います。それは所信証明ですか、作家さん。正真正銘の小説ですか、小説家さん。雄心逞しく、女心は判りかねますが、なんとか耐乏して、堪え忍びたいと思います。走馬灯のように呼び掛けられた〈声〉の在り処を探して。忍び続け、隠れ続けるのです。大阪弁になりますが、もうアカンぞ、という所まで。耐久戦ですからね、生きることとは。願わくは、僕に備わった人生を生き抜く為に耐え続けてゆきます。

齎された声が二度と見ぬ風景を景色を目の奥に焼き付けてゆく。返って来ぬ声よ、梢よ、木霊のなかの灯よ、……忘れがたき痛みを伴う声がばかにされた思いを強くし、しこりになる。返って来ぬ声よ、瓦斯灯よ、……洩れ出た痛みを伴う声が反省した声に稲妻を秘し、宿って来る。

幽邃の闇が辺りに敷き詰められていた。闇の絨毯は深く黒く、毛足の長い房だった。禁断の果実の滴のような、滑稽に嘲弄された葡萄の実のような賑々しさ生々しさが存在していて、幽鬼の夢幻が起こっては、薄明に頽廃して行った。衰退の演舞だった。僕は無になって居場所を失くし、失踪者のよう、住所を探していた。司馬懿のように聖賢に居る積もりだったが、だめだった。甘寧のように獰猛に、瞠目に価する戦線を闘っている積もりだったが、それは守銭奴の戯れ言のしこりで、舌戦の網羅だった。言葉、言葉、言葉、宛先人不明、差出人不明の手紙を送達したような心細く黴の積もったような気分になった。歎願された夢は慨歎を齎し、訃報のようにきみの下に届けられた。それはそういう種類の手紙だった。


眠り。眠りは静かに死のように奏楽、演奏を聞きながら、宵闇のように迷い込んで来る。たどたどしく迷い箸のように、何処が眠りのベストポジションなのか、安息の居場所を探し続け、手を付けるけど、解らない。手櫛で前髪をさらっと下ろして、鬘にならぬように、ダメージを付けず、きれいに整えてゆく。長髪だった学生期の自分、寝癖だらけのボサボサ頭、頭の形が良いと褒められた追憶のいくつもの自分どもの姿、影が折り重なり、忍んでゆく。眠りは死のように、憶えられつつ、勾配を作り、心地が良い。たとえ、危険だとしても、つい惹かれてしまう。退嬰的ではあるが。


返す返す言葉を綴る。遠慮っぽく運命の人と契約して、声を返すように。なぞってゆくことばは、ことば本来の重しとなって深くつぶやかれてゆく。二つ三つと舌足らずに。それがどのような形容であろうと萎縮した僕は祈りの思いを強くした。ことばをつぶやき、思う存分祈り続けてゆく。長きに渡る祈りだった。悩みを打ち明けた友人らに再三に渡って言葉を下さいとしみったれた気分で催促した。

催促どころか、督促するような按配、加減だった。言葉を譲り受ければ、申し付けられたように溢れ出して来る。沈み掛けた幽霊船が浮かんでゆく。滾々と水のように溢れ出して来る言葉が幽霊船に充満してゆく。絞り出すようにして、洩れ出て来る言葉もある。僕は僕の見た世界を景色を風景を忘れない。例え、二度と見なくても。青の静寂に光る〈声〉が聞こえる。消滅したような、敗滅したような塑像された〈声〉、確信的な〈声〉の表れが宿る。身を低くして、じっと耐え抜く。生きていくこととは、と野暮な平凡なことを考え、自分自身の甘さに腹が立つ。煮えきらぬ〈声〉に身を窶す。もたらされた〈声〉が二度と見ぬ世界を景色を風景を目の奥に焼き付けてゆく。


伝えられる筈のことばが見つからず、少し惑う。一体どのようなことばがさいてきか、困惑し、混乱し、探しあぐねる。たどたどしく探っていく。手広くことばを推し測っていくが、横流れになり、蚊も飛んでいて、じょうずに描けない。むさくいに次々に検出してゆく。組成図同士がぶつかり合い、派生し、夕霧のように暗くて、厚く塗り重ねられていて、ソレは破綻してしまった。もう暴力とかするなよ、という遠い幽かな声が聞こえる。しません、と答え、心が落ち着く。ヘンテコな様式のささくれ立った、尖った傷付いたことばたち。鋭く、操りにくい、生暖かな偏西風に晒されて、揺蕩ういくつものことばたち。ジメジメした汗を纏い付かせる、進んでは退いていく、心細い、跡絶えたことばたち。

無策になり、小説の為に凝らして来た日常生活、生活習慣のありとあらゆることごとを想う。しっぱった、その思いが膨れ上がり、また加熱されて、冷え込んで、落ち込んで、降り付いてゆく。生暖かい吐息を確かめ、……此処までか、……の思いに老いの音を認め続けて、枯れた花木を見下ろすよう、労力を掛け、眺め回る。今年も夏が来ていた。


「拾い」、何所かに捨てた物を拾うように、手に入れられない物を「拾う」。落とした物を拾うように、探し物を見つけるように「拾う」。今のお前にゃ、まだ何か預けられんよ。探し物すら見つけられない輩にゃ。預けられたことばを、忘れないように、細々と「足れ」。心細く「足れ」。許嫁だった子を振るように、運命の人を振るように、揺さぶる。「拾う」、手から落とした物を空手に抱き上げる。「拾い」、やっと手にする。手にした物を放したくなくなるのは、一生変えられぬ人間の習性だろう。終生付き纏い続けると考えられそうにもなる精神苦が「拾え」ぬと語り掛けて来るような、そんな泣き言。苦労人だったおれが労力を掛け、少しの踏ん張りで、取り戻せそうな物。何とかして取り返せそうな代物。こじ付けて、耐えられそうな物。……

「拾わ」ない、どうせ捨てるなら、初めから拾うな。披露宴で見た切なさの幻よ、用意されていなかった席で、準備されていなかった席で、澪の晴れ姿に胸を痛め、押し隠して泣いたこと。行くような場所じゃなかったのに、同級生との離れ難さから行ってしまった披露宴、……。もうおれの目など見ていない澪の目、……。歌い人にもなれず、詩人でもない、作家修業のおれの身。大したことないおれの身の持ちよう、……修業、「精神と時の部屋」からはまだ出ていない、いつになったら出られるのだろう、「拾わ」れたのは僕の方なんだと、川端康成の「古都」の田舎娘のように思う。想い続けてゆく。

「想い」が膨張して破裂するまで燃えあがり高まっていた。明日は晴れると強烈に信じる心が信仰心の現れかとも思う。捨てられたとは思わない女を呪うのも、身持ちの固い女をあざけるのも天が決めたこと。自己修整、鍛錬あるのみだ。働け、働け、働いて。「預ける」ことばが辿った道を、引き返していく。もっと引き返していく。聚訟せず、いつか来た何所かを変わらず、維持し続け、端正な容姿で押し隠さず駆け抜けてゆく。逃げ様を見せ付けないよう、恥ずかしいから醜態を見せぬよう、駆け抜けてゆく。ぶんどり品を腹に携えて、走ってゆく、……。

友よ、今更ながら何所に行こうと言うのだ? 友よ、旅に出ていないで、帰って来い、やだと言わず、正念場を乗り越えて、戻って来い。風体を汚すことなく戻って来い。友よ、働き甲斐のある場所だ。そこはトポスの魔力のある場所だ。言葉の取捨選択は良いだろう。新陳代謝、換骨奪胎して、散文を組成させてお行き。淳風美俗な社会の蘇生性を祈り、青葉のように雨垂れを滴らせては、光は強く。

















6 真夏の憂うつ 

今なんだか新たにこんなことも感情が固まりながら思い起こされて来た、自分に。――空想し、思い起こされるという言葉の重み、言葉自体の厚みがその記憶の大切さ大事さを伝えている。記憶をわだかまりの石にしていて、拒みたいのに掴みたくなるほどに記憶の弾性をたしかめたい。混凝土を敷かれて固まった記憶のような圧。

……あの頃はまだ健康だった、病んでいなかった友人の叔父さんがまだ小学三年生くらいであったろう僕や弟を川沿いにキャンプに連れて行ってくれた。マイカーの大型のワゴン車で。なぜそんなことを言い出すかと言えば、もうその友人の叔父さんは病に倒れて病の床に臥せ、部屋から出れず外出もできないほど、タイヘンな宿痾を抱えていると聞くからだ。あの日その友人の叔父さんと見た蒼く澄んだ透明な川は、僕らのこころのよう、うつくしかった。川は深く足が届かない所もあって、僕は及び腰で恐ろしくて川底まで行けなかった。眩しく痛いほどに太陽が輝いている夏の日のことだった。照らされて幻滅するような高温の夏の日差しは、まだ小学三年生だった頃の僕の夢を溶かしてしまうほどに脳を乾かしていく。叔父さん、鬱病なのかなぁ。

弟がごつごつした岩上からジャンプし川面に飛び込み、水しぶきが柱のようにばぁーんと上がった。サイダー水のような気泡がなんだか夏の夢みたいで幻想的だった。

 日常的な光景に非日常の幻想が差し込まれて彼我の日常景色のようで、風景が圧縮されていくような、折り込まれていくような、畳み込まれていくような錯覚が残っている。爽やかだったあの夏の光景から、後に友人の叔父さんは宿痾に罹り、今は隠居し部屋に閉じ籠もっているという。性格も温かさ穏やかさを失い、友人は父は攻撃的になったんだよ、手が付けられない、となげいた。閉じ籠もりか、……大変だな、鬱病か、……? 「原因不明、返事無し、分からない」

 「どうしてそんなことになっちゃったんだろうな?」

 「病は頂くもの、質問された方がくるしいよ、辛いよ」

 「ああ、ごめんな。快癒されることをささやかに祈っているよ。全身全霊で。見舞いに行きたいな」

あの日、野外でバーベキューをして、多品目の多種類の野菜群、切り分けられた野菜群や肉類を次から次に焼き続けて、油でタップリ濡れた高カロリーの栄養満点の食物を手早くパクパクと胃に押し込んで行った。旨さによだれが滲み出して来る。檸檬を振り絞り、コーラを飲んだ。

口腔いっぱいに広がる肉のジューシーな野性的な薫り。豊穣な味。一本の串に刺された豊穣な油ぎった野菜群は天然自然の日光をいっぱい浴びて、齢十歳を越えた所ながら、人生で忘れ得ぬ味になり、僕の人生の一幕、連想譚に残っている。

小学三年生の僕の口や弟の口はベタベタに汚れ、何所か悪戯をした後の少年っぽい気分のまま、汚れを洗い流すタメに川に入って、哄笑し、はしゃぎ続けた。ふざけ過ぎて、お腹がよじれるほど笑った。

「涼一君、今日は存分にハジけて良いからな。楽しんでね。バーベキューの後片付けはおれら叔父ちゃんたちに任せて良いから、涼一君たちは思いきり泳いだり走ったり遊び回って来て良いからな」

そう聞いて弟が燥ぎ出す。

友人の叔父さんは優しく言うので、弟がよろこび、走り回り続けた。

叔父さんの態度は、体育会系のノリ、リズムで押し付けがましくもなく、やさしく、懐の深く、心の広い、頼り甲斐のある気丈な雄大な性格だ。朗らかに健康的に太陽に輝いて表れていた。

「ありがとう、叔父さん。うん、僕沢山遊び回って元気をあばれさせて来るー。わー」


サイダー水が冷涼で爽涼だからと僕はぐびりぐびりと飲んでばかりいた。叔父さんも水分を大量に欲し、アルコール分の入ったカクテル、サワー、チューハイ等も嗜んで、無闇矢鱈に美味しい、ああ爽快! と気炎を吐いていた。その爽涼なアルコール飲料は、嗜好を凝らして選択されていたらしかった。買い物時上手くゆく時と上手くゆかない時があって、難渋したが、不可思議に酒は上手くゆくらしかった。飲料は清水のように溢流して、周囲を大洪水にしてしまわぬようにと破天荒な夢想を押しひろげた。川は大雨になり、げっぷを吐くように水を吐き出し、水位が増し、あぶなくなって来たので僕らは帰らねばならなかった。車中に戻り、雨が止むのを悪戯心を秘めながら待った。待ち続けているあいだに僕らは洋服を濡らしてしまい、裾を持っても、絞れるほどだった。僕らはハイな意慾になり、精神安定剤を飲んだ後のような苦味を忍び、ダウナーなテンションがやって来るまで燥ぎ続けた。夜更け前だった。


 『歯車』が回るよう、あの叔父さんがこわれてしまうなんて、と人生は何て不公平なのだろう、不平等なのだろう、と僕は思った。心配しても、僕はもうあの頃の小学三年生ではなく、すっかり大人になり、中年に差し掛かり、試みに遭わされた叔父さんのことを思って時の流れをかんじた。胸にぽっかりと穴が開いたようだったけど、首を振り、なんとか元気を確かめた。僕は生態系の一番したっぱ、縁の下の力持ち、存在危惧種、希少種として生きて行かなければ、歩んで行かなければ、と勇気をふるい立たせた。




 今何してる?

 秘密。秘密の確率。とどの詰まり、『今』を基準に考えないんだ。のろく、のろく、賢く生きたいし。そう訊かれた時は『この頃』と答えることにしている。それがいつの間にか僕に具わった方法、手段だった。追憶が逆回転して、目くるめく巡ってゆく。そう答えることで、人生軸のじかんの捉え方の振れ幅が広がった。『この頃』、『この頃』、……発展性はこの所、この所で、これもまた曖昧なじかん区分だ。くうかんさえ孕んでいるかもしれない。僕はそう伝えることで、縁故の人々の元へ行けるような気持が強くして、何所へでも旅立てるような気魄が高く聳えた。登用されず、仕官先を探している浪人衆の筈が、風に吹かれるまま漂う流離の武士の筈が、いつからだったか失調の疼痛に遭い、〈声〉を吐き出す場所を捜している。探索中、採集したスキルを出し尽くせる場面に出くわす『この頃』、……あいつはなかなか居ないな、誰が居ないんだか、……僕が捜している僕を僕は捜しているのか?

 『この頃』、『この頃』、どうしてる?

 時の出だしで絡まりたくない。ふり払って、巻き返してみると、天空。蒼天の空。天秤からこぼれ落ちたダイスの目。僕が居た。他人の空似。さっきまであいつ生きていたよ?










7 慈眼寺の散歩道 

巣鴨の駅に降り立ち、墓所の方まで歩き、目下芥川龍之介の墓が目的だったのだけれど、墓所内をくねり歩いていた。捻挫したかも知れぬ足首を気遣いながら。高村光太郎と智恵子の墓があり、そこもまたお参りした。突き当たりを左へと曲がると、眼目としている芥川龍之介と谷崎潤一郎の墓のある慈眼寺である。

掃苔に来た。僕はクリスチャンなので、花を手向けることはしなかったが、さまざまな歴史上の偉人のオーラも一緒くたになり、集まっているような物である。奢られたようなそんな気持ちがして、文筆の為事を譲り受けたような霊気ある覚悟がして来る。僕はいざ、と墓石に触り、芥川龍之介は降臨した。

賞のことよりもまず芥川龍之介がどういう人物だったか知りたかったのだ。人生のすべてが夢だと思えた。只僕らはその墓所を踏み荒らしている枯れ窶れた輩に過ぎない、芥川龍之介のような神懸かりな仕事はできずとも後年の文学者として跡を濁さぬ程度の為事はして置きたい。そんな寡夫めいた粗略が浮かびつつ、集散した霊気たちを見送るようにして、谷崎公にも挨拶する。こちらは触らなかった。まだ少ししか読んでいないのである。にしても、芥川龍之介の墓所、以前太宰治と森鴎外の墓所にも行ったことがあるが、どれもこれも途端に気が引ける雷電の心霊が降臨するのであった。神霊と呼ぶには恐ろしく、畏れも抱けて、敬いの心も憶えられ、衰残の心地がして来る。先細り勝ちになった繊維質の感情迷路に冷却のまなざし、おもざしを傾けなければならぬ。墓所巡りで。衰運の運ぶまま、強面の己の顔面を見て、ぶっと吹き出す。「エコー」吹かした顔が蒼白で、死装束を着ているかのようである。最早これ迄、……の武将と云った所か。帰ったら、トマトピューレを煮立て、パスタを食べよう。そう想った。

統失のさなかだったから、13年間、……生と死のあいだをさ迷い続けた。身近な人の死を想う暇もなかった。祖母が死に、大祖母が居なくなった格好になった家系図に、統失中、東京の家がイヤだからと祖母の隣で眠らせて貰ったことを想い出した。祖母は何度も入退院を繰り返し、大往生した。注射の針がイヤだと童女のように泣いた。名古屋にある祖母の家は、僕が高校中退を決めた夏から変わらずに、相変わらず建っている。あの夜も、その名古屋の家に居た。「エコー」を吸い、何度も玄関と寝室を行き来した。祖母も心配で眠れなかったかもしれぬ。出入りを繰り返す、その跫に祖母の気を立たせたかもしれぬ。気が強い、強情な祖母の性格だが、孫の僕らには優しく、暑中帰ると、いつでも壱万円お小遣いを呉れた。あの夜も、幻聴の声が僕を苛めている、捕虜になった兵士のように人体実験にあったかのような症状がある。泣き臥したくなり、痛み、(体感幻覚と言うらしい)に堪えている。恐怖の虚像が見守っている、いつ苛めようか、攻撃の手を緩めることなく、あくまのようにして伴に居る。まるで番人のようにして。運試しに引いた御神籤で「凶」が当たった気持、そんな感じ。御愁傷様です。

「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」川端康成公の『隅田川』の始まりが胸に滲み付く。「『住吉』が好きだ。『隅田川』は、双子の娼婦の記号だろう。僕にとっては、病の淵に立ち、綿矢りさ金原ひとみがその記号でね、川端康成というが『嘔吐』で云う所の助平野郎じゃないか。何かのなぐさめの為に双子の娼婦としたんだろう。それともあれは、創作かい? 自死トレーニングしていたんじゃないのかい? 言葉が赤く成っている。」そう語り掛けるが、幻聴の為、声は物語りっぽい。


歴史はねつ造されリサイクルされ、大回転して、これ迄無心で学習や働き続けて来たことを、失脚させてしまう。反撥心が溢れ出して、憤り、恐れたじろぐまま、狼狽えるまま、また歩みを新たにしてゆく。このままだと不味い、と思い、学習や働き続けて来たことを猛反省して、信じ抜くことを貫いて行こうと想い、この世で任されている役割は任務は何だ? と考え出した。役目は未だあるのだろうか。歴史という巨像がコンピューター・グラフィックスのように、凝結して、身動きが又取れずに文学史に齧り付くような案配だった。だめで良いから生きていろと文学は語り掛けるように、傍に居てくれた。文学に恩返しがしたかった。謝恩祭をしたかった。だめで良いから生きていてと文学は、三ノ宮にいつも語り掛けていた。澪無き後、君は人生の航路を失ったんだ。もう生きられないと想った時、文学があった。何者かになる道はもう閉ざされたかもしれない、だけど君は文学を書く。それが君と文学との契約だ。契約書にサインをして、君は文学の愛人になったんだよ。愛王、そんな言葉に辿り着いた週間もあった。君の跡には、文字、文字、文字。……


生首が飛び、始終考えが錯綜して囚われたような症状、状態に陥っていた。贅沢な悩みかと想ったけど、……その様相はない。様々な奏法で無作為に吐き出された言葉が半減して、それから蛻の殻だった。僕は夕日を眺めていて、語り言葉に濁点を付けたような荒れた口の利き方で、〈声〉に容赦無く聞き糺されたような気がしたけど、聞こえていない。

売れ過ぎて朽ちた桃が花を咲かせて、夕映えに逆光で輝いている。向こうに夕日が見えて、比喩として正しいか僕は考えた。また書けば。と助言されて僕は項垂れて、死装束を着て眠るようにして、祖母を想った。






























8 追憶し、魘される 

引き籠もり、ニート、親の脛齧り、イエティ、あかん。ずっと家に居たら、あかん。まず外に出るようにしないと。「カスニートの魂」、もっとあかん。人様のまじめに働いた物を笑うような渾身のギャグ、あかん。仕事しなきゃ、あかん。働け、働け、労働せよ、原稿料を得よ。勉三さんのようになりたくて、二ノ宮金次郎のようになりたくて、学習能力を上げて学力を上げて知力を上げて才気を上げて、一日12時間以上勉強をして、中学時代、勉強魔になった。テスト前に為ると、平均10時間以上勉強して、五教科450点以上470点くらい取った。顰蹙物の勉強量に浸っていた、飢えていたとも言えるし、学力に飢餓性を覚えていたし、愛に渇いていたとも言えた。

中退の敗残は、勉強に火が付くのが早かったからだし、志賀直哉の「和解」で言う所の父との確執にあり、一頻り泣いて澪とも別れた。家庭不和の状況下の自分自身を澪に見せられないで。凝り固まった自尊心を押し隠す為、自分自身はこれから何者かになってゆく、ポジティヴな別離の筈だった。コンプレックスの軋みが16歳だった僕を襲い続けていた。もうおかしかったんだ、あの頃から。とっくに限界など来ていたし、藪から棒にイヤなニュースが僕の元にやって来た。家庭は壊れているし、ニヒリズムに陥り、ロックミュージックに逃避行のように逃げ込むしかなかった。あの頃澪は、メンソーレ澪と呼ばれていた。バンド仲間に澪を招聘して、歌集の交換をしたりした。GLAYやL'Arc~en~CielやLUNA SEAの物真似をしてコピー・バンドをやっていた。その後バンド活動はオリジナル曲を作り込む迄になるけれど、その時にもう澪は居なかった。当時PIERROTも聞いていた。澪からのメール、PHSに送られて来た時の着信音はPIERROTの「ラストレター」だった。澪は手紙をくれた。「がんばって小説家になってね。応援してます。澪」。聖書にも、離縁状は書かなければならない、と書いてある。あれは澪からの離縁状だったのだ。あれからずっと澪ばかりを描き続けて、浮き上がれず、人生の週間を経てている。ばかな僕はその意味に暫く経ってから気付いた。強く臍を噛んだ。もう二度と戻れないんだ。


「始終、どうして書くの? そんなに私が忘れられないの。失恋譚にして、泣き綴り、失恋小説家になるの?」

ことしは、その答えになる物をここに書かなければならない。応えなきゃ。失恋小説家になって、泣き臥し、澪との思い出の中だけに生きてゆくこと、忘れ難き人。場面場面が思い起こされて来て、高く打ち上がって、地に落ちてゆく。生命力のかけらもない、パワーのかけらもない、打ちひしがれた状態で。元気を失い、小田急線の喜多見行きの電車の中で、だからあんなに笑っていたのかと、振り返って想い起こしてゆく。行き先不明の闇の末路の夢想家の夢さ。行方知れずの澪、君を未だ探している。何処だ、何処だ何処に居るんだ? あれから僕は大人になれず、夥しい文量の小説書きになりながら、子供のまま生きている。何処だ、何処だ何処に居るんだ? 片恋を溺愛を胸に秘し、君のぬくもりのあった方へ。

あの日君は、僕の四畳半で僕の中退した高等学校の制服を来て、笑っていた。再会した時に、「あたし、涼一の学校の制服を着たことあるんだよ」、と嬉しそうに話していた。僕は中退者の敗残の傷に触れられたような気がして闇の過去が掘り起こされたように憶えられて、血の気が引いた。

「学ランだったから、カッコ良く見えた。涼一も、それなりにカッコ良かったのよ。目は一重だけど。一重でキツく見えるけどね。好きだったのよ?」

「俺も好きだった」

「学ラン、男だけだもんね。着れるの。幻灯のように、青春期が二重写しになる」

「あの頃俺は未だ歌を歌っていたね。影の重なりが俤を彩るよ、かなしくうつくしく。澪、君を想って、歌っていたんだよ。ロック・ミュージシャンの素振りをしてさ、……」

「GLAY」

「ああ」

澪の顔は小さく、輪郭が丸く、何処か俤が芸能人の優香に似ていた。優香好きだった同級生と結婚をして、僕の時だけが止まっている。あれから一歩も、動けないんだ。針で刺されたみたいにして、串刺し状態。地上と繋がっているんだなあ。

記憶の中の澪は、思い出の破片の中の澪は、いつも笑っている。みなに平等に接するのは、みなの中で自分が一番可愛いからだ。神様は、不平等、不公平で、みな澪の笑顔が見たいから、冗談を言ったり、セクハラをしたりする。「おっぱいが大きいって中学生の頃言われていたよ」。顔の割りに心持ち小振りな胸なのに、セクハラ紛いの冗談の打ち寄せるなか、突然澪はそう言い出した。「たしか中学生の頃そういう噂が立って、確かめるべく俺は付き合ったんだっけ」。栄光の時が中学生という早過ぎた頃に来てしまったから、あれから俺はずっと低迷しているんだな。家庭不和の為の高校中退、大宰治との出会い、澪を彩る為の文学探し、自分探し。どんな修飾語で飾り立てても澪の前で朽ち落ちてしまう洋服やアクセサリーのように、完全無欠な澪の前では、すべてが無意味だ。少し八方美人ではあるけれど、澪は今でも一番可愛い、時々ファッションを踏み外す、それも澪、澪、澪だ。

追憶のメロディを重ねて、澪を彩り、着飾られた洋服のように、ランジェリーのように、澪を高く上らせてゆく。何かの暗号のよう、記号のよう、象徴になってゆく澪は僕の生きる目安だ。道標となった澪は、僕の友達の落としたコンタクトレンズを必死で探している。闇の中、前も後ろも見えないのに。追憶の地層に転がり込んだ澪はいつも何かに夢中で笑顔だ。吾にも非ず。空想を忘れた夢想家の夢想の中で、澪だけ繰り返されてゆく、頁岩のように剥がれやすい追憶の窓に傾いでいる。それは風に吹かれる木々の葉のように音を立てて、何か思わし、その思惑に掛かれば、水嶋ヒロだってイチコロだし、福山雅治だって魔法に掛かってしまうかもしれない。男を揺する手はいくつもあれど、妖気を使うでもなく、いつも真っ向勝負の澪は、いつも男たちを虜にした。落ちない男なんて居ないよ。だって可愛いもん。思い出すだけで、その可愛さに身の毛がよだつ。グロッキーになって病苦に苦しんでいる今じゃ、澪という光以外には見えなくて、真っ暗な部屋の中足をぶつけて歩く追憶の箱船に乗っているのも澪だ。もしかすると、それは幽霊船かも知れなくて、そしたら澪はこわいと言って僕の手を握り締めるかなァ。お化けが出たよ、と脅かしたらあの頃のように戻れるんじゃないかと夢想して。

離れ難き人へ。澪だけと結婚したいと想っていたよ。別れてからもずっと、澪が結婚してからも、ずっと。澪のことは調べてないけれど、これじゃぁ今の時代軽いストーカーだね。片想いのストーカー、阿部真央に「ストーカーの唄」ってあるけど、あの唄可愛いんだ、是非澪にも聞いて貰いたい。

三ノ宮はいちずだからね、と明日菜に評されたりもした。大人になってからも澪は僕の忘れられぬ人だった。あの時僕は澪の結婚式の二次会に行って、澪の送別をした。餞の積もりだった。あれが最後で、恋愛適齢期を逃がして、僕はあれからずっと逃避行をしていたんだよ。


心の奥に鉄壁を張り、針金を駆け巡らせ、鉄柵のよう、攻撃的ながらも、次第にしつじつごうけんに防御していた。鉄骨を組み敷いた鉄門のよう、口を閉ざしていた。鉄面皮をして、表情を隠していた。錆びついた陸橋を渡り、鉄橋を渡り、小石がちらばった一本の舗道を歩いて、何所かに辿り着くだろうかとこころの宿に泊まっていた。祝福は何所からくるだろう? 考察し、解法を探していた。強く心を構えて、気構えを持って、強靭に生きて行くと静かに願っていた。高く空を飛ぶきれいな椋鳥のように、けたたましく囀り立てていく。――


素朴に小さく小さく思い起こす訳ではないが、様々な訳の解らないことを散文化し、ぶんめんに書き込みたい、続けて行きたい、度肝を抜く物を書き付けたい一心で、願っていた。一語(、、)をぶんめんの根っこに書き下ろしたい、と信じていた。

〈想い〉に至るまでの力もなく、観照しても不徹底で、力不足で、役不足で、ふまんが溜まり、頭だけ解っている、理解だけが立っている状態だった。どちら付かずの状況だった。洗たくしても取れない匂いや汚れのよう、それは痕を付けていた。もみ洗いをしても、洗剤を沢山振り掛けても、それは痕を付けていた。僕はこころが折れそうになり、途轍もなく辛かった、……。


僕の心の内面の内乱、ぼうそう、混乱、内紛は他の何に例えよう、譬えよう、単簡には伝えられない事柄ばかりだ。思索し、推論を立てるが、中途挫折して、巧く行かない。辛く、気がふさいで、意気消沈し、意気阻喪して、落胆していく、……。これが僕の人生だと、涼一の人生なのだから自分は自分で生きるんだよと、自己を励ましても、情動がはかいされ、気落ちしていく、……。不器用な限りの有限の小説体である。僕は推理し、推理し、犯人捜しをしてしまい、保釈の時期、期間に逃げられてたまるかの気の持ち様で、時効だろ! と友達たちにツッコミを入れられるのを待っている状態だった。

不可ない、不可ない、……自分自身を責め立て、待ち続けている<結果>の出る時までの久しい待ち遠しさが、遠く近く儚く存在し続けていた。揺り起こして、奮い立てば、なんとかなる、の情緒も衰えていた。


<結果>は、一向に出ておらず、ずさんな状態で、心身がボロボロになり、傷だらけでほうむられる時を待ち焦がれているような状況だった。ボロボロになった僕は、何の変哲もない因果でこのような状況に追い込まれてしまっている、と案じた。社会的に不都合な状況の為に浮かばれぬ咲かぬ花となってしまっているのであろう、と心配した。トラップに引っ掛けられたのかもしれないねと友達たちは笑っていたけど、……。インターネット上のトラブルでこのような状況に落ち込んでしまっている可能性が大いにあり、不確実性の方が多分に少ないのだった。ふかかいな状況下に迷い込み落とし込まれ、僕は不遇の状態を過ごし続け、国家の犬となり、いつの間にかくみ出された読書計画のしもべとなっていたのだった。小説を書こうにも、筆がまったく進まず、感情の筋道ばかりを描いていく、という心の病の者のさいごの砦とでも言うような物を書き溜めていた。――

〈結果〉の為、あの頃担いだ労力の決算、価値……ねずみのコンビニエンスストアーの何回かのアルバイトの時期、魘されるあくむを見ていたことを思い返した。矢張りソコでも、これからの小説の主軸となるであろう、〈想い〉には到達出来ず、あくむを見続け、黒い闇のなかに迷い込んでいた。

いろいろな推論を立て、弁舌を強化し、多岐渡る様々なことを考察するが、……推理し推理しても、実利、実質、実感に押し上げようとすれば、試みに合わされて、ズルズル下降線を辿り、始終ドンドンと落ちて行ってしまい、地面に手を付いて、立ち上がることもままならなくなる。自信が付いた頃、何もかも捨てたくなり、無気力になって、何物も手にすることは出来なかった。臥せ続けた。雌伏の床であった。


行列を作っていく思い出の「忘却」にこそ、ほら追憶が勝ち得るようにと、結局の所〈想い〉に至らず、気構えは台風のような向かいっ風を浴び、飛散させ、受け流し、吹き流し、洗い流し、注ぎ倒す大量の涙の溢流に似た三ヵ月間の萎れだった。あのねずみのコンビニエンスストアーのアルバイトで自身の商品価値はなくなり、店頭に立つこともレジ前でキャッシュすることもままならなくなり、それは精根使い果たした三ヵ月間の労力、労働力、過労であった。もう何所にも行けないんじゃないかな、逃れ場所なんて何所にもない、……頭がはれつしちゃったし、治らないんじゃないか、……僕の行方は何所にあるんだろう、……?

涙の雨粒を浴び、頬を汚し、胸襟を抓み、指を頑なに握って、豪快に僕らは走るのだった。

「真っ直ぐ」に。

消極的な存在の積極性!

行こう。筋力トレーニングをして、栄養補給し、腹持ちが良い飯粒を食べて、ナポレオンの峠越えのように、勇猛にさっさと行こう。大らかに行こう。怪物になった積もりで、かいじゅうになった積もりで生きて行こう!

武者震いをしつつ!

切れ目なく。








9 ファイトと徒労 

 思い出への一筋の道筋。消失している忘れ形見、御守り。

 探していた。探していた。

 一体いつから。一体どこまで。どこもかしこも、どこからともなく。

 いけない、いけないな。不可いし、行けない。もう逝けない。

 活きていることが僕にとっては「仮」に想えるのだった(反対に、「貸し」を与えるタメに活きているのなら、もう「仮」は「借り」で、と答のような考えが浮かんでいた。これから貸し与えられたモノを滑車が回るように辿り、思い余すことないところまで使い込んで、返す返す許すのかもしれない、……知っていないことを知っているような慣れ古した頭を叩いて)。


 函に納めた古書や字典を手に取り、頁をひらく。延いては、川端康成の小説が多いが、古書を通して、本の愉しさ、読む愉しさも、知徳となったのであった。稀少価値がある物であればあるほど良い。知見はインターネットなど、ウェブで得ることが沢山で、日々情報処理に追われていた。

 「マトリックス」で描出された数字の混沌のよう、数式が溢れ出していた。にがてな数学を始め、未だ手に付けていない高等学校の課題も一杯だった期間は、忘却されながら、当の数学のみを残し、ほぼ学習が修了していた。課題の先に課題を見つけ、自分自身を懲らしめていく他人の手を借りない独学であったが、充実を覚えていた。大きなよろこびがあった。しかし、未だ足りない。「男は一生勉強し続けていく、向上心があるからなあ」、何時だったか俊の言ったことばが記憶層をふるわせ、心臓にひびく。僕は震われない家になりたい。

 既製品は社会に溢れ、叡智を彷徨わせる。世界が変われば良いと思う。小世界もひらけば良いと思う。狭い範囲で考える意識の視野にいやけが差す。邪険に思う訳ではないけど、少しばかりのじこけんおが起こり、身を滅ぼしたくなる。貨幣に身震いがする。電解質が額に刀傷を付けたかのよう、考え続ける頭が疲れている。そして季節が変われば良いと思う。記憶がよみがえり、穏やかな光を受け、輝く木洩れ日のよう、瞬けば良いと思う。


アメリカンハイスクール? 古いホワイトボードに文字列を記述し、講釈を立てていく。杳として知れぬような、その一語一語を書き取っていく。授業の様子が間近に思い出され、サッカー・スタジアムの中飛び交うレーザービームの閃光で、脳内で眩しく光る。閃きだ。その瞬間を忘れず、思い残して置きたい。

前に行く前に籠城して防壁を建造し身を守備し暮らす自分の部屋の周囲を見回し、要るもの、要らないものを分別し、戦に必定なものを、兎角有るに越したことはないもの、鍋とかガス缶とか、サラダ油とか饂飩とか、機会があれば、物欲しげな子どもが来ても、与えられるもの、などを選別し、箱のなかに入れていた。

 城が必需品に埋め尽くされるサマ。

 そうそう、これがあれば、困った時に便利だ。――役立つ、……決まりきった答え、かもしれないけど。その考えが考察が僕の頭の中をあどけなく咲く花で満たし、洗い流し、真空で透き通ったかのように意識ゼンブを魅了し、解いた。

 意識ゼンブを鮮やかな色の大空の碧さで充満させて行った。


 目下、その“戦”とは、功績を目指す、困憊必至の出口の見つけられない執筆を指すが、尊敬する日本人のノーベル文学賞作家がテレヴィで徹子に語ったところに依ると、籠城し書く前に言葉の“武装”、“装備”する事が課役らしく、僕もそれに倣い、万事ほころばぬよう、素材を整えているところであった。(同じ平和を想うように、きみの想う平和とはすこしちがうけど、想うように。例えば、の話)。

 この書く前というのが肝であって、鼠取りのよう、二十日鼠を仕留めるよう、溝鼠を手に掛けるよう、書く前と書いた後とは確実に違って、一線を引くように精確に、げんみつに、…と書く前には出産の苦しみがあるが、出産後は、甚大な喜びと充足感が滾々と溢れ出て来るものであって、書き続けているあいだの、ストーリーの先を執筆しているあいだに失せてゆく、その「徒労」めいた幸福感を味わいながらも着地し、不可い、行けない、とぼそっと呟いて、嗚呼、まだ作家になっていないんだった、という仄暗い現況と、湧き上る思い、鮮烈デビュー、処女作とは何だろうか? という暗い澱のような問題が疼く。

 書け感とでも言うべき物があるとしたら、書け感が凄く、半端なく、後退する幻滅が芳しくなくなっていく。最小の曖昧な存在がさらに曖昧に、透明に薄くなっていく。蚤の生命。インクリボンから零れた液体色の黒ずみで、無意味に等価、相対化されていく。曖昧は愛舞いだと慈しむように思う。<駆け出し>の頃は良かった、あの頃は元気だった、と語り、……が「炊き出し」の頃は良かった、あの頃の飯は美味かったとなり、一人笑い出してしまう。夜中一人で笑い出すのが、気ぐるいっぽく、他人に聞こえていないか、気を揉む。自世界が壊れていないか、看取する。可笑しい? 可笑しい? 僕は可笑しいか、……狂い出しそう。

 大工さんになりたい。

 嗚呼まったくもう、限界みたいだ。こういう手、手管で書いている時点で、プロの資質がないことに考えが行き当たる。アマチュア、精製される前のカカオ。自己陶酔家の自己弁護、自己アッピールでしかない。只辞書に面白いことが書いてあったな。『栄光』の例文は、「プロは実力を失えば忘れ去られてしまうが、アマチュアで得た栄光は終生ついて回る」。思い出し笑いするよ。


 只、書く前、力を総動員し、書いた後が錯綜していく、交錯していく、交叉していく、網目状に絡まる蔦の茎のように。脳漿がつぶれる。周期をえがき、書く前、読む前、書いた後、読んだ後など、混乱しながら平衡をたもち、戻りつつ進み、指元を軋らせ、さて。好尚かも知れぬが、代謝しようぞ。

 益を計ろう。


 初産とは、……? 生成法は、…?

 まだ処女を犯した経験もない、そんなことしなくても良いが、垂涎滴らす女たらしの末端者でいながら、自身の股座の陰茎に恥じらいを観じる、無様な男気の行き着くトコロもなく、最愛の人に出逢いたいが、たった一人に出逢いたいが(一体運命の人とは何ぞや?)、作家として成って、揚々二人分の生活費くらいは補えるようになって、それから、愛の園を彩って、……と考える。

 ああ、意識がサウスポーだ。

 愛の園、……それが何人か読んだ欧羅巴の作家の志向のかたちにならないかたちのような考えにも行き着いていく。至上の恋愛が成り立ちにくいような昨今の環境下にいら立ちつつ、自分自身は、孤独を求めて心を閉じて行ったような行動力、さからいながら、受け入れて行った数年前の自分自身の軌跡に目が向き、溜め息を付いた。

 愛の園? 例えば、どんな。「春の嵐」、それか「嵐が丘」。

 老人のような態度で、い縮と拡大をくり返し、乱読した。――


 空気銃で連発銃で意識を穿たれたように空いた穴に、やさしい声が届いたから、答えていた。甘く。

 (がんじがらめじゃないよ)。

 (忠義者だから)。


 ……げんじつのげんじつを背に背後に塚墓にし、逆の未来の誇大な夢の現実化/実現化を計っていく。美しく整頓された部屋の更なる具現化を思う。もっと良い所へ。――。満足しては、不満が生まれて来る。望遠レンズを覗き込んだ時のようにドロンとした盲目的な意識画が、自分の身の丈に合った日常の部屋を描くことはむつかしい。

 小説の書くことの“戦”の結晶化、ダイアモンドレイン、……書いているあいだに見ている夢と、それを読んでいる時に見る夢。……一致しているようで一致しておらず、噛み合っているようで噛み合っていない、ソレ。黄ばんだノート・パソコンを置いてある、寄贈品の、アボガドみたいな形の白いテーブルの上で、ソレらは練られるのだが、視界はそれを映し出していない。

 それが今は新しい部屋に暮らし、二年半の間隔を空けた後、中断した小説を、また書き続けている、と云うんだからなあ。孤独にひたる夜半善哉を食べ、歯磨きをし、「蒲団」を敷いて眠る間に間に、書き掛けた小説の熾りを風は流して、吹き流して。

 連想の裡に、記憶の可視が計らわれ、まぼろしのような映像も広く展望されて来る。

 思えば、……。


 青春は美わし、未成年だった十六歳、ジュリアン・ソレルのよう「町」にくり出し、果敢に走った。生命源泉力を溢れさし、服装を整えたあの日々。……「町」は、その正しさも、不確かで、答えもないまま。洋服の裾を捲ってお洒落しても、一見下手くそで、プライドの貫かれた尖った個性の、異形じみたファッションが瞼に映る。尖りは、射手座の形のよう、弓を引いている。

 尖りは、射手座の形のよう鋭く弓を引いている。「和」の味を知らず、「輪」の味を知らず、「美」ばかり求めていて、孤独が付きっきりだった自身、……。洋装を競いあう事だけが、目下の目的事であるかのような。原宿を歩くのに緊張してしまう、その程度の挑みあいだが、それでいて、心中はファッションに陶酔していた。

 スタミナは暴動を興し、荒れ狂うばかりだ。ビルの屋上から人影、落ちて来る。「ひたひたひたひた」。粉砕された血だらけの頭を見るけど、僕は無感情で立ち去って行く。その“さりげなさ”が、僕らの青春を生きている証だ。人影が居る訳もない舗道を見詰め、中島美嘉の「雪の華」を歌いだす。のびた人影を舗道に並べ、夕闇のなかをキミと歩くこともないけれど。

 夕暮まで、……。



第二章

 ① boy`s talk 

 「中島美嘉って、イグアナみたいな顔だけど、きれいだよなぁ。葡萄が似合いそう、白葡萄が良いね。オーラがあって、グッと来るよ。お前「NANA」見たんだよな?」

 「TAKUROやHYDEの曲が良かったね。ほら、おれらロック・バンドで女性ボーカルさがしていた時期あるだろう? 見果てぬあの夢の計画が叶ったのが中島美嘉だね。使者だ。サマーソニック・フェスティバル出ないかなぁ? 夏(、)の(、)憂鬱(、、)に(、)抱かれ(、、、)」

 「俺は声が好きなんだ。歌唱が下手ってテレビで言ってたよ。頭蓋骨に響くホーミーだね」

 「ハスキーな声なんだよね。コーギー犬でも飼っていそうな世話好きな面もありそうだよ。性格なんて判らないけど(苦笑)」

 と、云うような会話をしていると、俊がいつも突っ込むように、「俺らは芸能人にはなり得ない」、との忠告がまたしても出た。

 「(失笑) ああ、分かったよ。只俺は作家だからな、お前らと同じにしないでくれよ」

 失脚するよう、欠点を貫かれるよう、防備の体勢が出ると、意外にも、

 「成長したな、お前も」

 と褒められたので、ムシャクシャもせず、キョトンとしてしまう。

 「えー涼一、バンドは? ヴォーカルが居ないと困るんだよ。結局土台だからさ。キホン。ポイントを得たところを歌い上げられる声って云うのは」

「おまえさんがいちばんやる気ないだろー(冷笑) 前身バンド『ペスト』で懲りてるんだよ。女性ボーカルも見つけられなかったし。アルベール・カミュ読んだらさ、殺人なんかも出て来る暴力的な小説で、よくこういう名前のロック・バンドやってたなぁ、ってさ。メテオに遭ったかと想ったよ」

 「炎に包まれ降る彗星って感じか、流星譚って感じだな!」

 「お前の譬えなんて聞きたくないんだよ(笑) 収入あって、生活力はあるのかもしれないけどさ。特に音楽論なんて聞きたくないんだよ」

 と宗が茶化し、チャラかす。溜飲が下がる想いだった。手に持っていたフロックコートを置いた。

 「まあ、俊の云う通り、俺らは何者にもなれない、一般ピープルかもしれないが、それでもね、外見は良いんだし、自信持って行こうよ」

 と僕がひけらかすと、

 「いひひ。何処が外見良いんだよ。お前なんて、後藤真希に似てるって云われて、有頂天になってんじゃないか? ごまき」

 と俊がひはんを込めてことばを打つ。

 「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、なんか咳き込むな。咳が暗礁に乗り上げて止まらなそう」

 云ってのち、宗は首を捻り、髪に手を伸ばした。有頂天に空を見詰め、遠い目で考慮した顔付きを浮かべていた。空の蒼さに唖然としていた。

 「(笑) 乾燥しているからね。雪は湿気をふくんでいるからね。ヒンヤリとする」

 「向井理になりたいって、言ってる割には、俊の顔は伊勢谷っぽい」

 「宣言してるよりは良いだろう。謙遜があって。変身しているつもりもないし。おれは真摯な紳士、ジェントルマンで居たいんだ」

 「ああ」

 と云って僕は頷き、唇を結んだ。




 庶民派のくせに、大人ぶった服装をして、「町」にしゃがみ込みはなし込み、何をするのさ、不良男子生徒の物真似。マネーはない、お金が欲しいけど、手に入れられない。お腹を痛くするほど食べたいけど、おカネはない。

 サラダ&ドリンクバーで済ます、ファミリーレストラン。噂話に火が付き、吉祥寺に住みたいなどと世間話に法螺を吹き、窒素爆発していく。軍資金が足りない、手に入れられない、何かを試金石にヒットをキメなきゃ。早く大人になりたい、カッコ付けたい若者の、未成年から吸い始めた煙草の吸殻ばかりが溜まり、道路を汚す。あの日、未だ若い大人たちはカッコ良くシガレットを吸っていた。

 「『孫子』の兵法書は読んだって言ってたな」

 「まあな」

 「『韓非子』は?」

 「未だだよ。よお、韓国人って可愛くねえか?」

 「K―POPから来たよな。後『冬のソナタ』か。良いんじゃない。レイディオヘッドって、すごい音像だな。お前のライフワークだろ」

 と男気を覚えさせる言葉を吐きだし、宗は手に持っていた煙草を投げた。目は話頭を探すように泳ぎ、自然にやさしく反らされた。

 闇は音楽を補佐し補助し、道を繋いでいく。

 宗はどこか不遜な態度で顰め面をし、

 穏健さがひた隠しにされていた。不機嫌さが現れていたが、未だそこに和らぎの余韻があった。さもしさのような感覚を覚えたけれど、それはまだ未完成だった。僕は音楽について考えを煎じ詰めて、唯識を炒り込んで、吐露した。いつものことだ。

 「視覚的効果がすごいからな。村上春樹がKIDAのこと書いてなかったら、文学はやってなかったよ」

 「病魔にやられた所もあるだろう?」

 「まあな」

 「快調か?」

 「なんとか」

 「王権をふるう田中宗一郎さんとは会ってるのか?」

 「ああ、まあ。嘲弄されてばかりいるよ(笑い) 恩だな。恩返ししないと」

 「そうか。すごい人だよな。あの人くらいの勝ち組気質がおれにもあればなあ」

 と宗はいさんで声を出した。隠した闘争心に火が付いて、勝ちたいけはいに高揚して、声は少したかくなった。

 宗は甘く爪を噛み、悔し紛れに笑顔を作って見せた。立ち入って貰いたくない問題があるという風情でもなかった。爽やかな風貌を前向き加減で押し届けて、然り気無く難題を躱した。途轍もなく軽妙だった。

 「一番弟子だからな。そういう心積もりで生きているよ」

 「お前は上っ面の知識だけで会話し過ぎるんだよ。田中宗一郎さんもそう言っていたって言ってなかったか?」

 「それは別の先生だ」

 「そうか」

 「そう言われた時は、泣きに泣いて泣き下したよ」

 「お前の居る世界って、そういう世界なんだよなぁ。なんだか羨ましいよ」

 「何所がだ?」

 「個性で戦いに挑む世界だろ」

「まあな」

ウォン・カーウァイの汲み取った村上春樹のトライアングル。人物相関がそのようになっていると、東京大学の教科書「中国圏文学史」で読んだ。たしかにその向きはあるかもしれない。あるかもしれないじゃなく、そう。俺も真似しないと。……




 どれだけ待っても現れないシンデレラ・ガール、おっかなびっくり待ち続けていますけど、腕に包み込めない鳳仙花。架空の美女よ、何処に居るの? インターネット上を検索し、探検しに行ったけど。あ、そうそう、捜し当てたコトもあるけど、直ぐに別れた。

 相関関係の行き違い。

 胸騒ぎがするからと振り向くけど、そこにきみは居ないんだ。あれからずっと光る姿探し続けている。それがまるで永遠の「恋」の呼び声であるかのように、半分だけ欠けた心のワン・ピースに当て嵌まるのがきみだと信じている心情。片腹で笑われそうになるけど、情を通わせようとやっき、せせら笑う友だちらの声を掻き消しては自信を強化して行った美しき青春の路上。


 ファッション界で生きてゆく訳でもないのに、何様? 僕の間抜けな性格を装って、外面だけ良く、懇切ご丁寧に髪の毛の埃を払ってやるような気遣いも見せるけど、醜い、直視はできない容姿を誤魔化し、精一杯のお洒落な服装で着飾って、すかして堂々と「町」を闊歩してゆくのだ。友だちに、お洒落だね、って言われれば、それだけで芸能人。何様?

 「ヘンな服装だなぁ。同系色で攻めるなよぉ。勝負服のつもりかぁ?(憫笑) いつ滅びた王侯貴族のファッションよ? バブル・マネーじゃあるまいし」

 宗はスカーフ調の柄物のアジアンな刺繍の入った焦げオレンジ色のシャツとパンツを穿いていた。

 「人のこと云えるのかよ。さぞかしショーン・ペンと云いたいんだろうが、そのやさぐれ感は小便だな」

と、俊とファースト・キッチンのなかで罵り合いつつも、傍の宗の、高校に入ると同時期に身だしなみに諦観めいた決着をつけてしまった、古着はいいが、だぶだぶの古着の脱色と臭いが鼻につく。彼の古着は姉のお古なのである。と、いうことは、中学時代のものであるということで、柔らかい躰付き、しなやかな筋肉にぴしゃっと、縮んだカットソーが皺なく装われている。

 「まぁ、俺らはマシだな。宗はあの夜新宿で死んだんだ。仕方がないよ」

 と俊が嘲る。

 「……五月蝿いよ。見分良くてもなぁ、という想いの吐き棄てはある」

 と宗が答える。

 嘲りの言葉が浮かび、笑い、楽しく僕も笑うが、込み入った意識の奥で、周、女に恵まれているからな。古臭い考えの、中学時の引く手数多の青春を終えた、無骨な不器用な僕に比べ、女からの好感度は計り知れないし。羨ましい。よもや奪われはしないが、結局一体何度周のモテっぷりに気を揉んだことだろう?(汗)

 だからやはり、このお洒落のないダサさは、この人生の果てで、いつか母性愛に充ち溢れた世話好きの可愛らしさのある健気な女を落とす、初手の布石なのかもしれないな、という考えが頭を過ぎる。あ、だが、ブス専だからな、逆説的にその可能性は大いに広がっているな、……何の為か分からぬ空想を宗の為に膨らませた。

 騒がしく、活気の集う店内で、若くしなやかな躰を見せびらかし、溌剌とTシャツの袖を捲って、 汗ばんだ肌を興奮させては、すり抜ける女を意識し、また異性からの華やいだ好色的な視線も赤裸の心で感応し、淫らに注ぎあう視線の交錯の曲折の渦でのみ、勢い良く満たされてゆくひ弱な男の胸奥の空白が、ひとしれず涙の滝が流れ落ちていっぱいになる青い泉のように、女性に存分に見られている、と意識下に据えることで、生きている(、、、、、)、と証明を覚える。

 同年代の共感でのみ、生かされている、と胸がときめく。

 意識下に据えてしまうほどの、華美な女性、美しい女の子、麗しく幼気な異性がテーブルの間際を通れば、斜め見し、どのような闘いにも臆し、過ちを犯しても逃げ延びたい、御免蒙りたいが、一筋の逆上せた光、瞬時に脳裏に過ぎる理想の男像、栄えある未来を勝ち取った、球児のような腰落ち着けた男の振りをして、何食わぬ表情を浮かべて、女を吟味しているのであった。棚をCDラックを吟味するのと同じように、ノー・シンプル、ノー・ビューティーな異性などありようもないのに、一体いつのどこの殿下の「仮面」で、吟味するというのであろう。声掛ける勇気はなく、ナンパに出る心喧しさもなく、地道な、奥ゆかしい恋の花吹雪を散り落とし、その真下の花々しい道を抜けて、恋愛力を育んでいた。

 一向に恋は結実することが、ない。


 俊の、宗が新宿で死んだ、という弁は、高校時代、バンドをしていた僕ら三人が、新宿のHMVくらい、齧っておかないと、という名目で、はるばる向かったかのHMV(町田市民にとって、都内は頗る遠い)で、初めて聞くアーティストの公開ライヴがポップに催されていて、その夜まで名も顔も存在さえ知らなかったキーボード奏者の演奏を耳にし、汗臭い思春期の氷結した鼓膜を灼かれた、あの体験を指している。

 そのアーティストの演奏が、あるモードを先攻していて、甘んじてプロになることを無口に夢想していた僕ら三人にとって、その産業色の強いキーボード奏者の“ハイスクール・トラブル”、という目まぐるしく変化してゆく曲調の波瀾は、今にも食われてしまいそうな危惧を覚えさせた。そして、仕方なく、自ら信じていた「才能」を守る為に、僕ら三人は逃走したのであった。

 しかし、瞬く間に逃走していった敏い宗を僕と俊が追って、その背中を見失ったのであった。今日も一緒に帰ろうと、伊勢丹のあちこちを捜し回った僕と俊が乗った、上りエスカレーターからきょろきょろと階下を見回していると、反対の下りエスカレーターに乗って、失踪を決め込む宗と擦れ違った。

 「宗! 宗!」

 俊と僕の追走虚しく、その日、もう一度宗に会うことは叶わなかった。宗のプライドは崩れそうな氷山等しく、アメリカに行きたい、と云った宗は、“繊細”であったのだ。あの夕陽は、落陽は暖かかった。 近道もない、夕焼けを探し歩いて。


 その日から、やるよりも頭で考えるが先の僕ら三人の愚かさで、音楽について考え過ぎ、動物的な直感もいきり立つような雄々しさも蚊帳の外に置いて、僕らはいかなる曲も生み出せなくなってしまった。

 そして、あの夜の電撃から何日か経った夕暮れ時、宗は僕らの中学時代に過大な影響を与えたラルク・アン・シエルのhydeと同じ、茨のネックレスを首から外し、境川のどぶに投げ捨てたのである。

 「恋は死んだ!」

  宗の隣に立っていた僕は迅速で唐突な行いに呆気に取られた。

 「審判を下すようだな。ギタリストのお前らしくもないぞ、どういうことば……? ロックは死んだなんてさ、先人たちが繰り返し言って来たことなんだからさ、今頃お前が口にすることでもないよ。引いては、レディオヘッドのトム・ヨークはロックは死んだと叫び、1997年傑作『OKコンピューター』を生み出し、……」

 驚いて黒真珠のように漆黒の二つの瞳を見開いていた俊が言った。

 「違うよ。歌い手のお前さんらしくもないぞ、俺ゃ、ラジオ頭のことなんか言ってないよ。宗は、“恋は死んだ”って言ったんだよ」

 その俊の言葉を聞いて、宗が口にした。

 「訂正。……純愛は死んだ! この国は鬼入る!」

 「訂正すんなよ」

 「どっちでもいいよ! それにしても、一体何があったんだ?」

 「好きな女が留年野郎になびいちまった。畜生!」

 「真に受けるな! 残念だったな」

 そう呟き、まあしっかり気を持とうや、と宗の肩に手を置いた僕は退学野郎だった。


 「まあ俺らもこれでお終いだな。ディル・アン・グレイやラクリマ・クリスティーにはなれなくても、グレイにはなれると思ってたけどなぁ。“オーシャン・ラヴ”が未完成で悔いが残るな。杉本とかバッキーには、絶対デビューするって言ってたんだけどな」

 「俊はこれからどうするんだよ?」

 雑木林の風に不穏に揺すれる不安な音を耳にしながら、僕は言った。

 「俺? 俺は大学行くよ」

 くすりともしないで、俊はあっけらかんと言い放った。

 「どこの大学だ?」

 「東京大学だよ」

 「人間はごみだ。生きている価値もないよ。只のくずだ。この値打ちもないくずを生かす為に働く。人間は機械だ。只のフォーマットだ。この無価値の物を生かす為にはたらく。人間は石だ。意識もない石だ。原石の詰まった脳ミソだ。この無等価な物を生かす為に流れる。人間は土だ。人間は肥やしだ。この只のクソみたいな物の為に水を浴びる。浴び尽くす」

 と俊は語る。

 「働くって、サラリーマンになるのか、…? 職蜂のようによくはたらくのか? 賃金と労力を計算しよう」

 「先ず四百五拾万円だな。俺ら、都市化されているな。会社に行き続け、鼠退治に行かなきゃな。所轄の社員は、部長の補佐しないと。引き立て役さ。鼠にとっては屈辱かもしれないが、殴打するくらいが良いんだよ。鼻先であしらい。或る鼠はトンズラをぶっこき、敗走しようとしているから、火掻き棒で串刺しにしてやった。稼ぎてえけどさ、尚更鼠の掴み所が無くなっちゃって、ファイトマネーも貰えなくなっちゃったり、しちゃって?」

あの夜、俊はそう言って、三年後、畢竟受験は第一志望の東京大学には落ちたものの、京大卒が良いだろうとゴネていたが、すべり止めの早稲田大学に合格した。その時僕は、いや、俊、お前、東大に純愛してるべ、一年浪人するべ、と心を掻き回すようなことを言ったが、そのような僕の企みにも俊は乱されることなく、無難に早稲田大学に進学した。

 宗の受験は二流大学だったので、話は省くが、当時僕は高校中退していたので、思い出すたび毎に、中退していなかったら、どの程度の大学に進めただろう? と空想することがある(それもまた、一流大学卒の父の教育の厳戒だが)。

――僕は高校受験で早稲田実業学校高等科に落ちている。

 予期していない時ほど去来する思いであって、もし高校の時期、家庭環境が悪くなっていなかったら、勉学に励む道も拓けて、きっと普通以上の大学に行けたんじゃないかな。

 半年だけ休まず通った進学校で、親しみ深かった友人の玉ちゃんと櫻井君が、三年後、ともに鉱石のように光っている慶應義塾大学に進んだことから、頑張ればあわよくば、自分も慶応に行けたんじゃないかな。

 あまりに遼遠な目標が、この時も知徳めいた発憤のように降りついて、あったかもしれぬもう一方の人生の別の道を髣髴とさせる。

 ――側溝沿いを通る道。……あの日々、指定鞄を肩から提げた青い学ランの僕が、肉体と精神の疲弊に歪んだ表情で、通学路を進んでいた。

 誰もいない、浩大な通学路脇の田畠が唯一の逃れ場のように目に浮かび、空想で小父さんと小母さんを立たせて、僕に話し掛けさせる(その時僕は小学生となっている)、田舎者の野趣が漂って、何故か僕も田舎者の小学生となっている、郷愁の存ぜぬ田畠の端を思いえがく。

 実際の田畠には何の野菜も実っていないのだが、小父さんと小母さんが美味しそうな野菜を、小学生の僕に譲ってくれる、頼りない空想で、僕は心の毀傷を和らげた。一度思い浮かべたことのある情景に、今上書きし、飛躍を試みたいのだが、あの時末文にミレーの『晩鐘』の模倣を描いて、壊れそうな空想の内、生き生きと呼吸してくれた小父さんと小母さんに身勝手だが、恩返しした。本当なら、飼い牛の世話でもしてやるんだった、と省みて、桟道を歩き、小屋まで行くか行かないか迷っている裡に、僕は小父さんと小母さんに再会したのであった。蛍火のよう、浮かんでいる。

 「ミレーの『晩鐘』の絵画化だったのかい」

 「ええ」

 「私ら田舎者だから、現実祈ったことなどなかったんじゃよ」

 「ええ。一日の感謝でも、恵みの雨にでも、豊作にでも、何でも構わなかったんですよ」

 「ここには鐘の音が響かないんじゃよ、……ないんじゃよ、懇意の教会が」

 「教会は、心の田園にある筈です」

 「あぁ、……」

 そういう一つの人生の分岐点にあの時僕は立っていたんだが、……空想の異場が汗みずくの高校一年生の僕のヒステリックな青春を抱き寄せて近づく。介抱されて、淡く涙をこぼし落としそうに感ぜられる。

 「祈って減るもんじゃないし、気の済むまで祈ったらええね」

 好意的に微笑んでいる、人懐っこい小母さんが小父さんに向けて柔和に言う。

 「火ぃ焚いて良いですか?」

 「自由にしたら良いね」

 「寝て良いですか」

 「好きにしたら良いね」

 野暮なことを訊いたと思いつつ、始終僕はのさばっていた。

「実は今、僕は牛の世話に行こうと考えていたところなんです。ご迷惑を掛けなければいいのですが、……」

「そがいなことせんでええよお。張った乳、自分で舌伸ばさして勝手吸わしてたら良かろうもん。牛のことこげんして抱いて良いよ。あいつら喜ぶけん」

「ですかねぇ」

「それよりも、こっちを手伝ってくれん?」

「なんですか」

「落穂拾いよ。あんた絵が好きなんじゃろ」

「落穂拾いですか。ええ! 僕に手伝わせて下さい!」

思えば『落穂拾い』は登場人物が三人で、拾っていれば見事な体現とも云えなくもなかった。人数は少なくも多くもなく、過不足なく、『落穂拾い』できる、というものである。どのようなかたちであれ、絵画の瞬間に切り抜かれる、ということは瞬間時間が静止しても、断絶ではない。寧ろ後に照合してみて、生きて歩いて来た道程を是認できる、というものである。

三人で気の済むまで、『落穂拾い』をつづけてゆくのであった。『晩鐘』からの筋道が、克明に移送空間のトンネルとなって、靡き、吹き抜けてゆく磁場の立証があった。目に見えぬ筋道であろうとも、人は、目に見える道ばかしを択べないし、十六歳の僕の智恵で、トンネルのような天空を囲う空間の、時空の旅に出立していたのであった。

南向きの風が吹いて、移送空間の揺らぎが僕を包む。熱帯のような匂いが爽やかに嗅ぎ取れる。『落穂拾い』は、鋭角的に突き掛かって来る、高校一年生の逃れ場のない、無縁の傷みがなくなってゆくほどの、味わい深き労役であった。

「収穫が終わっていたんですね」

「また来年ね」

「小母さん、白髪生えてますよ」

「え、ほうかい」

「白髪染めすれば?」

 そうして小父さんも無心に微笑み、『落穂拾い』を終えた後、葉叢の端に停めてあった白い軽トラックのキーを回した。「乗ってお行きよ」、と小父さんが投げ掛けた。混雑した荷台に乗せて貰って、僕は家まで送られた。走行する軽トラックの揺らぎに合わせて、両足が微動し、揺れ馴染んだ。その微動が家に帰ってからも、暫く自動的に続いた。

 呆れ、観察し、振り返ったら、嗚呼、僕は一枚の画の上に立っていたのか、と思いが上せる。切り取られた、または切り取った筆触が、僕ら三人を包む。風景の籠が三人を護っているのか、籠の入口は開いていて、飛び立つも去るも残るも羽ばたき立てるも規則はない。

――一学年千人を越えるマンモス高校の生徒たちが、事もなげに通学し、鬱屈した教室のなか、授業が始まると、凌ぎを削って、競いあう。物音も立てず、勉強に勤しむ不穏な不気味さがあった。周りを遮断し、内篭りの学問陶酔に熱狂的になるのであった。僕は校則を守らず、茶色く髪を染め、仕舞いにゃ教室にPHSを持ち込んだ。

ねぇ、……未来のために、今を絶望するんですか? ――








 ② 愛慕、それと後悔 

 通訳になりたかった、心理学を学びたかった、並びに精神科医になりたかった、自然裕かにあの時思い描いた夢の景色の残骸が、首根っこを咬まれたインパラのように力なく痙攣し、心中はまだ捕まっていない、草原を駆けつづけるままの逃亡の身でいるつもりだが、今も僕の胸を苛みつづけている。

 黄色の荒野の臭いを追って、逃げつづけている筈なのに。

 通訳になっていたら、外国人と交流し、智慧を深め、類稀な才能を発揮していたかもしれないし、心理学を学び、精神科医になっていたら、「癒し」と評されるハルキ・ムラカミを越える「癒し」の効果を、日本現代文学に齎しめていたかもしれない、等と連想し、結局末文はみな“文学”で締め括られる土台なのである。が、この文学というものも、元はと云えば、高校時代の現国のメタファーの解体が主因なのである。

 あの時、まだ文学が骨身を削って、キーボードに指垢を擦りつけるようにして、書き認めるものである、との疑いも予期もなかった。

書き手としての人生と、無職の身の人生の、どちらが生きていて、どちらが生きていない情況であるか、の境はぐっちゃぐちゃに塗り潰されているので、断定はしかねるが、目下それは夢と現実の違いではなく、夢の現実と、現実の夢、夢に生きている僕の現実と、現実を生きている僕の夢、……そして真実に生きている僕の嘘、の違いであって、その違いを見抜くほど、僕は賢くなかった。

愚かであった、とも言えないけど、自由であったのだ。勉学に於いても、恋情に於いても、和に於いても、趣味に於いても。

準備されてある時間に於いて、ある程度のアクティヴが準備できていたのであった。

――「故に、『羅生門』の情景のキリギリスの共食いに、この文学のメタファーの機能は果たされているのであって、……」

 僕は、その人を常に先生と呼んでいた。井戸先生は、青臭い思春期のナイーブな裸の心を刺戟する、野蛮な言葉遣いによって、僕ら生徒に授業していた。

 僕が井戸先生の授業を受けたのは僅か半年だったが、進学校の為、全高校で一番難しい教科書を、早稲田付属高校に通う友人よりも早い、殺人的なペースで進行する嵐のような授業速度であった為、幸か不幸か、僕は退学を決意し、不登校になるまでに、夏目漱石の『こころ』を習い終えたのであった。

 井戸先生(、、)が“先生”について読解する二重性に諧謔めいたものを覚えた。

 また、先生が初期村上龍のファンで、先の『羅生門』のキリギリスのメタファーについて熱心なのも、『限り無く透明に近いブルー』の“鳥”の解体について熱心なバック・ボーンから生じたのかもしれない、探究的に僕には考えられて、キリギリスって何、鳥って何、と搾取と保護にを麻痺させながら、夢中で授業に熱中する少年としていた。

 事実を記録しよう。いつの日か小説を書くなら、ドキュメンタリーのように描くんだ。想起し、事実の脚色に、空想の嘘の物語の接吻が為されて、時間流動が止まって、えせの情景が鮮やかに広がってゆく。……

校舎外の、灰色の空に、二匹の鳥が禍々しく飛来していた。鳥らは、どちらがどちらよりより大きいか、猛然と翼を広げ、啄ばむように、威嚇しあっていた。二匹の鳥自体、僕の目には同等に見えるのに、鳥らはどちらがどちらよりより大きいか、ということに本能があるらしかった。その頭上を無数の小虫たちが飛び散って、空を千切ってゆくみたいだった。空は無数の傷のような黒い雨滴を注いで、暗たんと地上を濡らしてゆくのであった。僕はもの思い、煩いが覚めるまで、雨の傷の数を数えていた。六百三十二を越えたところで空の角を見つめると、鳥が三匹に増えていた。……

それは虚偽のえせの情景であるのに、その内にこそ、僕が生きているような、達観してみると、錯視が映る。生真面目に見ると、その時間圏の拡張に真実が交わっているように感ぜられる。そのような時間層の間際に入り込むことに、禁忌的な、自身の物書きとしての譲れぬ意志が感ぜられる。

 小さな二個の時間が大きな一つの時間に拡大されて、突っ撥ねられる。顛倒が起こる時、自分を苦しめることなく、こころを殺すことなどなく、僕は高校を中退したのであった。

 死に似た、焼け焦げたあこがれを抱いて、およそ世のなかの明察基盤もそうであろう、学歴のない者の情感的な言葉遣いが軽んじられて、反対に一流大学出身者の言葉が有難がられる。当てつけの詭弁に気づくことのないまま、良いように利用される脱落者である、との僕の自覚が、内層意識の屈折した理解力にも現れ出て来る。“同じ”や「相似」を求めていながら、自分以上に他者を愛せないことなど確実なのに、これ以上愛せない、……と下らぬ限界を見い出しては、免疫・抗体を意識下に、また感性に作って、背後に行き過ぎてゆく。

 誰もいない路ばたへと行き過ぎてゆく通過者である、との侘びしさが胃の奥底から湧き上がって来、厚く僕を包むのである。

 侘びしさと表現した時、侘びしさに気づいている僕自身を思考停止させ、故意に見過ごすことはできなくて、またその自分に気づいている、と知力を翳し、浸っている気にもなれない、結句僕は負け犬なのであるから。

 挫折は頭が目指した先の「世界」で奮闘に敗れた者が感じる屈曲であろう、挫折はぶち壊れた反発と反抗心を生み、更なる高みへ全能感で自身を引き連れてゆくが、もうそこで戦う気にもならないのである。

 端的には、挫折が人に人間味と濃い色あいを付け足し、深く豊かに程好く退色させ、ジャズ奏者のような渋みを与えてくれる、と思慕しようにも彼にはなれないのである。

 思春期描いた何になるか、は誰になるか、と酷似し、何にも、誰にもなれないと観察した後、自意識だけが残る、そんな歩みなのである。

 何者にもなれない、と考察した後、哲学者のような考える人、内省する人になることだけが、僕の僕に差し向けた報いであった。

 で、どうしたいの?




 ニュータウン計画で、量産的に建設されていった、立て看板の計画予想図をそのままなぞったような、淡色の団地群。なだらかに右回りと左回りの二本の道路が、敷地を囲って、そこから派生した何本かの道が、緻密な血管のように通っている。道幅こそ大ぶりでないが、狭くともアパート・メントの各階層の玄関口まで届くことが道理である。ドク、ドクと滞りがちな光った血液を流すように、交通量は少なくないが、飾らぬ自動車を次から次へと運び、行く手は小学校まで、集会場まで、スーパーまで、と異なるが、交差点を抜けて、駅前まで進行する車もある。この血管のように駆け巡った道が、一本の巨大な貨物列車みたいだ。

 運ばれるのは物資ではなく、多くが家族で、バブル期のように勢いも未来も励みもないが、過疎地じみた空白地帯となるここに生活している人々がいる。

 大きな共同体、世間に一方で手荒に加担しながら、僕は田舎者ですので、と自分を低く見立て、小さな共同体、団に戻ると、剛健な態度で驕慢に誇るのだから、「都市」に出ても同じように威喝的にあればいいのに、忍びやかな「町」にいたら、我が物顔で言いたい放題言って、報われない。

 世間から時間が乖離し、別の時間経過によって、時が過ぎ去って、遅滞気味に流れている。

 その遅滞が、穏やかな時間経過の現れであって、わざわざすみません、これ、みんなで食べて下さい、の言葉とともに「忘却」されてゆく心遣いであるのだ。

 子どもたちが雨雲を追い始めた。……




 理央という女が居た。上半身の方が包み込むよう大きく、足は駝鳥類のよう筋肉質で、足長だった。刺繍の入ったパーカーを着ていて、リラックスするパンダ柄のパンツを穿いていて、それが米国のバカンスを思わせた。只流れ流れるだけの一時期のファッションであることが僕を怒らせた。負けたような怒りだった。

 クリーム餡蜜を口にしつつ、二人は早口に小鳥が餌を啄むよう話し続けた。よく当たる占いみたいに勘を働かせて。欺きの言葉が浮かび、声にならぬかならないかくらいで、口から吐き出された。

 「良かったよ、今日は定休日で。これはカミュの『異邦人』、今アマゾンで安く買えるんだね。宅配費用の方が高いんだもん、ビックリしちゃった。そのうち送料だけで、書棚が一杯になるよ」と笑い、嘲笑し、皮肉のように高じて急転直下する反比例の気持、不可抗力に酔い知れつつ、哄笑した。

 「『異邦人』か。不条理ってことくらいしか、知らないけど」

 「“太陽が赤かったから”、は時計が廻るから、でも同じこと? かなり個性的な考えになっちゃうけど。まちがったメッセージを感受しちゃったかな」

 「受信しちゃったか。さまざまな捉え方があって良いと思う。それが読書の愉しみだよ。後この頃ネット通販で幾ら買ったろう。それを見るのが経済的考察だね」

 「うん。私、元値と買値の差額とか、見ちゃうなあ。経済学部の友だちから聞いた曖昧な知識、観点なんだけどね。どれだけ得したかって、満足感に繋がるから」

 「俺は買い取り価格、売却費だね。それを足し算で換算するのが好きなんだ。後マルクスの『賃労働と資本』とかね、一応読んだよ」

 「なるほどね。二人とも経済的な人間みたいだね」

 「たぶんね」

 「さっきの話に戻るけど、…太陽は青いのに、…ね」

 「感性に覚えるとね。素敵な色合いね」

 「ヘルマン・ヘッセ、ぜんぶ読んだから、君に上げるよ、欲しいのいくつでも持って行って」

 「タダで良いの? 何千円も得しちゃうよ。『車輪の下』はまだ途中までしか読んでいないけど、貰えるなら貰って置こうかなあ。途中からナーバスになって来て、読むの辛くなっちゃって投げ出し、売り払っちゃったの。ありがとう、頂くわ」

 僕は理央にヘルマン・ヘッセのさまざまな文庫本を手渡し、幸福な気持がした。

 幸福な気持だった。闇は深く二人を後ろ手に抱き締めていた。その暗黒が闇の深さと思い知って身に滲み、少し涕が溢れ出た。涕はやわらかく、箱菓子の匂いのような薫りが充満していることに気付いた。理央のふり撒いた香水の匂いかヘアワックスの芳香だった。魂、それも遍歴の一つのよう、数えられるような気がし、それもヘッセの掌中なのだと覚えられていた。魂が一つ上の段階に移っていく。理央は僕のことを追って来てくれるだろうか?

 「新主張がある。視聴覚室で見た映画について。河瀬直美監督の『殯の森』」

 「きみの独壇場じゃないか。あの映画について言えるのは茶畑の追い駆けっこくらいかなぁ」

 「彷徨う森の中、飛行機と以心伝心しちゃんだよね。吃驚しちゃった」

 「ああ」

 「後ヘッセの『シッダールタ』読んだけど、変遷していくよね。川の流れのよう」

 「ああ。『荒野の狼』、宇多田ヒカルがカヴァーしていたね。ヘッセは魂の高みを目指していく小説が多くて、読むと実際修錬している(笑)」

 「その話し方誰かに似ているなぁ」

 「言うなよ」

 「漱石の『行人』未だ読んでいないんだからな!」

 「ああ、後、ほら、この前話したろ。<七>っていう漢数字がおれの胸に白子宇宙みたいに纏わり付いているっていう話。想像すると、紫微斗数の運命星が<七殺>だからだと思っていたんだけど、……それも一概に言えなくてね。どうも他のげんいんがあったみたいなんだよ。気になるか?」

 「いえ、特に。こちらからは質問はありません」

 「ったく、少しは他人に興味を持てよ。こんなに腰を低くしているんだからさ」

 「何よ」

 「何よ、ってこともないだろう。兎に角さ、げんいんを話すと、おれの何代前かの祖先にさ、七郎さんとか七吉さんっていうお爺さんが居たみたいなんだよ。だから、そっちの話の方が深く結び付いているね。少なくともおれはそう思うよ。占い踊らされたけどさ、こっちの方が縁が強いもの。それまで蚤の生命のように貶されると卑小になって生きていたんだけどねえ」

 「そうだったんだ」

 そう言って理央は口元に手をやり、あ然とした様子だった。

 「これで一安心だね」

 「まあな。だから、必ず、<七殺>を気にしなくても良いみたいなんだ」

 「良かったじゃん」

 「聞いて貰えて一安心したよ。言葉が溜まっていくタイプだからさ」

 「うん」

 それも、曖昧模糊で分からない。――

「ところで、龍さんの「限り無く透明に近いブルー」のリリーが『パルムの僧院』を読んでいたでしょう。私気になって、この前読んでみたの」

 「どうだった?」

 「トルストイの『復活』よりぶ厚い内容で、トルストイの『復活』より悲歎にくれたよ」

 「成る程ね」

 「私、ずっと本を読んでいる友だちが欲しかったのよ。こうしてあなたが得られたから、それに代わる賞与はないわ」

 「そう。僕はとても読書家とは言えないけど、……僕はね、何度も同じ本を突き通して読んで、解読するタイプなんだ。もし、その本が抽象する感覚のようなものがあったら、それを、例え精神を病んだとしても、自分の感覚にする、そこまでしないと気が済まないんだ」

 「あなたが心配だな。精神病んだって、言っていたものね。でも、昔のあなたと変わらないよ」

 「それが良いのか良くないのか、分からない。気分が良い時はどうしても執筆してしまうから、端から見ると、病んでいるように見えるのかも。君にも迷惑掛けたと思う。ごめんね」

 「ほら、卒業アルバムを見ていてね、あなたの写真の顔が宗さんの手によって顔を隠されて、俯瞰で空からみんなを見下ろすお天道様のごとき存在になっていて、前から知っていたけど、改めて見ると笑えちゃって」

 「ああ、あれは宗の悪い冗談だったね、僕も自らそれを望んだように思うけど。学生時代には何でも悪ふざけでやれちゃうし」

 「散々」

 「正しく」

 軽く片足を折って、夏の、生暖かい校舎の壁に背を押しつけ、話していた。

 時折理央の向ける訝しげな瞳がゾッと震える焦慮を僕に覚えさせた。

 中学時代、それほど本が好きであった訳でもなかった唇が、こうして目の前で大仰に本の話を呟くたび、昔からの秘密の計画を耳に入れるような、素っ頓狂で滑稽な感覚が芽生える。行きつ戻りつ循環している。反対に、本に理央を取られてしまった気が起こって、記憶の中学時代の理央との相違がガラッと軋みを立て、ズレてゆくからだろうけど、やはり少し歪であるのであった。それにはきっと傾け方の歪もあって、双方向でない心情の彼岸が固いわだかまりを作っている。竈のなかで焼かれる粘土細工のように、激しく熱され、固くなる。爪で弾いても陥没しない断面で、カンカンと音を立てて、超硬度を持つ。

理央、…。理央しかいない。好むと好まざるとに関わらず。理央に引き裂かれている思い出が、僕というフィルターを通して、分散し、浮かび上がってゆくなら、それは僕という個体から伸びた二つの影のような幻影である。だって、理央は二人いたんだから。




未来。男と女を、夫と妻にしがみ付ける「結い屋」としての異才が自分自身に具わっていようとは、「追憶」もまた変幻を加えて、闊歩し、移り変わるけど、思いも寄らなかった。「結い屋」として、ここ七、八年働いて来た。どれも執筆の傍ら、会いたくなった女友だちに「町」で逢い、主に呑み屋で女友だちの話を聞き、苦しみを洗い、近況を打ち明けて貰い、悩みを脱色する、という話し相手の役目だったけど、自分自身に逢って一年も経つか、経たないかのうちに、女友だちらは結婚して行く。女性に対して片想いを抱きやすい、多情な自分にとって、置き忘れられた靴のようにして様子を見守り、固唾を飲む、また独り残されてしまったな、と反省する。晩酌が美味い。少しにがい。女性に対して軽微な「友情」と「愛情」の境の微熱が出て、恥ずかしさも、育つ前に生える前に立ち消えていく「恋情」すら覚え、晩酌の間を経る。取り立てて、掘り起こすこともなかったハズのキオクの層に関心、感心が向く。みっともない、親愛が生えそろう。妹に対しての意識のような美意識が姉に対しての甘えが、結ばれた女友だちらの後ろ姿に出そろう。また連絡してみると、幸せそう、そんなような雰囲気。「結い屋」としての異才が自分自身に具わっていようとは、思いも寄らなかった。一人目の理央も、二人目の理央さえも、幸せそう、そんなような雰囲気。




 二人目の理央との味気ある話。

 「来てくれたんだ」

 「呼び出しなんて、珍しいね。一体何事?」

 「いいんだ。来てくれただけでいいの。アハハ。またくさい科白かざり立てて話してよ」

 「ホルムアルデヒド薫らせて、か。今日はどんなように過ごしてた?」

 「テレビを見てたよ。涼一は?」

 「ああ、俺は明治維新のあらそいでね、諍いを味わっていた。いつまでも覚悟が決まらず、目標(、、)を(、)徹底的(、、、)に(、)破壊(、、)されていた精神苦痛の症状があってね。口撃に応戦するなって話。停戦条約を結ぶ為、不戦の誓いを立て、和平に尽力し、逃げ果たせって話」

 「ひえー。でも、政治少年よ、死ななくて良かった」

 「うん、錯乱していたところで、一人目の理央に助けて貰った」

 「良かった」

 計画道路として空白に用意されている、硬い砂利の空き地、横断歩道を横切って、向かい側に設えられている、公衆電話ボックスの前で、僕と理央は話した。ビルの縮図のようにして佇立している、使い古しの、光沢放つ電話ボックスの前であった。

 ボックス内に入って、架空の「誰か」に話をすることを妄想した、喜びに溢れたあの少年期の遊びとは違って、当時の思春期の蒼褪めた会話は、その純粋さに於いて、残酷で、狂気的で、誰も寄せつけぬ、それから理央が「誰か」、……紛れもない僕に伝えるだろう話(告白)も、頭の隅で大方の予想がついていた、と追懐する現在の僕の頭にも過ぎって、二重の疑いが掛けられるが、「誰か」に伝える言葉、厳密に言うと、メッセージを伝えることが、電話ボックスで遊んだ、あの無邪気に感けた童心にも、大胆な悦びに思え、あの時を振り返る現在の僕にも幸福に思われる。「告白」する相手よりも、その受け手としての気構えと言うか、「告白」されぬ知らん振りをする一義的な防備、「告白」されて驚く二義的な感嘆、「告白」を受けて断る、大それた三義的な根絶が、平常心の防壁を崩されることなどないよう、守備を堅くし、不敵な決意を強くする。そんなあの時も、今も未来を思えば、愉快なのだが。

 傍らに街路樹が植わっていて、根本を蔽うように、薄緑の芝が上向いて涼しげに生えている。

 夏の風がなめらかな湿度を燻すように熱気的に吹きつけ、後少しすれば、秋に踏み込むというのに、依然として猛暑が猛威を奮っている。とうに夏至は過ぎて、天気に疎い意識では和らぐと思えた季節の逆風に表情を顰めるのであった。距離を取って、間は置けぬ熱風の熱度が傷ましいほどにいら立ちを噴出させる。

 「ほかでもない、私、君が好きなんだ」

 「告白か、でも今好きな人いるんだ」

 「深追いはしないよ。さかむけができるから」

 「あはは。でもなんだって、僕なんか?」

 「好きなのに理由なんてないよ。あっても言わない」

 「有難う」

 好きな人、愛しい人とは、あの澪であったが、その至純な思いは一年後願ってもみないかたちで実ることになったのである。高校生らしい背伸びした恋を重ね、僕の壊れた家庭の悲惨がなければ、そのまま繋ぎ止められる人であったろう。そして、現在澪が結婚し、平穏な家庭を築く、平安が恰も幸福が飽和したかのように至るところに溢れ、僕にも及ぶ。愛の知れない女を愛するよりも、自身を好きになってくれた人を愛せよ、と何処の忘却の里から未来に立って、僕は声を重ねるのだろうか。

澪が好きで、好きで、断ち切れずに、彼女の最愛の家族の死を、僕が代役できたら、と、生きることの「徒労」の半生で、父とのいさかいで傷心が増幅し、先暗い未来を託す思いであった。その彼女の父の死、その身代りに、僕が生きる彼女の父となれたら、と運命の男と出逢って、結婚し仕合わせになった澪に吐露したことがある。傷心の為の感覚麻痺で、ギリギリで生きていた僕にとって、それが倒錯だと直感する意識もなく、僕らの厭う“犠牲”の心情は、僕が生きていることよりも、澪が生きてゆくこと、を優先させていた。澪の子どもの誕生が、自分の人生の生き直しの徴候のように、悲恋であったが、覚えられるのであった。

澪、……。

 ――「もしもし? 私だよ。今どこで何をしている?」

 「しがない小説をまだ書いている。それを笑う多くの友だちの肩を持つ君が憎い。ただ、それだけ愛していた。……」

 「なれそう?」

 「文学者にはなっているんだけどね」

 「想像力がないって言っていたじゃない」

 「イマージュの創造が「楽しいんだよ」

 「私には、分からない、……」

 「君のいない場所で、君の事を書く。僕の力で書く。籠城して書く。僕もいない場所で」

 「あなたはいるわ。ただ気づいていないだけ。あなたのいない場所で、あなたの事を思う。私分の力で、あなたの事を思う」

 涙の川は腐乱した穢れも流すだろう。





























 ③ どぶねずみ 

 溝鼠を捕るような精神疾病とも失調とも言えるかもしれない。そんな風に消耗し、擦り減って、もやしのように風に吹かれている。次々表れ出て来る症状は凡て精神疲労によって得られた仕事だった。イギリス人のよう、労働とまでは行かないが、苦労感の伴う仕事だった。小説を次から次に精読し、書くという行為に充てていく。上手く行っているかもしれないし、まったく上手く行ってないかもしれなかった。感慨に耽り、たばこを吸った。一行も書けない日があれば、この程度なら良いかな、と許せる日が来る。その間も鼠は細いパイプの中を通っている。物音を立てながら、こちらを警戒している。目が光っている。「きちんとやっているんだろうな」、とこちらの様子見窺いをしている。「鼠か」とつぶやくと、捕まえて食ってやらなきゃ、と猫の気持も解る。弁解立てるようなことは何もないが、何かを訴えたい。それが僕の小説工作だった。


引っかかれ、猫の爪の跡を付けた鼠は、進行方向を失くし、行き惑う。乗り越えられない壁を見付ければ、たかが知れたジャンプで跳ね、逃げて行くしかない。それでも乗り越えられなければ、その毛むくじゃらのからだを揺らせ、地下道を潜って行く。鼠は繁殖能力に長け、生存競争に勝たなければならないのだ。たかが知れたジャンプも、逃げるのも、その為だ。鼠族の奥様に褒めて貰う、慰めて貰う。二十日鼠も人間で、共生して行かなければならない。……存在している。そんな当たり前のこと、判らないのか。そういうところが大事だよ、すべからく。












④ 草の指輪 

間に、その開かれた白黒の闇に向かって花を捧げる。直轄の地に咲いていた献じた花は一様に咲く。咲き誇る。仏教式に手を合わせ、鼻腔に纏わりつくツンとした匂いの焼香をする。心が泣いて、しおれそうになる。倒れそうになる。濡れそぼって、そのことがなかったように、思い願う。泣き続け、何日もことある瞬間に涙は流れ続け、日によっては一時間も泣いていた。痛み分け。ナルシシズムではない、基督の聖霊に触れられた時のような涙。祭り、と名付けられた日には益々僕は生きていけなくなった。そのことは別の所にも書いてある。桃色の青写真、えくぼの見える美貌の女性、……。感受性が死ぬ。

「音楽誌に居た頃を思い出しているよ。どうしても小説言語に置き換えられないのは、音楽評論をしていたからかなあ。どちらも言語で成り立っているし。音楽誌は、締切前二週間泊まり込み。音楽評論と小説のちがいは、二、三週間掛けて800文字~1000文字を編み上げるのと別に、小説は三ヵ月から半年、もっと長ければ三年を掛けて、さらに長ければ六年、七年半、九年を掛けて、一つの生成物を織り上げること、との考えに至る。洞察力で、和紙職人の手工を見究めるんだよ」

「学校行ってないの」

「待ち合わせ。今日は休み。疲れちゃった」

「行きたくなかったら、行かなくてもいいんだよ。辞めちゃえば?」

「十八歳、大人数の大人たちに囲まれるなか、屋形船でバンプオブチキンを唄った。和歌も唄いたかった。雑誌社は甘くなかったよ。一日二十時間くらい音楽聞いていたんじゃないかな。『三ノ宮、何時までうだうだやってんだ、この野郎。帰れって言われたら帰れ!』って編集長に言われたしなぁ。よく机の下で眠りこけてた。のんびりと暮らすのが落ち着いてね。まだやりたいことある。」

「専攻は」

「音楽」

「歌いたいの?」

「合唱したい。ある日貧血森の中浣腸熊さん大蒜出会ったたん瘤花咲く森の道ちんぽこ熊さんに出会った」

「なら通えば」

「うん」

「辞めたくなったら、思いきって辞めちゃいなさい。あんな牢獄みたいな所行かなくていいんだから」

「休む」

人生の訓練は後から後から続ければ良い。自分との競争なんだよ。走り回った兎と亀は、別々の山の向こうへ歩いて行けば良い。兎が寝ることを見込んでの競争は、初めからおかしい。そもそも何で走り回ったんだ? 別々の目標があるのに。ぱらぱら雨が降り続いていた。競う必要もないことを思った。

「発表会があったら、来てね。同胞よ。……昨日海老名にえいが見に行ったんだけどさ、あそこに三ノ宮も居たでしょう? ひとちがいだと思わなかったけど、……彼氏と居たから気まずかった。早くあっち行ってくれないかなって想ってた。一つのウォークマン手にして、Various artistのCDを聞いてた。目茶目茶良い曲」

 「え、海老名? 行ってないよ。昨日はずっと家に居た。Various artistってどんな?」

「え、それなら良いんだけど。Power of love」

「おう、知らないよ、そんな曲。なあ、何でそんなこと言うの。おれお前には片想いしていた時期もあったんだから。悲しいぜ、舞姫」

「ぐすぐす」

「お前校内放送でおれのこと好きって言うなよ。俊も宗も笑うぞ」

「だれが言うかよ、そんなこと」

「そうか、ならおれは驚きも桃ノ木もしねえけどよお。あ、後なおれは行動力は余り、……ないんです」

手前味噌。御手の物。そんなかんかくの会話だった。彼女に手玉に取られたような気がする。背筋がゾッとし、凍る。宇治抹茶が食べたい。

「きみと話がしたかった」

「どんな?」

「明るい」

「明るい話がしたかったの? いっぱい笑わせてよ」

「ああ、何でも言うよ。笑わせるよ。冗談で飾り立てて、きみに草の指輪をプレゼントするんだ。所望品だろう」

「薬指に確りしばってね。私あなたの言うこと何でも笑うわ」

指輪は、一度プレゼントした物が無能力化されて、破棄されてしまい、再び丹念に丁寧に編み込まなければならなかった。こんな草の指輪でも良いのかと、考える按配があり、思索に思索を重ねると、高い考えで何かが纏まろうとして、またほつれようとした。重層化した指輪の方が良かった。指輪を纏めるのに苦労して、耐乏の時をかさねて、忍び忍んでいた。一度プレゼントした時が良かったかどうかは判らなかった。まだまだ判断が付かなかった。只プレゼントした時がうれしかった。今回も上手く行くかどうかは判らなかったけど、草の指輪を完成させていた。物語のような草の指輪がプレゼントしたかった。

穂芒の原で、女に差し上げる草の指輪の材料を探した。草の匂いを嗅いで、夏の匂いがすると、良い気分になり、さ迷いは無くなった。草の匂いの向こう側に夏を感覚した。夏は鄙びて、萌えでていた。緑美しい芽吹いた草花の季節だった。柔らかい風が吹いて、春めかしく花木は踊っていた。指輪にする草のひとたばを見つけて、編んだ。小学校に通っていた頃のように、記憶か現かの間々に承認するよう、編んだ。

「天真爛漫に生きて来たんだろう。相談するに、弱かったんじゃないかな?」

「あなたも同じね」

「同じ穴の貉さ。だからこうして夢で話してる」

「何所へ行ってもね、色々諮ったけど、逃れられなかったの。死の虞があった」

「気付いていた人は居た?」

「抗えなくて」

「何で命を断った?」

 僕は目を白黒させたことを思い起こして、また涙したことを思い出して。積み上げた物を失ってしまう怖さにもだえ苦しんでいた。助けたいと思い、それは叶わなかった。

「クリスマスに神様に会えるでしょう」

「神様の所に行きたかったんだね」

「会えた」

「良かった。天国できみを連れ回すよ」

「何所に連れて行ってくれる?」

「何所に行きたい?」

「ことしは、仕事を忘れる程に海が見たい。ロマンスカーで行こうよ。プルーン食べたい。絶え間なき愛のプルーン(笑い)焚き火を熾し、燔祭をして」

「ベタだけど。ドライヴしよう。きみを助手席に乗せて、後部座席でも良いけど、海に合う音楽を掛けて魔法の言葉で彩って、ナヴィゲーションはきみがしてくれよな」

「運転下手なの?」

「カーナビが使えないんだ」

「くすくす。天国のドライヴだね」

「まるい」

「長細い。歯並び矯正しないの? 直したら良いのに」

「確かに! 爆笑! うひょひょ」

「おれの顔長細いだろ。60センチくらいあるんじゃないかな。うひょひょって、椿姫じゃないんだから」

「くすくす。浅瀬に足を浸かって、水を跳ね散らかして、じゃれるの。愛犬も連れて行きたいなぁ」

「連れて行こう。海でふざけて笑うんだ。それから旅の宿に泊まって、布団の中で温まろう」

外の空気は、つめたい。僕は切れ長な目で彼女を見つめていた。張り詰めた物が弾けてしまったかのよう、彼女のえくぼを盗難して行った闇の手が、未だ唆すよう、そこら辺にウロウロしている。見えない眼が見ている目。負けないよう、健闘した手、指。立ち上がろうともがいた足。立ち続けようと張り詰めた脚。未だ彼女のえくぼを攫って行く者らがそこら辺にウロウロしている。闇の中、眼を研ぎ澄まさなければならぬ。対抗しないと飲み込まれる。

「良いね! じゃあ待ってる。謙虚に」

呼び掛けた声が眠っていく。長恨歌のよう、残る。永遠の眠りに着いた者の失くした声。

「天国で会おう。僕は愛王である。それまで地上で宿題をこなして行くよ。それまでの失踪者だ。きみの笑顔をずっと見続けて居たかったけどね。しばしの別れだ! グッド・バイ!」

「また会いましょう。海で抱いて良いよ」――

不帰となった女、……。

最初の人間が生きていた頃のような雨。一方は激しく、一方は優しく、雨が降っているが、あの時も雨が降っていた。厚く塗り重ねるような暴雨ではなく、聖母の涙のような優しい雨であった。台風の尾の残り雨がしめやかに降りつくように。悲しみに咽んで天が泣いて雨が降るなら、僕が泣く時、雨が降れば、天の涙を止めてやれるのに。

十七歳、大学入学資格検定を受ける為の、どのような知識も一切なかった為、仕方なく進学した大検専門校には、面接の際、仮テストを受けた時点で、自身の知性の度合いも貧寒なくせに、僕に教師の頭の程度が知れるようで、軽薄に感じ、僕は一度の授業も行かなかった。

 只、この学校のテキストがなかったら、とても一人の力では解けない科目があったのである。

 進路のうやむやの裡に、大検専門校の脛を齧ったのは、間違いではなかったみたいだった。

 高校に半年しか通わなかったが、その殺人的スピードの授業の苦役の遺産の為に、大検の多くの科目の勉強は、不要らしかった。もし受かれば、世間に照らし合わせると、高校二年の時点で、高校卒業と同等の資格を得ることになって、中退に傷ついたプライドは容易に修復されてゆくのであった。また、何より、教育熱心な両親の怒りを抑える為にも、大検合格は急務の沙汰であった。

受験の為の勉強は殆どの科目が一夜漬け(この時以外、やったことはないのだが)、苦手な数学は解法を頭に叩き込み、問題の、高校でも習うことのなかった簿記には一週間ほど掛けて、前年の合格基準点を目指し、入念に勉強し、その基準点を越えられるよう、脇目も振らず情熱を注ぎ込んだ。

大検のレヴェルがどの程度のものか不明瞭で分からなかったが、会場に行って、若ママがベビーカーに乗っけた赤ん坊をあやしながら、受験と向き合っている姿を見て、訝しく思うのではなく、ああ、大検って、そういうものなんだな、と愚鈍に理解できた気がした。

父譲りの世間に対する愚鈍さは、何気ないことに感応し、有り触れていることだけど大切な、生やかな世間との繋がりを、優劣の情も劣等の情もなく、この時もまた、穏やかな「学び」の光明を齎しめるのであった。

滑稽なことであるが、ひとたび女性が「母」となることの複雑さを想起するだけで、冷ややかな苦悩を覚えるが、女から、母に、……母となった後も「学び」直す、その立場の心意気の直向さが、孤立無援な僕にとっても、何故だか心嬉しく思えるのであった。

女が「母」になることの変移・転調をいとけなく思いながら。

媚びているようだが、テスト会場の廊下の安電灯の薄明のにごりの下、慣れた手で、赤ん坊のことを介抱する、その若ママの立ち振舞いは、生きしぶとさのようなものを、はみ出し者の僕に伝え、確たる未来の見えない、自身の影を煌びやかに反映する、確証のエンブレムのように胸に寄りつくのであった。

そうした若ママに寄せた大っぴらな親しさは、思春期の僕に染みついていて、幼い母特有の親近感から、健やかな勇ましさを立ち上らせてくれるものとして、不分明に憶えられた。女に母を見つめ、母に女を見つめ、川端康成である訳もないのに、無意識の礼儀としている、「美」への分析的な節度は、弛めることなく、撓む限り拡がれば、過激に研ぎ澄まされてゆく自意識の明晰が針のように尖って、控えめな他愛が深くなる。他己意識のように自分を紐解けば、一にぎりの霊妙な理知にも分析眼のメスが入ってゆく。

尊大な愛、全方位的な愛の息吹で、頑なに屹立している女を抱き寄せたいような雄々しいがさつさが疼く。

 豊かな睫毛の閉じ合わさった目許を落として、僕を眇めるような、卑下と寵愛の綯い交ぜになった女の視線の内に、ぐらぐらと足場が揺れて、気丈な利己も克己も望まない、怠けた僕の揺れ泥む心境がありありと映し上げられてゆく。

 記憶のドアの真ん前に呆然と立ち竦むような、鮮烈な視界の内がわで、いじましく二つの像が焦点の糸を結んで、のそっとした一つの虚像を形づくる。霞んだ記憶の切片が滲みを酷くし、荒く暈けるが、カッと意識の目を凝らすと、繊細な色落ちの毛色であることが目近にできる。思惟に掴んで視界を絞れば、赤子をおんぶし子守をしている若ママのうなじであった。赤子が僕なら、……と夢を見ていた。

 胸奥で、親しみの礫が放たれ、僕は元いた教室に戻っていった。

 ケチでいること、差延してゆくこと、長く息をすること、……生き急ぐことと、反対の生の愉しみがすっぽ抜けて拡がってゆく。

 生を捨て、生を見返す。

若ママの生きしぶとさになだらかな思慕を抱くことは、大人になるにつれて、ぱらぱらと空費していったが、それは自身が結婚適齢期を過ぎても、独り身でいるせいであろう。















































評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ