三十九話 ベヒーモスの主人
翌日――
「……よし、それでは行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、旦那さま!」
旅立とうとするサヤ、シグレ、アリサ、そしてダークを、マリナを始めとした里のエルフやモンスターたちが見送る。
昨日、ダークから提案された、とある話を元に作戦を練り、それを実行するために再び伯爵領・モフスタッターへと向かうことになったのだ。
「そういえば……ダーク、お前は封印から解放されたあと、何をするつもりだったのだ?」
『サヤ殿、妾には行動をともにした主人と、大切な仲間がいてな。再びその者たちに会うことが目的だ』
「お前ほどの強者の主人だと……? いったいどのような強力なモンスターだ?」
ダークの答えにさらに質問を重ねるサヤ。
ベヒーモスであるダークに、主人とまで言わしめる存在……気になって当然である。
しかし、ダークは――
『いや、妾の主人はエルフの少女だ』
――と、意外な答えを返してきた。
「エルフ……だと? 我のように配下にしているというわけではないのか?」
『ああ、まだ妾が幼かった頃、ご主人に命を救われたことがあってな。その恩に報いるためにも、彼女に忠誠を誓い、守ると決めたのだ』
そう語るダークの瞳は、優しげに細められている。
その表情はどこまでも穏やかで、心の底から主人であるエルフの少女を思っていることが伝わってくる。
『もちろん、サヤ殿に対する忠誠も本物だ。何せ、封印されたまま一生を終えると思っていた妾を解き放ってくれたのだからな』
そう言って、ダークは話を締め括った。
(ふむ……。であれば、伯爵領に到着したら、ダークの主人とその仲間たちについても情報を集めてやるとしよう)
サヤに対する恩義を感じているせいか、ダークからその辺の申し出がなかったため、サヤは自分から動いてやることを決める。
ダーク……喋り方とは裏腹に、なかなかに不器用な面があるようだ。
反面、近頃のサヤは里のエルフと触れ合うようになり、少しずつ気遣いというものができてきている……のかもしれない。
そしてそんな彼の心の内をなんとなく感じ取っているのか、ダークは先ほどよりも心落ち着いた様子で、サヤの腕の中で丸くなる……のだが――
「む……いかん、忘れていた」
『どうしたのだ、サヤ殿?』
「ダーク、里の外へ出るのであれば、変身しておかねばと思ってな」
『変身……? サヤ殿も、我のように変身できるのか?』
不思議そうに首を傾げるダーク。
そんな彼女に、サヤは「まぁ、見ておけ」と言ってエルフへと変身する。
『ほぅ……なんとも美しい……。エルフの中でも、極上の美青年とは……』
エルフの青年へと変身したサヤの姿を見て、ダークがどことなく蕩けた声を漏らす。
さらに気のせいか、その丸い金の瞳が潤んでいるようにも見える。
(ま、まさかダークよ……!)
(ダークちゃんまでサヤさまのことを……!)
ダークの反応を見て、戦慄するシグレとアリサ。
しかし、ダークの見た目は猫であり、その正体はベヒーモスだ。
さすがにそのようなことなど起こりはしないであろう。
多分……きっと……恐らく…………。
◆
数日後――
(よ、ようやく到着なのじゃ……)
(催し過ぎて死ぬかと思いました……)
伯爵領に到着するとともに、シグレとアリサが心の中でため息を吐く。
原因は、もちろんエルフ化したサヤだ。
道中、野宿することは何度もあった。
無防備なサヤの美しい顔を見ては劣情に駆られ、その度にことに及ぼう……などと考えることもあったが、なぜか必ずダークがサヤの側で丸くなって寝ているため、シグレもアリサも、それを実行することはできなかったのである。
「さて、まずは宿屋を確保するとしよう」
『ああ、休息を取り、作戦を実行するタイミングを見計らうとしよう』
悶々とするシグレとアリサを横目に、サヤとダークは至って真面目に段取りを始めるのであった。