1: Mission
恋愛要素はあまりないのですが、シリーズの兼ね合いでジャンルは恋愛にしています。
※シリーズ作品を読んでからでないと内容がわかりにくいかもしれません。
『――おはようございます、リオナ』
時間帯を問わず、彼女との会話は「おはようございます」で始まる。太陽が中天を通り過ぎた頃、通信魔術で自身に語り掛けてきた女性にアーシェは小首を傾げた。普段は薄情なくらい穏やかな調子で喋るのに、今はどこか困惑したような気配を垣間見せている。
アヴェントン公爵家の次女アーシェ・ファレスは、現在リオナという偽名で、超一流のハンターギルド【獅子王の牙】にハンターとして所属している。要するに荒事の代行者であり、報酬と内容次第で何でも引き受ける万屋だ。
通信魔術で話しかけてきたのは、ギルドの通信士だった。特に親しい間柄でもなく、彼女がアーシェに寄越すのは業務連絡だけだ。のんびりと私的な時間を過ごしていたアーシェに彼女が連絡を寄越したということは、仕事の依頼が入ったということに他ならない。
「仕事?」
『えぇ…その前にリオナ、あなたは精神魔術にもお詳しいですよね?』
「…まぁ、それなりに」
意外な方向に話が飛んで、アーシェは内心で警戒しながら曖昧に頷いた。
魔術とは天性の才能と深い知識を併せ持つ者が使える能力だ。膨大な魔力に恵まれ、旺盛な知識欲が赴くまま生きてきた彼女は、自他共に認めるほど、魔術全般に造詣が深い。話題となった精神魔術も例外ではなかった。
しかし、精神に干渉する類の魔術を外法と見る者も多い。人の精神はあまりに脆弱で、下手に干渉すると精神崩壊を招くからだ。だからこそ、精神魔術に長けていたとしても、それを吹聴する魔術師はなかなかいない。アーシェも同じく、ギルド加入時の適性検査で少しだけ話した以外に、それを明かしたことはなかった。そして、仕事にそれが必要とされたこともない――手早く仕事を終わらせたくて使ったことは度々あったが。
「精神魔術が必要ということ?」
『そうです。…少なくとも、依頼人に指定されています』
精神魔術の使い手を指定するとは碌でもない依頼としか思えないが、ギルドの交渉員が受諾したということは、問題ないのだろう。その辺りの判断はアーシェよりも厳しいのだ。
『メア・リュメール劇団をご存知ですか?』
「中央広場に同名の劇場を持つ劇団だね」
『では、一ヶ月後に公演を控えている演目のことは?」
「知らない」
貴族生まれのアーシェだが、一般的な貴族令嬢の食指が動くようなものには大抵興味を持てなかった。我を通すということすら知らずにいた幼少期に、件の劇場へ両親に無理矢理連れて行かれた記憶があるが、観劇したはずの演目すら思い出せない。
『薔薇色の瞳を持つ女性が主役となる『薔薇の乙女』です…まるであなたのようでしょう?』
確かにアーシェの瞳の色はオールドローズだ。しかし、なぜ薔薇色なのだろうか。大して特別な色でもない筈なのだが。
「ふぅん…それで?」
『その主演女優に抜擢された女性の様子が、おかしいのだと。具体的に言うと、延々と台詞を呟き続けて食事や睡眠をとろうとしないとか、無表情で立ち尽くして呼ばれても反応しないとか、それなのに役名で呼ばれると、その役を生き生きと演じ出すのだとか』
「あぁ、それは…よくあるプレッシャーからの挙動不審とかではないの。或いはそれが悪化して精神障害を発症したとか。腕のいい心療医を紹介するべきだと思うけれど」
『既に医者には見せたとのことです』
「その手の治療には時間がかかるのに」
『公演が一ヶ月後に迫っているから、とにかく時間が惜しいと。説得はしてみたのですが、聞いて頂けませんでした。何せ問題の女優は劇団の看板女優――彼女が公演に出られないというのは避けたいのでしょう』
だからといって精神魔術の得意な魔術師を探すという思考に至るとは、少々物恐ろしいものがある。
それでも、手段として間違いとは言い切れない。腕がよく精神魔術の得意な魔術師であれば、精神の乱れの原因を特定するのも、改善するのも不可能ではない。実際、精神魔術を使えることを隠して、心療医として従事する魔術師もいるという。ただし、だからといって精神魔術を頼るのはあまりに乱暴すぎる。鍵のかかった木製の小箱を開けようとして斧を振り下ろすようなものだ。
『とにかく、本日中は団長が終日予定を空けているとのことなので、準備が完了し次第、メア・リュメール劇場へ向かってください』
「…わかった」
有無を言わせない口調に、破格の報酬を提示されたのだろうなとアーシェは察した。
最上級のハンターギルド【獅子王の牙】は同業と比べて依頼料の価格帯が高い。そして、ギルド内最高位ハンターの一角を担うアーシェが手配されたとなると、その中でも特に高額の部類に入る。しかし、依頼人が提示したのはそれ以上の額なのだろう。
『それでは、よろしくお願いします』
通信魔術が途切れ、アーシェは思わず溜め息を零した。数秒だけ目を瞑り、開く。開いた先にあるのはオールドローズではなく、深い青へと変わっていた。何となく、嫌な予感があったのだ。
それから家を出る。劇場へ出向く前に、最低限の知識を身につけなければならない。
話題となった演目『薔薇の乙女』とは、薔薇色の瞳を持つ女性魔術師がロザリア・エストリエと呼ばれる魔術師の楽園を築く物語だという。御伽噺に登場する楽園が実在していたかどうかは、歴史学者の間で今も昔も激しい議論が交わされている。
今でこそ当然のように受け入れられている魔術師だが、遠い昔には悪魔の子として忌み嫌われ、迫害されていたという。やがて魔術師たちは人目を避けて隠棲し、それを見かねたロゼッタという女性が立ち上がる――という物語だ。
そのロゼッタ役を務めるのは、メイナ・フェリュスという女性で、通信士の言う通り劇団の看板女優である。まだ若いながらも他者の追随を許さない演技力と、白百合の如きと形容される清楚な美貌、曇りのない澄んだ美声を持ち、あらゆる役になりきると言われている。実際、過去の新聞を漁ってみると、女神の役を演じた彼女を「まるで真に女神が舞い降りたかのように美しく神々しい姿だった」と誉め讃える記事が見つかった。
「…あらゆる役になりきる、ねぇ」
役者として冥利に尽きる賛辞なのかもしれないが、アーシェには理解しがたい世界である。
とにかく、初動で集められる程度の情報では、メイナ・フェリュスの言動がおかしくなった原因はわかりそうもない。そう結論づけたアーシェの足は、そのままメア・リュメール劇場へと向かう。嫌な予感は強まるばかりだが、それは呑み込んだ。
お久しぶりです。2018年ももう半分終わったとかあまり信じたくないです…。
今作はあまりアーシェとレヴィネイスの関係は進展しないです。
早く進展しろと思っている方には申し訳ないですが、実はシリーズ通してのストーリー的には結構重要なターニングポイントなので勘弁してください(><)
それではここまで読んでくださった方、ありがとうございました。