【Chapter:01 Page015】
――ここで、物語を別の人々の会話に移そう。
そこは、とある星の、とある場所の、とある少女ふたりの会話。
「…………っ!」
少女がひざをつく。まるで頭痛が再発でもしたかのように。
「ちょっと! 大丈夫!? ジルイーク!」
隣から別の少女がかけよってくる。
「うん……。だいじょうぶ……」
ウェーブがかった髪がゆっくりと、少しふらつきながらも持ち上がる。それはひどく弱々しい動きだった。幼く小さいからだとあいまって、ひどく儚い印象をあたえる。
「あんた……また『視えたの』?」
ショートカットの少女は、ジルイークと呼んだ友達に呼びかける。不安にさせないようにしっかりとした口調で、だけど不安な気持ちを隠し切れない声色で。
「…………」
ジルイークはしばらく無言のままでうつむいていた。
隣で介抱していた少女は、これが彼女というものだと受け入れていたので、黙って彼女のそばにいる。それはさながら姫の勅命を待つ騎士のようでもあった。
「……星にね、黒い流れ星がやってきたの」
唐突に、ジルイークが口を開く。語るのは、脈絡のない物語。
「人がつまった箱の中で、三回……誰かと誰かが傷つけあうの」
目をうつろわせ、唇を青くして、ウェーブの髪を引っつかんで彼女は小刻みに打ち震える。まるで不治の病を告知された患者のように。
「……未来が視えたのね……」
哀れむように、気づかうように瞳を細めて、少女はジルイークの小さな体を抱きしめる。
それでも、彼女の震えは止まらない。
次の瞬間には、かすれた声で、こうつぶやいていたのだから。
「死ぬよ……」
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Cartagra
「みんな……みんな死ぬの……」
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ここで、物語の軸を少年の心に戻そう。
火、私の御霊。
水、私の血液。
大地、私の肉体。
空気、私の吐息。
昔から、人々は自然とともに生きてきた。
肌を焦がす熱量。五体を駆け巡る淑水。大地に宿る億万の命。鏡花水月のごとき流れ。
人間はその一部として生きてきた。
心が始まると、人はどうしても世界に場所を取る。
だったら――世界から隔絶されている少年は、どのようにして生きたらいいのだろう?
人とのつながり? 人こそ世界?
だけど誰も少年とつながってくれない。世界が少年を拒絶する。
集団でこぞって徹底的に粘着質に偏執狂的に貶めてくるのだ。
締めつけられる程に苦しんでも、心臓が潰れそうなくらい辛くても、千切れるみたいに裏切られても、消えてしまえばいいと失望しても――それでもこの絶望にはほど遠い。
それでも少年はなお足掻く。
ここから逃げたい。外の世界を見たい。
それより何より、自分を知りたい。
だけど、そんなかすかな願いすら、世界は摘み取っていく。
ここは金星。
ここから逃げるには、船に乗らなければならない。
金星の引力圏を超えなければならない。
気圧に耐えなければならない。
濃硫酸の雨に耐えなければならない。
台風以上の突風に耐え切らなければならない。
どこかの星に行き着かなくては意味がない。
問題は無数に存在する。
だけどもっとも大事な問題――この刑務所には、宇宙船が無いのだ。
送られてくる囚人は、離脱能力のないただのポッド。宇宙を飛ぶどころか、空を飛ぶ推進力すら残っていない。
だからどこにも逃げられない。
少年の居場所はここしかない。
誰とのつながりもないこの場所に。
隷属の日々。自由なんてどこにも無い。
この場所で、何回も何回も少年は壊されてる。
傷が治る能力がなければ、とっくの昔に壊れていただろう。
いっそ心が壊れてしまえばいいのに。
孤獨は少年の内で滴って、はけ口の無い感情は胸の奥底で澱となって……増えて殖えてどこまでも溢れて、心は灼かれ爛れていく。
それは光を蝕む黒い染み。
あるいは刺青のように、消えない傷。
少年はけっして、大らかなわけでも呑気なわけでもない。
絶望のせいで脳が麻痺しているだけだ。地獄の上にある平均台をよたよたと歩いて、一歩一歩ゆっくり確実に絞首台へと向かっている――そんな印象を受ける。
実はひどく危うい精神状態にあるのだ。
鎖がカラダに絡みつき、まるで紐のように深く食いこみ、茨のように締めつける。
それは日々を歩むごとに強くなっていつか……。
カチ、コチ、カチ、コチ……。
「――っ!?」
少年の悪夢が溶けていく。とても早く。
まるで砂漠に捨てられた雪のように。
振り向くと、そこには時計があった。
複雑な歯車の動きによって時を刻む――効率が悪いことこの上ないアナログ時計。
歯車同士がかみ合い、回るたびに聞こえるカチコチのリズム。
時計は知らせていた――『もう【今日】は終わりだぞ』
「…………」
少年の頭を満たしていたのは、もう悪夢などではなく、現実の地獄そのものだった。
また怒られる。また殴られる。また貶される。また何かされるのだ……。
頭の中で始まってしまった地獄をふりはらうように、少年は頭を振った。まるで終わらせるかのように。
時計の針の音が――少年はどうしようもなく嫌いだった。
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「…………」
少年は、ある場所でぼんやりと立ち止まっていた。
そこは少年の小部屋で、少年の居場所。
そこで眠っている少女。
「ものすごーく……邪魔なんですケド……」
言葉のわりにはどうでもよさそうな口調で、少年はぼそりとつぶやいた。
少女はというと、少年のつぶやきなど耳に届いていないというふうに眠りこけている。
――というより、時間が止まっているかのようだった。それくらい、少女は動かないし寝息も立てていない。
もしかしたら死んでいるのかとも思わせるが、見たところそうでもないらしい。
とはいえ……。
彼女を見つけてどうにか運んで床に寝かせてから―― お お よ そ 三 週 間 。
その間ずっとずっとずーっと、少女は眠っているのだ。いくらなんでも寝すぎである。
「三年寝太郎……ってゆうか寝花子?」
ギネスに申請しようかな、とつぶやきながら少年は口元に手をやる。
――彼女はいったいなんなのだろう。
このところ、少年の頭をめぐっているのは【これ】ばかり。
夢の中とはいえ、宇宙艦隊を相手にした少女。しかも圧倒的な力で近代テクノロジーに生身ひとつで打ち勝った。
彼女はどうして宇宙の中で平気でいられるの?
彼女はどうして彼らと戦っていたの?
彼女の力は何?
いや、そもそも―― 彼 女 は い っ た い 何 者 な の か ?
理屈をこねれば角が立ち、考えれば考えるほど深みにはまる。つまらない仮説が満ちては消え、残るのはやっぱり謎ひとつ。――彼女は何者?
考えても、頭をひねっても、無い知恵をしぼっても、答えはカケラも見えてこない。
しかして少年は苛立たない。むしろ時間はあるんだと、のんびり考えてみる。
眠っている少女の横に腰を落ち着け、猫背になって、手にあごを乗っけてぼんやり考えてみる。そこはかとなく、縁側でお茶をすするお年寄りの姿によく似ていた。
だけど、その背中は――ひどく、弱っている。
ただでさえ小さな矮躯がもっと縮こまり、うつむかせた顔をその手で覆い隠す。
少年は、思う。
――どうしてかな?
――ほんの少しだけ、光が見えた気がしたんだ。
――君を見たときに。
――君を見つけたときに。
――それは幻?
――それは夢?
それは掬いようのない一雫。
それでも――そんなものにすら縋るくらいにぼくは弱いの?
――もう一度だけ。
――もう一回だけ。
――あとひとつだけでいい。
――ぼくにチャンスをください。
どぶ川から這い上がる力をください。
足に絡みつく手をふりほどく力をください。
雨に打たれても泣かないでいられる力をください。
暗闇に押し潰されない勇気をください。
自分の場所を――彼女に捧げてもかまわないから。
だから彼女の心を教えてよ。
そう思ってしまえるほどに――今の少年は弱っていた。
見も知らぬ少女に、居場所を求めるほどに……。
カチ、コチ、カチ、コチ……。
どこからともなく聞こえてくる、時計の針の音。つまらぬ人生の回転を笑う、歯車が鳴く声。少年の心をチクタクと切り刻んできた針の音……。
「…………」
だけど、その音は少年の耳には届かない。
かわりに、今にも消え入りそうな心臓の声が――少年の奥で懸命に歌っていた。
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少年の夢想。
それは儚い時間稼ぎ。
それは空しい悪あがき。
だけど現実は――悪夢はもっと早い速度でおおいかぶさってくる。
逃げることなど許されない……。
周囲のざわめき。
それはある日ある時間の出来事。
囚人たちは、あるものに目を奪われていた。
それは――死体。
彼らの前に、自殺死体が転がっているのだ。
別に、死体が珍しいわけじゃない。
ここにいる人間の中には、快楽殺人や連続殺人の経験だってあるし、裏業界で名をはせたものだっている、それこそ家族よりも死体と長く付き合っている身だ。いまさら腐った肉を見たくらいでおびえるわけもない。
だけど、 自 分 の 手 足 を 食 っ て 死 ん だ と な れ ば 別 だ 。
ひじやひざから先は、筋肉の筋がむき出しになっている上に、原形をとどめないほどに食い千切られているし、目をほじくったのか、天井をあおぐ【くぼみ】は闇に満ちていて、あんぐりと開いた口に――舌は無かった。噛み千切ったのだ。
いったい彼に何があったのだ?
その野次馬の中に、少年もいた。
周りの囚人連中のような狼狽もなく、客観的な目の光で死体を見下ろしていた。
それは傷が癒える能力ゆえの余裕なのか、それとも落ち着いた性格ゆえか。
あるいは―― 誰 が 死 の う と ど う で も い い の か 。それこそ自分の命すら。
真実は、少年に答えてもらうしかない。
虚空を見上げる死体。
いったい誰の手によるものなのか。
野次馬の海から、誰かのつぶやきが聞こえる。
「……エフ博士の呪いだ……」
――ここで、もしも【彼女】の声を聞かせたら、みんなどんな反応をするのだろう……。
――死ぬよ。みんな、みんな死ぬの……――
-BLACKBOX-
―ブラックボックス―
【Cartagra】
カルタグラ――魂の苦悩
イギリスの学者であるレギナルド=スコットが提唱した【煉獄】の代わりに用いた造語。
悪魔学者という立場にありながら現実主義思想にあり、呪いの類は人の虚言や妄想によった幻想であり、受け手側の集団的偏執や精神混乱である――と、提唱している。
参考資料
CHAKRAS チャクラを活かす
著者 パトリシア・マーシア 翻訳 吉井知世子 発行所 産調出版株式会社