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【Chapter:01 Page014】

「僕は、科学が好きだ」


 それは、とある場所。それは、とある話。それは、闇の底からの笑い声。



「僕は、科学が好きだ」

 再び、同じ言葉を口にする。

「僕は、科学が大好きだ」

 それはまさしく、科学に人生と魂をささげた狂信者であり犯罪者であり研究者の声。

「物理学が好きだ。生物学が好きだ。地質学が好きだ。薬理学が好きだ。流体力学が好きだ。量子力学が好きだ。天文学が好きだ。自然哲学が好きだ。応用科学が好きだ。情報工学が好きだ。生体医工学が好きだ。地球物理学が好きだ」

「………………」

 相手は口をはさまない。無粋ぶすいなことをせず、男の狂い酔ったよう弁舌べんぜつを、ただただ静かに聞いている。

「生物を知り、現象を知り、習性を知り、構造を知り、大気を知り、原子を知り、宇宙を知り、人間を知る――この世界で実行されたありとあらゆる科学が大好きだ」

 心底嬉しそうに、男は笑う。子供のように無邪気に、大人のように意味ありげに。

「【BLACKBOX】こそ究極の科学。究極の存在。究極の奇跡。そうだ……究極に興味深おもしろい」


【BLACKBOX】――それはあの少女。少年が夢に見た、戦艦を生身で滅ぼした存在。


「………………」

 それまで物静かにしていた青年がかすかにあごを上げ、そして口を開く。

「【BLACKBOX】と彼が出会いましたね。我 々 の 狙 い 通 り 」

 冷静な若い声。だけど、その内で黒い熱が鈍っている。


 それを見透かしたように、男が笑う。 

「【BLACKBOX】――彼女は強い。君は彼女に勝てる自身があるかい?」

「無論です」

 青年は断言した。まるで悪魔を打ち滅ぼす騎士のように。あるいは人を食い潰す魔王のように。

「たとえ相手が異能力者であろうと、たとえ相手が怪物であろうと、たとえ相手が悪魔であろうと、たとえ相手が魔女であろうと、たとえ相手が神様であろうと、

 正々堂々正面から圧倒的火力で撃ち崩し――

 姑息で卑怯な手段を使い尽くして圧倒し――

 攻撃し、迎撃し、要撃ようげきし、銃撃し、狙撃し、迫撃はくげきし、砲撃し、爆撃し、電撃し、遊撃ゆうげきし、反撃し、追撃ついげきし、進撃し、打撃し、排撃はいげきするのです。

 ――そうすれば、そこに我らの勝機は見えるでしょう」

「若いとは実に素晴らしい。だがそれは少々無理だ」

「?」

「彼女は異能力者であり怪物であり悪魔であり魔女であり神であり――動く城だ。這いずり回って、通ったあとは何も残らない巨大な領土だ」

「我々では矮小ちいさすぎると?」

「足りないだけさ。付け足せばいい」

「付け足す?」

「そのための用意が――あの少年だ。これは実験だよ」


 男は愉快に笑う。用意周到な準備をってきた快楽殺人鬼のように。

「金星の刑務所をまるまる利用し、少年をさらって 壊 し て 洗 脳 し て 彼女を横から突き崩すんだ。なにせ――」

 闇の奥から声がする。それは男自身の歓喜のふるえ。

「女の子を怖がらせるには、虫を使うのが一番だからね」













「すべては、【BLACKBOX】を殺すためだけに……」





【Page014】

――――――――――――――――――――

     As Another Existence Would Have It







「何やってるんだよ! お前は!」

 細い体が軽々と宙を飛び、硬い机にぶつかって、こは、と肺から息がしぼり出される。


「――〜!」

 体を丸めて、少年はどうにか痛みをしずめる。

 だけど真上から踏みつけられてアバラを潰される。痛い。肺や別の内臓に折れた骨が刺さったかもしれない。

 逃げようにも上手く動けない。わけあってズダ袋に放り込まれているからだ。


いてェのかよ。どうせ治るンだろ? すぐにあっさりよォ!」

 おなかを押さえている腕を袋ごしに踏みつけるストンピング。さらに踏みつけストンピング踏みつけストンピング……。

 苛立ちを、うっぷんを晴らすように何度も何度も……何度だって……。


「お前!」ぐしゃ「くけ」

「メーワク」ぎち「えきゃ」

「かけやがって!」ぐちぃ「いぐ」


 ズダ袋を何度も踏みつけられ、そのたびに動物めいた悲鳴があがり、土気色の汚い布地からじんわりと海老色の染みが浮かび上がってくる。

 荒い息とともにズダ袋が隆起りゅうきしていくが、そのふくらみはひどく弱々しい。


「……っ!」

 少年がこんなリンチを受けているのは理由がある。――少女を見つけたあとの話だ。

 

 あのあと、少年はモップと自分の役割を捨てて、自分の意思で少女をかついで自分の小部屋に運んでいった。

 それから少女を寝かせて、しばらく「この子は誰だろう?」と空想を思い描いて……。



 それがいけなかった。



 それから少年はすぐに見つかった。

 最悪なことに、いつも少年を手ひどくいじめている男に。このあいだも少年を突き飛ばしておいて「あー、手が汚れた」とか言った男だ。

 しかも、今は別の取りまきを連れてきていて、みんな鉄パイプやらコンクリートの破片やらを手にしている。

 たぶん、あのネズミみたいに出っ張った前歯をみせているんだろうな、と少年は思った。あのネズミもどき。



「掃除サボったお前が悪いんだからな。いいか、こ れ は お 前 の せ い な ん だ よ」

 口ではそう言っているが、ようは少年で『ウサ』を晴らすつもりらしい。

 蹴られた箇所ところが熱い。皮膚が破れて肉がえぐれている。爪も何枚かがれていた。傷口の隙間に服が深く入りこんで痛い。

 それにしても、執拗しつように蹴っているのはなぜだろう? なぜ手を使わないのだろう?

 手より足の筋肉のほうが強いのは周知の事実だ。痛めつけるなら足のほうが効率的だし、何より靴をはいている。足が血で汚れなくてすむ。――そういうこと?


 それとも――

 本当に、傷が癒えて再生する少年が気持ち悪いのかもしれない。

 だから何度も踏み潰すのだろうか。まるで、虫を殺すように。



「あぎぃぃぃぃぃっ!」

 ズダ袋から獣めいた悲鳴が上がる。袋に 深 々 と 刺 さ っ て い る――使い古されたボロボロの斧。刃こぼれがひどいが、力を入れれば十分切れる。

 抜いては、振る。抜いては、振る。抜いては、振る。抜いては振って――抜いては、振る。

 割るとか切るとかじゃない――ハンマーで叩き割るような感覚で、何度も斧を振り下ろしていく。

 周りのみんなも、機械的な動作で鉄パイプを振り下ろしていく。まるで石造を壊すように、まるで細かく砕くように、執拗に、丹念に、徹底的に叩いていく。


 叩 い て い く。


 赤い染みまみれのズダ袋を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度だって。


 ……それから。

 何分か何時間か永遠か――それくらいの時間がすぎてから……。

「いいか、今度は勝手なマネすんなよ」

 男は、どこかすがすがしささえ含んだ声でつぶやくと、元の色が分からなくなったズダ袋をもう一度だけ蹴飛ばして、くるりと背を向けた。それにならって、周りの取りまきも鉄パイプを投げ捨てていく。ときにはズダ袋に投げつけるものさえいた。


「…………」 

 少年には、もう声を出す気力さえない。

 遠くから男たちの談笑が聞こえる。

 今度パフュームを吸おうとか、またいい絵を描いてやるよとか、そんなこと。

 パフュームというのは、確かこの刑務所で流行っている麻薬クスリの名前。

 それと、男には絵の才能があるらしく、よく他の囚人に頼まれるのだ。――ただし、風景画のような上品なものではない。女の曲線を誇張した、きわどい裸婦像。


「…………」

 気持ち悪い。


 そう心の中で続けて、少年は何度か痙攣けいれんした。

 痛い……痛い、痛い、痛いよ……。

 そうだ。痛いに決まっている。傷が治るとはいえ、それまでに受ける痛みはけっして消えはしない。いや、むしろ傷を治すときこそ一番痛みをともなう瞬間なのに。

 血まみれのズダ袋がびくんびくんと蠕動ぜんどうしているさまは、外から見るとひどく不気味だ。まるで無数の虫が中で暴れまわっているような、そんな印象。

 

「…………っ」肉をむような音。「じゅく」

「…………ぁ」骨がれるような音。「きちゃ」

「…………ぅ」臓がれるような音。「ぶちゅ」


 まるで昆虫がさなぎの中で自分の体を作り変えているような、そんな気持ち悪い音が闇に溶けていく……。

 神経をむしるような、脳を引っくような痛みが少年を追いつめ苦しめおとしめていく。

 そうして、いつしか闇の歌は終わりを告げて、ズダ袋はぴたりと動きを止める。


「…………」

 袋の口から伸びてくる――手。

 ところどころが赤黒くなっていて、小指の爪が剥がれていて、中指の第二関節から白い骨がのぞいていた。

 その手がほこりすすまみれの床にはりついて、袋から虫がずるりと這い出てくる。


「…………」

 大きな虫は、ところどころが傷だらけだったけれど、どうにか人のカタチをたもっていた。

 体をきしませながら上体を起こすと、かすかに内臓が何かに刺さったように痛む。まだアバラは修復しきれていないらしい。

 いつも気の抜けたような表情も、このときばかりは苦痛に歪んでいる。童顔のせいか、その表情はとても幼く見えた。

 息が、出来ないよ……苦しい……っ。


「…………っ!」

 体の奥からこみ上げてくるものが喉元まで迫って、少年は四つんばいのまま激しくせ返った。――嘔吐おうとしたのだ。

 ……苦しい。嫌だ。息ができない。……喉が痛いよ……。

 黄色い胃液とも紅い血とも桃色の内臓の破片とも取れるものを口から吐き出して、タイルのがれたボロボロの床に新たな染みを作っていく。

 最後に透明の涎糸よだれいとが口と床をつないで、荒い息が吐き出されていく。


「……っ。こういうのって、労災おりない……のかな……っ……」

 冗談を口にするだけの元気は戻っていた。しかし全快ではない。

 気分が悪い。頭がくらくらする。貧血によく似ていた。――血が流れたせいだ。傷は治せても、外に出てしまった血はどうにもならない。

 鉄分が不足していて気分が悪い。少年は背もたれにしていた机を見て、何かないかと探し求める。

 ――あった。スプーンだ。

 少年はスプーンをわしづかむと、念入りに洗ってから口に入れた。スプーンの鉄分を取り込んでいるのだ。

 たいした量にはならないが、少しはマシになるだろう。


「…………」

 天井でかすかに点滅する、寿命のとぼしい電灯を少年は見つめる。

 光の先に何か見えるのか、そのはるか先を見つめて、求めるように少年はつぶやく。

「早く……行かなくちゃ……」

 あの少女のもとへ……。



 今の少年はまさに――光を求める虫そのものだった。












 まるで、見えない存在にあやつられているかのように……。







  -BLACKBOX-

―ブラックボックス―



もう一つの存在がそれをもって――

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